修羅の慟哭
村雨与一
第一章. 愚連隊
———————序章 故郷に帰る———————
———「静かにしろやぁ—」
黒々と静まり返る海に、腹に響きわたるような怒声が木霊した。
——————————❄︎—————————
——とある静かな港町の一角で騒ぎは起きた。
船乗りとヤクザ者が向かい合い睨み合っている。
辺りではどうした事かと、野次馬が周りを遠巻きに、驚愕の思いで成り行きを見守っていた。
市場近くの岸壁では、水揚げ漁満載の漁船が大漁旗を靡かせ二十艇も停泊していた。
秋刀魚漁が盛んな掻き入れ時の忙しい中で事件は起きた。
なんでも組の金を持ち逃げしたチンピラを匿っていると、怒鳴りちらすヤクザ者数名が、甲板に雪崩れ込んできたらしい。
ヤクザ者は傍若無人に土足で投網を踏みつけ、船内へ入って来た。
漁師の命でもある投網を土足で踏みつけられ船乗りは怒った。
——その時、血の気の多い数人の船乗りが歯を剥き出しに、どこぞのヤクザ者を捕まえ、今にも殴りかからんばかりに血相を変え吠えた。
始めは白竜丸の船乗りとヤクザ者が岸に上がって吠えあっていたのだが、後からドヤドヤと停泊していた漁船から船乗り供が加勢に加わり騒ぎは大きくなった。
荒海で鍛え上げたゴツい躰の無精髭面の海の荒くれ共が目を剥き出しに怒鳴り合っている。
船着場の広場に五十人もの船乗りとヤクザ者がごった返していた。
こうなると、もう誰も止める事が出来ない状態だ。
と、その時、一台の四輪自動車が喧騒の中に飛び込んで来た。
急ブレーキを掛け、けたたましい音を立て広場の中央に車は止まった。
ドアが開き、一人の男が降りるや否や、船乗りたちに向かっていきなり怒鳴った。
ドスの効く声が一瞬にして怒号の如く吠えていた男たちを沈静させた。
男は四輪自動車から降りたち、仁王立ちに男たちの前に立ちはだかった。
睨み合っていた若いヤクザ者の一人が、睨み合っていた形相を仁王立ちの男に向け、一瞬身構えた。
威勢よく啖呵を切っていた二十代の若者は、勢いのまま男に向かって怒鳴り返し、掴み掛かろうと矛先を男に向けた。
普段でさえ、港町の男は荒くれで鼻息が荒い、それが今日のように、いざこざあれば、なお拍車をかけて危険な状態だ。ヤクザ者だけに、下手をすると簀巻きにされ、沖合の海に放られるのが関の山だ。
仁王立ちの男はたった一人。
———殺られる!
誰もがそう思った。
野次馬は息を呑んだ。
———が、その瞬間!
「———やめろ!」
髭面のヤクザ者が、若いヤクザを制止した。
矛先を男に向けて、殴り掛かろうとした威勢のいい若いヤクザは勢いを止められ、怒り醒めやらない気持ちを髭面の年配ヤクザに向け、睨みつけた。
「おめえの敵う相手じゃねぇ」
髭面のヤクザは、若いヤクザに向かい、瞬きもせず見開いた眼で諭すように、静かな口調で言った。
言われた若いヤクザは、今までいきりたち噛みつかんばかりに、目をギラつかせ、男を睨みつけていた眼からは、光が失せ、怯えにも似た媚びるような表情に変わっていた。
車から降りたった男の歳のころは三十二か三、海の塩っからい日差しに程よく焼け、無駄な肉が無い精悍な顔付きの男だ。ベージュの三揃いのスーツを着ている。
頭髪はポマードで後ろに撫でつけツバ広の帽子を被っている。
男はホンブルグハットを目深に被り大股で、大将らしきヤクザ者の前に歩み寄った。
男はダミ声ともつかない、干からびたしかしドスの効いた声をしている。
男は、
船乗りの大将の方は、眉間に皺を寄せ何やら訴えるような目つきで男に話している。
すると漁船からヤクザが若い男を連れて出て来た。
「こんガキ、機関室で震えてやしたぜ」
どうも金を持ち逃げしたチンピラが、夜中、勝手に白竜丸に忍び込み一晩夜を明かしたらしい。
襟首を鷲掴みにされ、恐怖で丸まったチンピラが引きずるように連れて来られた。
「この野郎、
髭面のヤクザ者は、金を持ち逃げしたチンピラを睨みつけて言った。
そばにいた船乗りが声を荒げた、疑いを掛けられた上、土足で投網を踏まれた船乗りは髭面のヤクザに向かい詫びろと怒鳴った。
他の鼻息の荒い若い船乗りも、よく調べもしねぇで、と食って掛かる。
「まぁ、まぁ、そう怒り畳んで・・・おうっ! ぼうや、おめえ、どんな訳があるにせよ人様の金に手ぇつけちゃいけねぇよ、誤ってすまねぇだろうが、きっちり教育してもらいな———大将、手加減してやんなよ!」
「へぇ殺さねぇ程度に、」
「ほれ、おめえも旦那に頭下げな」
持ち逃げのチンピラが「すんません、すんません」と何度も頭を下げた。
「狭ぇ町なんだから、みんなして力を合わして、仲良うしてな、それから泥棒のにいちゃん、訳ありなんだろう、後で木島の事務所に顔出しな!」
男は帽子のツバをチョイと上げ、顎を突き出すようにして言った。
男の目はツバの影になり見えなかったが、優しい眼差しをしていた。
男は左の大将の肩をポンと叩き、踵を返し、四輪自動車に乗り込み去って行った。
昭和二十三年 男の名は勝田初蔵、久しぶりの里帰りの途中での出来事だった。
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