死ねって言ったら、死んじゃった。
音羽ラヴィ
第1話「くたばれお前ら詩の如く」
若気の至りで許されることって、どこまでなんだろう。そう思って初めてお酒を飲んだ14歳の春に、私は人生に生きる意味を見出した。
初めて飲んだビールは死ぬほど不味くって、こんな腐ったものを飲んでいるのだから大人たちはきっと馬鹿に違いない、自分は違うのだ、と妙な全能感に浸っていた。それが飲酒による陶酔だったと翌日に悟った時は、酷く自分を醜く愚かな存在に思えて、今にも首を吊りたくなった。
*
「なあ
始まりは、そんな感じの何気ない会話からだった気がする。
時間とは酷く残酷なもので、特に思春期の3年とは大人の30年に匹敵する価値を持つ。30年も会っていない人間を友人と呼ぶことはないのと同様に、また俺達も、3年と云う体感にして長すぎる月日を経てもはや言葉の交わし方すら忘れてしまった。
つまり、「知り合い」でしかなくなった。互いに接点を持つだけの理由と動機はなく、更に言えば異性間であることも手伝って、俺と皐…………いや、篠山との間には、マリアナ海溝よりも深く冷たい溝が出来ていた。
「いや、知らん」
篠山はどこかと、バスケ部仲間の
昔の篠山は、ヒーローだった。
「消しゴムを返してくれないってのは?」
「ああ?そっかお前、中学別だから知らないんだ」
アイツ、中学じゃ借りパク常習犯なんだよ。
そう聞かされた時、俺の中の篠山は死んだ。ただの同級生の女。それ以上でもそれ以下でもない、モブと化した。
*
篠山皐。旧姓を
秋津皐は、俺が知る限り底抜けに明るい良い奴だった。俺はその当時は友達が1人もいなくて、孤立しがちだった俺に唯一話し掛けてくれたのが皐だった。
「おいヤマダァ。今日、お前んち行って良いか?」
俺は二つ返事でそれを承諾したように思う。思う、というのはよく覚えていないから。小2の頃の記憶は全部曖昧で、よく覚えていない。ただ、その頃から皐と俺はよくお互いの家に遊びに行く間柄で、毎日のようにゲーム機で遊んでいた。
山ほど買い込んだポテチを2人で食べて、親が帰ってきたらこっそり抜け出すように家に帰る。友達を家に上げる習慣がなかった俺は、皐を家に招くことが何だかいけないことのような気がしていたし、皐の家であっても見つかってはならない事のような気がしていた。
「お前って奴は、本当に憶病なんだな」
遊んだ次の日の学校では、決まって皐にそう笑われる。俺も釣られてよく笑った。面白いとかそういうのじゃなく、皐が笑ってくれるのが好きだった。
そう、俺は皐が好きだった。外の世界で自分に関心を持ってくれる唯一無二の人間だった。
*
「ひ、久しぶりだな、皐」
「あ…………ヤマダ」
高校で久しぶりに会った皐は、もう皐じゃなかった。日に焼けた肌のボーイッシュな少女は、丸眼鏡の似合う色白の地味な女子へ変わっていた。名札と声で、ようやく同じ人間だと気付けたくらいで、見た目にあの頃の、秋津皐というヒーローの面影は残っていなかった。
「お、同じクラスだったんだね。はは、気付かなかった。あんまり大きくなってるから、わかんなかった」
「────」
嘘だ。皐は今、俺に初めて嘘を吐いた。
入学式やHRで、俺をガン見したり、以上に近付いてくる女がいた。誰だかわからなかったので、教師のつまらない説教をBGMに記憶を総動員してようやく思い出した。あれだけ見ていながら、気付いていない、なんてことは有り得ない。
俺は皐に深い失望を覚えた。嘘を吐かれたことじゃなく、すぐバレるような嘘を吐くその性根にだ。公明正大を形にしたようなあの女が、どうしてこうも捻じ曲がってしまったんだろう。
何となく居た堪れなくなって、「じゃあ俺、バスケ部の体験入部行ってくるから」と言って、皐を置いて教室を後にした。
*
中学校では、バスケ部に入っていた。小学生の時の、内気で弱く、誰にも相手をされない自分が嫌で嫌で仕方がなかったからだ。自分が嫌いで、自分を変えるためにバスケを始めた。
最初は苦痛でしかなかった。ステップどころか、ドリブルもろくに出来ないほど運動神経が低く、またコミュニケーションの問題からレギュラーどころかベンチすら遠い有様だった。
俺は血を吐くほど努力した。俺は好きな自分になりたいのではなく、嫌いな自分から遠ざかりたくて努力を重ねた。
最初は日々の食事管理から始めた。脂質と糖質を押さえ、筋肉を付けられるようタンパク質を主体にした食事を親にお願いした。親は「あのコウジが頑張ろうとしているんだ」と喜んで協力してくれ、毎日肉を中心にしたスタミナ定食を山ほど食べた。
毎日ランニングをしたり、暇があればドリブルの練習をしたり、バスに乗ってる時はバスケのポジショニングを勉強した。
顧問が怖くてなかなか言い出せなかったが、1年の夏頃には個人的なトレーニングの面倒を見て貰えるようにお願いが出来るようになったし、結果に顕れなくとも努力を重ねたことで周りの人にも認めてもらえるようになった。
2年生に上がる頃にはもうベンチには必ず居るし、交代をするならまず俺に回ってくるようになった。準レギュラーからレギュラーへ、そしてスタメンになるまで、そう時間は掛からなかった。
「コウジなら、どこを任せても問題ない。アイツはどのポジが得意とかはないが、逆にどのポジも苦手がないんだ。しかも体力もある。どの局面でもポテンシャルを出せる優秀な奴だよ」
キャプテンからそう評価されていることを知った時は、心臓が飛び跳ねるようだった。キャプテンはうちの地区でスーパーエースと言われていて、強豪の高校からもスカウトされていた。プロも夢ではない、とスカウトマンが言っていたのも、その時は記憶に新しかった。そんな人から認めて貰えていることが、俺はこの上なく嬉しかった。
「コウジ、お前が次のキャプテンをやれ。ウチで一番コートをよく見てるのはお前だ。俺よりもお前の方が視野が広いんだ。お前以外に考えられない」
キャプテンは引退するとき、俺にそう言ってバスケ部を託した。もう、俺の嫌いな俺は何処にもいなかった。俺はここで初めて、自分が完全に違う人間になったことを悟った。
バスケで身を立てる。それが俺の目標になって、3年生もバスケ漬けで過ごした俺がキャプテンと同じ高校に入学したのは当然の流れだった。
*
「
バスケ部の体験入部で、俺は真っ先にキャプテンがいないことに気付いた。鳴り物入りのスーパーエース、地方と言えど強豪校に入ったのだからさぞ活躍しているのだろう、と俺は期待していたのに、オリエンテーションであの人の姿は見えなかった。
「茂山なら、辞めたよ」
俺たち体験入部者の担当をしていた2年の
「バスケ部を辞めたんですか」
「いや。12月に学校を辞めちまったんだ」
嘘だろ、と言いかけた。そんなはずないだろ、と俺より背の低い来島先輩に詰め寄りたかったが、それをしてしまえば、絶対にバスケ部でやっていけなくなるので、俺はその衝動を抑えた。
努めて冷静に、しかし無感情じみたものじゃなくちゃんとリアクションをしつつ聞き取っていく。
キャプテンが学校を辞めたのは、ひとえにスーパーエースという肩書のせいだった。中学の時、優勝は出来なかったもののMVPを取ってしまったが為に注目されていて、入学してすぐスタメンを張っていたが、思うような活躍が出来なかったという。
それでも期待に応えるべく寝る間も惜しんで練習していたというが、オーバーワークが祟って秋頃に左膝の前十字靭帯が断裂。惜しまれつつも退部し、療養に努めていたというが。
「精神を病んじまったんだよ。みんなから期待されていたのに、上手く出来ない自分が悪いんだ、ってね。最後の方なんて、俺にずっと病みメールばっかだった。ちょっと鬱陶しくなってほっといたら、学校辞めちまったんだ」
来島先輩は苦しそうに語っていた。口にはしなかったが、きっと後悔していたんだろう。
あの時無視しなければ、きっと学校を辞めなかったのかもしれない。あの時もう少し優しくしていれば、精神を病むこともなかったのかもしれない。
みんながスーパーエース扱いなんてしなければ、なんて呟いたのを、俺は聞き逃さなかった。
上を目指せば、破滅する。そんな現実が、俺の前にあるだけだった。
*
ゴールデンウィークを過ぎた辺りで、俺は試合でベンチに入るようになっていた。まだ1年だというのに、と来島先輩がスタンドから溜息を漏らすのが聞こえてきた。
聞くところによれば、俺は茂山先輩の後を継ごうとしているとかいう噂を来島先輩が流しているらしい。
全然、そんなことはない。あの人に憧れてこの学校に入ったことは間違いないにしても、あの人になりたいわけじゃない。
(そういう考え方してっから、ヘタクソなんだよな……………………)
そう思いながら、俺は今日欠席したレギュラーの先輩に代わって出場した試合で、スリーポイントシュートを決める。来島先輩が自分の事の様に喜んでいるのを見ながら、インターバルに入って水を飲む。
「すげえな山田!お前、レギュラーいけるぞ!」
古田キャプテンは、絵に描いたような熱血漢だ。不思議と、この人の言葉は根拠がなくても信じてしまう。
でも、この人の言葉が欲しいんじゃないんだよな、とも思いつつ「ありがとうございます!」と元気よく返す。中学の3年間で、俺は人によって話し方を変えるということを覚えた。その場その場で、相手が最も気持ちよく喋れるキャラクターを演じて見せる。そうするだけで、俺は少なくともチームの輪から外れることなく存在することが出来る。
「あれ…………」
インターバルが終わる頃、コートの向こうのスタンドに、見知った人影を見つける。
そいつは俺と目が合って、逃げるようにスタンドを後にする。俺はそれを目で追いつつ、足はコートに向かっていた。
試合は、うちの学校の勝利で終わった。
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