第2話 解散するしかねえ

 テツ先輩の赤い特攻服の背中にでかでかと縫い取られた「天下無双」の四文字がしょぼくれている。

 友斗が生まれて初めてあこがれた四文字だ。生まれて初めて袖を通したいと思った服に刺繍された四文字だ。

 友斗の前で、先輩たちは全員、運動公園の駐車場に座り込んでうなだれていた。夜間照明だけが明るい。もうすぐ日付が変わろうとしている。夜気が友斗たちの体をさらに冷たくした。

 そもそも友斗が暴走族に入ったきっかけが、四学年上のテツ先輩だった。

 友斗の家は、母親と友斗の二人家族だ。父親は友斗が保育園の年中だったときに行方をくらました。小学校に入学してから三年生までは学童保育に入れたが、四年生で応募したときに落とされた。その年度は小学一年生が多く、高学年で応募した子供はみな、入れなかったそうだ。

 母親は保険外交員として県内を飛び回っている。家に帰っても一人ぼっちになるので困っている友斗を、テツ先輩が誘ってくれた。

(うちに来いよ。同じようなやつ、いっぱいいるから)

 先輩のいうとおりだった。同じ小学校に通う子供があふれていた。話を聞くと、口々に答えた。

(父ちゃんが暴れてる。今日も窓ガラスを割った。こわくて家に入れない)

(母ちゃんはいつもお酒ばかり飲んでる。寝てるか、俺を見ると怒鳴るか、どっちか)

(姉ちゃんが彼氏をとっかえひっかえつれてきて、あたし、追い出された。邪魔だって)

(兄ちゃんがあたしの体をさわる。気持ち悪い。お父さんやお母さんにいってるのに、本気にしてくれない)

 俺んちなんかまだ、ましなほうなのかもしれない。友斗はそう思った。

 実は友斗の母親は若いころ、「レディース」つまり女だけの暴走族に所属していた。父親は不良少年で、友斗を妊娠したから母親はレディースから足を洗い、父親と入籍したのである。けれど友斗を妊娠する前には、父親とはちがう男とのあいだに子供をみごもり、中絶したこともあるそうだ。

 なぜ友斗が母親の過去を知っているかというと、母方の祖母から聞いたからである。

(それでもあんたのお母さんは立派だったよ。あんたのお父さんが出ていってからずっと、真面目に働いた。あんたのきょうだいを中絶した日には必ず仏壇に手を合わせに、うちに来るんだよ)

 母親は必ず日付が変わる前には帰ってくるし、いつも手作りとはいかないけれど、食事も用意してくれる。友斗が知らない男をひっぱりこまないし、洗濯は毎日してくれるし、宿題で出される音読にだって耳を傾けてくれる。

 それでも、さびしいことには変わりなかった。もっと母親と一緒に過ごしたかった。けれども、「一緒にいて」とはいえなかった。父親に貯金を全額引き出された上で逃げられた母親は、懸命に働かざるをえなかったのだ。

 もっと一緒にいてよ。そういってしまえば、母親が働く時間が減る。家に入るお金も減る。

(我慢しよう)

 さびしい思いをしている友斗にとって、テツ先輩の家は、第二の我が家だった。テツ先輩の家に集まる同じ小学校の子供は、第二の家族だった。 

 先輩は小学五年生のときにはすでに身長が百七十センチに達し、体の厚みは体格のいい教員と並ぶほどだった。先輩は教員に反抗することはなかったが、先輩を教員が見る目には、明らかに恐れが満ちみちていた。先輩のお父さんがどうやら反社会的勢力に属する人であるらしいことも、教員が怖がる理由のひとつだったようである。

 先輩と友斗が通う小学校の学区は、在留外国人や、生活が苦しい家庭が多かった。先輩も、お母さんが外国人で、お父さんが日本人だ。お父さんとお母さんはいつも怒鳴りあっていて、友斗も偶然その現場に出くわしたことがある。そのとき先輩は友斗をつれて、脱出してくれた。先輩のお母さんは、お父さんと仲直りできなかった。先輩が六年生に進級するころ、お母さんは自分が生まれた国に帰った。

 先輩は中学校に上がると、暴走族に入った。友斗は小学六年生のときに先輩から誘われた。

(今度、集会に来ないか。バイクに乗せてやるよ。どうせ母ちゃん、九時すぎでないと帰ってこないんだろ)

 母方の身内のなかで、友斗を心配してくれているのは祖母だけだった。祖母と母親の連絡がつけば、祖母が友斗たちの自宅に来て夕食を用意したり、友斗の宿題をみてくれたりするのだが、祖母も仕事をもっているため、なかなか都合がつかない。先輩から誘われた日も、祖母が急に「仕事が終わらないから来られない」とあやまってきた。

(いくよ)

 友斗は先輩と一緒に暴走族「テンペスト」の集会に参加した。一瞬で暴走族のとりこになった。

(カッコいい!)

 難しい漢字や文章がびっしりと刺繍された特攻服は、何よりも魅力的に友斗には映った。特に、一人だけ赤い特攻服を着ている人は、最高にかっこよかった。その赤い特攻服にだけ、「天下無双」と大きく、背中の中心に縫い取られている。

(先輩、あれ、どういう意味)

 興奮してたずねる友斗に、先輩は誇らしげに答えた。

(他にくらべるものがないって意味さ)

 すげえ。友斗はわくわくした。

(かっこいい。俺もいつか、あんなの、着てみたい)

(テンペストのアタマを張れば、着られるぜ)

(アタマって何)

(リーダーのことさ)

 集会には、テツ先輩の家に集まっていた子供たちも参加していた。子供たちの目に、特攻服もバイクもこの上なく魅力的に映った。暴走族のメンバーたちが集まるその場所に身を置くと、自分も強くなれた気がした。

 友斗は小学六年生でテンペストに所属した。テツ先輩の家に集まっていた子供たちも、六年生になると男子も女子も次々とテンペストの一員となった。みな、テツ先輩といるかぎり、さびしさを感じなくて済んだからだ。そして彼ら彼女らは先輩たちからケンカを教わり、自分を痛めつけていた親きょうだいに復讐したのである。

 自分の親に手をあげなかったのは、友斗だけだった。 

 

 テツ先輩はスマホを膝の上に下ろした。

「だめだ。馬場さん、出ねえ」

 馬場というのは、友斗が所属する暴走族「テンペスト」のさらに上にいる、懲役を終えたばかりのもと不良である。友斗たちは馬場の指示で、襲えといわれた男たちを襲った。何のためにそうするのかは知らされなかった。理由をたずねるという選択肢は、友斗たちにはなかった。上からの命令には「はい」か「イエス」で答えるしかないのだ。

 ところが、友斗たちは返り討ちにあった。今まで戦っていた二十代の男たちとリーゼントのおとなからボコボコにされたのである。

「見捨てられたってことか」

 金髪を逆立てた先輩が拳で自分の腿を叩いた。

 鉄パイプで相手の車を壊そうとしたが、やたらと目つきの鋭い男に左右のハイキックで撃沈させられた先輩が、スマホの画面に目を落としながら硬い声でいう。

「やべえぞ。馬場さんのいうこときいた連中、パクられ始めた。次は俺らかもしれねえ」

 先輩が見ていたのは、暴走族つながりでフォローしたSNSの画面だ。友斗たちにも見せてくれた。全員、血の気が引く。

 テツ先輩が力なく、いった。

「テンペスト、解散するか。おまわりから逃げるには、それしかねえ。馬場さんだってもう、ずらかってんだろ。あの人、俺らを守る気なんかねえみてえだから。もし守る気があったら、こんなにパクられてねえはずだ」

 金髪の先輩が友斗を見る。

「もしパクられたとしても、俺らなら学校いってねえし、親なんていないも同然だ。失うものはねえ。けど、友斗はまだ中学生だろ。やり直すのなら早いほうがいい」

 鉄パイプの先輩が友斗の肩をつかみ、目を合わせた。

「友斗、おまえのトップク、預かってやる。おまわりが来たら、先輩たちがやりましたっていうんだぞ。俺はやってませんっていうんだぞ」

 先輩たちは俺の身の安全を心配して、いってくれているのだろう。友斗にもわかった。でも、先輩たちは俺を見捨てるつもりなのだろうか、という心配も友斗にはあった。先輩たちから切り離されるように友斗は感じた。

 テツ先輩はほんとうに申し訳ないというふうに友斗に頭を下げた。

「俺のトップク、受け継がせようと思ったけど、そうしてやれなくて、ごめん」

 確かにテツ先輩の「天下無双」を縫い取った赤い特攻服にあこがれていた。けれど今、暴走族「テンペスト」から、先輩たちから、自分というパズルのピースだけがはずされた。はずされたピースがどうなるかなんて、先輩たちは考えてくれない。こうしろ、という指示も出してくれない。友斗が自分で考えて、進むしかなくなった。その結果友斗が不幸になったとしても、ひとりぼっちになって苦しんだとしても、先輩たちはそれを解決することはできない。友斗が解決するしかない。

 膝と膝を接して話しているにもかかわらず、先輩たちがひどく遠くにいってしまったように、友斗は感じた。自分だけが取り残されたと思った。気温が下がっているというだけではなく、友斗は寒くなった。

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