塩谷凛 第28話
「ねぇ、陽子となんかあった?」
「ん? 何でだよ?」
「だっておかしいじゃない! あんなに上機嫌で手まで振って見送ってさ」
俺は祥子と一定の距離を取って、夕暮れの帰り道を進む。時折詰めてくる距離に対して、俺は気付かれない様にソッと離れる。その繰り返しだ。
「まぁ……ちょっとだけ折れてやったんだよ」
「何をよ?」
「明日、勉強教えて欲しいんだとさ」
「はぁ!? ちょっと待ってよ! 何でそんな事になってんのよ!!」
「さぁな……って、あぁ……前に凛達に勉強教えたのとか聞いたのかな……」
中間テストの後の勉強会。あの日にいたメンツを思い浮かべる。あの頃はまだ、加賀谷とこんな状況になるなんて思ってもいなかった。隣りにいる祥子と加賀谷の関係は、きっともう修復は不可能だろう。
「ふーーん、で? 他のメンツは?」
「いないけど……」
「!? ちょっと!! ふ、二人きりって事!?」
せっかくバランスを保っていた距離を、祥子は一気に詰め、俺の腕に抱きつく。俺はそれを抜こうと力を入れるも、しっかり腕と小さな胸にホールドされ引き離せない……
「おい……離してくれよ……当たってるぞ」
「エッチ、変態」
「なら、離してくれ。凛に怒られる」
「さっさと振られちゃえば良いのよ」
「はぁ……」
俺達は坂上に向かう為、この間事件の起きた階段を上る。しがみつかれた状態でここを上るのは二度目……彼女でも無いのと二回も、上りにくい状態でここにくる事になるとは。
「あ! アンタ話し逸らしたでしょ? 陽子よ! 陽子!!」
「別に……勉強教えるだけだろ? 他に何する訳じゃないんだし……」
「ちょっ! 何ってなによ!」
これが凛に問い詰められてるのならちゃんと弁明はするが、彼女でもない祥子に対して、そんな努力をするモチベーションは無い。
それに、俺の中に残った不安への恐怖が未だ自分の心に重しの様にのしかかっている。
「はぁ、じゃあ仕方ないわね……アタシも行くわ」
「ーーへ?」
「アタシも行くって言ってんのよ」
「はぁ? お前部活じゃないのかよ」
「明日は今日と逆で、ウチの部も使えないのよ、コート」
「…………」
「だから……ほんとは明日は早く一緒に帰ってさ……ウチで〜とか…….思ってたのにさ……」
これはマズイだろう。流石に凛にマトモに伝えれない。ただでさえ関係が気まずくなりかけているのに。俺は階段を上る速度を弱め、時間を稼ぐ。
「な、なぁ祥子? 流石にそれはマズイよ……凛が絶対嫌がる」
「なんでよ! 陽子が良いならアタシだって良いでしょ!? それにそっちの方がアタシ的には好都合だし」
「好都合ってなんだよ、俺の不幸が好都合なのか?」
「何言ってんのよ? 不幸じゃないじゃない。アンタ言ったわよね? 次に付き合うのは誰かって」
「う…………」
「ならサッサと次行けばいいじゃん?」
祥子はそう言うと俺の腕を離し、一歩、二歩、三歩と、ケンケンをするかの様に飛び跳ねながら先へ上る。そしてーー
「しょ、祥子! あ、アレはーー」
「早く見たいんでしょ?」
「うっ……」
スカートを、まるでダンスで挨拶をするかの様に、両手でつまんで捲し上げる祥子。俺はそのギリギリのラインに視線を奪われる……
「後ちょっとだよ?」
俺はその祥子の言葉に、心臓がはち切れる様な強い衝撃を受ける。進む先にある新しい想いが、まるで未来から手を差し出してきているかの様だった。
「ほら、行こっ! 明日、アタシ幸人のお母さんとかにちゃんと挨拶出来るかなぁ〜〜」
「お、お前……待てって!!」
振り返って先に進む祥子の揺れるスカートから見える、薄グリーンの下着に一瞬だけ脚が止まるも、俺は頭を振って彼女を追いかけた。
#
夜の食卓、今日はハンバーグだった。健がリクエストでもしたのだろう。俺は手早く食事を済ますと、お袋に声を掛ける。
「なぁ、母さん」
「ん? なに〜〜?」
台所で片付ける手を止める事なく、お袋が呼びかけに応える。
「明日、また友達に勉強教えるから」
「へ〜、友達ねぇ? 凛ちゃんじゃないの?」
「凛は明日は部活だ。西野と伊東って女子二人だ」
「はいっ??」
バシャン!
「お、おい、なんか落としたぞ」
「あ、ああ大丈夫よ、湯呑みが水に浸かり直しただけ」
お袋はそう言うと、エプロンで手を拭きながら、台所から出てくる。
「あんたそれ大丈夫なの? 凛ちゃん知ってるの?」
「いや、今から電話する。だから子機借りるよ」
「そりゃ良いけど……西野さんってあの西野さんよね?」
「ん? あぁ幼稚園から一緒の西野だよ」
お袋は怪訝な表情で、俺を覗き込む。
「また……虐められてるの?」
「そ、そんな事無いよ?」
「だってぇ、あなたチビの頃良く虐められてたのよ? 覚えてない?」
「うーん……まぁほんのりと」
「気を付けなさいね? なんかあったら呼ぶのよ?」
「あ、ああ……」
既に陽子のイメージは最悪だった。確かになんか転園したばっかの頃とか泣かされたような……なんか投げられたり……
(不幸な記憶を封印したのか? 俺は……)
そう考えると、ますます何故初恋だと俺は思っていたのか? 恐らく封印された記憶の奥に、何か別の思い出があったんじゃないだろうか? 今の俺では思い出せなくとも、この当時の俺の記憶にはきっとそれがあって……
(偽物と言われても仕方がないな……)
俺はそんな事を思いながら、子機を取ると二階へと上がる。
(気が重いな……)
凛はどう思うだろうか? そんなのは分かりきっている。許しが出なければ明日は教室を使うとか、図書館に行くとか、別の手を考えなければいけない。
俺は子機を使い、未だ慣れない手付きで凛のポケベルにメッセージを送る。
数分程経って、俺のベルにメッセージが返ってくる。
イマナラヘイキ
俺は子機に凛の自宅の電話番号を打ち込む。お袋にはクリスマスプレゼントにPHSを頼んである。それが届いたらもう少しやり取りはスムーズになるだろう。
『もしもし? 塩谷です』
「凛か? 俺だ、三嶋だ」
耳元で凛の吐息と可愛らしい声が、俺の胸をくすぐる。
『嬉しい……先輩から電話くれるなんて』
「そうか? 別に言ってくれればかけたけど?」
『そういうんじゃなくって、もう……バカ』
俺の気持ちって事か……確かに俺から話したいって言った事はあまり無い。
「悪いな、今度からマメに連絡するよ。ピッチももう直ぐ手に入るし」
『ぴっち?』
「あ、あぁ…………PHSな? そういう呼び方になるってどっかで聞いて……」
しくじった。このタイミングではまだそういう略語は流行ってなかった。
「と、取り敢えずそれがあれば直ぐベルにも打ち込めるからさ」
『へーー、良いなぁ……先輩って本当流行りに強いよね?』
「まぁ、兄貴の影響かな?」
取り敢えずそれを貫こう。俺は凛との雑談から頭を切り替え、気が重い本題に入る。
「あ、あのな? 明日なんだけどさ、バスケとかバドは自主練で自由参加だろ?」
『うん、今日と逆だよね』
「それで…….な? に、西野と伊東が勉強教えろって」
『は? ……なんで……なんで先輩がそんな事しなきゃいけないの……』
「いや……俺もそう思って断ったんだけど……強引でさ……」
『嫌……絶対嫌……』
「凛……悪いと思ってる。本当ごめん、だけどお袋にももう言っちゃたから……」
『なんでっ! なんで先に言うんですかっ!! 私に聞いてから言えばよかったじゃないですかっ!!』
「り、凛……」
その通りだ……この件を俺は凛に我慢させる前提で、通すものとしてここまで行動した。視聴覚室の社会の授業の後にだって、その後の空き時間だって、凛の教室に行けば良かった。
『おかしいですよっ最近の先輩っ!! あんなに西野先輩達に関わって!! 私よりあの人達の方が大事なんですかっ!! 好きなんですかっ!!』
「そ、そんな訳無いだろっ!! ただ、歴……よ、予定がおかしく……て」
『なんですかそれ!? だいたい西野先輩ですよっ!! 幼馴染ぶって先輩にあんなチョッカイ出してっ!!』
凛の大きな叫び声が、電話口から溢れ出て、室内いっぱいに広がる。
「ま、待てよ凛……本当に西野だけは予定外なんだ……アイツが俺にこんな風になるなんて全然予想出来てないくって」
『私……知ってるんですよっ!!』
「ーーえ?」
何をだ? 俺の初恋相手って事か? 五年の時の出来事か?
『一年の生徒で噂になったんでから……私は二股されてるって、みんなに同情されて……』
分からない……アイツと帰った時を見られてた? それともその前の日の交差点?
『先輩が……西野先輩と手を繋いで、一年の廊下を走ってたって……』
「うっ……それか……」
『言い逃れ出来ませんよねっ!! みんな見てたんですっ!! 私、それもずっと不安材料になってて……』
そうか、それも凛の明るさを奪った原因だったのか。俺はそんな事は何一つ知らなかった。少しだけ息を整えると、声色を整える。
「凛? ちゃんと話すから落ち着いて聞いて? それと、俺が今本当に好きなのは凛だけだから、それだけはちゃんと信じて」
『せ、先輩……』
俺はゆっくりと、丁寧に、優しく……あの日の事を凛に話した。かい摘む事もせず、思い出せる限り詳細に。
「ーー凛には心配かけたくなかったんだ、だけどそれをずっと気にさせてたんだな。本当に悪かった。ごめんよ」
『う、ううん……私こそ嫉妬しちゃって……先輩大変な目にばっかあってたのに、それも知らないで……本当に私子供みたい……」
ようやく落ち着いた凛が、自己嫌悪を始める。俺は凛にそんな風に思って欲しくて話をした訳じゃない。
「凛? そんな風に言わないで? いつもみたいに明るくて元気で可愛い凛でいて。俺がアイツらに絡まれてるのが悪いんだしさ」
『先輩……』
「本当にアイツらの事を好きとか、付き合いたいとか思ってないよ。俺は凛とこれからもずっと付き合っていきたい。電話で悪いけど、これが本心だから、それだけは信じて」
『…………ほんと?』
「あぁ、本当だ。アイツらは俺と凛が別れると思って行動してる。だからそれに振り回されて俺達が別れようものなら、それこそバカみたいじゃないか?」
『うん……でもさ……なんで別れるって思ってるの?』
俺は少し言葉に詰まる……因果的ななにかとかなんて話せる訳もないし、新城との事を知った事を正直に話しても良いが、まるで俺が嫉妬してるかの様な話に聞こえかねない。だけど、今日自分を襲った不安が胸に再び押し寄せ、そんなプライドを切り捨てて口を開かせる……
「三井から聞いたよ……夏休み前の事」
『!?』
電話口の吐息から動揺が伝わる。そんな凛に気付き、俺はのまれかけていた自分の不安に抗う様に、自分の太腿をつねりあげる。
「ちょっとビックリしたけど、それはもう良いんだ。俺は凛を信じるって決めたから」
『あ…………』
「でも、そういう事だよ。あの二人が俺が振られるって思ってるのは」
『……ズルいよ、そんなの言われたら……私だって信じるしかないじゃん』
「そ、そんなつもりで言ったんじゃないよ」
「…………」
無言の時間は、体感より長く感じる。俺は電話の向こうで、凛が何かを操作してる様に感じた。
『……良いよ、勉強会』
「凛……」
『私も信じる…….』
俺は胸を撫で下ろす。決して勉強会がしたい訳じゃないが、あの二人を言い包める自身が無い。
「幸人ーー、いつまで話してんのよーそろそろ返してー」
「あーーわかった、待って」
ドアの向こうからお袋のせっつく声が聞こえてくる。俺は受話器から顔を離して、それに応えると、凛との会話に戻る。
「悪い、お袋が返せってさ。また明日連絡するよ」
『うん、わかった。また明日ね?』
「あぁ、また明日。おやすみ凛」
『おやすみ、先輩』
こうして、俺は長い長い電話を切ると、受話器を持ち上げ続けていた腕を回して、ホッとため息を吐いた。
「ちょっとぉ! まだぁ!!」
ガチャ!!
「あ……ごめんなさい」
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