塩谷凛 第29話
期末試験まで後二日。
俺は一人、自室にて教科書とノートを広げ学問に勤しむ。今日は無心で一日中勉強をすると心に誓いを立てている。
以前とは変わり、綺麗に整頓された部屋。飾ってたアイドルやヤンキー物のポスターなどは全て剥がされ、好きだったイギリスやアメリカのアーティストのポスターや、CDジャケットが壁を飾っている。洒落ぶった観葉植物は部屋から消え、今は可愛らしいウチワサボテンが、カーテンの横で窓からの日光を浴びている。
「平和だ……これが学生のあるべき姿だ……」
バシンッ!!
「このバカっ!!なんで迎えに来ないのよっ!!」
「何度もチャイム鳴らしたのよ? 弟君がビクビクして、なんか可哀想だったじゃない」
平和とは常に壊れるものだ。いつの世もそれを乱す人間の手によって……俺は後頭部に強い衝撃を受けるも、それを黙って受け流す。
「へーー、なんか思ってたよりオシャレじゃん?」
「フンっ! なんか、ぶってて鼻につくわ!」
俺はそんな襲撃者達に構わず、ペンを走らせる。
バシンッ!
「お茶ぐらい出しなさいよっ!!」
二発目の頭への打撃で、せっかく覚えた単語が何個か消えてしまった……気がする。
「あ、アタシ行ってこようか? 場所は弟君に聞くよー、お母さんまだ帰ってないんでしょ?」
「あっ!! ちょっと抜け駆けしないでよ!!私が行くわよっ!」
「何よ、抜け駆けって……陽子、アンタもう隠す気無いでしょ?」
「な、なんの事よっ!! 三嶋家探索の事よっ!!」
「無理あるぅ……」
「……俺が行く……」
俺は立ち上がると、扉を開けその場を立ち去ろうとする。健にこれ以上こんな凶悪な連中の相手をさせる訳にはいかない。
「ねぇ、こっちじゃ無い?」
「えーー、そんな古典的な場所かなぁ、アタシはこっちが怪しいとーー」
「お! おい!! 何してる!! やめろっ!! 勝手に触るなっ!!」
勝手にベットの下や、衣類が入った引き出しを漁る二人に、無心を貫くと誓った決心が早速壊される。
「はぁ……お前ら勉強しに来たんだろ? さっさと座って教科書広げろよ……」
「何よ、けち臭い事言ってないで、お前こそさっさと飲み物持ってきなさいよ!」
「うぐ……」
「もぉー、あんまり幸人を虐めないでよぉ。ほらちゃんと見張ってあげるから行ってきなー」
「むぅーーー、祥子! 何よその態度っ!!」
「はいはい、ほら座ろうね〜〜」
最早嵐だ。恐怖しかない……俺の平和な世界は崩れ去った……
俺は一階に下りると、階段の下で半身を隠して震える可愛い弟を見つけた。
「す、すまん……」
「お、お兄ちゃん大丈夫?」
「ダイジョバナイ」
「ひぃ! お兄ちゃんが壊れてるっ!!」
俺は台所で冷蔵庫を開くと、お袋が用意してくれてたらしい、1.5リットルの紅茶のペットボトルを取り出し、客用のプラスティックのコップを三つ用意して逆さにし、ペットボトルにかぶせる。
「お母さんがこれ渡せって」
「ああ、小分けのチョコか。サンキュー」
健からお菓子を受け取ると、俺は大きく深呼吸をして、居間を出る。
「頑張れっ! 兄ちゃん!!」
弟の応援にお菓子を持った手を振って応えると、俺は再び戦場へと向かうため、階段を上り出した。
#
「だからそれはXを……」
「あーーうっさい!! そんなの分かってんのよ!!「
「えーー、幸人ぉなんでこれバツなのぉ?」
「だからそれは疑問系だからぁ……こうなるんだって……」
「ちょっと! 祥子からもっと離れなさいよっ!! この猿っ!!」
「ねぇ〜、ここももう一度教えてよぉ」
地獄だ……
教わろうと持ってきた教科はバラバラだわ、一人は間違えてるのにキレるし、一人は同じ所を何度も間違っては甘えてくる……
「……凛達に教えた時と天と地の差だ……」
「ちょっと何よ! なんか文句あんの!?」
「もぉ、分かったからぁ〜、ちゃんとやるって〜」
「ほら! 続き教えなさいよっ! 試験範囲まだ先まででしょ!」
俺はこの状況に絶望感を感じ、頭を抱えてうずくまる。
そんな俺の背中をさする祥子と、頭をペチペチと叩く陽子……
俺にとって初恋の相手と、一度別れた元カノみたいな存在に、この世界でここまで苦しめらるなんて、やり直した当初は全く想像していなかった。過ちを正し、後悔を打ち消す為に初めたリスタート。
その後、凛に恋をして、今度は素直に真っ直ぐに生きよう。このリスタートをフラットにやり直そうと考えを改めて過ごした今日まで。
感傷に浸る事すら出来なくなったトラブルばかりの毎日。それは俺の以前の人生で、一度壊れてしまった心にとって良い事なのか悪い事なのかは分からない。
だけど、俺はこの体に引きずられる様に自分の感覚や感情といった心の部分が、傷付く前に若返っている様な気がする。嫌なものを嫌と感じ、大した事じゃなくても楽しめ、そんなもんだって分かってる事でも傷つく。
この二人への気持ちだって同じだ。ツンが激し過ぎるハリセンボンのようなツンデレ幼馴染には、最早逆らう気も起きない。直ぐに色気を振りまいて魅了しようとするサッキュバスの様な元カノには、若い体が反応し過ぎて本当に困る。
客観的に、俯瞰的に一歩引いて物事を捉える俺にとって、直感的に突発的にこういう感情が芽生え、その場で右往左往するなんて昔じゃ考えられない。それは俺の変化なのか、コイツらが常軌を逸してヤバいのか……
以前大人だった俺は、過去に戻れたらなんでも上手くやれると思っていた。だけど今は違う。思春期の子供達の行動など、制御できる訳なかったのだ。そう、やつらは最早モンスターだ……
コンコン
「あ、なに?」
「幸人〜? お菓子足りた? シュークリーム買ってきたけど」
「あ、あぁ今開ける」
ズサァアア!!
「……ん?」
何か地面を引きずる音がした。俺はドアの前で後ろを振り返ると、そこには先程までとうって変わってキチンと正座をして身だしなみを整える二人の姿が……
「……最初からそうしててくれよ……」
「ふんっ!」
「うふっ」
ガチャ
「ありがとう、母さん」
「だ、大丈夫?」
お袋はそう俺にだけ聞こえる小さな声で、俺の無事を確認してきた。
「あ、ああ……地獄だがなんとか」
「あぁ、無理しないでね? お母さんもう行くわ……」
そそくさと、その場から逃げ去ろうとする、冷たい母。だがモンスター達はそんな事は許さないーー
「あ、あの! お邪魔していますっ!! お久しぶりですお義母さま!! 西野陽子です!」
誰がお義母さまだ……呼び方のニュアンスでどんな漢字を使っているのかハッキリ分かる。
「あ、あのっ! 初めまして!! 同じクラスの伊東祥子って言います!! これからちょくちょく来ると思うのでよろしくお願いします!!」
ちょくちょく来られてたまるか……こっちも本当凄い……一息で言い切りやがった。絶対練習したとしか思えない。
「え、ええ……こんにちは。ゆ、幸人とこれからも仲良くしてあげて? ね?」
お袋もなんとか引き攣りながらも、二人に笑顔を返した。
「はいっ!! 幼稚園からの仲ですから!! 幼馴染として今まで通り仲良くしますっ!!」
「うっ……」
お袋が後ずさる。恐らく俺を虐めていたのを、これからずっと変わらず続ける宣言だと取ったのだろう……
「うふふ、大丈夫ですよ? お義母さま。 私がちゃんと側でお守りしますから」
西野の勢いを見て方針転換したのか、お淑やかに祥子がお袋に声を掛けた。コイツの使ってる漢字のもきっと西野と同じだろう。
「あ、ありがとうね? じゃ、じゃあゆっくりしてってね?」
「「はいっ」」
ドアを閉めると、部屋の外でお袋の盛大なため息が聞こえる。すまない……
「はぁ……ほれ、食え……」
「やったぁ!!」
「お義母さん綺麗な人だったなぁ、どことなく幸人に似てるって言うか……」
「そうか? 俺はどっちかと言うと親父似だぞ?」
「ほうね、ぼっちはといへば……ゴクッ、でもお義母さんとも似てるわよ」
「食うか話すかどっちかにしろよ……」
俺も自分の分の袋を開けると、シュークリームを口に頬張る。駅前にあるそこそこ良い店のシュークリームだ。恐らく陽子を警戒して、せめて良いものを与えて機嫌を良くさせようと思ったのだろう。
「陽子、お前さ……幼稚園の頃の記憶ってあるか?」
「うーーん、あんま無いわね? なんでよ?」
「いや、覚えてないんなら良いわ……」
「ちょっと何よっ!! 気になるじゃ無い!!」
「あーアタシもちょっと気になる〜〜、教えてよ、幸人!」
二人はシュークリーム片手に俺に向かって乗り出してくる。二人揃って口元にクリームをシッカリと付けて……
「……俺は転入してきた余所者だっただろ? それを面白がってなのか、不愉快だったのか虐めてたやつがいたんだと」
「えーー何それ、ちょっと酷くない? 幸人可哀想…….」
「う〜〜ん…….そんな子いたかなぁ。みんな仲良しだったような……」
「お袋はそれをとても警戒し、こんな高級シュークリームを用意した……」
「あっ!!」
「へっ?」
合点がいった祥子は、口を抑えて身体をくの字に曲げ、震えながら笑いを堪えだした。
陽子はなんの事か全然分かっていない様に、口元に指を当てて、視線を天井に向けて何度も首を捻っている。俺はそのポーズに、可愛さ半分憎たらしさ半分でジトっとした視線を送る。
「ねぇ、謎々はいいわよ! そんな子絶対いなかったわ!! みんな優しくて仲良しだったもんっ!!」
「…………」
俺はそんなバカな幼馴染に指を向ける。
「へっ?」
そしてその指をゆっくりと陽子の口元についたクリームに進める。
「ちょっ……な、なに!?」
俺は指でクリームを取ると、一気に陽子の口に突っ込んだ!
「お前だ、お前! お前が犯人だっ!!」
「むぐうっうう、うううう!」
俺の指を口に突っ込んだまま、何か喋ろうとする陽子から俺は指を引っこ抜く。
「ちょっ! なにするのよっ!!」
「クリームが付いてたんだよ、このイジメっ子が」
「わ、わたしぃーー!?」
「そうだ、お前だよ。お袋はそれを心配してたのに、今まで通り仲良くとか言うから、余計に心配してたじゃねぇか」
「うそよっ! そんなはずないもんっ!!」
「イジメとは、虐めてる側に虐めてるという意識は無いもんだ」
「うっ!!」
胸を押さえて、今度は陽子がくの字曲がり、おでこをテーブルに打ち付けそのまま固まる。
「……幸人? アンタ今陽子に何してた?」
「へ?」
「私には? 私には無いの?」
「な、何をだよ……」
「とぼけないでよっ!! クリームをアーンしてたじゃない!!」
「なんだよ、そんな事かよ……」
俺は体制を祥子に向けると、手を伸ばして祥子の口元のクリームを取って、そのまま自分の口に運んだ。
「はへっ!?」
「あへっ!?」
二人から素っ頓狂な声が漏れる……
「な、なんだよ? これで良いんだろ?」
「フシューーーー」
「ちょちょちょちょちょっ! 私と違うしっ!!」
「どっちでも同じだろ?」
「ちっ! ちがうわよっ!!」
頭から湯気を吹き出し、白目を剥く祥子と、真っ赤な顔で捲し立ててくる陽子に、俺は冷静に対処する。
「普通はこっちだろ? お前にやった方はイレギュラーだ。こんなのどっちも変わんないし、そこまで慌てる事じゃないだろ」
「な、なななな……」
「あ、アンタ……マジ?」
「お前ら気にしすぎなんだよ、三井なんて堂々と俺の口つけたコーヒー飲んでたじゃねぇか」
陽子突然グリンっと、祥子に視線を向ける。その視線に祥子はソッと頷いて返す。
流石に俺も気づいている。面白がって勢いでやってしまったミスに。
これくらいの子供が間接キスとかを気にする事になんてわかってる。勿論あの日、三井がなんであんな行動取ったのかだって少し考えて想像はついた。だが、これ以上俺に恋愛事にさけるソリースは無い。アイツとは仲のいい女友達として付き合っていくつもりだ。
そう、俺は今とぼけているのだ。もうここまでくるととぼけるしかないのだ。
「ほら、サッサと食えよ。続きやるぞ? 俺だって自分の勉強したいんだ」
「うぅ……なんかズルい……」
「アタシ、あっちもして欲しい……」
お互いを恨めしがる二人を放置して、俺は俺で勉強を再開する。正志は都立の中では最難関の高校だ。偏差値も七十以上ある。
公務員か、両親と同じ銀行員辺りに腰を落ち着かせたい。俺は参考書を片手に、兄貴の部屋から拝借した三年の教科書に手をつける。
ピンポーン
「ん? こんな時間に客か?」
「アタシ出ようか?」
「なんでよっ!!」
「だって、三嶋ですーって言ってみたいじゃん?」
「はぁあ!? それなら私が出るわよっ!!」
「お、おいっ!! やめっーー」
俺はバカな事をしようと立ち上がった二人を止めようと、必死で手を伸ばしてなんとかスカートを掴む。
「ちょっ! なにすんのよ!! エッチっ!!」
「幸人!? 今日は陽子がいるからダメだって!」
「お前らマジでやめろって!!」
二人はスカートを引っ張って、俺を引き離そうと必死だ……
「ちょっ! 離しなさいよっ!! 脱げちゃう!」
「もぉ〜、陽子帰してからにしなよぉーー」
「お、お前らいい加減にーー」
ガチャ……
「「「へっ?」」」
「何してるんですか……先輩……」
「おっ! 盛り上がってんなぁ!! 修羅場かぁ?」
「へぇ〜〜、光一君以外の男子の部屋はじめてぇ〜」
「に、兄ちゃぁぁぁん……」
健よ……泣きたいのは兄ちゃんの方だ……
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