鏡の中のアイドル
権俵権助(ごんだわら ごんすけ)
鏡の中のアイドル
「はぁ……」
疲労困憊。無理やりに今日の仕事を切り上げ、私は帰路についていた。
処理能力を超えてデスクに積み上がった書類を捌き続け、お局様のくだらないおしゃべりに相槌を打ち、嫌みな上司に細部をあげつらわれ、興味のない飲み会に金と時間を使って付き合わされる。改革される気配のないブラックOLの働く毎日。街を歩きながら、ショウウインドウに映る自分のやつれた顔に気付く。もともと容姿には自信が無い。ファッションやお化粧にも無頓着なせいもあってか、三十間近になっても浮いた話は気配すらないし、そもそもあまり興味がない。ただ、このままの暮らしを続けて年齢だけを重ねていくのかなと考えると、時折、漠然とした不安に襲われる。
「はぁ……」
ため息をつき、ふらふらと歩く賑やかな繁華街の中で、ふと一際大きな音が聞こえてきた。視線を向けると、スーツ姿の若いサラリーマンが、画面に合わせて一生懸命に太鼓を叩いている。
「ゲームセンターかぁ。学生時代はよく行ったけどな」
懐かしさか、それとも気晴らしを求めていたのか。気が付くと自然に足が向いていた。
「うわ……」
店内に踏み入って驚いた。やたらと巨大になったプリ機に、卓上でカードを動かす人達、ゴーグルを装着して宙に向けて手を動かす人々……ひさしぶりのゲームセンターは、いつの間にか自分の知らないものでいっぱいになっていた。それによくよく見れば、おひとり様は私ぐらいのもので、すっかりカップルやファミリー向けの施設の様相を呈していた。
(なんだ、ここも私の居場所じゃなくなってたのか……)
踵を返そうとした、そのとき。
”一緒にがんばろうね!”
突然、私の疎外感を見透かしたような少女の声が聴こえた。振り向くと、そこには可愛らしいポップが取り付けられた小柄なゲーム筐体があった。その縦長のディスプレイの中から、煌びやかなドレスに身を包んだアイドルがこちらに笑顔を向けていた。そのゲームをプレイしていたのは、お母さんに連れられた小学校低学年ぐらいの女の子。三色のボタンとタッチパネルを使って、画面の中のアイドルを上手に歌わせている。どうやら、子ども向けのリズムゲームらしい。
(へえ、かわいいな)
アニメ調の3Dグラフィックで描かれたアイドルがとびきりの笑顔で歌う姿に、思わず最後まで見惚れてしまっていた。かわいいな……本当にかわいい。
”遊んでくれてありがとう!”
その子がプレイを終えて席を立つと、私と筐体の間を遮るものはなくなった。
「……まぁ、せっかく来たんだから」
子ども向けのゲームだからという後ろめたさがあったのか、軽く言い訳をしながら百円硬貨を投入した。すると、お姫様のように愛らしいアイドルが、私をじっと見つめて笑った。なんだか気恥ずかしい。きっと、画面が目の前にあるせいだ。
”ゲーム、スタート! まずは黄色いボタンを押してね!”
「えっ、黄色いボタン、いつ? えっ、次はタッチパネル? そんな急に言われても……」
不慣れなリズムゲームに、画面の中のアイドルは何度もすっ転んだ。無様である。不器用な私はゲームの中盤頃になってようやく要領を掴むことができ、子ども向けの甘い合格判定にも救われて、かろうじてゲームをクリアーすることができた。
”やったやった、合格だよ!”
画面の中で喜ぶアイドルに、もう少し上手くやってあげられたらな……と申し訳なくなった。
”遊んでくれてありがとう!”
ゲームが終わると、筐体下部の取り出し口に一枚のカードが排出された。手に取った私は、自分で瞳が大きく見開いているのがわかった。カードに描かれた、たくさんのフリルが付いたピンク色のドレス。ゲームセンターの照明に反射した小さな宝物が、手の中でキラキラと輝いていた。
「次はこのドレス、着せてあげられるんだ……」
その日から、私のゲームセンター通いが始まった。
一週間。
一ヶ月。
三ヶ月……。
子どもに混じってプレイを続けるうち、徐々にゲームの腕前は上達し、自前のカードケースはたくさんの綺麗なドレスでいっぱいになった。毎日欠かさずゲームセンターに通った。仕事で嫌なことがあった日は、いつも以上にやり込んだ。私が輝けないぶん、彼女を輝かせた。私が人生で叶えられないことを彼女に託した。私がゲームをやり込むほどに、画面の中のアイドルはランキングを駆け上がっていった。
そして。
「このオーディションに合格すれば、いよいよトップアイドル……!」
わずかに緊張しながら、そのワンコインを投入する。今、持っている中で一番の勝負ドレスを着せて、最高の精度でボタンを叩く。最後まで気が抜けない。完璧な歌、完璧なダンス。私ならできる。私のアイドルなら……できる!
”やったね! 一位だよ!”
「よかった……よかったね……」
安堵のため息が漏れた。それから。
「……そっか」
ついにランキング画面のトップに立ち、最高の笑顔を見せるアイドルを見た時に。
今さら私は自覚した。
私の理想を詰め込んだその子に。
私は、いつしか恋をしてしまっていたのだ。
それからは、より一層ゲームにのめり込んでいった。どんなに仕事に疲れていても、あの子の笑顔があれば頑張れた。新しい曲やドレスが発表される度に、あの子の新しい一面が見られた。それがなによりも嬉しかった。私の生きる理由になった。
そんなある日。
「ねえ、おばさん、カード交換して」
隣で遊んでいた小学生の女の子に声をかけられた。
「えっ、あっ、うん……いいよ」
ずっと一人で遊んでいたから、突然のことに少しうろたえてしまった。私がカードのたくさん入ったバインダーを見せると、その子の目がキラキラとワクワクでいっぱいになった。
「どれでも好きなの、選んでいいよ」
大人の財力でカードならいくらでも持っていたので、欲しいものはなんでもあげられる準備があった。
「やったぁ! ありがとう!」
その子が、小学生らしいちょっと乱暴な手つきでカードをがさごそと物色していたそのとき。
「ちょっと、何してるの!」
怒気の籠った声に顔を上げると、険しい顔をした女性が立っていた。どうやら、この子のお母さんらしかった。
「知らない人と話したらダメって、いつも言ってるでしょ」
そう言い聞かせて、たちまち嫌がる女の子を連れて行ってしまった。その一瞬、私に向けられた奇異の目は不審者を見るそれに近かった。私は席を立ち、トイレへ向かった。そして、鏡に映る自分の姿を改めて見た。そこには画面の中のアイドルとは程遠い、疲れた顔の女がいた。
(……私、もし「あの子」に会っても恥ずかしくない格好をしてるのかな)
子ども向けのゲームを遊ぶ大人というのは、ただでさえ異端に見られてしまう。だからこそ、余計に身だしなみには気を遣わなければいけないのだ。
それから私は、今まで手にしたことのなかったファッション雑誌を読み、お化粧の勉強を始めた。それで分かったのは、世の中にはたくさんのキレイとカワイイのための言葉や知識が溢れていることだった。そんなこと、きっと当たり前のことなのだろう。周りから見れば私は何周も遅れたスタートで、すべてが手探りで、これから間違いもたくさんするのだろう。
けれど私にとって、それはすべてあの子のために必要なことだった。堂々と、誰に対しても、自分の好きなものを好きというための武装だった。
※ ※ ※
それから半年ほど経ったある日。
唐突にその時はやってきた。
<このゲームは来月末を持って稼働を終了します>
その貼り紙を見た時、私はその場に崩れ落ちそうになった。でも、よく考えれば当たり前だ。私がひさしぶりにここにやってきた時、私の知っているゲームはどこにも無かった。新しいゲームが出てくれば、古いゲームは去っていく。それがこの場所の掟なのだ。
だから。
だから私は、彼女と一緒に過ごせる最後の時間を目一杯、悔いなく楽しむことにした。
そして。
その日は来た。
最後のワンコイン。
最後のステージ。
もう譜面なんて見なくてもボタンを叩けた。
噛み締め、耳を澄ませ、私を支えてくれた彼女を目に焼き付けるように。
最後のボタンを叩いた。
”遊んでくれてありがとう!”
いつもと変わらない笑顔で私に向けられた、いつもと変わらないその言葉。
どれだけ声を押し殺しても、流れるものを止められなかった。
「だいじょうぶ? どこかいたい?」
隣で遊んでいた小学生の女の子が心配して声を掛けてくれた。
「……うん、大丈夫だよ。ありがとうね」
人差し指で涙を拭って笑顔を作る。
「よかったぁ」
女の子は笑って、それから画面を指さして言った。
「ねえ、おねえちゃんって、この子に似てるね!」
私は。
私にとってその子は。
「うん、私の憧れの人だから」
いつまでも、私のアイドル。
-おわり-
鏡の中のアイドル 権俵権助(ごんだわら ごんすけ) @GONDAWARA
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