第2話
神鶴市に到着した。神鶴市は秘霜市と接している一部の地域が吹雪の影響を受けていることを除けば、ごく普通の市である。
目当ての新聞は秘霜市に近いコンビニで買ってもいいが、いつも神鶴市の中心部近くにある商店で買う。品揃えが良く、生活雑貨やあれへの手土産を買うのに向いているからだ。
「お~いらっしゃ……い……」
いつも通りに店に入ると、店主の接客がぎこちなくなった。
「新聞を買いに来たのですが……どうかしましたか?」
「あぁいや、なんでもない、気にしないでくれ。えぇと、いつものだな…はいまいど」
「どうも」
取り繕ってはいたが明らかに私を見る目がおかしかった。なにか変なことでもしてしまったのだろうか。まああの秘霜市に年中住んでいる時点で変人か。特に気にすることでもないかと開き直り車に乗り込む。自宅ではあれが覗いて邪魔をしてくるのでいつも車内で軽く目を通すのだが……なるほど、店主がぎこちなかった理由がわかった。
『クローン科学の研究者・多我山楽 学会追放か
生命活動の維持を目的としたクローン技術を専門とする多我山博士が先日、学会を追放されていたことが判明した。多我山博士を摘発した阿島博士によると、多我山博士はクローン研究の規則を破った疑いがあり、事実確認が済み次第追放したとのこと。また、多我山博士と関りがあった人物によると、多我山博士の研究はいつも机上の空論であり、最終的に阿島博士が手を貸すことでようやく成功していた。当人もそのことで頭を悩ませており、周囲はいつか禁忌に手を出すのではと……』
私に関する記事が一面を飾っていた。前半部分は事実であったが後半はでまかせばかりで、まさにこれだから最近のマスコミはと言いたくなるふざけた記事だった。店主もこの記事を目にしたのだろう。ならばあの態度も納得だ。さて、どうしたものか。変装して買いに行くのも、今更店を変えるのも面倒だが……まあ私がそこまで気を配る必要もないか、このままでいこう。
それにしても阿島か……。顔も思い出したくないあいつの名を目にしたからか、私の意志とは裏腹に数か月前の出来事が思い出される。
阿島が数年前の共同研究について今一度私の見解を聞きたいと連絡してきた。できれば対面で、などと七面倒な要求をしてきたが妥協させてリモート通話に持ち込んだ。レスポンスバトルだけは阿島に負ける気がしない。そんなこんなで議論を交わしていた時、あれが研究室に入って来た。寝ぼけていのか「パパー」などと言いながら私のもとへ来て、そのまま眠りに落ちたあれを見た時の阿島の顔といたら。まるで幽霊やバケモノでも見たような、信じていたものが目の前で崩れ落ちたかのような、とにかく実に滑稽なものだった。
「多我山先輩、その子は……確か娘さんは五年前に亡くなったはずじゃ……まさか」
「ああこれか?無駄に頭脳明晰なお前は既に気付いているようだが、それでも聞くのか?阿島博士」
「えぇ、おおよその予想は付いています。でも今の僕は僕の考えを信じたくない。もしこの残酷な結論が正しいものだったら……それならば僕は貴方の口から聞きたい。その子は誰ですか。多我山先輩」
「相変わらず面倒くさい奴だな。これは私がクローン技術を応用し創った生命体だ、以上。詳細は必要か?聞きたければ話すが」
「……何故そんなことを?クローン技術で命を、人間を生み出すことは禁忌中の禁忌。絶対に挑戦してはいけない、成功させてはいけないものです。そんなこと、長くクローン研究に携わってきた貴方が一番わかっていたはずでしょう!」
「大声を出すな、これが起きる。それに禁忌だからなんだ。何故私が規則なんぞに縛られなければならない」
「何を言っているんですか?研究者たるもの規則は守らなければならないと言っていたのは貴方でしょう?」
「私はもう研究者ではない、ただの愚者だ」
「正気ですか?」
「お前が感じたことこそが真実だろう」
「嘘だろ……なんで……いくら奥さんと娘さんが亡くなったからって……なんでそこまで落ちぶれたんですか!」
「さあな、私もここまで愚かな人間になり下がったことは後悔している」
「後悔?その感情が残っているのならまだ戻れます!多我山先輩!」
「私が愚かでなければこの失敗作が生まれ、娘が死ぬこともなかったのに」
「……多我山先輩?」
「これは娘の代替品ではない、娘そのものだ。こんな非科学的なことをお前が信じるとは思えないが、これには娘の魂が入っている。だが私が失敗したせいでこれは娘とは違う存在になってしまった。娘は消えてしまった……故にこれは娘になり損ねた失敗作だ」
「今その子のことを失敗作と言いましたか?」
「ああ、言ったな。これは失敗作だ。それでいつ処分するか迷っているんだ。そうだ、お前が貰うか?」
「なんてことを……もういい、貴方の言葉は聞きたくない、聞く価値もない」
「ほう?」
「貴方はもう僕の先輩でも、同志でもありません。貴方のことを心の底から軽蔑しました。多我山楽!」
『お前のしたことは生命への侮辱だ!』
あの後すぐに通話を切断した阿島の行動は素早かった。学会にこのことを報告し私を追放、そして関係各所に根回しをして研究に関する一切の物資が私のもとに届かないようにした。直前まで喚き散らしていたというのに大したものだ。別にどちらも研究者ではなくなった私にとって大した影響はないからいい。だが阿島の行動力が私の予想を上回ったことが気に食わない。それにあの言葉。
「生命への侮辱か……惨めに生きていることの方が、生命に対する最大の侮辱だろう」
交通規則に従って薄っすらとコンクリートが見える道を行く。目指すは秘霜市、法も秩序もない白銀の世界。世に拒絶された私の居場所など、あの不愉快な失敗作のもとにしかないのだ。
雪下ろしのせいで痛めた腰をさすりながら家に戻ると、あれはテレビを食い入るように見ていた。自分や私のことは覚えていないくせに、家電の使い方や以前読んだ本のことなどは覚えているのだから腹が立つ。
「帰ったぞ。……おい!室温が高すぎるぞ何をしているんだ!それに電気も点けずにテレビを見るな、目が悪くなる」
「……」
「おい、聞いているのか?」
「…………」
「ユー!」
「うわっ!……ごめんなさい、ぜんぜんきづかなかった……」
「はぁ、あまり何かに集中しすぎるな。気を抜くと溶けて死んでしまうぞ」
それの肌にはうっすらと水滴が付着している。心臓がとけだしているサインだ。こうなったら早急に体全体、特に胸部を冷やして体温を下げなければならない。これの自室は常に冬場の外気温と同じになるよう設定しているから、生命活動を続けながら体温を下げるのに最適だ。
「水滴が出ている、早く自分の部屋に戻れ。部屋の室温はいじっていないだろうな」
「わたしのへやはハカセがカンリしてるでしょ?いじりようがないよ」
「ならいい。ついでにもう寝ろ、眠そうだ」
「はぁい、おやすみハカセ」
冷たい空気を残して扉の向こうへ姿を消したあれ。直後聞こえたガタンという物音と「いたっ」という声は聞かなかったことにしよう。リビングにはあれが見ていた番組が視聴者などいないのに流れ続けていた。
『この時期行きたい!全国の名湯特集。今週はこちらの温泉をご紹介しました!それではまた来週もお楽しみに!』
なんだか見覚えがあるなと思い記憶を掘り起こす。ここ五年ほどの記憶が朧気なため時間がかかったが、以前娘が気に入っていた番組を思い出した。実に似ている番組だ。再放送か?そういえば最近はこういった番組を見る時間が増えていたな。
……テレビを見つめていたあれの横顔。それもかつての娘の横顔に似ていた。娘と同じだが確実に違うあれの顔が娘に重なるたび、思考が凍り付く。こうなったら私の頭はしばらく使いものにならない。自室にいるなら大丈夫だろうと言い聞かせ、私も仮眠を取ることにした。……真の天才には今の私のような何もできなくなる時間など存在しないのだろう。思考が止まることなどないのだろう。阿島のような天才であれば。
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