第6話 - 2
生徒会室の格子窓からは校門を見下ろすことができた。白い半袖のブラウスに紺色のスカートを履いた同じ制服の生徒たちがレンガの道を歩いて帰っていく。その後ろ姿の中に椿がいないのは学校が違うから当然のことだが、もしもここに居たのならと考えてしまう。麗は窓の外から手元の書類に視線を落とした。
夏休み明け、初めての生徒会活動。
今日の麗は紙飛行機は作っていなかった。珍しくきちんと着席し、会議前には生徒会顧問の教員と打ち合わせをしていた。七瀬は麗の様子が夏休み前と違うので気にしていた。しかし麗は終始静かで集中している様子だったので、声は掛けられずにいた。
会議中、ホワイトボードには『後期活動目標』と書かれ、いくつかの案がメモされていた。生徒会委員たちは各々が夏休みの間に用意した案を持ち寄り、この回で採決を取る予定だ。
「次は、飛野さん」
進行係の七瀬が最後の発表者を告げた。
「飛野が?」と目を丸くしたのは生徒会長の御園だ。御園は緩くカールした短髪をワックスで整え、細い銀縁フレームの眼鏡を掛けている。神経質そうに手指を組んで麗が話すのを待った。
麗がホワイトボードの前に立つと、周囲は視線を注いだ。麗は手に持った書類は見ずに、顔を上げて御園や七瀬、ほかの生徒たちに目を合わせた。
「後期生徒会の活動目標では、より多くの生徒が安心して学校に通える環境づくりを掲げるのはいかがでしょうか」
「飛野が提案とは珍しい。詳しく教えてくれるかい?」と御園は促した。
「はい。不登校の生徒に対して学校がどのように対応しているのか、皆さんはご存じですか?」
急な問いかけに一瞬どよめいた。おおよそ知らないという反応の中、御園は「具体的なところは、私たちは知らないところが多いね」と整然と返答した。
「その知らない部分を知って、広めていきたいと考えています。誰でも怪我をするみたいに、誰でも学校に行きにくくなることはあります。一度学校から足が遠のいたら終わりにはしたくありません。通学できなくなった場合のサポート体制を開示することで、安心して学校に通える生徒がいるのならば私は開示するべきだと思います。そして不登校を未然に防ぐために何ができるのか?という観点でも、私たちは考えないといけない。生徒会を通して取り組みを全校に広めることで、悲しい思いをする生徒を減らしたい」
麗が考えた結果だった。椿のために何ができるのか。何をすれば椿の思いに応えられるか。あれから何度も悩みながら考えて辿り着いた。
軸になったのは、椿が言っていた『わたしみたいに学校に行けなくなる人が減ったらいいなとは思うけど……』という言葉。
椿は私よりもずっと他人を大事にしていて、初対面の人でも倒れていたら看病するような、まっとうで澄んだ心根をしている。
だから、もしも椿が私だったら何をするかを考えた。椿が私だったのなら、今持てる権限をすべて使って人を助けるだろう。学校に通いたくても通えなくなった人は椿以外にもいるはずだ。今まで知らなかったことが問題だったのなら、解決するために行動を起こすだけだ。その一歩目は、現状を知ること。具体的な施策内容を考えるのはその次にすることだろう。
事前に先生に実現可否を相談して、実現できそうなラインを見つけて発表に臨んだ。そんな麗の静かな熱に、生徒会室は息を吞んでいた。
麗の後に誰も発言できないところを代表して御園が「……夏休みの間に何があったんだい、飛野」と尋ねた。ここにいる誰もが気になったことだ。何でもできるくせに他人に興味を持たない一匹狼の麗が提案する内容にしては他者の存在が匂いすぎている。
「友達ができました」
「はは、そうか。良い夏だったみたいだねぇ」
御園は眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げ、「これで提案は以上か。ほかに案がある者はいるか? 異論がある者は遠慮なく挙手してほしい。飛野が答えてくれるよ」と声高に言った。
しかし異論を唱える者はいなかった。麗よりも前に発表していた者の発言内容は、環境美化やボランティア活動などのありきたりな目標だった。どれも本気で達成したいというよりは、これまでの慣例をなぞったものだった。この状況で何を決議とするかは、明言しなくても誰もが理解できた。
最終下校時刻を告げるチャイムが流れた。チャイムの音が鳴り終わり、御園は「よし」と息を吐いた。
「どうやら他にはいないみたいだね。飛野、この件は君が主導しろ。いいな」
麗は淀みなく「はい」と快諾した。
「では、本日の生徒会活動はこれで終了とする。皆、お疲れ様」
「お疲れ様でした」と一同が礼をして、生徒会活動は終了となった。
各々が生徒会室を出て帰っていくなか、七瀬は麗のことを疑わしそうにじっと見ていた。
「何、七瀬」
「今日の先輩のプレゼン、雨宮さんの影響ですか」
「鋭いねぇ」
「いつも適当なあなたが持ってくる提案とはまったく異なっていましたから」
「ねえ七瀬、そんな頭脳明晰で何でもお見通しな七瀬に相談したいことがあるんだけど……」
「お断りします」
「まだ何も言っていなくない⁉」
「どうせ雨宮さんの件でしょう」
前に椿と仲良くなりたいと相談して、ぼんぼり祭を提案してくれた七瀬なだけあって話が早い。
「ビンゴ!そう、椿のことなんだけど、あれから……」
「デートでもすりゃあいいんじゃないですか⁉」
七瀬はキレ気味にぶっこんだ。
「なな、せ……?」
麗はぽかんとしている。話が早いんじゃなくて、段階をいくつか吹っ飛ばしているせいで相談しようとした麗の方が置いて行かれている。七瀬の予想通り、椿のことで相談しようと思っていたのだが。
「以上です。お疲れ様でした」
「七瀬、ちょっと」
「何ですか、しつこいですね。今日はこの後塾なので待てませんよ」
七瀬は呆れを通り越して怒りながら麗のことを見上げた。しかし麗の表情に拍子抜けしてしまう。今度は七瀬がぽかんとする番だった。
「ありがとう。……うん、七瀬の言う通り、そうするよ」
「あなた、本当にどうしたんですか。変わりすぎじゃないですか?」
これまでの麗のことは、言っちゃ悪いがクソガキそのものだと思っていたのだ。それが1か月で人にお礼が言えるようになっている。本当に同一人物なのかと動揺している七瀬の横から御園が出てきた。
「なになに?」
これまでの会話を聞いていたようだ。御園は切れ長の瞳を猫のように細めてにやにやしている。
「恋でもしたの? 飛野」
麗は一瞬考えるように黙ってから頷いて小さく笑った。
「そうですね、恋かもですね」
その表情は絵になるほど綺麗だった。花が綻ぶような微笑とでもいうのか。御園は「ほう……?」と自分の指を顎に添えた。御園としては、いつも生意気な後輩を揶揄ってやろうと思っていたのだが、ちょっとこれは面白いことになっているらしい、と瞬時に理解した。
「急いでる七瀬の代わりに私が相談乗ってあげようか」
「会長は大丈夫です」
「なんでだよ!!?!」
「すぐ怒りそう」
「飛野~~~????」
「あ、ゴメンナサイ」
麗は鞄を掴んで会長室をダッシュで出た。御園はそれをすかさず追いかけて走っていく。外で廊下の床板がけたたましく鳴る音がした。七瀬は「あの人たち……」と呆れながら聞いていた。
そういえば麗が1年生だったときの教育係は当時2年生の御園だったと聞いたことがある。来年、麗が会長になったら自分が麗を追いかける番になるのかな、と七瀬は想像して若干胃が痛くなった。
机を片づけていると、机同士の隙間から紙飛行機が1つ出てきた。十中八九、麗が作ったものだ。
「片付けろっつうの」
七瀬は呟きながらも口角が少し上がっていた。後輩からすれば、先輩たちが楽しそうにしていた方が安心するものだ。紙飛行機を屑籠に入れて、七瀬もスクールバッグを肩に通して生徒会室を出た。
なんだかんだ七瀬は小言を言いながらも生徒会や麗のことを誰よりも気に入っているのだということは、七瀬以外の全員が知っているところだった。
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