第1章 計算された可愛さ⑤

1.3 諦めたくない

1.3.1 焦りと迷い


写真部を無断で休む日が続いた。

最初はただ、ちょっと気まずかっただけ。

「初心者なら、もっと真面目にやれよ」

日高先輩の冷たい一言が、頭の中に焼きついて離れない。



――そんなの、私だって分かってる。


だけど、言い返せなかった。

「真面目にやろう」と思っていなかったことを見透かされ、自信すらも、全部崩れた気がして。



それに、森下。

私と同じ初心者なのに、先輩たちから「センスがある」って褒められて。

日高先輩だって、彼にはアドバイスするとき、どこか優しい気がする。

…なんで?


写真もダメ、恋愛もダメ。

可愛いだけじゃ、勝てないんだ。


そんなことを考えていたら、部活へ行く気力がなくなっていた。

「ちょっと休んでるだけ」

「別にやめたわけじゃない」

そう言い聞かせるたび、心の奥がざわつく。



けれど、クラスではそんな素振りは見せない。

私は、一軍女子。

いつも通り、みんなと笑って、楽しく過ごすのが私の役割だから。



昼休み。

教室の窓際、日差しのよく当たる席に、私たちは自然と集まる。

「ねえ、それちょー美味しそう!一口ちょうだい」

「いいよー、交換しよ!」

可愛いランチボックスを広げて、みんなでキャッキャッと笑い合う。


ここは、クラスの中心。

私たちが笑えば、周りも楽しくなるし、私たちが話せば、それが流行る。

そんな暗黙のルールが、このクラスにはある。


莉子がふと、私に目を向けた。

「そういえば、写真部の先輩どうなの?」


一瞬、手が止まる。

「イケメンなんだけど、なかなかうまくいかなくて……」

適当に流しながら、お弁当の卵焼きを口に入れた。


「マジ!?和奏が落とせないとかあるんだ?」

「その先輩、逆に気になるんだけど!」


「いやー、難しいんだよね、ちょっと……」


本当は、悔しい。

恋愛でも写真でも、負けたくないのに。

どっちも上手くいかないなんて、そんなの…私らしくない。


莉子がじっと私を見つめた。

「てか、最近、部活行ってなくない?」


ドキッとする。

「やっぱり飽きちゃった?」


「うーん、なんか、カメラとかマジ意味わかんないし?」

軽く笑って、さらっと言う。

「思ってたより、地味だったかも?」


「えー、じゃあやめちゃうの?」

「いや、まだわかんないけど?」


適当に言葉を濁して、またお弁当に視線を落とす。

みんなは「あー、まぁ確かに和奏っぽくないかもね」とか、「でも写真部にイケメンいるのいいなー」とか、楽しそうに話している。


だけど、心の中ではずっと、モヤモヤが消えなかった。






1.3.2 諦めたくない気持ち


「えー、それで結局どうなったの?」

「だから、結局あの子が告白されて……」


教室の中は、今日も賑やかだ。

私の周りには、いつものメンバー。

みんなで恋バナをして笑い合って、くだらない話をして——


それが私の居場所だった。


でも、その会話の中で、誰かがふと「写真部」の話題を出しそうになると、私は何気なく別の話に振る。


「ねえ、それよりさ、この前のカフェ、新作のドリンクが超可愛かったの! 今度一緒に行こうよ!」


「え、なになに!?」

「和奏、そういう情報ほんと早いよね!」


狙い通り、話題はそっちに流れる。

写真部のことなんて、考えなくていい。

私は今まで通り、「可愛くて、楽しい」毎日を過ごしていればいいんだから。




だけど——

放課後、廊下を歩いていると、またその光景を目にしてしまった。


写真部の先輩たちが、カメラを構えて撮影をしている姿を。


日高先輩は、カメラを構えながら真剣な表情をしていた。

その横では、白石先輩が何かを話し、穏やかに微笑んでいる。



日高先輩が、涼しげな表情でファインダーを覗き、慎重にシャッターを切る姿は、なんというか……かっこいい。


……どうしてあの人は、写真にあんなに真剣なんだろう。


私にはわからない。

写真なんて、ただの「可愛い私」を記録するものだったのに。



その姿が、なんだか遠く見えた。



私はあそこに戻れるんだろうか。

いや、そもそも戻るべきなの?


わからない。

でも、胸の奥がざわつく。


その日は、そのまま何も考えたくなくて、すぐに帰った。



——そして、次の日。

教室の中では、他のクラスメイトもいつも通りの会話をしている。

誰かがTikTokの話をして、誰かが「この前のドラマの展開、やばくない?」と盛り上がっている。

私もいつものように、適度に話に乗っかって笑う。


不意に教室のドアが開いた。


「和奏ちゃん」

紬先輩が、可愛らしい丸い瞳で、まっすぐこっちを見つめている。


「え……?」

思わず声が漏れる。

先輩がわざわざ、私のクラスまで来るなんて。


教室が一瞬、ざわついた。


「え、誰?」

「写真部の先輩じゃない?」

「和奏のとこに来たの?」


周囲の視線を感じながら、私は愛想よく笑顔を作る。


「先輩、どうしたんですか?」


「和奏ちゃん、カメラ諦めちゃうの?」


——心臓が、ドクンと鳴った。


何、それ。

何でそんなこと、わざわざ聞きに来るの。


「え……」


私が返事に詰まっていると、安達先輩はにこっと笑った。

「初心者なんだから、上手くできなくて当然だよ。でも、少しずつ上達してたじゃん?」



教室内の視線が私たちに集まっている。

この状況、まずい。


私は「一軍女子」として、この教室の中で完璧な立ち位置を築いている。

なのに、写真部の先輩がわざわざ訪ねてきて、「諦めちゃうの?」なんて聞かれるなんて。


──まるで、私が逃げたみたいじゃん。


「……」


「私も最初は全然ダメだった。でもね、続けてたら少しずつわかるようになったんだ。だから、和奏ちゃんも、もうちょっと頑張ってみない?私も頑張るから、また一緒に頑張ろうよ」


教室のざわめきが、遠くに感じる。



紬先輩のまっすぐな言葉が、胸の奥に刺さる。


——私は、本当にカメラを諦めたいの?


考えたくなかったはずの問いが、はっきりと浮かび上がる。


写真が好きかどうかなんて、正直まだ分からない。


でも、日高先輩を諦めるなんて、恋愛に妥協するなんて絶対に嫌だ。



だったら——

「……恋愛も写真も、何も諦めたくない!」


強く、心の中でそう思った。






1.3.3 決意


昼休み、私は教室の窓際でパンをかじりながら、ぼんやりと外を眺めていた。

キラキラした女子たちがいつものように私の周りで盛り上がっている。

流行りのコスメ、週末の予定、男子の話題。



「和奏、最近放課後どこ行ってるの?」

隣に座っていた葵が、興味深げに顔を寄せてきた。


「え?」


「だってさ、もう部活、全然行ってないでしょ?」


私は一瞬、言葉に詰まった。



だけど——。


「和奏ちゃん、カメラ諦めちゃうの?」


昨日、紬先輩にそう言われたとき、胸がズキリと痛んだ。


「私も頑張るから、また一緒に頑張ろうよ」


あの優しい笑顔を思い出す。


私はパンをひとかじりして、葵に笑顔を返した。

「ううん、また行くよ」


「へぇ〜? まあ、和奏ならすぐ飽きると思ったけど」


葵は冗談めかして笑った。

私は軽く肩をすくめてみせたけれど、もう決めていた。


適当にやるんじゃなくて、本気でやる。

日高先輩に振り向いてもらうために。


今までだって、私は「可愛い」を武器に、どんな男子も落としてきた。

ちょっとした駆け引きで、相手の気を引くのなんて簡単だった。



でも、日高先輩にはそれが通じなかった。

だから、私は別の方法を探さなきゃいけない。


ただのミーハーじゃない。

ちゃんと写真を学ぶ。


そう決めたら、なんだか胸がスッと軽くなった気がした。



放課後。

私は、いつも一緒にいる女子たちが寄り道の相談をするのを横目に、まっすぐ写真部の部室へ向かった。


久しぶりにこの廊下を歩く。

部室の前に立つと、なぜか心臓がドクンと高鳴った。



扉を開ける。


部室には、いつもの先輩たちがいた。

白石先輩はパソコンの前でデータをチェックしている。

紬先輩はカメラを手にしながら誰かと話していた。


荒川先輩と森下はカメラの設定について何か言い合っている。


そして——。


日高先輩が、一眼レフを構えて、真剣な表情でシャッターを切る姿が目に入った。


その横顔を見た瞬間、私は改めて誓った。


「私、もう逃げない。絶対に上手くなって、日高先輩を振り向かせてみせる!」


静かに、でも確かにそう決意した。

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