現場2:霊安室
近年増加しているここは、民間の遺体安置施設である。
火葬の予約待ちや、何らかの事情によりお別れの日数を延ばさざるを得ない場合など利用される。
問題のあった駒川あゆ美の遺体も例外なくここに保管される事となった。
自室で転倒し、
通夜の前、エンバーミングの際の事だ。人が離れた時にそれは現れていた。
故人の化粧が様変わりしていたり、付けた筈のイヤリングが何故か床に落ちているなどの不可解な現象が起こった。何とか葬式までは執り行ったが、それらの現象はより激しさを増し、
そうして、『彼女』は意図してここ遺体安置施設で待機する運びとなった。
死者と対話出来る特殊エンバーマーの顔を持つ音彦は、彼女の願いを担う事となる。
死者との会話というものは、すんなりとは成り立たない。
片言、うわ言と共に語られる、およそ人語ともつかない
兎にも角にも判ったのは、ポルターガイスト現象然り。どうやら故人は不満があるのだ、ということ。
埒が明かなかった音彦は、ここで一つの提案をした。
叶えて欲しいと切に願うのならば、伝えに来いと。
かくして姪、森野鈴沙の身体を借りて駒川あゆ美は音彦の元へやって来た。
大切なブローチを探して欲しい。
生者の口を介した事により、駒川あゆ美の望みは判ったがここからが本番だ。
音彦の手持ちは『駒川あゆ美の望み』と彼女が持って来た『遺言状の書面』だけ。
残るピースを求め音彦は現場へと向かい、本来の森野鈴沙と対面したのだった。
そして今、音彦の呼び掛けで警察関係者、施設スタッフ、駒川あゆ美の親戚数人同席の元、彼女の死に関わる真実が明かされようとしている。
「それでは駒川あゆ美の死には事件性が潜んでいるということですか? これまでの怪奇現象は、彼女自身が訴えているからだと。相変わらず沢木さんの言うお話は突拍子もない。想像の域を出ない事ではありませんか? 我々警察はそのような妄想に『はい』と頷く事は出来ない。そこまでおっしゃるんだ。何か、我々が納得出来る証拠をお持ちなんですか」
柴田刑事とは顔見知りだ。
特殊エンバーマーという肩書はあれど、ただの虚言や妄想だと取り合おうとしない警察関係者がほとんどの中、柴田だけはとりあえず話を聞いてくれる。音彦にとって何とも
「証拠として、駒川あゆ美の自室天袋に設置されていた八ミリカメラの映像をご覧下さい」
「あゆ美おばさんが、どうしてそんな――!」
森野鈴沙は色めき立ったが、柴田に制される。
「これはっ……」
最初こそ室内はにわかにざわついていたが、それも一樹によってスクリーンに投影された映像によって静まっていった。
「このカメラは駒川あゆ美自身が設置したものです。死亡推定時刻前の映像には、カメラ設置後に椅子の上から転倒し頭部を強打、一時気絶している様子が映っている。そして目覚めた夕方に、姪である森野鈴沙が部屋に入って来る。口論の末、森野に押された拍子に再び頭部を壁にぶつけてしまった」
「……つまり、死亡原因は――いやまず、どうして駒川あゆ美は自室にカメラを仕掛けたんです? 自分の身に何かが起こると予見していたとでも言うんですか」
音彦がプロジェクターのリモコンを操作すると、ついに室内は完璧な無音となった。
この誰もが抱く疑問の答えも、すでに音彦の内に用意されている。
「失礼します」
その時、この舞台はまるで音彦の掌の上であるかの様に、絶妙の間で室内唯一の扉が開いた。
施設員から受け取った封書にサッと目を通すと、音彦はそれを柴田に手渡す。
「駒川あゆ美の主治医からです」
「これは、認知症の診断書?」
柴田の眼が見開かれる。
「そうです。駒川あゆ美は認知症の診断を受けていた。急激な進行を恐れたのか、薬の処方もしていた様です。これらを踏まえると、詳細な遺言状を残していた事、カメラに関しても何も可笑しな行動でもない。彼女は自身の日々の変化を知る為に、自分の姿を映像に残そうとしたのでしょう」
「それが奇しくも自分自身の最期を記録する事になったのか……」
駒川家の親族がざわつく中、一同の視線は垂れ下がるスクリーンの向こう側に注がれていた。
壁には四角い扉がズラリ、縦横に並んでいる。
その何処かに、駒川あゆ美が眠っているのだ。
「……ない……」
すると、声がした。森野はポツリ、ポツリと何かを言っている。
「私じゃない!」
絶叫と共に、彼女はいきなり音彦に掴みかかった。
「私は何もしてないなにもしてないのおぉぉ……ねぇーーー、そうでしょ? そうだよね!」
「おい! 止めろ! 離れないか!」
「あゆ美おばさんもそう思うでしょ? 思うって、ほら、そこにいるでしょ? あんた判るんだよね? いるでしょ、ねぇっ!」
大方の予想通り、駒川あゆ美の死に関わっていた森野の精神はすでに限界を超えていたのだ。
音彦に縋りつき泣きわめく様は同情を誘うと同時に、常人が怖気づいてしまう程の狂気をはらんでいる。
「大丈夫ですか? 沢木さん」
何とか引きはがそうと試みた柴田の額には、玉の汗が浮かぶ。
「ええ。それでは次は当事務所の監視カメラ映像をご覧頂きましょう」
それまで森野を冷ややかに見下ろすだけだった音彦がニコリと微笑んだ。
騒然としていた場に、再びプロジェクターの鈍い光が射し込み映し出されたのは、
そう。
「これは、森野さん!? 一体どういうことです」
「森野鈴沙さんご自身から、駒川あゆ美さんについて調べて欲しいと依頼を受けていましてね。……皆さん、もうお判りですね? 森野さん、貴方は――」
「知らない! わたしはしらないわたしじゃないわたしはいらない! ぅあああぁぁ!」
引きはがされるもなお暴れる森野から何かが零れ落ち、壁際まで転がった。
「森野さんは恐らく統合失調症。私の事務所を訪れた時、そして先程の言動も然り。明らかなせん妄の症状が現れていると考えられます」
「なんということだ……」
「彼女は駒川あゆ美の死の重要参考人、それは判っています。ですが、柴田刑事にはその点をご留意頂きたい」
「判りました。では、ひとまず彼女を連れて我々は署に!」
柴田に促され駒川家の親戚も退室し、安置所内はしんと静まり返った。
部屋の隅に屈み込んだ一樹は何とも言えない表情をしている。
「これで良かった。ですか?」
「それは私達が決める事ではありません。ただ、依頼は完了した。それは良しとしようじゃありませんか」
暴れる森野から零れ落ちたものを、一樹は拾っていたのだ。衣服のボタンが取れたかと思われたそれは、幼児の小指大ほどの碧い――。
一樹からそのブローチを受け取り、音彦はこの日一番の微笑みを浮かべたのだった。
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