ぼくは教師に向いてなかったのかもしれない
喜多哲士
第1話 ウィキペディアでは作家です
初めまして。僕は大阪で長年高校の先生をしてきました。定年退職のあとも、再任用で仕事を続けています。
大阪の高校には、生徒が先生を評価するアンケートがあります。僕はそのアンケート結果を見るのがいつも怖いのです。というのも、たいていその学校の平均点よりやや低めの結果しかでないからです。僕なりに授業に工夫しているし、いいところを書いてくれる生徒もいますが、数字で結果が出ると、校長との面談でグジグジと嫌味を言われたりしたこともありました。
そのたびに思うのです。僕は教師に向いていなかったのかもしれないなあ、と。でも、三十年以上も教師をしていると、それ以外の仕事というのはもう考えにくくなってしまっています。
実は、教師になったのはいわば偶然で、もともとは文筆業で身を立てるつもりでした。まだ学生だった頃、SF同人誌に書いたショート・ストーリーが、「SFワールド」という当時あったショートSFの専門誌に転載され、商業誌デビューを果たしました。そのあと、SF大会のスタッフをしていた時に、先輩の書評家の方の推薦で、「SFアドベンチャー」という雑誌で毎月書評をすることになりました。
そちらの書評は紙面刷新のため、おろされてしまうことになりましたが、数年後に、「SFマガジン」で隔月の書評連載の依頼が来て、「架空戦記」や「伝奇アクション」など、ノベルズ中心のブックレビューを何年も続けていました。
さらに、子ども向けの読み聞かせ絵本雑誌「おひさま」の新人賞に応募したら、優秀賞をいただき、その雑誌には2本だけですが作品が掲載されました。
持ちこみで「SFマガジン」に出したショート・ストーリーが掲載され、念願だったSF小説デビューも果たしました。ウィキペディアでは、僕の肩書はまだ「作家」だったりします。
でも、そこまででした。
学校の仕事が忙しくなり、そちらに集中していると、小説が書けなくなりました。ウェブ日記だけはずっと書き続け、毎日更新しています。ある新人賞の一次審査、二次審査をしたりもしています。辛うじて一本の糸で業界とつながってる感じではあります。
でも、結局は先生の仕事を優先させてきて、文筆業で身を立てる、なんてことはできないまま年を食ってきました。
このエッセイでは、学校の先生の思い出や、ラノベ原作のアニメに出てくる学校のへんなところや、いろいろと思いつくままに書いていきたいと思います。
本当に、僕は教師に向いていたのか。書いているうちにその答えも出てくることでしょう。お付き合いいただければ幸いです。
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