伊東祥子 第16話



 アタシは幸せの絶頂にいた。


 やっと素直になってくれたアタシの彼氏。


 そう、彼氏だ。幸人はもうアタシの彼氏なんだ。これからの日々には期待しかない。ずっとずっと塩谷に譲って我慢してきた。次はアタシの番だって分かってた。幸人がアタシを好きな事は分かっていた。


 それでも不安があった。次々と湧き出るライバル達にアタシの心は何度も揺さぶられた。


 それに……アタシは下着姿とはいえ、あの男に冒された。唇を許す事も下着を剥がされる事も防いだ。だけど全身を這いめぐったあの男の手が、それを拒んだアタシに振り下ろされた拳が、アタシを冒した。そんな汚されたアタシで良いんだろうか?


 だけど、そんなアタシを守る。そして好きだって言ってくれた幸人。もう学校で一番って言って良いほどカッコよくなった幸人。そんな人がそう言ってくれた。


 だけどアタシは少し我慢しないといけない。陽子は分かってくれたって聞いた。多分凄く我慢させた。レナには幸人から話すって言ってたけど、多分凄く悲しい思いをさせる。

 塩谷だって多分幸人の事を嫌いになった訳じゃないだろう。そんな彼女達が、幸人の側にいたいって思う気持ちがあるなら、アタシはそれを拒絶しちゃいけない。


 嫉妬はきっとある。だけど、幸人の彼女はアタシだ。それを忘れちゃダメ。


 幸人は塩谷と付き合ってる間、アタシ達に手を出さなかった。もう自然消滅だって雰囲気の時も、逆にアタシ達を諌める様な事ばかり言った。


 そんな幸人をアタシは信じる事が出来る。幸人はアタシを裏切らない。


 だから寛容になるんだ。大人になるんだ。幸人みたいに……


 何があったって、アタシは幸人を信じるんだ。




#




 ようやく始まった新学期。アタシの胸は誰よりもも大きく張り出し、高鳴っていた。


(張り出してってのは大きさじゃないけど……Aカップだし……)


 それでも胸を張った。アタシは幸人の彼女だから。


「おはよー」

「あ、祥子ちゃんおはよー」

「伊東さんおはよっ!」

「うん! おはよっ!!」


 アタシのこの一年は、幸せの中で始まった。見るモノ全てが新鮮で、まるで初めて見る景色の様だった。


「あ、あったよ祥子ちゃん。また同じクラスだね!」

「うん! またよろしくねっ!!」


 そんな会話と裏腹に、アタシは必死で名前を探した。


「あった!!!!」


 張り出された掲示板。同じクラスの欄に見つけたのはアタシの愛しい人の名前。


「はぁあ!? なんでウチだけ別なんだよっ!!」

「仕方ないじゃない! 多分成績も見られてんのよっ!!」


 そんな時に友達二人、いや、親友二人の声が聞こえてくる。


「あ! おはよっ!! 祥子!!」

「うぅ……おはよぉ〜〜」


 明るくアタシを歓迎してくれる陽子と、悔しさで項垂れてるレナ。


「レナ、クラス違っても気にすんな。今まで通りだ」

「ゆ、幸人ぉ……」


 む? 背後から優しく肩に手を置かれたアタシの親友が、アタシの、か、れ、し、に抱きついた。だけどアタシは動じない。


「レナ? 幸人の言う通りよ? 隣のクラスだし今まで通りよ?」

「うぅ……しょうこぉ〜〜」


 幸人を離し、アタシに抱きつくレナの短い髪を撫でる。


「だから、アタシの彼氏に抱きつくとか……やめてね?」

「ひっ!!」


 そう言うと、レナはアタシから逃げ出し、陽子に抱きついた。そんなに怖く言ったつもりは無いのに。


「よしよーし、いいこいいこ。怖いねぇ? 独占欲強い子って」

「うぅーー、別人みたいだよぉーー」

「ちょっ! やめてよ!! 陽子! レナっ!!」


 幸人にそんな風に思われたくない! 二人はなんでそんな意地悪を言うのか、アタシには全然分からない。


「レナには一昨日話したばっかなんだ。それにこのクラス替えは立て続けだしショックなんだろ? 少しは甘えさせてやれよ」

「させてるっ!! 別に怒ってないもん」

「ったく。レナ、ほらこっち来い。怒ってないってさ」

「幸人ぉ〜〜」


 またアタシの彼氏に抱きつくレナ。嫉妬はしないって決めてるし、子供みたいに扱ってるのも分かる。だけど、やっぱ違うじゃん? アタシが一緒のクラスなのを喜んで飛び付く所じゃん?


「ユキト、レナを連れてってあげなよ。ほら、祥子もそんな怖い顔してないで、一緒に行こ」

「!?」


 どういう事? 何時もならアタシ以上に幸人が優しくする事に怒るはずの陽子が、アタシ以上に余裕の態度……


「ふ、ふーん、陽子? どうしたのよ? そんな余裕な感じでさ?」

「ん? まぁ、高校入れば変わるわよ」

「うぐっ!!」


 陽子はいつの間にか成績は上位陣。幸人と同じ正志高校に入る気満々だ。そうなれば彼女のアタシ以上に側にいられる。そ


「あ、アタシもさぁ、正志狙おうかな? って最近ーー」

「辞めときなさい? レナだけ可哀想じゃない」

「うっ!!」


 先に自分が抜け出した余裕なのか、陽子は落ち着いた様子でアタシを注意してくる。


「す、滑り止めは合わせるわよ? だけど勝負したって良いじゃ無い」

「まぁ、そりゃそうだけど……追いつけるの?」

「お、追いつくわよ。今日からだって教えてもらえるんだから!」

「……そうよね、でもユキトは多分悩んでるわ。ちゃんとユキトと二人で通える進路を考えなさい」

「え? 陽子? それは……」

「ふん! ちゃんと幸せになりなさい!」


 陽子の言葉の全てが分かった訳じゃない。だけど、本気で私達を応援してくれてるって、それだけは分かった。


「ごめん、ありがとう」

「バカね、謝る事もお礼を言う事もないわ。私はユキトの事を一番に思ってるだけ」

「なによ、そんなのアタシだって同じよ」

『なら貫きなさい』

「え?」


 今のは陽子の声なの? ずっと大人っぽくて、優しくて……アタシは陽子の顔を覗き込む。


「なによ」

「う、ううん? 陽子、アンタなんかあった? なんか随分変わったって言うか……」

「はぁ? なんも無いわよ。ただーー」

「ただ?」

「私も大人になったのよ」


 そう言って、優しい笑顔をレナに向ける陽子はアタシ以上に彼女っぽくて、アタシはそれにまた触発される。


「そうね、アタシもちゃんと大人になるわ」

「そう、ならそうしなさい。それでも……」

「ん?」

「あいつにはきっと私達じゃ届かないかもしれない……」

「陽子?」

「ううん? なんでもない! 行きましょ!! レナへの優しさはここまでよっ!!」

「あ、うん! そうね? アタシの彼氏を返してもらわないとっ!!」



#


 三階に向かう階段。前を進む二人の話す声が聞こえてきた。


「学校は本当何考えてんのよ」

「いや、話した通りだ、どんな理由があったとしてもこうなるんだ」

「後で職員室に抗議しに行かないと……」

「もう決まったものは覆らない。それより欠席し続ける事を祈るしかない」


 なんの話しをしているのか分からないアタシは耳を澄ます。


「あーー」


 そんなアタシに、階段の踊り場で曲がった瞬間に陽子が気付く。それに釣られて幸人がアタシに向き直ると、目を細めて確認をしてきた。


「祥子、お前クラス全員の名前見たか?」

「えっ? なになに? 今話してたのと関係ある?」

「聞こえてたのか、はぁ……」


 幸人は溜息を吐くと、陽子をチラッと睨むと再び階段を上がっていく。


「あ! 待ってよっ!!」

「しょ、祥子待ちなさい!!」


 アタシは陽子の脇を抜け、その背を追いかける。だけど陽子がアタシの腕を掴んで彼の元へ行かせない。


「祥子、ちょっとだけ後から教室に来い。陽子、祥子を頼む」

「う、うん! 分かったわっ!!」

「えっ? なになに? なんなのよっ」

「おまえら何してんだよぉ〜」


 アタシの腕を掴む陽子は、それを離すと今度は腕に抱きついてくる。そんなアタシ達の背後から項垂れているレナが追いついてきた。


「ウチを置いてくなよぉ〜〜、クラス違うからってぇ〜〜」

「もうっ! そうじゃないわっ!! レナ! シッカリしなさいっ!!」

「よ、陽子?」

「なんでだよぉ……なんだよぉ厳しいじゃんかぁ」

「お前も祥子を守るって決めたんでしょ!!」

「?」

「あ……まさか……」


 陽子はアタシの腕を更に強く抱きしめると、力強い目でアタシに何かを訴えかける様に視線を送ってくる。


「ユキトを信じるのよ! さぁ行くわよ!!」

「ご、ごめん陽子っ!! 祥子! ウチがバカだった!」


 空いてる腕にレナがくっ付いてくる。アタシにはまだ、何が何だか分からない。


 三人で仲良く並んで教室まで進むと、中を覗きこむ。そこには教室の中央に立つ幸人の背中があった。角度を変えて顔を覗き込む。その顔は不安や怒りが入り混じった様なそんな顔だった。


 アタシは教室に足を踏み入れると、幸人の視線の先に目を向ける。その壁際の丁度真ん中辺りに座る男子の背中。その男子は丸坊主の頭を横に向け、幸人と睨み合っていたーー


「……亮」


 アタシは後ずさる。記憶の底に封じ込めた恐怖がアタシの脳内に再び戻ってくる。全身が震える……膝から力が抜ける……目の前が真っ白にーー


「「祥子!!」」


 両腕でアタシを支える親友達の声がしたーー


「大丈夫だ」


 正面から大好きな人の声がしたーー


 アタシは意識を取り戻すと、崩れかけた膝に力を入れる。目を開けると、そこには幸人の優しく微笑む顔。


「祥子、大丈夫だ。ゆっくり息を吸え」

「すぅーー」

「よし、それをゆっくりゆっくりと吐くんだ」

「はぁ〜〜〜ぁ」

「よし、良い子だ。ちょっと待ってろ。レナ、悪いがもう少しこの教室にいてくれ」


 そう言ってアタシの頭を軽く撫でると、幸人は教壇でオロオロとしている女性の担任の先生の元へ向かい、何かを伝え、そのまま教室の一番後ろの窓際の席の女子達の所へ向かう。そして何か声を掛けると彼女達に頭を下げた。


 その間五分も満たない時間で、幸人はアタシの元に帰ってきた。


「俺達の席はあっちだ」

「え?」


 幸人はアタシの手を握ると、まだ固まっている脚を無理矢理引っ張って歩かせる。


「仕方ないな、俺のお気に入りの一番後ろはお前にやる。前は俺だ」

「え? でも黒板に席ーー」

「許可は貰ったし、この二席の奴等はあの件を知ってるからスムーズに変わって貰えた」


 幸人は私の前の席の机に自分の鞄をかけるとそこに座る。そして再び、壁際に視線を送る。




「俺が守る、だから俺の背中だけ見てろ」

「は、はい……」




 もう、震えは止まっていたーー

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きっと僕等はまた巡り会う ピヨピヨ @takapiyo

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