星盤会議

昨晩の嵐がひとまず身を潜め、ぼんやりとした雲のはるか向こうに太陽が上ると、(といっても、ヤ=ムゥでは日なんてめったに覗かないのですが)ただ世界の輪郭をなぞる冷気が深まり、闇がわずかに薄墨色へと変わるだけの、そんな朝が始まったのです。

神殿の下に広がるウェノ・マトルの街も、ナギの霊峰も、その先の黒い海も、すべてはその乳白色の溜息の中に沈んでおりました。そしてこの好奇心旺盛な朝霧は、あらゆる建物を埋め尽くすにとどまらず、建物のあらゆる隙間から忍び込んでは、磨き上げられた石の床に悪戯な濡れ模様を描いていくのでございます。

ことさらナギ神殿の中腹にある、長い間忘れ去られていた『バルベーローの聖所』においてはその詮索もひどいもので、さながら高潮が打ち寄せた後のように、そこにある何もかもを湿り気で浸食していました。

堅牢無比を誇るこの暗き城塞に、唯一設けられたその薔薇窓は、しかし、光の代わりに「謀を光の下に照らしだす」というナギも気にせず。

ナギの教義曰く「謀を白日の下に晒す」とのことですが、その実大いなる光などは差したためしがなく、もっぱらその隙間から冷気ばかりを招き入れるのでした。

この神殿に使える名もなきナズの修道女たちが、この空っぽの舞台に命を吹き込み始めるのも、ちょうどそんな時刻でありました。彼女たちは、凍てつくような水で絞った布を手に、黙々と、しかし驚くほど丹念に、この聖所を清めていきます。

やがて運び込まれますのが、小道具というにはあまりに大がかりな『星盤』。水晶の如き半透明の巨大な円盤の内に、我らが銀河、エシールの帳の星図が、まるで神が気まぐれに星屑を封じ込めたかのように、精緻に描かれております。これが中央に鎮座いたしますと、盤を通り抜けた微かな光が、磨き上げられたばかりの床に、まるで秘密の計画の在り処を告げるかのように、青白い紋様を広がらせるのでした。

次は椅子。削り出された背もたれには、鳥の羽か流木を思わせる繊細な透かし彫り。一脚ごとに異なる輝石がはめ込まれ、その磨き上げられた様は、いかにみすぼらしい男でも、ひとたびここに座れば、小汚い僧侶くらいには見せる威光に預かれるわけです。その椅子がきっかり十六脚、星盤を囲むように並べられました。

ここまで整いますと、修道女たちは下がり、あとは戯曲の役者たちの登場を待つばかり。

かの種族、ウディアン――その青緑の肌は深海の記憶を宿し、古の伝承によれば、この星の陸(おか)を除くすべて、広大なる黒い海を統べていたという――その長、ルクク卿その人でありました。

その顔には、まるで乾いた空気に鰓(えら)を焼かれているかのような苦悶の表情が浮かんでおります。猜疑に満ちた双眸で聖堂の隅々を検めるように眺め渡し、陸の民が作る、いかにも乾いて角張った美意識へ、深い侮蔑の色を隠そうともなさいません。 されど、卿の血には、ただの侮りでは終わらせぬだけの古き知性が流れておりました。その意匠に込められた意図を、ひとつ汲み尽くしてみるのも一興かと、ゆるりと歩みを進められたのでございます。

ルクク卿が中央に鎮座する巨大な『星盤』に歩み寄って、そっと覗き込んでいると、彼の背後で、絹の衣が擦れる微かな音が、聖所の冷えた静寂を裂きました。

太陽柱セタシオン卿。その階位は俗世の権力を追う男たちを思わせるも、その実、ナギの理に生きる壮年の婦人であり、その静かな佇まいには、嵐の中心にある凪のような、近寄りがたいほどの威厳が満ちておりました。

ともあれ、星を渡る太陽柱が、このヤ=ムゥに二柱も同時に存在する。それは、二つの太陽が同じ空に昇るにも等しい、ありえべからざる事態。その心の奥深くには、昨晩突如として舞い降りた、もう一柱についての思案をしているのです。

彼女はルクク卿に一瞥もくれず、星盤の反対側に座ると、早速、目をつむり、内なる光との内密のおしゃべり、ささやき――これは神だったり、真理だったり、お好きなようにお呼びください――を始めてしまいました。

それまでの聖堂の静寂は、やがて、数多の足音とひそやかな話し声によって乱されました。俗世を従え登場したのは、天導政権の宰相と、産業界代表のヘネ・ディマグヌイ議員。 彼らは数多の側近を背後に控えさせ、物々しく席に着いた後も、そのひそやかな会話を途切れさせることはありませんでした。

そうこうするうちに、覚えきれないほどの肩書を持つ皆様が次々と席を埋めていきますが、どうでしょう、星盤の最後の席が、まるでこれから始まる晩餐会の主人の席のように、一つだけぽつんと空いたままなのでございます。

やがて、定刻の鐘が霧の向こうで鳴り響く。 しかし主役はまだ現れない。昨晩突如として飛来し、そうそうたる列席者を審問するため招集した、その召喚者が。

鐘の音が冷たい石壁に吸い込まれ、再び訪れた静寂は、先ほどまでのものとは質が違っていた。それは期待が裏切られた後の、気まずさと疑念が入り混じった沈黙であった。

やがて、定刻の鐘が霧の向こうで鳴り響く。 しかし主役はまだ現れない。昨夜突如として飛来し、そうそうたる列席者を審問するため招集した、その召喚者が。

鐘の音が冷たい石壁に吸い込まれ、再び訪れた静寂は、期待が裏切られた後の、気まずさと疑念が入り混じった沈黙であった。

やがて、誰かが押し殺したような声で呟いたのが、始まりだった。 「……そもそも、本当に昨夜、帰還されたのか?」

一つの疑念が、隣席へ、さらにその向こうへと、さながら水面に広がる波紋のように伝播していく。 「馬鹿を言え。だが、許可なく星を離れた太陽柱が、勝手に帰還していいような身ではあるまい。ナギの厳格な規約を、卿とて知らぬはずはない」 イスヴェロ宰相の横に控える厳格な法衣をまとった、年配の導師らしき男の声であった。

すると、宰相の隣に座る議員の一人が、にやりと口の端を歪め、その批判の矛先を変えた。 「そもそも、太陽柱を育成する枢密院のやり方にも問題があるのではないかな? 近頃は、神聖な義務よりも個人の裁量を重んじすぎると聞くが」

その言葉を待っていたかのように、ディマグヌイ議員が、これまで黙していた重い口を開いた。 「個人の裁量、結構なことですな。だが、その『裁量』とやらで、我らがヤ=ムゥの資産がどれほど無為に消えるか、枢密院はご存知かな? 太陽柱が一度、星から星へ渡るのに、どれほどの費用を要するか……。ましてや、許可なき帰還など」

それまで石像のように沈黙を保っていたセタシオン卿の瞼が、静かに、しかし、まるで地殻が裂けるかのように持ち上がった。 その双眸から放たれたのは、光にあらず、ただ絶対零度の、神聖なる怒り。金銭の多寡で己が同胞の、そして自らの存在価値を測る俗物どもへの、烈しい侮蔑であった。 その一瞥は、いかなる大音声の叱責よりも雄弁に、騒がしかった議場を、再び死の静寂へと叩き落とした。

神聖なる太陽柱が、公然と議員たちへ敵意を向け、議場を凍りつかせる。――もはや、これは単なる遅延ではない。評議会の崩壊、その前兆である。 これには、いかに冷静なイスヴェロ宰相も、もはや座して見過ごすことはできぬと判断した。彼は静かに立ち上がりますと、昨夜来、反芻した規定の宣告を発したのでした。

「――ナギの円環に、名を連ねるものよ」

その声は、驚くほどよく通りました。すると、まるでよく調教された合唱隊のように、居並ぶ面々が声を揃え、右手を左胸に当てるではございませんか。

「我らは円環、天導の大いなる意思のままに」

その声が、高い天井に吸い込まれ、再び静寂が訪れた、まさにその時。―― ええ、私はきっとドアの間で待っていたと実は思うのですが――聖堂の巨大な扉が、まるで溜息でもつくかのように、ゆっくりと、しかし厳かに開かれたのでございます。 逆光の中に立つ、一つの人影。 この茶番めいた儀式を、そしてヤ=ムゥの停滞した運命そのものを、根底から覆すためにやってきた、我らが本当の主役が、今ようやく、舞台に上がったのでした。

ためらうことなく歩を進めた。カツ、カツ、と響く硬質な足音は、この澱んだ議場が、何年もの間忘れていた響きであった。それは、迷いを知らぬ者の音。目的を持つ者の音。そして、この停滞という名の病を終わらせに来た決意の音であった。

その言葉に、最初に反応したのは、やはりこの議場の主人役たる、宰相カルド・ゼトゥング・イスヴェロであった。彼は、その凍てつきかけた舌をゆっくりと動かし始めた。

「これはこれは、ディウフレーシュ卿。長旅、ご苦労であったな。さて、その太陽柱殿が、持ち帰ったものとは何なのか」

ディウフレーシュ卿は、円卓の縁につくと、空席の一つを引くこともなく、そこに集うヤ=ムゥの全てを睥睨した。

「皆様方には、悠長に神学論争や腹の探り合いをしている時間は、もはや残されてないと、伝えに参りました」

評議員たちは一斉に目を伏せ、硬直した。彼女が何のために来たのか、予想はしていた。だが、それを直接突きつけられると、「我らは関知せぬ」「星外の騒乱を持ち込むな」と沈黙をもって抵抗をしめしたのであった。

「お言葉ですが、ディウフレーシュ卿」イスヴェロ宰相は怯まなかった。「あなたが星外でいかなる『策謀』の匂いを嗅ぎつけてこられたのかは存じませぬが、あなたの役目は、星外からの連絡係にあるはず。政治に画策することではありません」

「私が憂いているのは、星々の騒乱ではございません。皆さんの愛するその平穏とやらが、もうすぐ一方的に断ち切られるという、未来について申し上げているのです。コロイドの枯渇は、このヤ=ムゥに破滅をもたらします」

議場は、水を打ったように静まり返った。静謐な水面に一滴、粘つく黒い毒が落ちた。

ディウフレーシュの口から落ちたその雫は、瞬く間に禍々しい波紋となり、その冒涜的な俗名は、この神聖な円環を汚し黒く染め上げたのだ。

セタシオン卿の背筋には悪寒が走っていた。「その穢れた唇で……何と仰いましたか」

「えぇ、聞こえませんでしたか、セタシオン卿。コロイドが枯渇の危機にある、と申し上げたのです」ディウフレーシュがいった。

「あぁよくもナギの恩寵たる聖なる雫を、そのように呼べるものです。このような俗世の塵にまみれた者が、曇りなき心で聴き、我らを導くことなど、どうしてできましょうか」

みな喉に首に茨が巻き付いたように、沈黙していた。ナギ神の代弁者たる太陽柱の言葉にあらがえば、鋭い棘が肉を裂くことを理解していた。

「このような者の言葉に、耳を貸す必要がございましょうか」

円卓にならんだヤ=ムゥの権力者たち、そしてその背後に控える側近たち。この立派な男たちがみな一同にうつむき、小さくなっている眺めは、彼らが母親に叱られた子供のようで見ものだったが、残念ながら、最後にはヘネ・ディマグヌイ議員の探るような、小さな咳払いで破られた。

「呼び方の問題は……お二人であとで解決なさってください。今の我々にとって重要なのは……」

ディウフレーシュ卿は、ディマグヌイ議員に視線を移した。「ええ、呼び方などどうでもよろしいのです。事実として、**『それ』**は、もうすぐ尽きるのです」

「しかしそれは自明なことだ。いずれ尽きる、遠かれ早かれ。ずっと昔から、自明なことです。それは太陽柱殿がわざわざ帰還した理由ではないはずです」ディマグヌイ議員が答えた。

「産労連盟の次期最高議長になる、ヴェラント・セヴァが承認する不採算領域の再編計画についてです。そこには明確に記されたのです。ヤ=ムゥからの計画的な撤退について」

「馬鹿な……」イスヴェロ宰相が声を絞り出す。「埋蔵量は減っていても、開発は継続する。産労連盟といえども、この広大なアクラブ星系を、『雫』なくして星系を統治することなどできないのだ」

ディマグヌイは言った。「しかし、これは望ましいことでもあります。産労連盟の干渉が弱まっていく、失われた主権を取り戻す。我々の待ち望んだことです」

「ですから、いまこそ行動を起こすとき。再編へ備えるときなのです。星系には、連盟の体制に不満をもつ勢力などいくらでもいる。そのために必要なのが、我ら太陽柱なのです」ディウフレーシュ卿が言った。

イスヴェロは言った。「だが、あの『機関』は膨大な量を消費する。『雫』は利潤そのもの、今以上に『機関』に振り分けることなど……、極めて困難であると、枢密院に提言してあるとおりです」

セタシオン卿はぎろりと睨んでいった。「太陽柱は道具ではないのです。使者としての素養、修練、祈り。手筈どおりに進めれば、都合よく発現するようなものではありません」

「『雫』の枯渇が起きれば、太陽柱の発現は困難になる。そうすれば、独自の技術開発への体制もつくれず、窮地に陥ると。ディウフレーシュ卿がおっしゃるのは、そういうことですね?」ヘネ議員が尋ねた。

その太陽柱は頷いた。

「ですから、私が戻ったのです。新たな育成を始めるのです」


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