ふわふわの布団で眠らせて
縁章次郎
ふわふわの布団で眠らせて
少女の布団は煎餅布団だった。
ぺらりと薄っぺらい煎餅布団を、春も夏も秋も冬も使っている。煎餅布団だから、朝起きた時身体は痛いし、冬は特に冷たくて寒い。
それでも少女が煎餅布団を使い続けているのは、何も使い勝手がいいからとか、布団に愛着があるからとか、そんな話ではなくて、単純にお金がないからだった。新しい、それもふわふわと温かい布団を買う余裕がないから、少女は煎餅布団を使い続けている。
少女は貧乏だった。毎日明日のご飯も困っている、と言うほどではないけれど、例えばスーパーでは常に半額になった食材を探して回って、でも時々お金が足りなくなるから一食砂糖水で過ごすこともある、くらいの貧乏だった。
貧乏の理由は、少女が行きたい高校に通っているから、である。少女の第一志望だった高校は、ちょっとしたお嬢様お坊ちゃん学校だった。非常にお金がいる。
試験料や入学金は、母が必死に働いて貯めたお金を充てた。学費は母が一生懸命働いて、それで殆どを出してくれている。でもそれだけではやっぱり足りなくて、高校も家から離れているから下宿先でのお金も必要で。
引越し代には少女がこの高校に行きたいと思ってから少しずつ貯めてきたお金を、他の諸々や生活費、それと少しの学費は、少女がアルバイトをして稼いでいる。
行きたい高校だったから、少女に苦はない。苦労すると分かっていて、でもここで学びたいと自分で選んだのだから、卒業するまで大変でも少女は頑張るつもりではいる。
でも、それはそれとして、である。
少女だって華の高校生だ。もっと遊びたいし、もっとおしゃれしたり、流行りの美味しいものだって食べたかった。それに煎餅布団。あれをもっとふかふかでアルバイトの疲れを吹っ飛ばすくらいの寝具に変えたい。
ふかふかの布団で眠れたら、それだけで天国だろう。
けれども、やっぱりお金はどれだけ願っても降って湧いてはこないし、煎餅布団はふかふかには戻らない。
と、思っていた少女に朗報が降って湧いてきた。
『天下無双のアイドルコンテスト』
校内に張り出された張り紙に大きくきらきらと書かれた文字。
天下に並ぶものがいないほど優れている様、天下無双とは、なんとも高校の催物らしい文言が入ったアイドルコンテストのお知らせである。
その張り紙の概要欄に、少女は文字に負けないほどきらきらとした眼差しを向けた。
概要。参加者、誰でも歓迎。参加条件、誰でも可。ただし、学園一番の天下無双のアイドルになっても良い者。賞金、三百万円。
ーー賞金、三百万。
賞金のその文字を見て、少女は天下無双の学園のアイドルになることを決意した。
とは言っても、だ。
コンテストには、どうしても少女が頭を悩ませる項目があった。
「ダンスの披露」
少女は心許なく呟く。コンテストには歌だけでなくダンスの披露もあった。
アイドルって歌って踊るしな、と少女は納得しつつも、恨みがましくダンスの文字列を見やる。どれだけ恨みがましく見たって消えてはくれやしないそれに、少女は大きく溜め息を吐いた。
何せ少女、ダンスがからっきしなのである。と言うか、運動全般がからっきしなのだ。友人の評価曰く、幼稚園のお遊戯会らしいのである。
「うぐぐぐ」
それでも諦める気は毛頭少女にはなかった。三百万の誘惑は大きい。
それに天下無双のアイドルと言うのも、非常に惹かれるものがあった。なんか格好良いし、無敵な感じがするな、と少女は思っている。
諦める気はない。となれば、やる事は決まっている。
「特訓だ」
幸いコンテストまでの日数はあった。
どこまでやれるか分からないがやれるだけやってみよう、と少女は頷いて、教室へと向かった。
張り紙を見たその日から少女の日常にはやるべき項目が増えた。
まずは学業。次にアルバイト。そうしてアイドルの練習。日常のサイクルは大まかに分けてそれら三つで回り始めた。
「づかれたぁ」
アルバイトを終えた少女は敷きっぱなしだった煎餅布団に飛び込む。ふわふわに出迎えて欲しいけれど、悲しいかな煎餅布団なのでぺたぺただ。それでも疲れから途端に眠気がやってくるけれど、ここからもやる事は沢山ある。
「特訓しなきゃ」
少女はごそごそと起き上がって、スマホでダンスの動画を引っ張り出す。初心者でも踊れそうで、音楽を知っていて、それでいて明るい曲のものをダンスには選んだ。
「よし」
少女は気合をいれる。画面を大きくしてスマホを立てかければ準備完了だ。
下宿先は、幸い一軒家だった。親戚に借りたものだ。隣の家との距離もそれなりの距離があるので、ダンスの練習を夜にどれだけやったって迷惑をかけない環境である。少女は家を貸してくれた親戚に感謝した。
音楽が始まる。
画面の中の反転した男性はステップを踏み始めたので、少女もステップを踏み始める。
大体の振り付けはこの一週間でなんとなくだが覚えた。
あとはどう踊れるかだけだが、なんとも少女の足は覚束無い。
「タップしてターンしてチョン」
音楽に合わせて、振り付けどおり踊ってみてもどこか拙い動きの少女は、それでも何度も何度も繰り返して練習していく。
何度も失敗してしまうと果たして成長しているのかしていないのか分からなくなってしまうが、それでも特訓とはそう言うものだとその度に気を取り直す。
「ダンダンダンにステップしてぽん、あっ、できたぁ!」
その時、今まで一度たりとも成功してこなかった振り付けが初めて成功した。未だ動きは拙いけれど、成功したと言うことは成長していると言うことだ。
少女は嬉しくなって、また何度も、何度も、ダンスを練習し始めた。
ダンスを終えれば次は歌の練習だ。
歌の練習はもっぱらお風呂での練習になる。ここでも家を貸してくれた親戚に感謝して、少女は歌を歌い始める。時には歌うことに夢中になって、長風呂をして風邪をひきかける事もあったけれど、概ね順調に歌の練習は続いた。
「んむぅ」
「こら! 起きなさい!」
「んわっ!」
叱られる声に少女が慌てて起きれば、目の前には友人が立っていた。
「あれ? どうしたの?」
「どうしたの、じゃないよ。次移動教室だよ」
「え、あっ、そうだった」
時計を見上げれば既に昼休みは終わりの五分前だった。昼ご飯を食べてその後寝てしまったのだろう。少女は慌てて準備する。
「それにほら」
「え、なあに?」
「なあにって、アイドルコンテストの第一次選考結果だよ」
友人が取り出した紙に首を傾げていれば、選考結果だと言う。少女は慌てて、友人から紙を受け取って目を走らせる。
応募人数があまりにも多くなってしまったので、急遽実行委員会は選考を設けた。コンセプト、歌、ダンス、学力、運動能力、その他何か一芸があるかなど総合的に加味されて、投票によって決まるのだと言うそれ。
因みに少女のコンセプトは元気と筋力である。これは友人が考えてくれた。運動能力は駄目な少女だが、筋力には自信があったので。
「あったよ、名前。ほらここ」
友人が傍からそっと指をさす。そこには確かに元気な筋力アイドルと言うコンセプトと共に少女の名前があった。
「良かったぁ」
なんとか選ばれたらしいことに大きく息をつく。
選考がこんなに緊張して恐ろしいものだとは思わなかった、と少女は脱力して、友人へとお礼を言った。
「良かったね、残って」
「うんありがとう。ふ、ふわぁあ」
安心したらあくびが漏れ出てしまう。それを友人が心配げな顔で覗き込んでくる。
「最近、すごい疲れてるね?」
「うーん、やることがちょっと増えちゃって、もう二ヶ月だからね。身体が疲れちゃってるのかも」
このままでは授業中もうっかり寝てしまいそうだが、それだけは避けなければと少女は気合を入れる。
「後一ヶ月続けるの?」
「うん、そう。出よっかなって決めたからね、やれるだけやりたくて」
「でもそれで体壊しちゃったら元も子もないんだよ? 普段からアルバイトとか大変なのに」
「身体には気を付けるよ。それに後一ヶ月なんだもん大丈夫だよ」
大丈夫だと告げた少女に、けれども友人は心配そうだった。それでも、少女がやると言ったことはやる質なのを知っている友人は、なら、頑張って、と困ったように笑う。
「応援してて」
「うん、私投票するからね」
「ありがと」
あとは他愛ない会話をして二人並んで授業に向かった。
コンテストの日は体感として思っていたよりも早くに訪れた。準備期間の三ヶ月、少女にとっては目まぐるしかった日々は今日で終わりを迎えるだろう。
三ヶ月って意外と早いよな、と少女は会場である体育館を見る。既に準備を任されていた天下無双アイドル委員会が入り、会場は設営を終えている。数十人ほど観客の生徒も入っているようだった。
全校生徒七百人、その中でアイドルコンテストに参加したのは、四百人程だと聞く。男女で分けられているので、女子は二百人程だった。けれども今日、出られるのは男女合わせて六十数人、つまり女子の部では三十人程に絞られたのだ。
生き残れるかな、と少女はぼんやりと考える。一次選考で生き残ったのは、筋力コンセプトのアイドルが女子の部にいなかったからだと、少女は思っている。
でも今日は純粋な、歌とダンスとの闘いだ。
少女は気合を入れて、会場入りを果たした。
開場前、既に会場は満杯だった。
少女達出場者は、演劇部やダンス部の煌びやかな衣装を着て舞台袖に留まっている。
始まりを告げるアナウンスが会場に響き渡った。
これから少女達は順番に番号を呼ばれて、舞台の上で歌とダンスを披露するのだ。
少女は緊張しながら、自分の番を待った。
順調に番号は呼ばれ、現在は二十二番の参加者が舞台で踊っている。
少女は次の二十三番目だった。緊張で高鳴る胸を抑えながら、今か今かと出番を待つ。ちょっと、どころか大分吐きそうだった。
二十二番の生徒がダンスを終え、ありがとう、と手を振り舞台袖にはける。そうして入るアナウンス。
「それでは、二十三番のアイドルさんお願いします」
ちょっと、おえっ、とえずいてから、深呼吸をして、少女は舞台へと上がった。
「げ、元気な筋力アイドルです! 元気と握力に自信があります、よろしくお願いします!」
声は上擦ってしまったけれど、なんとか一言目が口から出てほっとする。
「あの、名前も」
「あっ、すみません!」
けれどもうっかり名前を言うのを忘れていた少女は慌てて名乗りをあげる。
歓迎の拍手が送られて、少しだけ少女は肩の力を抜いた。
「それでは、元気な筋力アイドルということですが、何かアピールをお願いします」
司会の合図で、舞台袖から林檎とバケツが運ばれてくる。観客は既にこれからのことを察して、盛り上がり始めた。
「特技、行きます!」
バケツを下にセットしてから、一声かけて、運ばれてきた林檎を握り締める。林檎は少女の手のサイズに対して割と大きいサイズだ。
「ん゛っ」
少女は力を込める。
最初は何も変化の無かった林檎は、やがてミシリ、ミシリと音がし始め、そうして数秒後には、ばきゃりと音を立てて割れた。
「出来ました!」
観客から歓声が上がる。取り敢えず掴みが成功したことにほっと胸を撫で下ろす。友人の座っているだろう位置へと視線をやれば、友人が親指を立てて少女を見ていた。
歌の披露は筒がなく進んだ。詰まることも声が裏返ることも、歌詞を間違えることなく、いつも通り歌う事ができた。ただ、一番いい歌い方で歌えなかったことは少しだけ悔やまれた。
けれども本番は一発勝負だ。くよくよしている暇はないし、できる事はできたのだからよしとする。
次はある意味では待ちに待ったダンス披露だった。
少女は身体が硬くなるのを感じなながら、深呼吸を繰り返した。あんまりにも大袈裟に深呼吸したので、ちょっとくらりと来たが、慌てて息を整える。
「それでは次はダンスの披露です。お願いします」
司会が合図する。袖奥の委員会の人が始まる合図の音楽を流し始めた。
少女はポーズを決める。何度も何度もやった始まりのポーズだ。体育館の中は静かになった。
少女が選んだ曲が始まる。既に耳慣れた曲だ。
少女は何度も練習した動きを思い出しながら、体の動きに注意をしてステップを踏んだ。
「とんとん、二回、とん」
小さく呟きながら、少女は踊る。どうしても口に出さないとうまく踊れなかった。
「回って、回って。手をぱっぱ」
音楽が鳴る。身体が動く。それはなんだか楽しくて、少女はいつもより軽やかに足をあげた。
歌が止む。もう直ぐ曲が終わる。
「はぁっ、はぁっ」
最後まで踊り切れた。息は切れているが、間違ったりは無かったし、普段よりも動きを意識できていたはずだ。
音楽の余韻が終わる。
その途端、響き渡ったのは拍手だった。
少女は振り付けのために下げていた顔を上げる。
「良かったぞー」
「お疲れー」
労いの言葉があちらこちらから飛んで来て、少女は笑った。
「いやあ、惜しかったね」
「ねー。まあ、でもやりきったし」
「私は一番良かったとおもうよ」
「ふふ、有難う」
帰路、友人は少女よりも悔しそうな顔で力説する。筋力というのが良かったとか、歌は伸びやかで元気が出たとか、ダンスはすごく上手になっててでも拙さの可愛げがあったとか。
それに少女は笑って、良かったらまた見てよ、と返す。
結果は三位だった。精一杯やるつもりで頑張ってきたけれど、振り返ってみるとよくやれたものだ、と己を褒めたいと少女は思う。
「でも皆きらきらしてたよね」
「うん、女子も男子もみんな凄かった」
感慨深く思い出す。舞台袖から見ていたアイドルコンテストは、皆が皆、一生懸命で輝いていた。なんだか、それで満足感がすごい。
「今日はよく寝れそう」
今日はアルバイトもないし、歌の練習もダンスの練習も一旦終わりだ。だからこの満足感のままゆっくりと眠れる。
「それもあるしね」
友人が指さしたのは、少女が抱えている布団だった。三位の景品だ。ふわふわの布団。恋い焦がれた新しくてふわふわの布団である。
「賞金は手に入らなかったけど、これで煎餅布団からは卒業だ」
少女はふわふわの布団を抱きしめて、今日の睡眠を楽しみに思った。
その日の夢は、ふわふわの舞台の上で天下無双のアイドルになる夢だった。
ふわふわの布団で眠らせて 縁章次郎 @chimaira
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