激弱キック

亜咲加奈

第1話 激弱キックといわれた 

 今村友斗は突っ込んだ。相手の身長は百六十センチある友斗と同じくらい。スマホを向けている。カメラの部位が光った。録画するつもりか。

 三月初めの金曜日の深夜、運動公園の駐車場。夜間照明が照らすなかでのケンカだ。

 楽勝だ。そう思ってステップを踏む。

 ところがスマホ男は録画しながら鼻で笑った。

「ぴょんぴょんはねて、何がしたいんですか。ダンス踊ってるんですか」

「うるせえ」

 友斗が力いっぱい放った右ミドルキックを、男は左足を上げて防ぎ、冷笑した。

「激弱キックですね」 

 直後、友斗の胃のあたりにスマホ男の右ミドルキックが当たった。

 痛い。

 息ができない。

 体が動かない。

 激弱キックですね。スマホ男の声がもう一度耳によみがえる。

 さらに友斗は背後にいた別の男から脚を払われた。

「ガキはもう寝る時間だぜ。ほれ、駐車場がてめえの布団だ」

 転がった。アスファルト舗装の駐車場にしたたかに尻を打ちつける。

 いてえ。声を上げてしまった。

 俺のキックがきかねえ。どういうことだ。今まで負けたことなんかなかったのに。

 なんなんだ、このおっさんたち。

 すばやく先輩たちに視線を走らせる。

(嘘だろ)

 みんな、やられていた。

 鉄パイプで相手の車を壊そうとした先輩の一人は、やたらと目つきの鋭い男にハイキックを二発立て続けにくらい、倒れた。

 ハイキック男に鉄パイプを振り上げて迫った先輩は、背後から別の男に襲われた。空手チョップを首にもらい、先輩はぶっ倒れた。

 リーゼントの中年男にぶん投げられた先輩もいる。

 アスファルトという固い布団に寝転がった友斗だが、着ていた黒い特攻服の胸をもう一人の男につかまれ、無理やり起こされ、問いただされる。

「馬場がやれっていったんだろ」

 スマホ男がいう。

「正直にいったほうがいいですよ。一部始終撮影しましたから」

 怖い。友斗は小便がちびりそうになる。

 男たちはものすごい「圧」をかけてくる。

 友斗は小便だけでなく大便まで漏らしそうになった。要するにそれだけ恐怖を感じているのだ。仮に両方漏らしたとして、自分の糞尿で汚れたボクサーパンツのまま先輩のバイクの後部座席に乗りたくないと思った。とりあえず今かかっている「圧」を払いのけるには、男たちの質問に答えるしかない。

 ほんとうなら先輩たちをかばうべきであったろう。しかし、先輩たちは戦闘不能だ。俺を助ける余裕はなさそうだ。

 小便ちびりたくねえ。クソも漏らしたくねえ。それだけの思いで友斗は答えた。

「馬場さんからいわれて、やりました。俺は先輩からついてこいっていわれたから、ついてきただけです。先輩がやれっていったから、やっただけです。俺は悪くない」

 リーゼント男が怒鳴った。

「責任逃れすんな。馬場の電話番号いえ。直接聞くから」

 友斗は困り果てた。先輩たちは全員、誰も友斗を助けようとしない。

 今度は涙が出てきた。

 先輩。いったじゃないですか。

(俺らはいつでもおまえの味方だ。困ったときは助けてやる)

 嘘だった。今、先輩たちはみな、スマホ男やハイキック男や空手チョップ男や足払い男やリーゼント男にやられて動けない。

(嘘つき。先輩たちの嘘つき)

 小便と大便よりも先に、涙と鼻水を友斗は漏らした。情けないことこの上ない姿をさらしている。

 カッコわりい。最悪だ。

 結局先輩たちは誰も友斗を助けてはくれなかった。

(こっちはあんたらのいうとおりにしてきてやったのに、なんでこういうときに助けてくんねえんだよ。話がちげえよ)

 しかたなく友斗は答える。

「知らねえ」

 ハイキック男が両ポケットに手を入れて見下ろしてきた。めちゃくちゃ目つきが怖い。これまで会ってきた不良少年の中にも、ひとにらみだけで小便ちびりそうになるくらい怖い目つきのやつなんか、いなかった。

「誰が知ってる」

 ついに友斗はいってしまった。尊敬し、その「天下無双」と縫い取られた赤い特攻服を受け継ぎたいとあこがれた先輩の名を。

「テツ先輩」

 あとから「なんでチクったんだよ」なんて胸ぐらをつかまれたらいってやる。

(先輩たち、俺を助けてくれなかったじゃねえですか。おっさんどもにぶちのめされて転がってたじゃねえですか)

 テツ先輩は、顔と体が四角い男にぶん投げられてアスファルトという固い布団の上で伸びていた。無理やり起こされ、男たちに囲まれる。そこから話し声が聞こえたが、何を話しているかまでは友斗にはわからない。

 話が終わったらしい。男たちは引き上げた。

 スマホ男が振り返り、友斗にいった。

「キミの攻撃はへたくそなダンスそのものですよ。なんですか、あの激弱キックは。もっと鍛え直してからケンカをしたまえ」

 四角男はテツ先輩にいった。

「なにが『天下無双』だ。調子に乗るのもいい加減にしろ。おまえなんか天下無双どころかドングリの背くらべすらできやしねえよ」

 暴走族「テンペスト」の威信が、地に落ちた。

 友斗は涙と鼻水は漏らしたが、小便と大便は漏らさなくて済んだ。

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