塩谷凛 第40話 エピローグ



 俺は地元の神社でお参りを済ますと、新年で賑わう人達を掻き分け、そのまま自宅では無く駅へと向かった。


 その手には自分の分のお守りと、彼女の分のお守りを握りしめて。


 駅までの道のりは、俺が今行った神社へと向かう人の流れと、駅から電車に乗って有名で大きな神社仏閣へと向かう人の流れが行き交っていた。


 今日という日まで、俺は沢山考えたり、行動を起こして、沢山の結果を得てきた。


 それでも、俺のこの二度目の人生を安心して生きるには不確かな検証ばかりで、俺は未だ、どう生きていくべきか決める事は出来ていない。


 あの日から凛との連絡を交わす事は無い。俺自身がもう、彼女とやり直すとか、しがみついてでも続けたいと、どうしても思う事が出来ないからだ。


 それぐらいに、俺にとって衝撃的だったんだろう。


 少しぐらいの浮気なら許せ、魔が差したぐらいなら忘れろ、別にそんな意図は無い、いっときの気の迷いだ、お前が人の事言えるか? 

 有りとあらゆる台詞が、凛を許せと、俺の心を諌めようと投げかけられてくる。


 だけど違う。凛のあの行為に対しての嫉妬とか裏切りへの恨みなんてものは俺には無い。


 俺が衝撃的だったのは、結局こうなるんだっていう、運命に対してだ。



 負けたんだ。



 それだけは分かる。だけど、それは凛が? それとも俺が? 二人が? そんな問答にも答えが出せれないまま新年を迎え、俺はこうして駅に向かっていた。


 俺は二駅先までの切符を買うと、そのまま改札を通り、来たばかりの電車に乗る。乗客は私服か着物などに着飾った人ばかり。


 誰もが新しい新年に期待を寄せて、幸せを願っている。だけど、俺はどうだろうか……


 目的地についてホームに降りると、駅のアナウンスが流れる。


『ただいまぁ〜荻窪駅にて人身事故が発生したというーー』


 俺はそんなアナウンスに、自分は関係ないとばかりに改札を出る。


 人が死ぬ。新しい一年に期待や希望を持てずに簡単に人は死ぬ……


 それは間違っているのだろうか? バカな行為でしか無いんだろうか? 



 俺はそうは思わない。



 この先にーー、何かきっとーー、頑張ればきっとーー……


 そんなものは希望的観測でしかない。実際の人生ではダメなものはダメで、無理なものは無理なんだ……自分に出来る事なんてそんなに多くは無くて……出来る事があったって、それだってそんなに強いものじゃなくって……


 マイナスに振られたものをプラスに転じるなんて、そんなのはそもそもマイナスにならない様な強い精神力の持主が出来る事だ。


 本当の意味でのマイナスの、蜘蛛の糸すら届かない場所に落ちた人のマイナスのメンタルには、そんなおためごかしのセリフは届きはしない。


 かつての俺のように……



 俺は目的地の病室の扉を開く。



「明けましておめでとう」

「え? 今日も来てくれたの?」

「ああ、ダメだったか?」


 ダメなんて事は無さそうだ。綺麗に解かされた黒くて長い綺麗な髪。腫れが引いた綺麗な唇はリップに彩られ日差しを浴びて輝いている。


「バカね、誰かと約束とかないの?」

「無いな。今の俺に声掛けれる奴は中々図太いヤツだ」

「ぷっ、なによそれ。正直にアタシに会いたいから他は断ったって言えば良いのよ」

「そうだな、そっちの方が良かったな」


 そんな会話を交わしながら、俺は備え付けのベッド脇のパイプ椅子に腰掛ける。


「ほれ、お土産だ」

「え? 何?」


 俺はさっき神社で買ったお守りを祥子へと投げ渡す。


「…………ちょっと……何よ、これ」

「お前が一番欲しそうなヤツを選んだ、ダメだったか?」

「バカにしてんの……?」


 祥子はそう言ってはいても、そのお守りを片手でしっかりと握ると、胸に抱き寄せる。


 まだ治りきっていない手や腕のギブスに、俺は顔を顰める。


「痛く無いか?」

「うん、定期的に痛み止め飲んでるしね? 退院は新学期直ぐは無理っぽい」

「そうか、それは残念だな。俺も学校通いながらだと大変だから、間に合えば良いなって思ってた」

「……来て、くれるの?」


 祥子はそう言うと、抱き寄せたお守りを更に強く握り込む。


「ああ、お前の持ってるお守りの力だな」

「じゃ、じゃあーー」


 俺は腰を浮かせ、ソッと祥子の治りかけの頬に手を添える。そして顔を近づけると、包帯の取れたばかりの額に自分の額を当てる。


「お前は俺が守る……今度こそ……二度とこんな事にならないように」


 俺が頬に置いた手に流れ落ちてくる祥子の涙に、俺は誓いを立てたーー


 今の俺のメンタルはまだ落ち切っていない。俺はまだ戦えるーー


「今度こそ負けない」


 かつての失敗を、後悔を、自分の手でなんとかしたいとか、あの幸せだった未来に帰りたいとか、子供達と出会いたいとか……そういう気持ちは確かにある。だけど今それを望んで、運命のまま人生を歩むなんてまっぴらごめんだ。俺の第二の人生を、好き勝手になんてさせてやらない。


 祥子と付き合うのかどうかとか、そういうのはまたゆっくり考えればいい。俺は四十年以上かけて培った力で、この運命の力に抗って見せる。


 握りしめていたお守りを布団に落とし、片手で俺を抱きしめてくる祥子の震える身体を、俺は支えるようにソッと抱きしめる。


 そんな俺たち二人を、恋愛成就のお守りが見守るように日差しに照らされていた。



#


 あの日の様に窓から見える茜色の空。


 私には呪いの色だ。


 私はこの空が嫌いだ。


 この空が嫌いになった。


 理由は分かってる。この空に八つ当たりしてる事も分かってる。


 だけど分からない。


 私が悪いのか? お兄ちゃんが悪いのか? それとも先輩が悪いのか……分からないからこの空の所為にする。


 誰を責め、誰を恨み、誰を嫌いになれば良いんだろう? 分からないからこの空の所為にする。


 空は悪くないのに。


 誰も悪くないのかもしれない。全員が悪いのかもしれない。その答えは無いのかもしれない。この空は悪くないのかもしれない。


 そんなあやふやなものなんて、考えてもどうしようも無いのかもしれない。この昼か夜か分からない空と同じで。


 それでも考えてしまう。


 まだ終わってないから、一日は終わってないから、まだ世界は茜色だから。


 だからこの空から茜色が消えるまでは、私は考えたい。


 まだ一日は終わっていないのだから。

 


#



 世界が茜色に染まっている。


 俺は病院からの帰り道、階段の上から見えるそんな空に思いを巡らす。


 人々は、一日の終わりを惜しみながらも、明日という一日に期待を巡らせ、あの太陽を見送る。


 俺はこの時間より、もう少し進んだ群青色の空が好きだった。


 終わった事だけを感じさせるその終焉の色は、その一日の可能性を断ち切る。


 期待など無くなり、変える事の出来ない終わりが、俺を安心させてくれる。


 だけど、何故俺はそんな空が好きなんだろうか? いつから好きになったんだろう? なんでそう感じる様になったんだろう?


 まだ、今日に何か可能性を感じさせるこの茜色の空の時間の方が、普通は好感が持てるんじゃないだろうか?


 この日が落ちるまての短い時間だとしても、抗える時間がほんの少しでもあるのなら、人はそれにしがみつくべきなんじゃないんだろうか?


 この茜色の空のうちに、何かするべきなんじゃないのか? 何かできるんじゃないのか?


 かつて自分のちっぽけなプライドに振り回され、一人の女の子を傷付けた過去。最後の一瞬まで自ら動く事も出来ず、ただ見送った背中。


 もう無理だと、終わるんだと、そう決まった時、俺は安心したんだろう。

 プライドがもう傷つく事は無いと、自分がもう苦しむ事は無いと、俺を安心させたんだ。


 きっとその時から、俺はあの群青色の空が好きになったんだ。


 今度も俺はあの時と同じ様に、空があの群青色に変わるまで、何もせず見送るのか?


 この茜色の空は、そんな事を俺に問いかけていたーー

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