後輩がスマートなストーカーになってた話

安座ぺん

あいつ元気でやってるかなって思ったら後ろにいた

 あの夢を見たのは、これで9回目だった。

 北海道旅行に行って、レンタカーで知床を巡っていると熊がのっそり現れて襲われるという夢だ。車のガラスを強靭な爪で破壊されて、腕で頭を守りながら、なすすべもなく運転席の足元に蹲る。そこで、俺ははっと気づくのだ。

 ――会社を休んで俺は何をしているんだ、と。

 途端、熊のことを忘れて、会社を無断欠勤したということに底知れない恐怖を覚えて、パニックになる。

 今日打ち合わせ予定だった取引先に迷惑をかけてしまう。上司にも怒られる。


「やばい、どうしよう」

 切羽詰まった心情を口にすると、現実の世界に引き戻された。

 慌てて腕につけたスマートウォッチで時刻を確認すると、アラームの鳴る三十分前だった。体から力が抜けるが、鼓動はバクバクしたままでなかなか収まらない。


 また、この夢だ。普段、夢は見ても忘れてしまうのだけれど、これはやたら印象に残って頭にこびりついている。自分を象徴するような内容だからか。

 熊よりも上司の方が怖い、というのはよく言えば責任感が強いのかもしれないけれど、どっちかというと小心者という方が合う。


「あーもう眠れないな」

 暴れる心臓を抱えたまま、ベッドから立ち上がった。スマートウォッチをいじって、睡眠時間を表示すると三時間と三十分程ということ。見なきゃ良かった、とため息をつく。


 あの夢を見るようになったのは、この腕時計型のデバイスを着けるようになってからではないか、とふと思った。

 よく使っている大手ネットショップから抽選で当たった景品として送られてきたもので、抽選に応募なんかしたっけなあと首を捻りながらも、単純に名高いブランドで、高いものだから嬉しかった。それに、パソコンやスマホのアクセサリはいつもネットショップで探して購入するから、そういうものの特典だったのかと考えると、疑問は吹っ飛んだ。


 悪夢の原因と疑いながらも、夢とスマートウォッチが関係するなんて聞いたことはない。睡眠時間や睡眠の深さの記録はしてくれるけど。

 もし、十回目、同じ夢を見てしまったら外してしまおうかなと考えつつ、出勤前の準備を進めた。



 朝のホームは激混みだ。人いきれのなか、リュックを胸に抱き込みながら、今日のスケジュールを整理した。朝イチで進捗状況のミーティングが入っている。上司の怒鳴り声がフラッシュバックした。今日も誰かが怒鳴られるんだろうな。

 俺が咆哮の標的になる事はあまりないけれど、怒られてプライドを切り裂かれている人を見るだけで、心が荒む。


 上司はすごく仕事ができる人だけれど、人間性は酷いもんだ。一度、中途採用で入ってきた新人が恫喝されて、泡を吹いて倒れたくらいには怖くてねちっこい。


 あの時は大変だった。なぜ倒れたのか、わけが分からないまま、救急車を呼んで、救急隊員に促されるまま一緒に車両に乗り込んで病院に行った。命に別状はなく、数時間寝たら目覚めたが、そのまま退社してしまった。新人が入社して三日目の出来事だった。達者でやっているといいが。


 ぼんやり考えていると、会社へ向かう電車がホームに到着する。さて、と乗り込むために一歩踏み出したところで、腕を掴まれた。

 !?

 そちらを見ると、男性が肘のあたりを摘んでいた。

「え、ええっと。なんですか?」

 あの電車に乗りたいんだけど、と振り払おうとするが、男の力は存外強く敵わない。引っ張り合いをしているうちに電車が行ってしまった。ああ……でも、次の電車に乗れば間に合わないこともない。


「具合悪いんですか? 座ります……?」

 ずっと俯いたままだったから、心配になったのだ。男は、顔を上げてこちらを見た。

「あ」

 目があって、気づいた。あの新人じゃん。泡吹いて倒れたやつ。ええっと、名前は確か。

「坂口くんだっけ? 久しぶり」

「あ……名前」

 元気そうで、安心した。坂口は三日間限定とはいえ、俺の初めての後輩だ。肩を叩いてみる。

「どうしたん、急に。坂口くんもこの路線使ってたんだなー」

「あの、僕。吉良さんに提案があって。だから今日はあなたに会いにここに来ました」

 突拍子もない台詞に、気安く語りかけたことを後悔する。

 なんて熱い眼差しなんだ。びびるぞ。なんだろう、宗教に勧誘されるのか、はたまたマルチか……。

「な、何……? 悪いけど、俺今から仕事だからあんま時間取れないよ」

「その、吉良さん、僕に監禁されてくれませんか?」

 意味が分からなすぎて、言葉が出なかった。

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