塩谷凛 第35話



 雲一つ無い晴れ渡る空は、逆に俺の中の不安の一つを掻き立てる。


 やはり雪が降る気配は無い……


 俺は待ち合わせ場所の橋の上へと二十分程早くて着くと、川の流れとそこを泳ぐ鯉へと視線を向ける。


 今日という日は、俺のこの新しい人生の大きな検証の答えが出る日だ。


(だけど、そういう事を抜きにして俺は凛を喜ばせたい)


 俺はちゃんと自分が恋をして、凛を好きでいる今の自分が好きだった。


 色んな考察とか、どうした方が良いとか考えればキリがないし、そんな事に意識を向けると凛に対して失礼なデートになってしまう。俺は純粋に中学二年生の男子として、今日一日を楽しもうと決めた。


 検証などは結果の出た後でいい。俺は凛と別れる気は無い。どんな事をウジウジ考えてようと、その気持ちだけしっかりと持っていれば恐れる事は本来ないのだ。


 川の鯉は今も悠々と泳いでいる。だけどこの間見たのと同じで、独りぼっちで何処か寂しげでーー


「先輩っ!!」

「ん?」

「はいっ! 絶対降らないよー」


 振り返ると、そこには見た事が無い程着飾った凛の姿。冬用の厚手のコートこそ学校へ行く時と同じダッフルコートだけど、首元や耳元に煌めくアクセサリーや、中に着込んだ肌に吸い付く様な白いニット、黒いタイツをギリギリまで見せる赤く派手な短いスカートは、今日に向けての凛の気合いを感じさせる。俺はそんな彼女の姿に心臓が跳ね上がるような、そんな感覚に見舞われる。


 今日を楽しみにしてくれていた、そんな凛へ愛おしさが込み上げる。


 俺は差し出された折り畳み傘をリュックへとしまう。


「へへ、お待たせしました!」

「いや、まだ五分前だろ?」


 そんな気持ちが膨れ上がる中、俺はその時既に起こっていた変化に気付く事なく、自然に凛の手を掴む。


「いくか?」

「うんっ!!」


 駅までの道のりは長い。俺と凛は勉強の事や、友達とどんな事をしたかなどの世間話を交わしながら、かつて三井や祥子と上った階段を使って坂上へと向かう。


「先輩はやっぱ正志かぁ……」

「その先の進学を考えるなら私立のもっと上を狙っても良いんだけど……家から遠いしな?」

「それはもっと困るっ!!」

「なんでだよ?」

「……私も……今頑張ってるもん」


 そう呟く凛は、俺はもう二度とこの子を手放してはいけないと、そう感じさせた。


「なら一緒に勉強する時間、もっと増やすか?」

「え!? 良いの!? 邪魔にならない??」


 繋いだ手を離し、俺の腕をとって抱きついてくる凛が上目遣いで俺に言質を求める。


「ああ、教える事で復習になる事だってある。俺に気を使う必要はーー」

「ほんと!?」


 言葉を遮る凛の期待に満ちたその顔が、俺にはとても心地良くてーー


「ああ、気を使う必要はお前だけは無いんだよ」

「!! そ、そうだよね!? 私先輩の彼女だもんねっ!!」

「凛だけは特別だよ」


 そんな普通のカップルなら当たり前の提案にすら、凛は不安と疑問を抱いている。


 それは俺を取り巻く他の女子達の影響なのか、それとも別の何かなのか? 


 俺はいつもの様に考察しようとする頭を振り、今を楽しむ事に意識を向ける。凛といる事が楽しくて幸せだと感じられなければ、俺にとってこれから進む未来は幸せとは呼べない。


「凛は可愛いな」

「え? 先輩? なんか言った?」

「カワイイ、そう言ったんだ。俺には勿体無いぐらい可愛い彼女だよ。凛は」

「ご、誤魔化されませんからね! モテモテの先輩っ!!」


 あの幼馴染や元カノの存在は、やはりどうやっても凛にとって不安材料でしか無いのだろう。だからこそ、今日と言う日を俺達にとって素晴らしい日にしないといけない。凛がアイツらがいようといまいと、堂々と俺の彼女としていられるように。


 駅までの平坦な道を手を繋いで歩く俺達は、周りから見たら恥ずかしいぐらいラブラブに映るだろう。思春期の男子なら恥ずかしいと思う、こんなあからさまにイチャイチャした行為を俺は堂々と受け入れる。


 ウブな男子と違って、女の子にとってはこれが至福な時間なのをちゃんと理解しているからだ。


「へへへ〜、嬉しいなぁ……ツリー楽しみだね?」

「そうだな? その前に予約しといた店も楽しみにしててくれよ?」

「うぅーー、なんか大人っぽくてズルい……」

「そんな事ないさ、俺だってドキドキだよ」


 俺達は早目の昼食を自宅で取り、正午丁度に待ち合わせをし、デコレーションされた街でショッピングや、公園を散策した後、五時半に予約した店で食事を取る予定だ。


 実はこの予定を教えろと、前日に電話で言ってきた人物がいる。三井だ。

 だが俺はその予定時間を一時間遅く教えた。確実に邪魔をされると睨んだからだ。俺はそんな回想から意識を戻す。


(シャンパンとかワインがあれば最高だったんだけどな……)


 俺はそんな事をふと思うと、今から向かう街で、かつて毎年恒例となったクリスマスディナーの光景を思い浮かべる。子供が産まれるまで続いた幸せな時間……


 ドレスを着飾り、何時もムスッとした顔で、俺と議論を交わし合ったかつての妻の顔……手にはお気に入りの銘柄のシャンパン……


「先輩? どうしたんですか?」

「あ、あぁ……なんでもない……」

「もぉー、ボーッとしないでくださいね? もう駅着きますよ!」


 俺の手を引き走り出す凛が、俺を現実へと引き戻す。


(……なんだ? これ?)


 胸に突如湧き出る違和感に、俺はそれがなんなのかすら分からず、ただ……胸にシコリとなって残った。



#



 こんな幸せな事があるのだろうか?


「先輩っ! 電車来ましたよ!!」

「少し遅れてるな、クリスマスイブだし混雑したりでダイヤが乱れたのかな」

「もぉーそんな事良いから! 早く乗ろっ」


 先輩は本当に物知りで、大人っぽくて落ち着いてて……かっこいい。


「凛、もう少しこっち来い」

「う、うん……」


 私は吊革を握る先輩に少しだけ身を寄せると、先輩ひそんな私の肩を強く掴んで引き寄せる。


「凛は吊革掴むの辛いだろ? それに次の駅から乗る人増えるから」

「そ、そうだね? 邪魔だもんね?」

「バカ、触られたり痴漢されたらどうすんだ、こうしてればそうそう手は出されないんだよ」


 あぁ……私の事を本当に大切に想ってくれてるんだ……


「凛は可愛いからな?」

「もぉ……」


 嬉しい……だけどこうして電車に乗ったら、どうしても初めて先輩と電車に乗った日の事を思い出す。あの時も優しく守ってくれる先輩に、嬉しさと同時に疑いを持っていた。


(先輩は本当は私の事を好きじゃなくって……別れようとしてるって……)


 今でもまだ少し不安だ……こんなにしてもらってても、どうしても不安は拭えない。


 私自身どうしてそこまで不安なのかは実はハッキリしてない。勿論西野先輩達の所為もある。だけど先輩はちゃんと否定してくれてる。


(……なのに私は……)


 先輩に隠れてやっている事は、その不安の現れで、少しでも安心したいと思ってした事で……


「着いたぞ、ちゃんと着いてきてな」

「あ、うん」


 手を引かれて降りたホームには、歩く隙間も無い程に混雑してる。殆どがカップルだ……


「私達もちゃんとカップルに見えるかな?」

「どうだろな……」

「えーー」

「俺が凛に釣り合えてるかどうか……」

「ちょっとっ! もうっ!!」


 ニコッと優しい笑顔を浮かべ、先輩がそんな冗談を言ってくる。私は掴んだ手に爪を立てる。


「わ、悪かったよ! 痛いって!」

「次そんな事言ったら血が出るまでやりますよ!」

「わ、わかったって」


 こんなお茶目な先輩とのやりとりも、私は大好きだ。私には先輩の嫌いなところなんて全然無い。


(だけど……一つだけ……)


 それを今日こそ解消するんだ。


 それさえ無くなれば、私の中の不安がまとめてきっと全て消え去るはず。


「おぉ〜〜、デカいなぁ」


 改札を出て階段を降りると、先輩がそんな声を上げる。私は先輩の斜め後ろから身を乗り出すと、先輩が声を上げた理由が目に入る。


「うわぁーー! 本当だぁおっきくて綺麗〜〜」

「すごいな、これがライトアップされるのか」

「うん! ちょっと人は多すぎだけど、絶対見たい!!」

「まぁ、ここらで一番人気だしな」 


 そう言う先輩の嬉しそうな横顔に、少しだけ罪悪感を覚える。


 私は一昨日、この街に買い物に来て、遠目だけどこのツリーを視覚に入れてしまった。急いで視線を外して、見ないようにしたけど……


(今と同じで昼だし、光ってるのじゃないし……)


 私はその罪悪感に蓋をするように、そう言い訳をすると、一昨日の事を頭から切り捨てた。


「さぁ行こう、商店街の中も色々クリスマス仕様になってるはずだ。ついでに何か欲しいものがあったら見て回ろう」

「う、うん!」


 大丈夫。顔には出てないはず……


「ほらーー」


 差し出された手。素直に飛び付く事が何故か躊躇われる……


「う、うん」


 この間先輩達の事なんて考えて卑屈になったからなのか、一昨日の自分への後悔なのか、信頼しきれなかった事への申し訳なさなのか……


 私の中にある、ズルい心の所為なのか……


「さぁ行くぞ、まずどこが見たい?」

「え、あ……あっ! 靴っ! 靴が見たい!」

「あぁ、地元はまともなの無いもんな?」

「そう! 可愛いのとか部活で使うのもみたい!」

「うーーん、じゃああそこらへんかな?」


 先輩は躊躇う私に気付く事なく、辿々しく差し出した私の手を掴んで歩きだす。その力強さに、さっきまでの自己嫌悪を捨て去り、私は先輩にまた心を奪われた。

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