布団で世界を救う男

きの狐🍄

森に現れし男

 深い森の中を、一人の男が歩いていた。男の服装は、どこか場違いだった。


 袖の短い作務衣風の上着に、ゆったりとしたズボン。胸元には手拭いがねじ込まれている。


 荷物と呼べそうなものは、背負っている大きな布の塊だけだった。


 顔つきは温和だが、ただの旅人ではない。そう感じさせる雰囲気があった。


 「我が領地で何をしている?」


 闇から姿を現したのは――魔王。この森を統べる者だ。


 魔王の問いに男は答えない。無言のまま荷を降ろし、ゆっくりと広げ始めた。


 「……何を、している?」


 魔王の動きが止まる。その表情には、微かな動揺が浮かんでいた。


 男は草の上に長方形の敷物を広げた。そして――


 スッ、スッ。


 手のひらでそれのしわを伸ばした。


 パンッ、パンッ。


 軽く叩いて形を整える。


 「貴様……何を?」


 しかし男は答えない。ただ黙々と、それを美しく整えていく。その動きに迷いは微塵もない。


 「よしっ」


 ここで初めて男が声を発し、立ち上がった。


「貴様、これは何だ?」


「お布団のご用意ができました」


(……!?)


 嫌な予感がした――その瞬間、布団が生き物のようにうねり、魔王を捕らえた。


 「ぐっ……馬鹿な……!!」


 気づけば、魔王は布団の上で仰向けにされていた。さらにもう一枚の布団が上から体を押さえつけてくる。


 「やめろ……」


 温もりと優しさが、容赦なく魔王の体を包み込む。


 まぶたが重く、抗えない。


「私は……眠るわけには……」


 その時、男がおもむろに奇妙なダンスを始めた。


 独特なリズムを刻み、ステップを踏みながら円を描くように布団の周りを移動する。


 その規則正しいリズムが余計に瞼を重くした。


 (やめてくれ…………)


 そして最後に、トンッと足を踏み鳴らした。


 男の柔らかな声が響く。


 「安らかに、お眠りください  ☾⋆⁺₊ 終焉夢葬 エターナル・ドリーム・レクイエム ₊⁺⋆☽ 」


 魔王の瞳が完全に閉じ、森に静寂が戻った。


 男は安らかな寝息を立てる魔王に近づくと、そっと乱れた掛布団を直した。


 そして、懐から何かが書かれた木片を取り出し、枕元に置く。


 〈 起こさないでください 〉


 こうして、世界は救われた。


 人々は、この男をこう呼ぶ。


 —— 天下無双の布団係 フィトン・スリーピア ——


 眠れぬ者の前に、彼は現れる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

布団で世界を救う男 きの狐🍄 @kinokokokoo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ