氷の心臓
ロエ
第1話
決して忘れる事勿れ。いつからかその言葉だけが脳裏に焼き付き、あらゆる思考の邪魔をしてくる。何を忘れてはいけないのか。どれだけ考えても答えが見つからないまま、私の心臓は今日も無意味に拍動を続ける。
人口混血種製造計画 個体番号・二十一 個体名・ユー
肉体の原材料・多我山楽(たがやまがく)の各細胞 心臓・雪女の心臓 魂・多我山優
長期人型保持 成功(初個体)
肉体の恒常性 安定
→心臓移植の結果崩壊。体温が気温の影響を受け安定せず、血圧も不安定。病原体やウイルスの排除、創傷の修復機能が著しく低下。
肉体と核の適合率 九十一パーセント
→八十九〜九十三パーセントの間のみ人型保持に成功する模様
魂の移植 成功
→肉体から離れて五年が経過したからか、記憶のうち思い出が消滅。知識は異常無し。
→魂の移植後、魂の保存容器が破損したため計画の続行は不可。
培養装置から取り出して一週間後、気温が二十度以上の環境に長時間滞在すると心臓が溶け出すことが判明。
→一般的な生活が困難
よって、ユーを失敗作とする。
秋薄(しゅうはく)地区・秘霜(ひそう)市・吾味(ごみ)の山脈。かつて秋田県仙北市と呼ばれていた地域と秋田駒ヶ岳と呼ばれていた山岳は、六十年ほど前に起きた世界規模の地殻変動と今尚続く異常気象により、春夏秋は人が普通に生活することができるが冬になると人どころか獣ですら留まることが難しい雪の魔境と、一年中猛吹雪に襲われ生命が存在できない標高三千七百五十三メートルを誇る氷壁と化した。毎年『霜』という字に騙されて気軽に訪れる若者が隣の神鶴市に搬送されてくるので、一部からは『死霜市』『霜じゃなくてもっと危機感煽る字にしろよ』など散々な言われようをしている。
一応秘霜市は街として機能するくらいには人が住んでいるが、その誰もが冬だけは近隣の市や親戚のところに避難する。そんな中、大量の備蓄を用意し高額な光熱費を払ってまでして、冬も秘霜市で生活する一風変わった男と少女がいた。
「ハカセ、どうしてユーはソトにでちゃいけないの?」
「お前が失敗作だからだ」
「どうしてユーはシッパイサクなの?」
「私が失敗したからだ」
「ユーいがいにシッパイサクはいないの?」
「全て処分したからお前だけだ」
「じゃあなんでユーはショブンされないの?」
「……知ったところで意味はない。無駄なことは聞くな」
「はぁい」
朝食を食べ終え、一息つくと共に本日最初のため息を吐く。そして何度も繰り返してきた問答に終止符を打つと、窓辺から私を見つめていたそれは返事と同時に視線を窓の外へとやった。それ……人工混血種・ユーは一か月ほど前、人口混血種製造計画によって生み出された人口生命体である。私、多我山楽の細胞を基にして作られた肉体に、雪女である妻、六花の氷で出来た心臓を埋め込み、そして五年前に亡くなった私達の娘、多我山優の魂を宿らせたことで生まれた生き物だ。肉体の年齢は娘が生きていたのなら迎えていたはずの十歳に合わせているが、精神年齢は娘が亡くなった五歳のままになっている。見た目は娘と全く同じ、母親譲りの白髪に空の青と雪の白を混ぜた色の瞳、私に似てしまった鋭い目つき。なのにどこか娘とは違う存在。何が違うのか、説明しようとしても言語化ができないので結局何が違うのかがわからない、よくわからない生き物だ。娘を生き返らせるためだけに始めたこの計画は、私の愚かさと未熟さが原因で失敗に終わった。ようやく成功したと思った二十一体目の人口生命体は、娘の記憶を持っていないうえに人間として生きることが難しい体の構造をしている、言ってしまえば失敗作だった。そして皮肉なことに、人口生命体にはアルファベットを基にした個体名をつけていたため、二十一体目には娘と同じ音をしているユーという個体名がつけられていた。
ユーの雪が止んだばかりの空のように澄んでいて、けれどもどこかぼんやりとした瞳が私を映さなくなったことに何故か不快感を覚えつつ、外出するために防寒具を身にまとう。十一月にもなればこの町は地表も空も白一色に染まる。室内着で外に出ようものなら凍死は免れないだろう。初めのうちは引っ越しを後悔していたが家族のため、研究のためと言い聞かせていた。まあ家族も消え、居住環境を整えるための作業のせいで研究の時間を確保出来ていない今となっては、そんな言い聞かせなど意味もなくなったが。
「おい、私は買い物に行ってくる。その間勝手に外に出るな。この前みたいに吹雪の中で一時間も探すのは御免だからな。それと死にたくなければ暖房の温度もしっかり管理するように」
「あー……ごめんなさい、いってらっしゃいハカセ。きをつけてね」
本当に反省しているのかわからない返事を聞きながら車庫に向かう。買い物と行ったがただ新聞を買いに行くだけだ。冬になるとそれまで家に届いていた新聞は、雪により配達が困難になる。なので冬の間は隣の市まで買いに行くのだ。……そのためだけに外出するのは面倒だが仕方がない。ため息を吐きながら車庫に着くと、雪の重みが原因であろう歪んだ天井が目に入った。
「……またやることが増えたな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます