第2章:世界はそれを哀と呼んだ
第8話:ビギニング・オブ・ア・ハウス
美景さんの作り出した新しい曲を手にし、これから練習を重ねていくことになったが、朝を迎えた私は美景さんに起こされることになった。
「おい、起きろ。カガリ、ユナ」
「ん……おはようございます、美景さん」
「おう。お前、昨日自分のテント作りたいって言ってたろ。教えてやるから起きろ」
昨日銭湯で話していたが、美景さんはダンボールを手に入れる場所を知っているらしい。一日で作れるかどうかは分からないが、場所を知っておかなければ作れるものも作れないだろう。
私はまだ寝息を立てているユナちゃんを揺すって起こし、外に出て美景さんに教えてもらうことにした。
「まず場所だが、ドラッグストアにする」
「ドラッグストアですか?」
「ああ。あそこは商品の搬入にデカいダンボール使ってる。それに頑丈なのも多いから、アタシらが使うのに丁度いい」
「それは何となく分かりますけど、どうやって貰うんです? お金とか要るんじゃ……」
美景さんによると、ドラッグストアを始めとした一部の店舗では、廃棄することになったダンボールを無料で譲ってもらえるのだという。特に今回行くことになる店では、美景さんも貰ったことがあるということで、貰えるという前例があるそうだ。
美景さんは空き缶回収に使っていた台車を用意しており、それを使って運ぶつもりらしい。
「まだこの時間は開いてねェが、開店準備はしてるはずだ。行くぞ」
「え、今行ったら迷惑になりません?」
「……あそこにも顔見知りが居んだよ。あいつなら大丈夫だ」
「とうか、手伝う」
「う、うん。ありがとうねユナちゃん」
この時間に行って大丈夫なのかという不安はあったが、美景さんの言葉を信じてドラッグストアへと向かうことにした。
空き缶回収の時に出会った女性は美景さんの元バンドメンバーだった。今から会う人も知り合いだというが、その人も同じなのだろうか。
「こっちだ。裏口回るぞ」
ドラッグストアはまだ開店前ということもあり、入り口は当然開いていない。しかし美景さんの言うように裏へと回ってみると、そこには大型トラックが停まっており、そこで業者の人やドラッグストアの人が荷物を運びこんでいた。
その中に居た金髪ショートカットの女性に美景さんが声を掛ける。
「よう。
「……何しに来たの。今更」
「アタシみたいなのがここに来るのなんて、一個くらいしか理由ねぇだろ」
美鈴と呼ばれた女性はクリッとした可愛らしさのある目でこちらを一瞥する。
「……そいつらの?」
「こっちの奴は新入りでな。自分用の作りたいんだとよ」
「……何個かあるから持ってくる。ちょっと待ってて」
「おう。そっちのが終わってからでいい」
美鈴さんは運搬の仕事がひと段落ついたところで、裏口からバックヤードへと入っていった。そこから大きなダンボールを5つほど持ち出すと、美景さんが持ってきていた台車へと置いた。廃棄用だったためか、既にビニール紐で結ばれている。
「悪いな」
「……美景、あんたいつまでそんな生活してるつもり?」
「それ、お前に関係あるか?」
「知ってるんだけど。美景、日雇いで仕事してるんでしょ。なら、それなりに稼いだり住み込みしたりも出来るはずでしょ」
よく考えてみれば、美景さんがあのキャンプに流れ着いたのはもっと昔のはずだ。缶拾いだけでなく日雇いの仕事が出来るだけの体力もある。あまり詳しくは知らないが、住み込みの仕事だってあるはずなのだ。それなのに何故か美景さんは今でもホームレス生活をしている。
「美鈴、お前には関係ねぇ」
「そいつなの?」
美鈴さんの視線はユナちゃんに向けられていた。
「
「お前、どうやって羽奈から聞いた? 脅したのか?」
「今あんたと一番繋がりを持ち続けてるのはあいつだからね。あたしは聞いただけ」
話しぶりから考えるに羽奈さんと美鈴さんは知り合いであり、やはり彼女もまた元バンドメンバーなのだろう。
「……美鈴、もう羽奈に近寄るな。アタシと話があるなら直接聞きに来い」
「……逃げるつもりなの?」
「逃げてんのはお前だ。あのバンドは……もう終わったんだよ」
美鈴さんはそれ以上は何も言わなかった。美景さんも「ダンボール助かった」とだけ伝えると、そのまま背を向けて歩き出してしまった。
慌てて後を追って話しかける。
「美景さん、あの人って……」
「……悪いな。ユナ、平気か?」
「うん。みれい、いい人」
「……どうだかな」
美鈴さんは可愛い顔に対して怖い雰囲気の人だったが、少なくともユナちゃんには悪い人には見えていなかったらしい。単に彼女が悪意などに鈍感なだけなのか、それとも私達には分からない何かを感じ取れる子なのか。
私は美鈴さん同様に抱いた疑問を少し聞いてみることにした。
「あの、美景さん」
「何だ?」
「美景さんって住み込みのお仕事とかは、されないんですよね?」
「……ああ」
「それって、さっき美鈴さんが——」
「カガリ。それ以上聞くなら、作り方教えねぇぞ」
「す、すみません……」
正確な理由までは分からないが、美景さんが住み込みで働かない理由は、彼女自身にあるという風には見えない。しっかり者で真面目に働けるこの人なら、そういった仕事でも問題無くこなせるはずだ。美鈴さんが予想していた通り、やはりユナちゃんに関係しているのだろうか。
キャンプに戻って来た私達は、台車のダンボールを下ろし、美景さんのテントの中へと運んだ。
「……とりあえずここに置いとく。まだテント作るにゃ足りねぇからな」
「すみません。ありがとうございます」
「気にすんな」
「美景、とうか、昨日のやる」
ユナちゃんはもう興味が移ってしまったのか、昨日の続きをやろうとしている。実際にまだ完璧に全て演奏出来るわけではないため、練習をしなければいけないのは事実だ。
しかし美景さんはそんなユナちゃんを止めた。
「悪いが今日はダメだ。カガリに色々教えないといけねぇからな」
「いいんですか? 美景さんもお仕事あるんじゃ」
「今日は無い。逆に言やぁ時間はあるからな。お前も自分で稼げるくらいにはなってもらわないと、いつまでも面倒見るつもりはねぇ」
「そ、そうですね。私もそのつもりです」
「さて、それで仕事だが……お前、身分証は?」
「持ってきてないです……」
「だろうな……」
恐らく身分証があれば仕事に就きやすいと考えて聞いたのだろう。だが普通の仕事に就こうと思えば、当然ながら現住所が必要になる。今住んでいるキャンプを住所としては書けないし、実家の方を書くわけにもいかない。そんなことをすれば、実家に連絡が行って連れ戻されるかもしれない。
つまり自分も空き缶回収か日雇いでの仕事をする必要があるだろう。
「お前、空き缶回収は出来そうか?」
「頑張ります。でも、空き缶ってそんなに落ちてるものなんですか?」
「まあ、滅多に無いな。この辺はそれなりに治安がいい。ゴミ箱漁りゃあ別だがな」
「そ、そんなことしちゃ……」
「もちろんアウトだ。お前はすんなよ」
やはり空き缶は集めるだけでも大変らしい。美景さんも少しずつ集めているようで、この前はたまたま集まったため羽奈さんの所に持って行ったそうだ。
「ダンボールとか古紙とかも回収対象だ。銅線とかだと高いんだがな」
「そういうのも買い取ってもらえるんですね」
「つっても、銅線なんて滅多に落ちてるもんじゃねぇ。ゴミ捨て場から持ってったら犯罪だからな」
「回収するタイプのは、あんまり割りが良くないんですね……」
「と考えると日雇いだな」
美景さんがやっている日雇いは土木作業がメインらしいのだが、当然この仕事にはそれなりに体力が必要になる。私のように体育会系でもない人間が現場に馴染むのは、相当な根性が無いといけないそうだ。
「お前は……あんま線も太くねぇしきついかもな」
「や、やる気はあります!」
「やる気でどうにかなったらいいんだがな。ここの連中だってやる気はある連中ばっかさ」
言われてみれば、どれだけやる気があって体が付いて行かない可能性もある。そうなって体調を崩してしまえば、仕事どころではなくなってしまう。しかも病院に行くことも金銭的に不可能なので、無理をし過ぎるのはホームレス生活においては死活問題と言えるかもしれない。
その時、ふと頭の中にある事が浮かんだ。この前キャンプの中で暮らしている人が靴の修理のようなことをしているのを見た記憶がある。もしあれが仕事なのであれば、私にも何か出来るかもしれない。
「あの、美景さん。修理みたいなお仕事ってあるんですか?」
「修理? ああ、まあそういうのやってるのも居るが……」
「私、それなら出来ると思うんです」
「そうなのか?」
自分で言うのも良くないかもしれないが、私は昔から手先が器用な方だ。アクセサリーを作ったりするのも得意だが、学校であった技術の授業なども評価が高かった。知識さえあれば、自分で修理することも出来るかもしれない。
「この前、そういう事をしてる人が居て。私、手は器用な方なんです」
「なるほどな。だが、靴修理はダメだ」
「え?」
「お前な、アタシらホームレスは一日を生きるのがいっぱいいっぱいだ。ライバルなんて少ない方が、いや居ない方がいいに決まってる」
「あ、確かに……」
「ここでの揉め事はごめんだぞ」
「とうか。ケンカ、ダメ」
確かにここに居る人達は、お金を持っていないことの方が多い。そんな中で自分の仕事を手に入れた人からすれば、後から来た新人の自分が同じ仕事を始めたら嫌な気持ちになるだろう。
「それに、同じ仕事初めても、お前の方に客が来るとは限らねぇ。歴が長い方が信頼もあるしな」
「そ、そうですね。それじゃあやっぱり日雇いの方が……」
「……お前、自転車には詳しいか?」
「自転車?」
「アタシの学生の頃の知り合いが自転車売っててよ。丁度修理工を募集してんだ」
自転車は乗ったりはしていたが、細かい構造などは全く分からない。しかし仕事を手に入れるチャンスかもしれない上に、器用さを活かせる仕事かもしれないのなら話を聞いてみた方が良さそうだ。
「詳しくはないですけど、すぐ覚えられると思います。これでも成績はいい方だったので」
「そうか。なら行ってみるか。そろそろ店も開くだろうしよ」
「ありがとうございます」
「美景。わたしも行く」
「まあ……お前一人にすんのもアレか。勝手に触ったりしないならいいぞ」
美景さんから許しを得ることが出来たことで、私はユナちゃんと共に美景さんの知り合いが経営しているという自転車屋へと向かうことにした。
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