日本語の語順って...
全然迷
何故逆?
(まとまりません
何故 日本語の語順が違うのか
日本語 対象(本人を含む)が主観
英語 自分が主観
学習に活かすには
常に視点は自分
会話についてのみ
文章はまだ?
日本語(人) 好奇心?(why) →何が
英語 (系) how what 如何に 何が →自分に
学習 の 視点)
なるほど、日本語と英語の視点の違いについて考えているんですね。
日本語では、話し手が対象(相手や物事)を主観的に捉えます。
例えば、
- **「何が起こったのか?」(事象が主体)**
- **「どうしてそうなったのか?」(原因への興味)**
一方、英語では話し手(自分)を中心に置き、物事を「どのように」「何を」行うかに焦点を当てる傾向があります。
- **"How did this happen?"(出来事のプロセス)**
- **"What should I do?"(自分の行動)**
### **学習に活かす視点**
もし語学学習に活かすなら、**常に自分の視点を持つ**ことがポイントですね。
1. **日本語で考えるとき**
- 事象や相手に焦点を当てる(例:「何が重要か?」)
2. **英語で考えるとき**
- 自分を起点にする(例:"How can I use this?")
これを意識すると、会話の流れや文章の組み立て方が変わるかもしれませんね。
文章についても、視点の違いを意識すれば、もっと整理しやすくなるかもしれません。
(言葉が先?
宗教が先?)
これは「言葉(言語)」と「宗教」のどちらが先に生まれたのか、という問いでしょうか?
### **1. 言葉が先か?**
言語はコミュニケーションの手段として発達し、狩猟採集時代の人類が協力するために必要だったと考えられています。つまり、**言葉は実用的な目的(情報の伝達や協力)から生まれた**可能性が高い。
言葉が発展することで、神話や伝承を語ることができるようになり、それが後に宗教へとつながったとも考えられます。
### **2. 宗教が先か?**
一方で、宗教的な感覚――「畏れ」や「神聖さ」の概念――は、言語が発達する前からあったかもしれません。例えば、古代の人々は雷や太陽、死を畏れ、それを説明しようとする中で宗教的な信念が生まれた可能性があります。
言葉を持たない動物でも、死者を弔うような行動を取ることがある(例:象が仲間の遺体に特別な反応を示す)ため、「宗教的な感覚」が先だった可能性も考えられます。
### **結論**
言葉が先か宗教が先かは、**どう定義するかによる**と思います。
- **「体系化された宗教」(神話や教義)** → 言語の発達後
- **「宗教的感覚」(畏れや信仰)** → 言語の発達前に存在した可能性
つまり、**感覚としての宗教は言葉より先にあり、言葉が発達することで体系化された宗教になった**という流れが考えられます。
(言いたいことは
日本語が全てに神が宿ると言う考えが
語順を生んだのかもと
それ故
今でも無意識にそう思はざるを得ているのではないかと?)
なるほど、「日本語の語順」と「全てに神が宿る」という思想が関係しているのではないか、ということですね。
### **1. 日本語の語順と世界観**
日本語は、**「主語(私・あなた)」よりも、状況や対象を先に置くことが多い**ですよね。
例えば、
- 「桜が咲いた。」(**桜が主語**)
- 「風が吹いている。」(**風が主語**)
これに対して英語では、
- **"I see the cherry blossoms."(私は桜を見る)**
- **"I feel the wind blowing."(私は風を感じる)**
のように、「自分」が主語になりやすい。
つまり、日本語は「自然や事象が主体となる語順」になっていると言えます。
これは、「人間だけが中心ではなく、自然やあらゆるものに霊性が宿る」という日本的な世界観と関係しているのかもしれません。
### **2. 神が宿るという思想と日本語**
日本の伝統的な考え方では、**森羅万象すべてに神が宿る(八百万の神)**とされます。
この考え方が、無意識に「人間だけでなく、ものごとそのものが主体となる語順」を生んだ可能性はあります。
例えば、
- **「太陽が昇る」**(太陽が自らの意思で昇るように聞こえる)
- **「桜が散る」**(桜が主体的に散る)
といった表現は、まるで自然そのものに意志があるような語り方になっています。
英語なら "The sun rises" や "The cherry blossoms fall" ですが、英語の文脈では「単なる物理現象」として捉えられることが多い。
### **3. 無意識に影響を受けている?**
この語順の違いが、日本人の思考の根本に影響を与え、今でも「すべてに神が宿る」という考え方を無意識に受け入れやすくしているのかもしれません。
たとえば、
- 日本語では「物に感謝する」文化がある(例:「いただきます」「ありがとう」)
- 物や自然に対して名前をつけたり、擬人化する(例:道具に魂が宿るという発想)
- 「人間 vs. 自然」というより、「人間も自然の一部」という考え方が根強い
こうした特徴は、日本語の語順と「神が宿る思想」が深く結びついている証拠かもしれませんね。
### **結論**
**日本語の語順は、自然や物にも意志や霊性を感じる文化的な背景と関係している可能性がある。**
そして、その語順の影響で、現代の日本人も無意識に「すべてに神が宿る」と感じやすいのではないか?という考え方は、とても興味深いですね。
日本語の語順は、避けられない天災が有り、それが自然の大きな力=神と崇められ、故に自然や物にも意志や霊性を感じる背景と関係している。そして、その語順の影響で、現代の日本人も無意識に「すべてに神が宿る」と感じやすいのではないか?
この内容を整理してまとめると、以下のようになります。
1. 日本語の語順
日本語は、避けられない天災が起きた際に、その現象を「自然の大きな力」として神格化する傾向がある。この語順が影響し、自然や物に意志や霊性を感じる文化が形成された。
2. 文化的背景
日本人は自然災害や自然現象を神々の力や霊的存在として捉え、それに対する畏敬の念を抱いてきた。この考え方は、語順にも影響を与えている。
3. 現代日本人への影響
現代の日本人も無意識のうちに「すべてに神が宿る」と感じやすいのは、言語と文化的背景が深く結びついているためではないか。
まとめると、日本語の語順や文化的背景が、自然や物に対する霊性や神性の認識に強く影響しており、それが現代日本人の無意識的な感覚にも反映されているのではないかということです。
日本語の語順って... 全然迷 @zen_zenmei
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