第7話:リフレキシブ
ユナちゃんと共に何度も何度も練習を重ね、とりあえず楽譜の半分までは通しで演奏できるようになった。もちろんまだまだ磨かなければいけない部分は沢山あるが、ひとまず一緒にやる上では最低限の状態にはなっているだろう。
疲れてしまったのかユナちゃんは途中から興味を失ってしまい、猫のぬいぐるみを抱っこしてその腕を動かしたりと一人でごっこ遊びを始めてしまった。普段の彼女の興味の移りやすさを考えると、それでも数時間続いただけでかなり持った方と言えるだろう。
「ユナ、音楽、すき? うん。すき」
ごっこ遊びに参加した方がいいのかとも思ったが、ユナちゃんは一人で会話を完成させており、とても入れる雰囲気ではなかった。彼女が今しているそれがどんなごっこなのかは不明だが、劇中に自分自身を登場させているのは間違いない。
やがてごっこ遊びも飽きてしまったようで、ぬいぐるみを元あった位置に戻したところで声を掛ける。
「ねぇユナちゃん。家の話なんだけど」
「おうち?」
「うん。ここの人達って、大体がダンボールとかで自分の家を作ってるでしょ? 私も作り方知らないとって思ってて」
「なんで?」
「だって、ずっと美景さんやユナちゃんのお
「んーん」
何故か分からないがユナちゃんは私が一緒に住むことは嫌ではないようだった。
確かに二人くらいであればこのテントの中でも暮らせるが、それでもやはり狭いのは間違いない。私分のスペースが必要になっている以上、これまで彼女が使っていた分の場所が無くなったことに変わりはない。
「とうか、いっしょ、いや?」
「嫌じゃないけど……ずっと頼りっぱなしは迷惑になるかなって」
「頼る。迷惑?」
「ああいや、私は二人のこと迷惑ってわけじゃないの。でも、ね……」
ここの人達は毎日ギリギリの中で生活している。美景さんのように日雇いの仕事が出来る人だけではない。普通の仕事をすることすら難しい人だって居るのだろう。そんな中で自分だけ美景さんやユナちゃんに甘えたままでは、周りの人からすれば気に入らないはずだ。
キャンプ内にはいくつもダンボールで作られたテントがあるが、まだテントを作れるだけの敷地はある。自分用のテントを作ることが出来れば、そこに自分用の荷物などをまとめることが出来るだろう。そうすればユナちゃんのテントも前のようにスペースが戻るはずだ。
「やっぱり自分用のテント、欲しいなって」
「そっか。いいよ」
「ありがとう。ユナちゃん、作り方教えてくれる?」
「わたし、知らない。皆が作った」
「そうなの?」
話を聞いてみると、ユナちゃんのこのテントは自分で作ったものではなく、ここで暮らしているホームレスの人達が作ってくれたものらしい。そもそもここに捨てられていたユナちゃんは、最初は他のテントの中で育てられた。やがて大きくなった頃にこのテントを作ってもらい、それ以降はそこに住むようになったのだそうだ。
美景さんはここに来てしばらくしてから、誰に教えてもらうでもなくテントを建てたらしい。何故そんなことが出来たのかは不明だが、見て学んだりしたのかもしれない。
「美景、知ってる」
「うん。ありがとう。美景さんが帰ってきたら、聞いてみるね」
それからしばらく経ち、日が沈みかけた頃に美景さんが仕事から帰って来た。するとすぐにキャンプから出るため付いて来るように言われた。
彼女に言われてユナちゃんと共に付いて行くと、やがて銭湯に辿り着いた。今までにこういった施設には来たことが無かったため、なんとも新鮮な感覚だった。
「あの、いいんですか? お金とか……」
「風呂用の金ぐらいはある」
「でもご飯用に使った方がいいんじゃないですか?」
「本気で音楽でやってくなら、最低限の身だしなみは必要になる。綺麗な体に慣れとくってのも大事じゃねェか?」
美景さんの言うことにも一理ある。芸能人は皆それなりに小綺麗にしている。いくらホームレスの身から始めていくとはいえ、路上で活動するにしても汚れた見た目というのは良くないだろう。前にも聞いたが実際に私もそう思う。
共に銭湯へと入りお金を払うと、私達は更衣室へと入った。そこで美景さんからリュックに入っていたタオルを渡される。
「体拭く用だ。帰る時に返せよ」
「ふかふか。もふもふ」
「ありがとうございます。美景さん、お話したい事があるんですが、入りながらでもいいですか?」
「おう。アタシも話しときたい事がある。それでいい」
了承を得た私は、二人と共に服を脱いで浴室へと入った。中はぽかぽかとした湿気によって包まれており、まずはシャワーなどで体を洗ってから湯舟に入ることにした。他人と一緒に湯舟に浸かるのは修学旅行以降経験が無いため、銭湯は初めてでありながら新鮮さだけでなく懐かしさもあった。
湯舟に肩まで浸かりながら美景さんは声を漏らす。
「久しぶりだが、沁みるなァー……」
「そうなんですか? ユナちゃんは毎日入ってるって……」
「うん。毎日」
「こいつはな。アタシはたまになんだよ」
美景さんは顔を数回両手で擦り、話題を変えた。
「それで、話したい事って?」
「テントの事なんです。自分でも作りたいと思ってて」
「ああ、それか。まあ近い内に教えるつもりだったし、丁度いいか」
美景さんによると、様々な店などを周って使わなくなったダンボールを回収し、それを元に作っているらしい。なるべく分厚く雨風を影響を受けにくい物が望ましく、それらをガムテープなどで接着することで大きさを確保するのだそうだ。
「材料集めるとこからだな。場所くらいは教えてやるから、そっからは自分でやれ」
「ありがとうございます」
「そんで、こっちの話させてもらうが、お前らあれからどうだった?」
「歌った」
「だからシンプル過ぎんだろ……。カガリ、どうだ?」
私はユナちゃんの代わりに、楽譜の半分まではある程度形になったことを知らせた。まだ完璧とはお世辞にも言えないものの、練習として合わせる分には大丈夫だろうとも伝えた。
美景さんをそれを黙って聞いていたが、最後まで聞き終えると、それで問題無いと答えた。
「初めてにしちゃ上等だ。一回合わせてもいいかもな」
「本当ですか? なら、この後帰ったら一回合わせてみませんか?」
「美景、せっしょん」
「……分かった。あんまうるさくするとサツが来るかもしれねェから、一回だけな」
今からキャンプに帰るとなるともう日が沈んでいるだろう。まだ時間としては早いとはいえ、それでもホームレスキャンプから音が響いてきたとなれば目立つだろう。それにキャンプには早い時間に寝る人も居るかもしれない。となれば美景さんが言うように、今日の練習は後一回だけにしておいた方がいいだろう。
「さて……そんじゃそろそろ帰るか」
「そうですね。ユナちゃん、上がるよ?」
「ん……」
ユナちゃんは暑い場所が苦手なのか、少しのぼせてしまっているようだった。顔色が赤くなっており、ボーっとした表情になっている。
すぐに上げた方がいいと考え、彼女の手を引いて急いで湯舟から出た。ユナちゃんの体を拭き、更衣室にあるベンチに座って膝枕をして彼女を寝かせる。その間に美景さんがウォーターサーバーから紙コップに入った水を持ってきてくれた。
「ユナちゃん、お水飲める?」
「ん……」
ゆっくり体を起こし、少しずつ冷たい水を飲ませるという事を続け、10分ほど経ったところでようやくユナちゃんの体調を治すことが出来た。普段はここまで長い時間入っていないらしく、私達の話を聞こうとして無理をしてしまったのかもしれないらしい。実際に以前美景さんと二人で入った時は、あっという間に一人で上がっていたようだ。
ユナちゃんは空になったコップを握ったままそれを見つめている。
「美景。おかわり」
「あんま飲んだらトイレ行きたくなるぞ」
「とうか。おかわり」
「あはは。次飲んだら帰ろうね?」
「うん」
ユナちゃんのためにもう一杯水を持ってくると、彼女はそれを一気に飲み干した。
「ありがと。あげる」
「おい、そのコップはここのモンだろが」
紙コップを取った美景さんはそれをゴミ箱へと捨て、ユナちゃんの調子が戻ったということでキャンプまで帰ることになった。
帰って来た私達は美景さんのテントへと集まった。こちらであればギリギリ三人は入れる大きさなため、共に演奏するのであればここがいいだろうという判断だった。
私はユナちゃんのテントから演奏に必要な茶碗と箸を持ち出し、演奏しやすい配置に並べた。美景さんはポリバケツを自分の前に逆さ向きに置いている。
「とりあえずお前らが出来るようになったとこまでだ。いいか?」
「私は大丈夫です。ユナちゃんは平気?」
「うん。歌う」
ユナちゃんは座ったまま私と美景さんに常に視線を向けていた。
「……よし、じゃあ始めるぞ」
「お願いします」
美景さんによってアレンジされた何かの曲を叩き始める。茶碗を叩くことで鳴る高い音と、バケツを叩くことで鳴るポコポコとした軽い音。それら二つが合わさってどこか民族音楽のような曲になっている。
「朝の光 カーテンを揺らし
いつもの街並みが 目に映る
昨日と同じ 繰り返す日々
だけど胸の奥 何かが揺れてる」
ユナちゃんの中性的な不思議な声が演奏に続いて発される。相変わらずあまり感情が籠もっていない歌声ではあったが、それでも耳が自然とその歌声を聞きたくなるほどの奇妙な魅力がある。
私が演奏出来るところまでやったところで、これ以上は練習していないため一旦演奏を止める。美景さんはそれに少し遅れて止め、ユナちゃんへと視線を向ける。
「美景さん?」
「……ああ、いや何でもない」
「何か良くないところありました?」
「いや、まあプロとしちゃまだ通用はしないだろうが、初めてでこれなら文句は無ェよ」
美景さんがまだバンドをやっていた頃の実力はもちろん、他のバンドの初期の技術力なども分からないため何とも言えないが、順調に進んでいると考えてもいいのだろうか。
美景さんはバケツを元あった場所へと戻し、楽譜へと目を通す。
「美景。つづき」
「お前らの残りの練習が終わったらな」
「今日は一旦これで終わりですかね」
「ああ。続きは後日だ。それまで練習しとけ」
ユナちゃんはこちらに近寄り、見上げるような視線で話しかけてくる。
「とうか。つづき」
「ごめんねユナちゃん。もう今日は暗いから、明日ね?」
「暗いとダメ?」
「夜は静かにした方がいいからね」
「ん」
納得してくれたのか、あるいは諦めたのかは分からないが、ユナちゃんは小さく返事をしてぬいぐるみを抱っこして静かになった。
「美景さん、そういえばこの曲って何て言うんですか?」
「?」
「この前見せてもらったファイル、曲名が書いてなかった気がして」
「ああ、まあ原本だからな」
美景さんは楽譜を作る時、最初は曲名は付けずに曲を作るのだという。それからある程度形になったところで名前を付け、ボーカル担当などに曲に込めた想いなどを意識してもらうという手法を取っていたらしい。
「つっても、まあ昔のやり方だ。
「出来ればお願いできませんか? ユナちゃん、多分名前とかがないと興味が薄れちゃいそうで……」
「……確かにな。それじゃ……これでどうだ」
そう言って美景さんが楽譜の上に書いたのは『
「どういう意味ですか?」
「自分に向けられたとか再起のとか……まあそういう感じかな」
「いい言葉ですね」
「ユナ」
「?」
「アタシらの曲、名前、Reflexiveだ。どうだ?」
「わかんない。でもすき」
「……フ、そうか」
こうして初めての三人での合わせ練習を終えた私達は、自分達にとっての初めての曲である『Reflexive』と出会うことになった。
少しずつ暗くなっていくテントの中で、私は夢の第一歩となった再起のための曲に思いを馳せた。
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