塩谷凛 第37話



 幸せで楽しい時間はあっという間に過ぎるものだ。


 俺達はイチャつくカップルが溢れる公園で、今は座れるベンチが無いか、ホットコーヒー片手に探している。


「やっぱ混んでるね」

「そうだな? まぁ、散歩がてら飲みながら歩こう」


 この時代じゃ混む事も、人を呼び込む為に必要なマーケティング戦略だ。現代だとイベントはあちこちにあってとても多く、そのせいで客は散らかる。そんな選べる環境で、ワザと空いてる穴場を狙う人達も多い。

 だけど、この時代じゃ敢えて混んでる所に行く事にアイデンティティを感じる人間が多い。

 

 凛だってそうだ、混んでる混んでると言うのは、混んでる所にいる自分に高揚感を持っているからだろう。


 残念ながら俺は本当はゴメンだ。


 だけどたった一人だけかつてそういう場所に無理矢理連れてった相手がいた。その子は本気で賑やかな場所が苦手で、だけど俺はその子と思い出になるような事がしたくって……


 毎年恒例になったクリスマスデートもその一つだった。この街にある警備会社の俺の担当店舗に入ってきた勝気な四つ上の女性。教える事一つ取っても、真面目で硬くて、分かるまで質問してくる。そんな人だった。


(今はまだ高ニか……写真見たけど、別人みたいに太ってた頃だな? はは、今は会えないな)


 俺はそんな事を思い出すと、少し頬が緩んだ。


「先輩、あそこ空いてます!」

「あ、あぁ本当だ」


 日が暮れ始め、少し寒さが増してくる。ベンチに並んで座ると、凛は両手で暖かいカフェラテをちびちびと飲んでいる。


 俺はブラックのコーヒーを口に加えるとこの後どれくらいで日が沈むのかを考える。今と未来でそういう所は差がないはずだ。冬の空が暮れるのは早い。空はまだ晴天でほんのりと朱がさしている程度。俺は腕につけたシャークと言うブランドの時計で時間を確認する。念の為に言うが、今の俺の趣味じゃない。もう俺がこの世界に来た時には既に持っていて、これしかなかったのだ。


「思ったより早く日が暮れそうだな」

「あ、そうだね? なんかもう、少し空が赤くなってきたし」


 凛はベンチの背にもたれかかると、空を見上げる。


 俺はそれに倣って同じ様に空を眺める。時間はまだ四時になったばかりだった。俺は少しの時間、のんびりとこうしているのも良いと思った。忙しなくあちこちを回るのも、凛は楽しそうで良かったけど、俺的にはこうゆうゆったりした時間に今は幸せを感じる。


 歳なんだろうな……


「先輩……七時ぐらいまで良いんですよね?」

「ん? ああそのつもりだけど、日が暮れるのが早いなら少し早く帰るつもりだよ?」

「え? 食事は?」

「まぁ食べた後直ぐに出れば良いんじゃないか? 凛はまだ中一なんだぞ? 出来るだけ早く帰った方がいい」

「まってよ!! 私達一つしか変わらないよねっ!? そんな子供扱いしないでよっ!! せっかくそれまでいられるって思ってたのにっ!!」


 そう訴える凛はどこか鬼気迫るようで、俺は少し狼狽える。


「ま、まてよ凛。予定通り七時までいても良いけど……別に目的は果たせるんだから、そんなこだわんなくても……」


 凛はそんな俺の言葉なんて耳に入ってないように、自分の思いを俺にぶつけてくる。


「絶対に一緒にいられる限り一緒にいて下さいっ!!」

「わ、分かったよ。だから落ち着けって」


 凛はカフェオレをベンチに置くと、両手で俺の腕に絡みつくように抱きつく。


 俺はそんな凛の頭を撫でると、肩を落とす。もう少しすれば落ち着いて会話に戻るだろう。俺は凛の頭から手を離すと、コーヒーを手に取る。冷えてきていた体が、凛の体温と口に含んだコーヒーで温まっていく。


「カフェオレ冷めるぞ?」

「もう少しこうする」

「あったかいから俺は有り難いな」

「ドキドキしますか?」

「ああ、するよ」

「なら……したくなりますか?」

「ああ、そりゃあな?」

「なら何処か入りますか?」

「入らないよ」

「なんでですかっ!!」


 凛は突然立ち上がると、声を荒げる。俺はそんな凛に驚き、コーヒーを落とすーー


「なんで! なんでなんですかっ!!」

「り、凛? 落ち着けよ……そんな時間なんてないだろ? それにーー」

「私は九時までって言ってきた! 九時まで平気なのっ!!」

「な、なんでーー」

「いいんですっ! 先輩がその気なら!!」


 凛はその場で立ち上がると、俺の腕を掴み引っ張る。混んでるって言葉は続ける事は出来ない。ラブホなんてどうせ満室なのに。


「一緒に来てくださいっ!!」


 俺は、声の強さとは裏腹にどこか悲しそうな凛に逆らう事が出来ず、言われるがままに、公園を後にした。



#



 やっぱり私は知りたい!


 やっぱり私は愛されたい!


 先輩は何も分かっていない、私がどんな気持ちでここにいるのかを……


 先輩の言う事は全て正しいのかもしれない。だけど私には当てはまらないのを、先輩は全く分かっていない。


 それが良いって思う子もいるかも知れない。だけど私はそうじゃないんだ。それが先輩には分かっていない。


 私は先輩の腕を掴んだまま、カップルで賑わう街の、大きな道路沿いを進む。この先には下調べ……ううん、教えてもらった場所がある。


「凛? どこ行くんだよ? レストランは公園よりだ、北口にあんまり行っちゃうと……」

「そんな事はわかってますっ!!」


 先輩の言う事は正しい。だけど私にとっては正しくない。


 私は人混みを掻き分け、目的地を目指す。


「くっ……この頃……こっちには……」


 先輩が何かを呟く。だけどもう私は止まらない。元々決めていた事だ。


 先輩が七時までと決めた帰宅時間。私はそれをお母さんには改竄して伝えた。先輩のお母さんには許可を貰っていて先輩の家でクリスマスパーティーをするって、そう嘘をついて……


 あの日の様に……先輩に私を求めて欲しくって……


 だけど先輩は違う。私の事なんか子供扱いして、求めるどころか突き放す。


 私の不安はどうしたら良いの? 私の望みはどうしたら良いの? 私は先輩のなんなの?


 可愛いとか、好きとか、そんなんじゃない……私は確証が欲しい……


 だからこそ危ない橋だって渡った。自己嫌悪と後悔が押し寄せてきても、この日にかけた……


 それなのに先輩は、私にまだ我慢しろって言うの?


「こ、ここは……」


 私には無理だよ……もうちゃんと私を分かってよ……


「知ってるなら分かりますよね?」


 私はもう止まらない……



#



「こ、ここは……」


 俺は凛が進むがままに中心部から外れた、車通りの激しい大通りを進んだ。そしてそこから少しアーケード方面に曲がった先……


「知ってるなら分かりますよね?」


 問いかけられた質問。俺は知っている、だけど何故凛はここを知っているのか? 俺はそっちに意識がとられ戸惑う……


 この廃墟の様な雑居ビルの三階から六階は、レンタルルームと呼ばれ、安い価格でベットと簡易シャワー室があるだけの部屋を、一時間単位で貸し出すと言う部屋だ。年齢制限は無い……


 この時代の俺はここを知らない。この後一年後に俺はここを知り、利用する様になる。そして、ここを教えたのは三番目の彼女……彼女が何度か利用した事があり、俺に教えたんだ。俺はこの場所に寒気が走る。更にその先の未来ではこの施設は閉じられ、カードゲーマーが集う様な場所に改装される。それを知って、俺はホッとしたのだ、こんな子供にとって間違った性の温床となるものが消えた事に。


「凛…………なんでココを知ってる」

「あ…………」


 俯く凛に俺の胸がざわめく。俺は凛が従兄弟と性行為を行った事は知っているが、その他の遍歴は何一つ把握していない。従兄弟とここを利用したのか? それ以外とここを利用したのか? 昔の俺は処女じゃなかったって事だけにプライドを傷付けられ絶望し、凛の過去と真っ当に向き合う事から逃げた。


「使った事……あるのか?」

「う、ううん!! 教えて貰ったの!!」


 必死で否定する凛の顔に嘘は見えない。この世界では俺は凛が経験者だと知らない事になっているはずだ。この反応は、昔とは変わって過去を過ちだと認識していて、俺にはそういう子じゃないって思わられたいからだろう。

 昔の凛はもっと奔放で、下ネタでもなんでもする軽いギャルだった。


「それで? 悪いけどここを使う予算はない」

「わ! 私が持ってるっ!!」


 準備をしていたようだ。だけど俺はそんな気持ちになれない……


 この場所で性的な行為をする事だけは……二度と無理だ。


「ここが何する場所か、わかってるのか?」

「うん……」


 凛のシンプルな返事が、俺の胸に突き刺さる。


 凛があの日以来手を出さない俺に対して、不満なり違和感を覚えてるんじゃ無いかって事は理解してる。それを元に不安を抱えてしまってるんじゃ無いかって事も。だけど、この子は中学生だーー


「先輩……」


(あ……)


 俺は今日一日中、気にも止めてなかった変化にここでようやく気付き、ここ数日頭の隅に追いやっていた思考を動かす。


(何故……………?)


 いつの間にか俺は先輩と呼ばれ、敬語を使われていた。これはどういう事なのか? 俺には検討もつかない。


(ゆきとと呼ばなくなった経緯はなんだ?)


 どうしていつの間にか俺と凛の距離はまた振り出しに戻ったのだろうか。俺はその変化をどうして見落としていたのか?


(そして……どうしてこんなに必死に凛は俺と関係を求める?)


 その答えはたった一つ……あの時と同じステージに上がりたいから。上がらなければ進まないから。


(そこから初めてちゃんと、ゆきとって呼ぶ様になるって事なのか? なら……ここで凛を抱くのが正解なのか?)


 俺はその考えを頭を振って否定する。


(ダメだ。俺たちが責任の取れない子供だからってだけじゃない。俺にはちゃんと未来で出会う家族がいるから……本当に大切で今度こそ失いたくない家族がいるから……だから、イタズラに凛の傷口を広げる様な真似は……)


「ちょっと……先輩!?」

「!!!!」


 不安そうに俺を覗きこむ凛に気付く事無く、俺はここでようやく、自分の中にある矛盾に気が付き、意識を自分の世界へと深く引っ張られると同時に、思考が加速していく……



 それは俺が気付かないよう何かに隠蔽されてたかのように、普通なら直ぐに分かるような矛盾だった。俺は何故これを考える事をしなかったのかすら分からない……


(俺は……いつの間にか、凛と別れると思っている……)


 そう。この間考察するまで気付いていなかった事。俺が凛と付き合っていけば、必然的に俺の後悔は解消される。他と付き合う事はないんだ。


(だけど、俺は何かを変えたとしても、世界や歴史が修正されると最初から考察をして、行動していて……)


 そう、また巡り会えると信じ込んでいたんだ……彼女達に。


 運命が導き、世界は修正され、何があってもまた出会えると……だから凛との未来は変えれないと……


 その身勝手な思考はいったい何処からうまれたのか? それこそ脳裏に刷り込まれたノイズのようだ。同じ人生を歩まなけば後悔するどころか、出会い付き合う事もないのに……


(それなのに……最後の相手を俺は決めていた……)


 そういう事だった。俺は凛を好きになり、ちゃんと付き合っていくと決めておきながら、最後に結ばれる相手が、あの人である事を望んでいた。


 本当ならこのクリスマスも……彼女とまた過ごしたいと……


(だから……本心では世界が修正される事を望んでいるし、世界が変わる事がこんなに怖い……)


 答えが近づいてくる……


(そうだ……俺は凛とちゃんとやり直そうと思った、だけど……)


 だけどそれは俺の脳裏に世界が修正されるという希望が刷り込まれていて……


 運命にはどうせ抗えなくて……


 付き合っていってもどうせ別れるから……


(俺はそう深い部分で思ってたからこそ、そう思えていたんだ……)


 俺はようやく間違いに気付く。


(俺は……あの未来を望むなら凛とは……)


 それに今気付いたとしてもどうなる……今更歴史をなぞって強引に凛と別れるのか? それともこのまま全く違う未来に進むのか? 一番やり直したかった事を諦めるのか? このままこの世界にいられるかも分からないのに?


 答えなど出るわけも無い、出せようはずも無い……それでもーー


「せ、先輩!?」


 冬の寒空の下、吹き出した汗を拭く事も無く、俺は片手で自分の顔を覆った……


 後悔が堰を切ったように俺の胸に溢れる。


(何故あの時ここまでちゃんと考えなかったのか? 何故俺はあそこで考える事を止めてしまったんだ? あの時点でこの矛盾に気がついていれば、俺はどっちを選ぶかを、今日この日に向けてもっと時間をかけて考える事が出来たのに……自分の気持ちの整理が出来たかもしれないのに……)


「だ、大丈夫だ……」

「で、でもっ、凄い顔色ですよ!?」

「ほ、本当に大丈夫だ、それよりもう行こう……ここにいちゃいけない……」

「そ、そんな……」


 いつの間にか掴まれていた俺の服の袖を、凛が強く握りしめるのが伝わる。それでも、俺は脚に力を込めて、いつの間にか寄りかかっていたガードレールから身体を起こし、なるべく人の少ないルートでレストランへ向かおうと歩き出す。


(……だけど、予約の時間まで後どれくらいなんだ?)


 俺は凛が掴んでいない側の手、左手首にある時計を見ようとポケットから引き抜く。


カンッ! カンッ……カン……


「あ……」


 それと同時に、ポケットに入れていたポケベルが地面に落ち転がる。俺はそれを手に取ると、そっちで時間を見ればいいと画面に視線を向ける。


 着信音とパイプすら切ってあったそのそのポケベル画面。そこに書かれていた数字に俺は目を見開くーー


「さ、三十三件……」

「え? どうしたんですか!?」


 大量の着信履歴から伝わる不穏な空気が、俺の胸を不安に掻き立たせる。


「いたっ!! 三嶋!!」

「え!?」


 凛が驚いて声をあげる。俺は呼び止められた事に気付かず、ベルに書かれた文章にひたすら目を通していく。その一つ一つに心臓がはち切れんばかりに高鳴る。


「な、なんで? なんで新城先輩がここに……」

「い、今はそれは置いとけっ!! 三嶋っ!!」

「…………」

「おいっ!! 三嶋っ!! ちょっと話しーー」

「わりぃ……俺行かなくちゃーー」


 真っ白な頭で、俺は走り出す。凛に握られた袖を振り払ってーー


「み、三嶋っ!! 303号室だっ!! 新館の! 救急のあるっ!!」


 俺は答える事も無く、その場を後にしたーー




 

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