劣等感
伊東祥子 第1話 プロローグ
夢を見る。
真っ暗な世界の中で輝くたった一つの光。
まるで星の様に俺の頭上で輝いている。
俺には分かる……それは憧れだ……
それはどう考えても俺には届くものじゃなかった。
頑張って手を伸ばしたって、背伸びをしてみたって、あらゆる手を考えたって。
諦めて、俺は伸ばしていた手。を引く。
そんな時、そっと星が俺の手に突然落てきた。
俺は突然の事に慄き、それを放り捨てようとした。
だけど、俺はかつての記憶が脳裏をかすめ、その手を止めた。
「これは今度こそ俺のものだ……」
俺はその光をしっかりと包み込むと、顔を近づけそっと口付けをした……
「嬉しい」
世界にそんな声が響く……
その声は俺の心を鷲掴みにする。
「離さないでよ?」
かつて届いたけど掴みきれず手放ししてしまった憧れ……自分の心の弱さ、劣等感に負け続けたあの日々……
「もう負けない……今度こそ手放さないーー」
#
俺は浮かれていたのかもしれない。この世界に来て、考察だのなんだのと、タイムリープだの、世界線がどうのだの。世界が修正しようするとか、そんな事ばかり考えて。
本来決まった未来なんて無いんだ。俺がいた世界なんて、俺と言いう恐ろしくダメな人間が生きた結果の世界でしかなかった。
だけど、そんな世界に寄った形でこの世界も進行していく。それは何故なのか?
それが答えだ。
運命ーー
それが俺が戦うべき相手だったんだ。
もしかしたら神でもいるのかもしれない、運命という、大きな流れを作る大きな存在がいるのかもしれない。
その存在が作り出した運命という流れの力は、都合良く後悔を消そうとか、失敗を正そうとか、また巡り会って今度こそ家族と幸せになろうとか、そんな事は許さない。
それが、二度人生を歩む事になった俺の敵だ。
俺が戦わないといけない相手であり、変えなければいけないもの。
俺の本当の戦いがはじまった……
#
駐車場の、一台の車のトランクの後ろに俺達はいた。
「ちょっとなにしてんのよーー」
「あ、悪い……」
今日は祥子の退院の日だ。始業式には間に合う事はできず、四月二十日の土曜日の今日、ようやく退院が決まった。まだ太い骨の経過観察は必要で、地元の病院に通う日は続くだろう……
「まだ気にしてんの?」
「ん? ああ……まぁな」
俺は彼女がお気に入りにしていたキーホルダーがついたカバンを車に詰め込む。
そのキーホルダーはペンギンがバドミントンのラケットを握っている、そんなデザイン。
「真面目にやってたもんな……」
ようやくある程度回復した打撲だらけだった右腕と右手。骨折のあった左手のギブスが取れるのはまだ先だろう。
これらが俺が引き起こしたものが原因となって、本来なら無かったはずの、この世界線へと導いた。彼女はこれからリハビリをして、以前の状態に頑張って戻していかないといけない。俺にはそれを支える責任がある。
「幸人、ママは?」
「ああ、今部屋で忘れ物無いか最後のチェックをしてるよ」
俺はそう答えると、大きなボストンバックを肩にかけていた祥子に手を差し出す。
「祥子、それも」
「うん」
俺は祥子からバックを受け取ると、それもトランクに詰め込む。
「二人とも準備出来た?」
「あ、ママ。大丈夫だよ」
「あ、はい。終わりました」
「幸人君ありがとうね? 途中でご飯食べていかない? 手伝ってくれたお礼をさせて?」
「あ、いえ……大丈夫です」
「え!? なんでよっ!!」
俺のお袋も若くて美人な方だと思うが、祥子のお母さんは桁が違う。まるで現役モデルだ。祥子もまだくびれなどには子供っぽさは残っているが、お母さんに負けずスタイルやっぱり凄い良い。二人並んでいると本当に絵になる。
「悪いな? 自転車で来たんだ」
それだけじゃない。
俺達はまだちゃんと付き合ってる訳じゃない。それなのそんな場に簡単には付いてってはいけない。
(まだ凛との決着もついていない……)
「あら、残念ね? それなら改まって何かお礼をさせて頂戴」
そう言うと、お母さんは俺に前屈んで俺の頭を撫でる。
(黒か……)
ざっくり開いた白のブラウスから覗かすそのブラの色は、俺の胸を高鳴らせる。俺は元々は中年で、お母さんは同年代だ。そりゃドキドキもする。
「幸人……」
「ん!? な、なんだ?」
「エッチ」
「ま、またそれかっ、なんでいつもお前はーー」
「あらぁ、嬉しいわぁ〜〜ママもまだまだ捨てたものじゃないわね〜〜」
そんなふざけた会話も、今こうして祥子がある程度立ち直り、元気になってくれたからこそ出来ている。まだ時折夢に見るのか、うなされている事があると看護師さんから聞いている。彼女はそんな事は何一つおくびにも出さず、こうして明るく振る舞っている。
俺は車で病院を後にする二人を見送ると、自転車に乗ってその後を追う。
あの後、凛とは自然消滅に向かうかの様に、学校ですれ違っても目を逸らされる毎日だ。だけど俺は敢えて避けるような事はしていない。好きって気持ち自体はあの日を境に、まるで最初から無かったかの様に胸の中から消え去ってしまった。なので自分からとかそういうのはやっぱり無い。
だけど、凛が自分から俺ともう一度って思って行動する様なら、ちゃんと向き合おうと思っている。そこで自分の心が動くのなら、やり直したって良い。
何故なら、疑っているからだ。この、突然消えた好きって気持ちが、自分の本心なのかどうかを。
(まるで操作されてる様な気がする)
だとするなら、俺はギリギリまで抗うべきだ。疑い続けるべきなんだ。祥子との事はその後なんだ。
加賀谷は未成年という事もあって、今は自宅に戻っているらしい。らしい、と言うのは俺も噂の様なもので聞いただけだからだ。今は停学になっていて学校には全く来ていない。
クラスも同じだし、もしかしたら三学期中は戻って来ないかもしれない。
アイツは元々の世界では、高一の時に暴力事件を起こして退学になっている。なので、このまま高校に行かないって事は既定路線なのかもしれない。
(運命……か)
世界は、歴史はやはり運命によって強く矯正されてしまうのだろうか。俺はまたそんな考察に振り回されてしまうんだろうか?
(陽子……)
たった一つ、そんな不安や恐怖の中で見えた一つの希望。
失意と絶望に駆られた瞬間に降り出した雪は、世界が本来の世界に戻ったかの様に、不自然だけど自然で……
だけど、陽子が現れた瞬間、まるで最初から無かった様に雪は世界から消え去った。
(そうなんだ、俺は本来なら失意と絶望を胸に抱いて、今生きていないといけないんだ。かつての俺の様に)
俺は広いコンビニの駐車場に自転車を止めると、ポケットからPHSを取り出す。
(それを陽子が壊した……アイツはあの時、世界を変えたんだ)
何故陽子にそんな事が出来るのかは分からない。だけど、それが出来るって事……それがあの日、陽子がくれた希望だ。
俺は首元に巻きつけられた、茶色いマフラーに手を添える……
俺は今日この後、陽子と会う約束をしている。それも祥子達の誘いを断った理由だ。俺はPHSを操作し、陽子のポケベルにメッセージを送る。予定を済ませたら連絡すると伝えてあった。
陽子は年末年始は両親の地元に帰っていた。その後新学期に顔は合わせたが、祥子の戻ってない状態ではまだ二人きりで話す気にはならなかった。
俺を偽物だと言い出したり、勉強会でのあの不思議な発言と感じた違和感。あの時は直ぐにこうやって話をしようと動かなかった。
「行こう」
もう負けないと決めたから。守ると誓ったから。俺は運命と戦う為に一歩を踏み出す。
俺は再び自転車にまたがると、待ち合わせに指定した橋へと向かった。
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