塩谷凛 第16話
この世界、この時代、死後の世界、タイムスリップなのかタイムリープなのか、それとも全くの異世界なのか……それ以外か……
そんなあやふやなこの世界に来た意味を、俺はまだ何一つ理解出来ていなかったんだろう。
間違いを正す、過ちを犯さない、不幸を生まない……そういう後悔を消す為にここに来たのだろうか?
いや、多分そうじゃない気がする……
俺を包むこの甘い香りと、柔らかくて心地良い温もりと、胸を落ち着かせるこのリズムが、俺に教えてくれる……
きっとここからがスタートなのだと……
長い長い……
序章がようやく終わったのだと……
#
「好き、大好き、絶対離れない……」
俺の頭を胸に抱きしめ、凛は何度も俺に気持ちをぶつけてくる。その気持ちを何故か否定する事が今は出来ない……
記憶の中の自分の答えを、今の自分の気持ちが侵食していく……
そんな自分の中の変化を、長い人生の経験が、数多の後悔が最後の抵抗をする。
「凛……」
「ダメだよ先輩! 言わないでっ!! 私なんかじゃダメだって分かってるのっ!! だけどもう止められないんだよっ!!」
悲痛な叫びに、胸が締め付けられる……
「分かってるのっ!! 私みたいなバカな子なんか先輩には釣り合わないのはっ!!」
「ま、待ってよ凛っ!!」
あぁ……こんな事になりたくて、こんな気持ちになりたくて、こんな彼女の顔が見たくて、俺はやり直してた訳じゃ無いのに。なにが彼女をそんなに苦しめてるのだろう……
「私なんかなんの価値も無いのっ!! 先輩だってもう分かってるんだよね? だからなんだよね?? 私みたいなのじゃ嫌なんだよね!?」
ああ……そうか…………
俺は分かってしまった。彼女は自分の軽率な行動に後悔をしてるんだ。この分岐した世界で、俺が誠実に振舞う事は彼女の貞操観念を刺激してしまったって事に。
それだけ純粋で、真っ直ぐな子だったのを俺はまた見誤り、間違った……
あの最初の日も、デートの時も、橋の上でだって……
何処かに儚げで、縋り付く様な彼女の行動。自分の行いや態度で、俺の好感度がマイナスにならないように、俺が離れる理由を作らないように……
この子はそれだけを必死で考えていたんだ……
「俺は……」
言ってはいけない言葉なんだ。
「凛…………」
あの日、俺は間違ったんだ……
「せ、先輩……」
だけど本当にそうなのか?
この気持ちはなんなのか? これを表現する言葉はなんなのか? 間違いとはなんなのか? こうなる事が正解だったのか? 俺はこの世界でどう生きたいのか? この子を俺は本当はどうしたいのか……
その答えの全てはきっと直ぐには出ないんだろう……
あの頃の自分の気持ちじゃない。今の俺の気持ちが、胸に溶け込んだ何かの熱が、心臓の鼓動を加速させ、少しだけ答えを教えてくれる。
この気持ち、それを表現する言葉……それだけはこの鼓動が教えてくれている……
俺は彼女がーー
「好きなんだ…………」
そう……そうなんだーー
「ほん……と……?」
もう止まらない………止める事が出来ない……
「あぁ……ちゃんと言うのが遅くなった……」
「ーーせん……ぱい」
「ごめんな、不安にさせたよな」
「う、ううんっ!! 私の方がーー」
「凛は何も悪くない、俺が……俺が怖かっただけだ……」
頭は真っ白なまんま、心の衝動のまま言葉が溢れる。
俺は彼女の胸から離れると、両手で頬を挟むと彼女の瞳に真っ向から向き合う……
「情けなくてごめん、弱くてごめん、カッコ悪くてごめん……」
「そんなっ! そんな事ーー」
彼女の言葉を遮るように、塞いだ唇。
右手をスライドさせ下顎を抑えると、俺は舌をねじ込むように唇を突き抜けさせ、彼女の舌に絡みつく。俺の中の気持ちが堰を切ったように、舌先の熱を通じて彼女へと流れ込んでいく。絡み合う舌先から纏わり合う二人の唾液の交換は、お互いの喉を鳴らす。
その激しいキスは何十年もずっとお預けを食らっていたかの様に激しく、貪るようものだった。
長く激しく、喉に流れない唾液が口元かれ溢れ出てる事にも気付かない……
二十五年以上前のあの日以来、二度目の彼女との口づけだった……
「あふぅあ、はぁ、はぁ、はぁ……」
名残惜しむ様に唇を離すと蒸気して火照った彼女の、荒い吐息が俺の唇に吹きかけられる。下瞼には今にも涙がこぼれ落ちそうな程、雫が溜まっている。
「ごめん、苦しかった?」
「はぁあーー。す……すごい……」
彼女にとっては何度目になるかは分からないが、俺にとっては何百、何千と経験してきたキス。大人の俺が慣れていて、テクニックも上のなのは当たり前だ。
彼女は俺の肩に置いていた手で、俺の服を強く握ると俺を引っ張る様に再び唇を近づけ、二回目をせがむように目を細める。
そんな時ーー
コンッコンッ
「幸人〜? そろそろ送って行きなさいね?」
「あ、ああ……分かった」
お袋の声に我に帰った俺は、凛を離そうと彼女の肩に手を置く。
「りーー」
「ダメっ!!」
その手を押し込む様に彼女は再び俺の唇を塞ぐと、そのまま俺は押し倒される。
(このバカっ! やめっーー」
先程のやり返しとばかりに、舌を絡めようとしてくる彼女に、少し違和感を感じつつも流れに沿ってその相手をする。俺に馬乗りになってる彼女は片手を床から離すと自分のスカートの中に手を伸ばす……
「ぶはぁっ!! バカっ!! 今日は無理だっ!!」
「なんでっ!? 頑張って声出ないようにするから、ちゃんとこの間のーー」
「そ、その気持ちはもう分かったから!!」
そう言うと彼女は体を起こし、俺の腰付近に座り込む。シャツの布越しでも感じる彼女の湿った熱が妖艶に俺を刺激する。
「……先輩……こんななのに……?」
「うっ……げ、元気過ぎだろ……」
俺は肘を支えに起こせるだけ上半身を起こすと、残った手を凛の頬に添えて目尻にたまった雫を拭う。
「だ、大丈夫だよ、こんな機会はこれから幾らでもあるから」
「ほんと? ほんとにほんとっ!?」
「……あぁ、本当だよ」
一瞬、理性が自分の良心を咎めるように胸に棘を刺す。
「だから帰ろう、送ってくから……」
「うん……」
未だ納得しきれていないのか、俺から離れがたそうにゆっくりと動き出す凛。そんな仕草にすら愛おしさを感じる。その情念が良心の呵責など直ぐに拭い去る。
「さぁ、行こう」
「はーーい……」
彼女の手を取り立ち上がらせると、凛の脚が小さく震えてる事に気付く。彼女は勇気を振り絞ったんだと、俺なんかの為にこんなになるまで頑張ったんだと、そう感じた……
「せ、先輩……?」
「……あぁ、ちょっとだけ」
俺はソッと彼女を抱き寄せると、髪を撫でる……少しでもこの震えを止めてやりたくて……
「嬉しいな……」
「俺もだ………」
ああ、そうだ。この気持ちは本物なんだろう……
俺は彼女を幸せにする為にここに戻ったんだ……
「さぁ、帰ろう。そして明日からはもっと一緒にいよう……」
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