月の光が変わる時

 凍てつく空が私を射抜いている。そう感じてしまうほど、私を見下す彼女の瞳は恐ろしくも美しいものだった。白、純白なんて単純な名詞では到底表せない複雑な色彩を放つ美しい髪。血が通っているとは思えない真っ白な肌。何もかもが美しかった。齢二十二で人生初めての一目惚れというものを経験した。雪が全身に吹き付ける中、美しい彼女が白の奔流に攫われてしまう気がして、そうなったら彼女にもう二度と会えない気がして、思わず彼女の腕に縋り付いてしまった。初めての熱情で頭が正常に働かない中、心の底から湧き上がってきたものをすべて彼女にぶつけた。決して目をそらさずに訳のわからない言葉の羅列を口にした。当時の私が何と言ったのかは覚えていないが、その時の彼女の顔は未来永劫忘れることはない。耳まで真っ赤に染めて、目を見開き口をわなわなとさせて、かと思えば空いている手で口元を隠して、静かに目を伏せて……ただただ愛らしかった。彼女に凍らされた両腕の痛みなど気にならなかった。周りで段々と冷たくなる同行者のことなど頭から抜け落ちていた。この時からだろう。私の心臓が彼女に凍らされてしまったかのように、思うように動かせなくなったのは。一人残された吹雪の中で立ち尽くしていると、辛うじて意識を保っていた同僚に思い切り叩かれて下山を急かされる。その間も真っ白な彼女の姿が頭から離れることはなかった。

 あれから毎日山に入り彼女を探し続けていると、二ヶ月目にしてようやく姿を現してくれた。最初の内は一歩近づいただけで吹雪と共に逃げられてしまっていたが、いつしか触れられる距離まで近づいても逃げずに言葉を交わしてくれるようになった。その時期の私の浮かれようと言ったら。当時の同僚にはよく揶揄われたものだ。その後も彼女との交流は続いた……が、彼女は非常に気まぐれであまりその姿を目にすることは叶わなかった。それでも私が遭難して凍死しかけた時は助けてくれたりもした。稀に私の左頬が小さな紅葉で彩られることもあったが、順調に仲を深めていたあの日々は今でも私の心の支えとなっている。照れる彼女は相も変わらず愛らしかった。

 何度も会いにいっていると彼女の方から麓まで下りてきて、やがて自身のことを話してくれるようになった。どうやら彼女は吾味の山脈奥地にあるカルデラに住んでいる雪女らしい。吾味の山脈には彼女以外の雪女もいるらしいが、その気の強さから馴染む事ができず距離を取って一人で暮らしているとのこと。全く見る目のない連中だ。そして雪女は自然から産まれるようで親という概念は存在しないようで。「名前をくれる存在がいなかったからお前が考えてくれ」と言われた時は、本当に心臓が止まったかと思った。それから私はまともに読んだことのない国語辞典を引っ張り出し、ときには同僚から詩集を強奪したりして、不眠不休で彼女にふさわしい名前を考え続けた。目元に大きな隈を携えて彼女に名前を伝えたときは初めて彼女に心配された。私が紡ぎだした名前「六花」は六角形の雪の結晶の別名である。いつも結晶をまとって現れる彼女によく似合う名だと思う。

 その時初めて彼女の……六花の雪解けを目にした。いつもの無表情がゆっくりと崩れ、たおやかな花のように穏やかな顔が現れるさまは絶景の一言に尽きる。きっと私はこの時、本当の意味で恋をした。六花の姿をこの目に収めるだけでは足りない。この命が許される限り、六花と共にありたいという新たな欲が私の心を支配した。割れ物に触れるように六花の手を握り、まるで暗がりにいる人をただ照らすだけの、冷たさすら感じる月のような瞳を見つめる。今度は逃げられずに最後まで伝えられそうだ。私の思いの丈を聞き届けた月は、迷える人々を照らすような暖かな色を帯びていた。

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