第2話 案内を申し出る
次の日。同僚たちは昨日のことをめちゃくちゃ褒めた。ただ、今宮が怖いという気持ちは拭えなかったらしく、むしろ桜子の報告で食事が急に二人分になったことで余計に怖がられてしまっていたが。そして桜子を今宮の係にしていた。
この状況を女将が見ていたら彼女らは烈火の如く怒られていただろう。今はいないので怒る人もいないが。桜子も怖がって客を怒らせてしまってはいけないしと、呆れながらも快く引き受けていた。
こうして今宮を巡る大きな問題は穏便に解消された、と思われたのだが……。
その日の夕方のことである。桜子は夕食の食器を取りに部屋へ行ったところを今宮に引き留められた。
桜子は知っていた。今宮はそれほど会話を好まない。むしろ昨日がおかしかったのだ。それまでは返事以外で彼の声を聞いていなかったのだから。
「どうかなさいましたか」
そう聞きつつ、内心冷や汗ダラダラである。何か不快に思うことをしてしまったのか、それともクレームを入れられるか、桜子の頭の中ではそんな不安が渦巻いていた。
「その腕輪」
「はい?」
「その腕輪はどこの物だ」
違ったらしい。クレームではなかった。
「これですか?これは……」
さてどう伝えたものか。桜子はうーんと言葉を濁す。桜子的には言ってもいいのだが心配なのは信じてもらえるかどうかということである。
そのとき、今宮の体に龍が巻き付いた。さっきまではいなかったはずなのだが、と桜子は首を傾げた。相変わらずとてもかわいらしい。
龍は甘えるように今宮の体に巻き付いていて、今宮はさりげなく龍を撫でていた。かわいい。
「心配する必要なくない?」
ぼそっと呟かれた本音は今宮には聞こえなかったようだ。今宮は桜子をじっと見つめる。どんな些細な表情も見逃さんとばかりの表情だ。
「これはですね、澪神社で売っている物でして」
「それは本当に売られていたものか?」
「いいえ。形が同じというだけです」
やっぱり龍的なものと一緒にいると、そういう霊的な物の価値が分かったりするんだろうかと桜子はちらっと思った。
自分には霊的な物の価値は分からないのだが、とちょっぴり羨ましい気持ちになったのは桜子の秘密である。
「どうして売られていないものとお分かりになったんですか?」
「あの神社は神がいると思えるほどの神力はない。そんな代物が売られているはずがないだろう。だがそれでも強いものは祀られているからな。なのにそれは、あの神社に祀られているものと同じくらいの力を持っている」
「あっ隠す気とかなかったんだ……」
思わず本音がでた桜子は慌てて口を塞いだ。失礼しました、と礼をすると、呆れたような声が桜子に返ってきた。
「クロが見えてるんだろ?」
「クロ」
「こいつ」
今宮が指を指したのはいつでもどこでもけっこうな禍々しさを出している龍だった。桜子はそれを見てなんとも言えない表情になる。
「クロって名前なんですね」
「ああ」
クロ、クロ、クロか……。黒いからそう名付けたんだろうか。と、若干失礼なことを考えていた桜子は、それでその腕輪は、という今宮の言葉によって現実に引き戻された。
「私がこれをいただいたのは別の場所でして」
「何?」
眉根を寄せた今宮に桜子は説明を始めた。
「そもそもの話なのですが、澪神社が祀っているのは龍神様が生み出した宝珠なんですよ」
「宝珠が?」
「はい。龍神様のお社が随分と山奥にあるので、住民たちは宝珠を祀ることで間接的に龍神様にお祈りしているんです。そういう目的で隣の神社が作られたので説明書きもなく、勘違いされているんですけと……」
「その山奥にある社でそれを貰ったのか」
「そうです。というか気付いてたら腕についてたので、返すのも失礼かなと」
本来は職務中なので外すべきだし、外せないという訳でもないのだが、女将もそれで納得しているし、むしろ付けていろとまで言われたので、桜子は外していない。
「どこにある?」
「行くんですか?」
「そのために来たからな」
「……大丈夫なんですか」
なにがだ、と眉根を寄せる今宮を見て、桜子は焦る。不快そうにする彼に、今すぐ引くべきだと思うのだが、如何せんそうする訳にもいかない。
「その、山道はかなり複雑ですし山の高い位置にあるので、地元民がついていないと行くのはかなり難しいですよ」
その言葉にさらにぎゅっと眉根が寄った今宮に、桜子は今までで一番焦りを覚えた。初対面のクロの禍々しい気配よりも焦った。
「誰か紹介できる奴はいるか……?」
苦々しくしぼり出した声に、桜子は脳をフル回転させて考える。
安達のおじいちゃんは足が悪くなってるし、佐藤のおばあちゃんは忙しいし、柳のおじいちゃんはあそこに入るのを反対するだろうし、とあそこまで行ける人を探すが、皆ご高齢である。道は知っていても紹介できない。
そこでピン、と昨日に引き続き天啓が舞い降りてきた。最近の自分の頭は冴えているらしい。桜子は思い切って提案した。
「あの、良ければ私が案内しましょうか。」
「いいのか」
控えめに手を挙げた桜子に食い気味に聞いた今宮は、仕事もあるだろうと首を傾げる。
「まあ、今はかなりの繁盛期ですがバイトも入っているので大丈夫ですよ。多分ですけど」
同僚たちには頑張ってもらおう。ちょっとした意趣返しということで。桜子は別にこの仕事を押し付けられて嫌な気持ちにはなっていなかったが、それはそれ、である。
「それに、この暑さなので。山奥に行ったきり帰ってこないなんてことがあったら、それこそ大変でしょう」
「……いろんな意味で、か」
「はい」
「……なるほど。では頼む」
そんなこんなで決まった案内に、ちょっとワクワクするなと思ったのは心の内にとどめておいた。
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