火葬場にて



 赤い月が照らす。ただ煌々こうこうと浮かび伸びる黒い影の列が粛々しゅくしゅくと歩みを進めていた。


 死者が列を成すだけのこの世界は、はたして今生で語られる川を求める願いから発生した空間なのか。未だ真相の末端すら掴めていない。


 この光景を観るのは、もう何度目だろうか。

 時折「ゴゥ」と吹く風はけして心地の良いものではない。何度目かの辻風つじかぜの後たまらず瞑目めいもくした。


 音彦が再び眼を開けたのは、自身に向けられる意識を感じたからだった。

 

「お気づきでしたか」


 近付いて来たのは一つの亡者だった。


「ああ。これはこれは」


 徐々に、ゆっくりと無から有へと形成されてゆく。黒からはりぼてに、確かな色彩に塗り替わりソレは、人の形を成してゆくではないか。

 

「こちらでは、はじめましてになりますか」

「ええ」


 音彦が声を掛けると、今生で会った姿そのもので駒川あゆ美は一礼した。

 彼女が着せて欲しいと願ったワンピース。化粧は薄く、口紅は某ブランドの03番。真珠のイヤリングとネックレス。

 それは安置所で眠る最期の姿、そっくりそのままだ。


 ただ一つ付け加えるのなら今は、それらとは明瞭に見劣りをするブローチを胸元に付けている、ということ。


「有難う。貴方に頼んで良かった」

「それが約束でした。ええ、最適解は誰にも判りません。正解なんてものは、人の数だけ存在する。ただ、貴方は運が良かった。殺されてしまった貴方の叫びは、私に届いたのですから」

「殺されたなんて、違うわ? あれは事故だった。鈴沙ちゃんは子供のいなかった私にとって、姪以上の存在だった!」


 駒川あゆ美は胸を押さえ声を上げた。

 

 視える。彼女の想いが、体験した有様が――。

 日に日に認知症の症状が現れる。遺言状を準備しておかなければと思った。


 こんなモノ借金、あの子に遺せない。


 他に近しい親族はいない。姪の森野鈴沙に背負わせるわけにはいかないと、財産の一切を相続させないと決めた。

 そして偶発的にあの時を迎えてしまう。遺言状の内容を勘違いした森野ともみあいとなり、肌身離さず持っていたブローチは転がり落ちた。

 腹いせだったのか、それを森野が持ち去ってしまったのだ。


 駒川あゆ美は意識を失う。

 そのまま永遠に目覚める事が無いなんて、思いもしないままに――。


「……事故だったの。ほんとよ、あの子のせいじゃない。あの子は優しい子なの。幼稚園の頃に一緒に作ったこのブローチは、たとえあの子でも渡さないっ……これだけは持って行きたかった!」


 それからずっと、懇願し続けているのだ。

 不自然に語気は強まり、もはや呂律も上手く回ってはおらず同じ言葉を繰り返している。 

 もうすでに駒川あゆ美は自我を保つのもやっとなのかもしれない。


 音彦は「ええ、そうですね」と、ただ相槌を打った。


 黒く長い列の遥か先に何故かはっきりと確認の出来るあの川を、彼女はこれから目指すのだ。

 大切な想い出のブローチを胸に。


「私はもう逢ぃないから……川ヲ渡る時に持てるたった 一つ。あの子との思い出にしたいのォ……」


 今わの際で――。

 ほんの微かな既視感を抱いて眠りたい。


 無を前に彼女の本能は渇望した。その欲が結果として、最愛の姪を犯罪者にしてしまうかもしれないというのに。


 なんと愚かで、なんと愛おしい。


「ええ。きっと……」


 応える音彦の目の前で、駒川あゆ美というはりぼてはパラパラと灰となっていった。それらは影となり波の様に引いてゆく。黒い列に吸い込まれてゆく。






「おかえりなさい」


 音彦が瞳を開けると、眼前にはがらんどうとした棺があった。火葬炉から出されたままで、灰こそ綺麗に取り除かれていたものの、それは独特の異質を放っていた。

 どこか近寄りがたい、おそれの対象の様な物質。


 ほんの数時間前まで、駒川あゆ美が収まっていた棺だ。

 

「ただいま帰りました。見張り、ご苦労様です」


 音彦は依頼者との契約を完了する為に、そこへ足を運んでいたのだ。


 現世うつしよ隠世かくりよ。その間にあるという、時間軸が無いともいえる様な世界を、音彦は喪亡月そうぼうげつの狭間と呼んでいる。そこに足を踏み入れることの出来る者は、人間の中でも極一部だ。

 飛んでいる最中は、現世にある肉体は無防備になる。その間のあらゆるものからの守護を、一樹は担う。


「その様子だと、会えたんだな」


 交錯する視線を逸らしたのは音彦が先だった。

 返答の代わりと言わんばかりに、握り込んでいた掌を開いて見せる。


「いつ見てもわけ判らん。依頼人と一緒に荼毘だびに臥されたものを、あんたは何故か元の形で持ち帰るんだから」

「お前に理解は求めていませんよ」

「ふぅん。で、本人さんはこれでいいって?」


 音彦は頷いた。一樹はまだ何か言いたそうな素振りを見せたが、結局言葉を続ける事はなかった。

 

「彼女は確かに持っていきましたから。想い出のブローチを」


 ――ここにあるのは、ただの抜け殻に過ぎない。


「……ところでそれ、俺にはただのオモチャにしか見えないんだけどさ。金になるのかよ? またタダ働きはごめんなんスけどー」

「いわく付きは高値が付きます」

「うさんくせー」





 がらんどうと化した火葬場を後にする。

 BGMを掛ける事も無く、静かな車内だ。少し開けた助手席の窓から涼しい風が流れ込んでいる。


 赤信号で緩やかに車は停止した。

 すると運転していた一樹が、ふいに後部座席の音彦を振り返った。


「そういえば、どうして歩廊座の監視カメラの映像を流したんだ?」


 この男は何も考えていないようで、たまに鋭い。


 柴田との信頼関係を想像すれば、警察に森野の状態を示すには音彦に掴みかかり暴れる様子を見せるだけで、ある意味事足りていた。

 

 では何故音彦は余計な事をしたのか。


 ――痛い所を突いてくる。


 音彦は自嘲気味に嘆息した。

 一樹の悪気もなく純粋なだけの性質は、時に音彦の舌を鈍らせる。

 

「ただの自己満足ですよ。あんなものは……」

「?」


 故、駒川あゆ美が何故姪の肉体を借りて音彦の元に向かったのか。

 同化するのには近しい相手が都合が良かったのか、大切な物ブローチの為、手段として利用しただけだったのか。

 ――亡者は生前の本能のままに、ただ在るだけと知っているというのに。


 死してなお、大切な者森野鈴砂の人生を思慮したのかもしれないと。

 ――とんだ甘い考えだ。


「真実はもう、誰に聞く事も叶いませんがね」


 バックミラーに映る一樹の眼は、冷やかす一歩手前の気持ち悪さを醸し出している。

 すべて判ったような顔をしているのが、殊更ことさらに気分が悪い。





 赤い月が支配する世界。

 点々としたはりぼてが列を作っている。

 ゆらり伸びた影同士が繋がり、一本の黒線となった。

 それらは各々に何かを持って、光る川を目指している。


 現世うつしよでの別れの時。

 棺の中の故人はたくさんの美しい花々と生前の持ち物と共にある。

 好んだものを、身に付けていたものを、思い出の品々を、遺った者達は持ち寄るのだろう。



 その中のたった一つは、もしかしたら最後の最期、その人がその人である内まで、共にあるのかもしれない。

 



 終




 ここまで読んで頂きまして有難うございました。いいなと思ったら作品フォロー、☆評価を頂けますと嬉しいです。今後の励みとなります。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

特殊エンバーマー:沢木音彦の事件録 まきむら 唯人 @From_Horowza

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ