第2話ブルー・モスクの風

 ー血の海の中、その男の死体は首を鋭いナイフのようなもので切り裂かれ、カッと目を見開いたまま、息絶えていた。

猛禽類の指のように力を込めて曲げられた五本の指は、一体何を掴もうとしたのか、男の怨みの強さを現しているようだった。ー



 心地よい海風に髪をくすぐられ、幻想的にライトアップされたブルー・モスクを見あげながら、トラムのスルタンアフメット駅からの道のりを、俺達四人はのんびりと談笑しながら歩いていた。

優美で、世界で唯一の6本のミナレットと、複数のドームをもち、内部を数万枚のイズニク製の青い装飾タイルやステンドグラスで彩ったこの場所は、白地に青の色調の美しさから『ブルー・モスク』とも呼ばれている。

「中東って、ロマンチックよね」

「エキゾチックだし、サツキが中東オタクになる気持ちもわかるかな」

俺(進藤翔陽)と、五月蓮(メイ探偵)、笹塚寧々、伊井桜はトルコの貿易会社が開催するイスタンブールでの式典に呼ばれてここに来た。

「あ。フワフワでモフモフでプクプクのネコ。カワイイ。癒される」

トルコでは何処の家庭でも玄関にキャットフードかドックフードを山盛りにした皿を置いている。

そのせいで、野良猫と野良犬は丸々と太り、毛並みもよく、人懐こい。

政府が犬猫の予防注射や中絶手術を積極的におこなっているそうだ。

「コーヒーのいい香り」

「焼きとうもろこしや焼きぐりの匂いもする」

ブルー・モスクの前の広場は数多くの屋台で賑わっている。

「オイオイ、夕食に招かれてるんだ。今は食べない方が良い」

「ブルー・モスクの内部も見学したいけど、それは今度にして、とりあえず急ごう。寧々、いつまでネコを撫でてるんだ?。約束の時間に遅れてしまうぞ」

俺達が向かっているのは、ここから更に15分程歩いた場所にある、日本人が経営しているアパート、通称『サムライハウス』だった。


時代を感じさせる造りだが、カラフルな色で塗られた外観は、東洋と西洋をチャンポンしたイスタンブールの雰囲気にマッチしていた。

「メルハバ(今日は)」

サツキが声をかけると、

「あ、いらっしゃい」

と、若い女性が顔を出して、自分は橘の娘でナオミだと名乗った。

ナオミは家事のせいか、手はゴツゴツしていて荒れているようだったが、目鼻立ちがはっきりした美人でバービー人形の様なスタイルをしていた。


アパートの一階は食堂になっていて、食事の用意がされ、既に数人の日本人が座っていた。

俺達は日本からのお土産の和菓子を渡し、席についた。

簡単な自己紹介の後、すぐに夕食がはじまった。

「五月くんは、君の父親にそっくりだ」

「橘さんは、イスタンブールの支店長さんだったんですよね」

「ああ、彼がイスタンブール支店で仕事をしていた時に、私はそこの支店長だった。君の父親は仕事が出来るせいで、あちこちの支店に異動させられていた。だが、家族円満で充実しているように見えた。まさか数年後にあんな事が起こるとは」

「両親の事件の事はご存知なんですね」

「もちろんだ。我が商社のホープがあんな亡くなり方をして。特に中東では、君の父親は有名だったから」

「事件に詳しい人をご存じでは?」

「そうだな。あの頃、君の父親と同じ支店にいた人物の連絡先を探してみよう」

「 ありがとうございます。両親が誰に何故殺害されたのか、知りたいのです」

「もちろん、君の気持ちは解る。『あんな良い人間を、何故殺害したのか』私だって、犯人に聞いてみたいよ」

「両親は誰かに怨まれていたのでしょうか?」

「二人共、親切で温厚な性格で、人に怨まれていたとは考えられないが。誰かに嫉まれた可能性がないとは言えないかもしれない」

「嫉妬ですか?」

五月の父親の元上司だった、坂口氏が二人の会話に加わった。

「後、考えられるのは、口封じだ。君の両親は正義感が強い。不正を見逃さなかっただろう。」

サツキは坂口氏の言葉に頷いた。

「父は曲がったことが大嫌いでした。母は大人しい性格でしたが、芯の強い人でした」


「僕も君のお父さんに会った事がある。ハンサムで仕事が出来て、美人の奥さんと、可愛い赤ん坊。羨ましいと思ったよ。僕なんか仕事にも挫折、長い単身赴任で家族もバラバラだから」

思い出話に参加してきたのは、七十代くらいの元商社マン、結城氏。

「オレも君の父親を知ってたよ。カタールで会った事がある。誠実な人だった」

下田氏は五十代くらいで、顔色は悪いが真面目そうな元商社マン。

「このアパートには元商社マンの方が多いんですね」

「ここに居るのは、日本の高成長時代を支えてた人間の成れの果てさ」

60代に見える山本氏が苦虫を噛みつぶしたようたように言い捨てた。

「相変わらず口がわるいな、山本氏。お嬢さん方が困った顔をしてる。でも、確かにその通りかもしれない。我々は昔、頑張って仕事をしたんだけど、今の日本には居場所がないんだ」

このアパートの住人では一番若い、五十歳前らしい、元工場長の河原崎氏が淋しげに首を振って見せてから、山本氏に同意した。

「皆さん、暗い話はやめて、デザートにしましょう」

ナオミはクネフェを皆に配っていた。

ナオミはハンサムなサツキが気に入ったらしく、しきりにモーションをかけていた。

そんなナオミを見ても、寧々は気にするようなそぶりも見せず、堂々としている。

ーさすが、寧々。こんな事を気にしてたら、モテるサツキと付き合ってはいられないものなー


「これって、伸びるチーズとバターとシロップで作られているのね。とても美味しいわ」

デザートを完食し、俺達はアパートの皆に別れの挨拶をしてホテルに戻った。



次の日、俺達は正装して、式典会場におもむいた。

「日本人が多いのね」

「ああ、トルコと日本間の長年の経済協力を祝う式典だからな」

つつがなく式典が進行し、2時間程たった時。

「キャー。死んでる」

若い女性の悲鳴が会場に響き渡った。

「喫煙室の方だ。近い」




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