塩谷凛 第17話
この世界がどうだとか、やり直しとか間違いとか、そんなものはもうどうでも良かった。
一人の人生を左右する可能性を秘めた恋愛とすいうもの。SEXはその象徴たる子共を産み落とす為の行為。
本来ならその覚悟を持って、その行為に至らないといけない。だが、所詮はそれは後付けの理屈であって、動物的本能の前ではくだらない建前でしかない。
子孫を残したいからしたい、その衝動という物は男子だろうと女子だろうと、理性を越えて人を突き動かす。
かつてそれに翻弄された身だからこそ、それが謙虚に分かる。経験や知識、道徳や理性を育む前に、その衝動にのまれた人間は必ず痛い目にあう。
(だけど、今の俺の精神は大人だ。体の起こす幻にのまれる事は無い……)
そう信じたい……だけど現実はどうだろうか? 俺はちゃんとこの肉体が求める本能を抑える事が出来るだろうか。
正しく行動出来るのだろうか……
(大丈夫……今度こそちゃんと向き合うんだ)
そう、今後こそちゃんと人を好きになりたい。肉体の求める欲や弱く醜い感情に振り回されずに、この愛おしいと感じる気持ちだけを大切にしながら……
ここからが本当のリスタートだーー
#
「じゃあまた明日な」
「うんっ!!」
そう答えると、橋の上で凛は目をつぶって唇を突き出す。
俺はそれをちゃんと察して期待に応える。もう女の子に恥をかかす事なんてしない。
「……嬉しいな」
「ばか、早く行け、お母さん心配するぞ」
「うんっ!!」
駆け出す自分の彼女の背を、月明かりの下で見送る。秋の心地良い風の元で俺は少しだけ熱を冷まそうと橋の欄干に肘をつけ、川の流れを見つめる。
この川は小さな丘陵を源流とする小さな川で、一級河川と銘はうたれてるが直ぐに枯れたり増水したりする様な不安定で小さな川だ。丘陵の落差は湧水となってこの川の水量を支える。武蔵野の平野を坂上と坂下に分けるその丘陵はこの街である意味格差をうんでいる。俺は坂下の人間で駅からも遠く、栄えてる坂上の人間達への嫉妬すらあった。
(今は全く無いけどな……)
子供達の事を考えて買った家はこの環境に近く、自然の多い場所だった。二人目も男の子だと分かった時、身体を思いっきり動かして自然と触れ合って育ってほしい。俺はそう思ってあの家を買った。
それは田舎出身の俺の両親も同じだったんだろう。俺達兄弟を思ってここに移住したんだ。
今ではこの川があり、自然豊かな坂下の方が魅力を感じる。両親の配慮に素直に感謝の念を抱ける。
俺はこの川で泳ぐ一匹の鯉へと目を向ける。
俺はこの川のとても不安定な在り方は、何処か人間の世界に似てる気がする。天候という抗えない環境によって細くも太くも浅くも深くもなり、時に蛇行し形を変えながらも海へと向かって流れ続ける。
そしてそこで泳ぐ鯉を人と置き換えてみる。変化する川の中で、時に流され、時に抗い、時に一匹で、時に群れを作り、泳ぎ続ける。
増水して流されれば、目的と違う場所に行ってしまうかもしれない。蛇行する伏流に入れば本流に戻れなくなるかもれない。川が枯れれば死ぬ事だってあるだろう。己の力など、その環境と言う大きな力の前では無力だ。
俺の一度目の人生は、例えるなら群れから離れた結果、激流にのまれて体を打ちつけて息絶えたって所だろうか。
(可哀想なヤツ……)
単独で泳ぐ一匹の鯉に、昔の自分を重ねるかのごとく、俺はその鯉の生が幸福なものであってほしいと願う。
「ーー三嶋」
「え?」
突然かけられた声に俺は感傷から引き戻された。その声はどこか懐かしいような、初めて聞くようなそんな印象を俺に与える。
『本当にこれでいいの?』
問いかけられた言葉の意味に戸惑う。だけどその問いは、俺が俺に常に向けてた疑念と同じものでーー
「な、なんでお前がそれを聞くんだ?」
「…………」
彼女は無言で俺に背を向ける。その背中にも俺はさっきと同じ様な既視感を覚えるも、思い出す事が出来ない。俺はそんな彼女から再び川の流れに視線を戻すと、いつの間にか昇っていた月が水面に映っていた。
この場所に突然現れ、不自然な質問を投げかけてきたこの幼馴染……
「西野……お前はーー」
言葉をかけようと振り向くも、そこには彼女の姿はもう無かった……
「これはどういう…………」
忽然と消えた彼女の姿、俺の胸が不安に締め付けられる。この世界で変わってく歴史に対しても不安はあるが、それは意外と前向きな気持ちでかき消す事が出来ている。それは俺が一度、波瀾万丈な人生をなんとか乗り越えてきたからだ。
だけど、この不安はまた別だ。なにか俺のこの新しい人生を根こそぎ変えてしまう様な……俺がこれから後悔無く生きようとしても、それは叶わないのじゃ無いかと、そう思わせる何か……
「……明日にでも、さっきのはなんなのか聞くか」
俺は一人そう呟くと、家路へとついた。
#
新しい人生、その始まり。俺はこの新しい生をフラットに、純粋にやり直すと決めた。その為に不安材料は潰していかないといけない。
「だけど無理だろこれ……」
給食を席で黙々と食べ終わると、四階に向かう山中や加賀谷を見送り、俺は女子グループが談笑してる教室の中央に目を向ける。
そこには目当ての西野や伊東などのいつものグループメンバーの他に委員長の中西や鈴宮などの真面目グループなども混ざって大所帯になっていた。
俺の学年は男女の交流がとても少なく、男子は男子、女子は女子で行動する事が殆どで、男女が入り混じったグループは皆無だ。息子達の学生生活では男女が入り混じるなんて普通だったし、二人とも女の子の友達も混ぜて家に連れてきたりもしていた。こういうのもやはり時代の違いなのだろうか。
ただ、俺はこうも考えている。情報過多な未来と違い、この時代の男女は純粋で異性という未知なものに対して、過敏に反応しているんだろうと。未来でそれは、自意識過剰で意識し過ぎな行為であって逆にカッコ悪いとか、恥ずかしいとなる行為なのだが、そんな客観的な情報など無いし、誰もがこれが普通だと信じている。
俺が何故そんなどうでも良い事を空を眺めながら考えてるかと言うと……要は動けないのだ。
西野に接触を試みようと朝からチャンスを伺っていたのだが、そもそも接点が無い。そしてあのグループ行動。あんな中に切り込んで声を掛けようものなら、この時代の男女は必ず勘違いをする。それは凛という彼女持ちの俺には致命的だ。
そう、決して俺が西野に話しかけるのが恥ずかしいとかなどでは無いのだ。
(今日は部活だ。同じバスケ部だし、終わった後に声を掛けよう)
そう決めると、視線を校庭へと移す。午後から体育なのだろか、一年の女子が体操服でぞろぞろと外に出てくる。俺はその中で一際目立つ髪色で、少し焼けた小麦色の肌の女の子をジッと見つめる。
(凛だ……)
自分の彼女の体操服姿を見て、少しニヤける。すると向こうも視線に気付いたのだろうか、俺の方に体を傾け、両手をバンザイしてぴょんぴょん飛び跳ねている。とても可愛いし、どうしても揺れる体操服に注目してしまう。彼女は確かBカップあるか無いかぐらいなので、あの揺れは体操服のたわみの揺れでしか無いのだが、どうしても視線を持っていかれてしまう。
そんな若い頃みたいな思考を一旦停止し、放っておくと何時までも飛んでいそうな凛へ、俺は軽く手を振る。すると凛は満面の笑顔で両手で頬を押さえ、ニヘラッっと照れた様に笑う。そんな凛へ、周りの女子達が抱きついたり頬を摘んだりしながら、もみくちゃな感じで校庭の中央へと向かって去っていく。
(これで良かったんだ。俺もなんだか思考がとてもクリアな気がするし、精神的にもなんか落ち着いた感じだ)
西野とのよく分からない接触による疑念は残っているが、俺の心は晴れやかだった。俺は頬杖をつくと目を閉じて、これから凛とどう過ごして行こうか、何処に連れてってやろうか、そんな事を授業が始まるまでのんびりと考える事にした。
そんな俺を、教室の中央から睨む数人の視線に気付かずに……
#
「はぁぁ???? 何言ってんのお前!? 頭イカれてんのっ!?」
開口一番罵声が俺の耳に大きな耳鳴りとなって脳髄まで響き渡る。こんなに俺を罵倒する子が、何故初恋の相手なのだろうか……
「だ、だって昨日の夜……」
「はぁあ?? 昨日は普通にランニングはしたけど、お前なんかに会って無いんだけど!? 妄想マジキモイ!!」
酷すぎるな、俺は本当になんでこの子だったのか? 全く記憶が無い。それでも俺はこの子への想いだけは何故か初恋だって決めつけている。それはなんだったのだろう。過去の人生でも今も、俺はこの子が初恋の相手だと認識してる。全く分からない……
「お、お前が昨日言った事が気になってーー」
「だーかーらー!! 昨日はお前なんかに会ってねぇって言ってんだろっ!!」
部活が終わった後、俺は素早く着替えを済ますと、俺の家と西野の自宅との別れ道となる交差点へ先回りした。そこで昨日の事を質問した途端、その結果現在のような怒涛の罵倒が返ってきた。
だけど、これはどういうことなんだろう。彼女は昨日俺と会った記憶が無く、話しもしなかったと言う。
「おいっ! もう用事ねぇならどいてくんない!? 視界に入ってるだけでキモくて吐きそうなんだけど!!」
「ひ、ヒデェ……」
俺は塞いでいた道を彼女に譲ると、そのまま自宅への道に進む。それにしてもこれはどういう事なんだろうか。俺は昨日は夢でも見ていたのだろうか……
「ーーおいっ! 三嶋っ!!」
「ん?」
振り返ると、広いオデコの下の眉間にこれでもかと皺を寄せて、仁王立ちしてる西野が立っていた。
「お前、給食の後デレデレと塩谷に手ぇ振ってたろっ!!」
「え? あ、ああ……」
「私たち皆んな見てたんだぞっ!!」
「え? そう?」
それがなんなんだろう? そこまで睨まれる様な事では無い。だけど少し今日考えていた事を振り返る。
そうだ、この時代で堂々と男女が絡んだりする事がどれだけ目立つのか……
「あんな堂々とイチャつきやがって……お前に恥ずかしいとかはねぇのか!?」
「いや……あれぐらいは……」
「あ、あれぐらいだってぇ!? お前頭おかしんじゃねぇのか!! あそこにどれだけ人がいたと思ってんだっ! もっと……お、お付き合いってのは慎ましやかにだな……人目につかないとこでだな……」
「お、お前……なんつーか随分とピュアなんだな……」
「ピュっ!? ピュアとか言うなっ!! だいたいマリの事振ったクズの癖に、何生意気に彼女とか作って、幸せそうにラブラブしてんだよ!!」
その最後のセリフと共に、俺は西野に胸元を掴まれ、至近距離で睨まれる。その怒りに満ちた瞳に映る自分の顔は、自分が想定していた顔とは別物だった。
(俺……何喜んでんだ……)
俺は絶対Mじゃない……Mじゃないはずなんだ。どっちかと言うとS側だったはずなのに……
「良いか三嶋っ!! 私はまだ疑ってんだからなっ!!」
「な、何をだよ……」
「お前が偽モンだって事をだっ!! 何忘れてんだっ!!」
そうだった。あの喧嘩の日を思い出す。疑いは晴れてはいないようだ。だが、こればかりはどうしようも無い。
「そんな事言われてもな……夏休み中に色々あって心を入れ替えたって感じで納得は出来ないか?」
「出来ないっ!!」
ちょっとだけだが喜びもある。かつて初恋相手として片想いをしていた相手が、そこまで自分を見ていて、知っていてくれた事に。
「……なにニヤついてんだよ、気持ち悪りぃな」
「いや、別に……と、取り敢えず離してくれよ。こんな所誰かに見られたら変に誤解されるかも知れないから」
「ひえっ!!」
ようやく胸元から手を離した西野の顔は、何故かりんごの様に真っ赤になっていた。俺は少しだけ格好を崩すと彼女に背を向け自宅の方向へと足を向ける。このままこの子と会話をする事に意味はない。
「み、三嶋っ!!」
「ん? まだなんかーー」
振り返るとそこには顔が鞄の鞄人間が立っていた……
「わ、わ、わ、私知ってんだからなっ!!」
鞄の背後から西野の震える叫びが聞こえてくる……
「な、何をだよ……」
「うぅぅ……」
鞄はそのまま小刻みに震え出すと、その場で膝を折る。
「お前が……わ、私の事……」
「ーーえ?」
口元に鞄をあてているのか、こもった声がきのえてくる。この後何が始まるのか、何を言われるのか……俺は鞄に釘付けになる。そしてーー
「ーーーー私の事好きだって!!」
「ーーーーへ」
「だから……幸せそうなお前は偽物なんだっ!!」
そう言って走り去る鞄人間の後ろ姿は、幼い頃良く見つめていた……
初恋の少女の後ろ姿だった……
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