ラブレターはハチミツを溶かした後で
昼月キオリ
ラブレターはハチミツを溶かした後で
〜ハチミツカフェ〜
ハチミツカフェ。
住宅街を抜けた先にある小さなお店。
店主は南雲小夜(なぐもさよ)。年齢は78歳。
長い白髪を後ろでお団子にしている。
四角いテーブルに敷かれたテーブルクロスはワッフル織りで落ち着きのある黄色のチェック柄。
はちみつをイメージしている。
店内にはドライフラワーが壁に飾られている。
テーブル席が二席、カウンター席が三席と小さなカフェだ。
カウンター席の目の前はガラス張りになっており、目の前には木が並んでいる。
天気が良い日には木漏れ日だけで本が読めるベストスポットだ。
カフェの周辺は静かで、店内に入って椅子に座ると時が止まったような感覚になるらしい。
店主の小夜がキッチンの中からひょこっと出て来てようやく時間が進み出すのだ。
窓の外では鳥たちが戯れ、チュンチュンと可愛らしい音色を奏でている。
春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色を。
春夏秋冬、どの季節に来ても楽しめる。
ハチミツカフェの窓枠はさながら額縁に飾られた一枚の絵のようである。
"ハチミツカフェ"
<メニュー>
ー全て300円ー
〜飲み物〜
ハチミツミルク
ハチミツ紅茶
ハチミツサイダー
〜おやつ〜
ハチミツクッキー
ハチミツドーナツ
ハチミツマドレーヌ
小夜が作る飲み物や食べものは捨てたい過去がある人にとっては処方箋と同じだ。
その理由は一つ。
小夜が捨てたい過去の自分を連れて来るから。
そして小夜とのたった一つの約束。
"連れてきた過去の自分を必ず抱き締めること"
それはとても勇気がいることで
自分の弱さと向き合い、自分を受け入れなければならない。
けれど一度それができたなら、ハチミツが温かい飲み物に溶けるように心も柔らかく優しく溶かしてくれる。
カフェを出る時には過去の自分を許せてちょっぴり自分を好きになれる。
そんな優しい魔法がこのカフェにはあるのだ。
小夜が持っている秘密の蜂蜜瓶。
しかし、その蜂蜜瓶は特別なものではなく、小夜が街角にある小さな輸入食品店で買ったものである。
小夜が買ったはちみつ瓶はドイツのアカシアハニーで、瓶のラベルには可愛らしい白い花と蜂のイラストが描かれている。
小夜はカフェの近くで一人暮らしをしている。
1K、4.5畳、和室、トイレバス別の小さなアパートだ。
旦那は他界しているが娘が一人いて、孫が二人いる。
娘は小夜が70歳になった頃、心配して一緒に暮らそうよと言ったのだが、当の本人は娘の世話になるのは忍びないからと断ったのだ。
本音を言えば一人の時間が好きだったのが一番の理由だった。
余世を八郎との思い出の中で生きたかったのだ。
八郎とは旦那の名前ではなく、18歳の時にお付き合いをしていた男性のことだ。
しかし、互いには決められた結婚相手がいた為、別れざるを得なかったのだ。
小夜がカフェを開くのは週に一度。
月曜日だけだ。
他の曜日は内装はそのままに通常のカフェで、営業時間もメニューも異なる。
普段は"カフェ・ランダム"と言う。
カップケーキやパスタが食られるお店だ。
店員は五十嵐夏木(いがらしなつき)と五十嵐一(いがらしはじめ)が夫婦で営んでいる。
娘に連れられて来た時、
二人は小夜と話をしていくうちに小夜の人柄を気に入り、
話の中でハチミツカフェを週に一日でいいからやってみたいと聞いた二人はこのお店を使って欲しいと提案した。
娘も賛同してくれた為、小夜はそんな二人のご好意に甘えることにしたのだ。
一話 学校とハチミツ
2月。佐奈田美月(さなだみつき)。高校1年の冬。
私はハチミツカフェに来ている。
ここへ来ると悩みが解決するという噂を聞いたからだ。
小夜「いらっしゃいませ」
カウンター席に座り、メニュー表を見る。
飲み物はハチミツミルク、ハチミツ紅茶、ハチミツサイダー。
おやつはハチミツクッキー、ハチミツドーナツ、ハチミツマドレーヌ。
前メニュー300円だ。
看板にはハチミツカフェと書いてあるだけあってメニューは全てハチミツが入っているようだ。
私はハチミツサイダーとハチミツクッキーを注文した。
小夜「どうぞ」
美月「ありがとうございます」
ハチミツサイダーは炭酸がしゅわしゅわ〜っと弾けた後にハチミツの甘さがふんわりと口の中に広がる。
ハチミツクッキーはバターの良い香りがする。かじってみるとバターのコクが来た後にはちみつの甘さがふわっと広がる。
美月「美味しい・・・はぁ、ずっとここにいられたらいいのに」
小夜「おやおや、どうしたの?」
美月「あ、すみません、つい口に出してしまって・・・」
美月は慌てて自分の口を手で押さえた。
小夜「いいんだよ、今は他にお客さんもいないし話してごらん」
美月「はい・・・実は学校に馴染めなくて居場所がないんです」
小夜「なるほどね」
美月「それで現実逃避しようとここへ・・・こんな自分いなくなってくれたらいいのに」
小夜「それじゃあお嬢さんもハチミツの魔法をやってみるかい?」
美月「え?ハチミツの魔法??」
小夜「この魔法はね、捨てたい過去がある人しかできないんだ、
過去の自分をここへ誘うことができるんだよ」
美月「え、過去の自分を誘うってどうやってですか!?」
小夜「具体的に説明は難しいんだけど、私が作った飲み物や食べものを食べた人にだけできるらしくてね、
私が念じると過去の自分が目の前に現れるんだ」
美月「あ、現れてどうなるんですか?」
小夜「終わる頃には心がすっきりするって聞いたよ、
残念ながら自分には使えなかったから詳しくは分からないけどね」
美月「じゃ、じゃあ私も!やって下さい!」
私は藁にも縋る思いでそう告げた。
小夜「分かったよ、でもね、ひとつだけ約束して欲しい」
美月「なんでしょうか?」
小夜「過去の自分に会ったら必ず抱き締めてあげて欲しいんだ」
美月「え、大っ嫌いな自分をですか?」
小夜「これは大変なことだよ、自分と向き合わなければならないからね、でも、それが唯一のルールとでも言おうかな」
美月「わ、分かりました、何が何だか分からないけどやってみます」
店員さんはニコッと笑った後、私の目をじっと見てから目を閉じた。
すると店員さんが光に包まれたかと思ったら私の目の前に私が現れた。
高校の制服を着ている。学校にいる時の私だ。
椅子に座り、暗い顔をして俯いている。
ああ、私ってこんな顔して学校にいたんだ。
小夜「こんな姿を見たら自分を捨てようなんて思えないだろう?辛い思いをしている自分をさらに追い込むも同じだからね」
美月「はい・・・」
私は椅子に座っている私の横に立った。するとこちらを向いて目が合った。
まるで何かに縋るような視線を向けられている。
ああ、私、こんな自分を捨てようとしていたんだ。
こんなに辛そうにしている自分を放ってなんていられないよ。
私は座ったままこちらを向く私を抱き締めた。
そして声をかけた。
美月「もう大丈夫だからね」
そう言って体を離すとニコッと笑って消えていった。
それと同時に眩しいほどの光が消えた。
小夜「どうだった?」
美月「私、自分のこと認められてなかったんだなって思いました、こんな自分大嫌いだって、
でも、ただでさえ辛い思いをしているのに自分でさらに追い込むなんてバカバカしく思えてきました」
小夜「そう言ってもらえるのを待っていたよ、大丈夫、あなたならこれから上手くいくわ」
美月「あ、ありがとうございます・・うぇ!?な、なんか涙が!涙が止まらないよぉ!」
小夜「あらあら」
今度は小夜が美月を抱き締める。
美月「うっ、えぐっ・・・」
小夜「大丈夫、大丈夫だからね」
美月「ありがとう・・ございますっ・・」
ハチミツカフェに来る前まではあんなに暗い気持ちだったのに今はすっきりした気持ちになっている。
不思議だ。自分を抱き締めただけなのに。
美月「また来よう」
美月はそう呟いて歩き出した。
帰り道は足取り軽く、空を見上げると青い空に白い雲がぷかぷかと泳いでいた。
二話 仕事とハチミツ
豆田樹(まめだいつき)。38歳。
会社でミスをして怒られてしまった・・・。
トボトボと歩いていると不意にハチミツの香りがした。
カフェの扉が空いて一人の女の子が出てきた。
すれ違った。
あの子、足取りが軽い。それに晴々とした表情をしていた。何かいいことがあったようだ。
店の前まで行く。
看板にハチミツカフェと書いてある。
ああ、やっぱりハチミツの香りはこのお店からする。
俺はハチミツが好きなのでこれも何かの縁だと思い、中に入ってみた。
小夜「いらっしゃいませ」
他にお客さんが二人いる。テーブル席に中学生くらいの女の子二人だ。
女の子1「小夜ばあちゃん、ハチミツソーダ二つお願い!」
小夜「はいよ」
小夜ばあちゃん、とは店員さんの名前だろう。
エプロンを付けた70代くらいの女性が現れる。
店員はこのおばあさん一人なのか。大変そうだな。
俺はカウンターの壁側の隅の席に座ることにした。
ここなら一番目立たなくていいだろう。
小夜「ご注文はどうしますか?」
樹「えーと、ハチミツ紅茶って紅茶とハチミツ以外何か入ってますか?」
小夜「いや、入っているのは二つだけだよ」
樹「じゃあそれと、はちみつマドレーヌお願いします」
小夜「はい」
優しそうな人だな。なんてゆうか日本昔話に出てきそうな感じ。
あ、昔食べたことがあるポタポタ焼きのイラストのおばあさんみたいな。
先に注文していた二人組の女の子たちのはちみつソーダが届く。
二人はそれを一気に飲み干した。
女の子1「くぅ〜!やっぱ美味しいね!ハチミツソーダ!」
女の子2「うんうん、喉が渇いた時はこれだよね!」
俺の注文が届く頃には女の子たちはお店を出ていた。
その速さに驚いているうちに俺が注文したはちみつ紅茶とハチミツマドレーヌが届く。
めちゃくちゃいい香りがする‼︎マドレーヌからはバターとハチミツ、紅茶からはふわりとハチミツの甘い香りがする。
紅茶は癖のないダージリンだ。
俺はその誘惑に誘われるように紅茶を一口飲み、マドレーヌを食べる。
周りはサクッと仕上がっているのに中はしっとりとしている。
マドレーヌを噛むごとにハチミツがジュワッと口の中いっぱいに広がる。バターよりもはちみつが強く感じられた。
樹「う、うまい・・・」
思わずポツリと呟く。
樹「はぁ、こんなうまいもん食ってんのにしょげてちゃもったいないよなぁ・・・」
小夜「おやおや、お兄さん何かあったの?良ければ話してごらん」
彼女に聞かれると不思議と何でも話したくなってしまう。
まさに日本の良き母というイメージがぴったりと合う人だ。
こういうのを嫌がる人も中にはいるのだろうが、俺にとってはありがたかった。
東京に出て一人暮らし。
両親は俺が東京に出てしばらくして交通事故で亡くなった。
両親は最後まで出版業界に携わりたいという俺の夢を応援してくれていた。
兄弟もいないから家族は一人もいないのだ。
地元の友達とは縁は繋がってはいるものの、会える機会は滅多にないし、東京でできた友達が三人いるのが唯一の救いだった。
だからこんな風に家族みたいな優しさが懐かしく感じた。
温かい場所だ。
樹「俺、出版業界で働いているんですけど、今日ミスしてしまって怒られてしまったんです」
こんなこと、大の大人が言うなんて通常なら恥ずかしくて言えない。
でも、彼女にはそういう大人のタガみたいなものを外してしまう不思議な力があるような気がした。
何故だろう。ただそこに立っているだけなのに。
小夜「なるほど、仕事でミスをしてしまったんだね」
樹「はい・・・」
小夜「ミスは誰にでもあるからねぇ、とは言え、当事者になると辛いよね」
樹「そうなんです・・・はぁ、俺なんかダメダメだ」
小夜「そんなことはないよ、君は生きている、ただそれだけで素晴らしいことなんだよ、そんな風に自分を責めたら傷付いている自分に塩を塗るのと同じことさ」
樹「き、傷に塩、ですか・・・」
小夜「どれ、君も試してみる?ハチミツの魔法を」
樹「ハ、ハチミツの魔法??なんですかそれ?」
小夜「この魔法はね、捨てたい過去がある人しかできないんだ、
過去の自分をここへ誘うことができるんだよ」
樹「過去の自分を誘う・・・?どうやってそんなことを・・・」
小夜「うーん、私もよく分かってないんだよね、ただ、過去の自分を私が連れてくるってことかな」
樹「なんかよく分からないですけど、
過去の自分を連れて来たとしても辛いだけじゃないんですか?捨てたい過去なわけですし」
小夜「うーん、それがそうでもないみたいなんだ、私との約束をちゃんと守ってくれればね」
樹「約束って何をですか?」
小夜「それは過去の自分が現れた時、必ず抱き締めることさ」
樹「自分を抱き締める?・・・」
小夜「そう、捨てたい過去の自分に会うということは嫌でも自分と向き合わなけばならないし確かに辛いかもしれないね、
でもね、それが全て終わった後、必ず皆んな笑顔で帰っていくんだよ」
樹「そんなことできるんですかね?俺は心配です・・・罵声浴びせそうで」
小夜「まぁ、やってみようか」
そう言って小夜さんは俺の目を見た後、目を閉じた。
すると小夜さんの体が光に包まれた。
眩しさに目をギュッと閉じ、もう一度開くと目の前には
会社の社員証を付けてうなだれている自分の姿があった。
社長に怒られた直後の俺だ。
今にも泣き出しそうな顔をして立っている。
まるで捨てられた子犬のようだ。
自分の姿を客観的に見たからだろうか。
物凄く慰めたい衝動に駆られた。
小夜「これでも罵声を浴びせたいと思うかい?」
罵声を浴びせる?バカ言うな。
こんなに落ち込んでるじゃんか。慰めてやれよ。誰が?そんなの俺しかいないじゃん。
俺は俺の目の前まで行く。すると、俺がこちらを見ている。
眉が下がり、明らかに泣き出しそうなのを堪えているのが分かる。
俺は力いっぱい俺を抱き締めた。
樹「大丈夫だ!なんとかなる!俺がついてるぞ!」
友人を慰める時と同じように自分を励ます。
そう言って体を離すと、ニコッと笑い、俺が消えていった。それと同時に光が消えていく。
小夜「どうだい?」
樹「なんか、めちゃスッキリしました!!」
小夜「そうかい、それは良かったね、これからもその気持ちを大事にね」
樹「はい!!」
俺は店に入る前の自分が嘘のように店を出た後、駆け足で自分の住むマンションに帰っていった。
風がこんなにも清々しく感じたのは何年振りだろうか。
三話 失恋とハチミツ
葉子「はぁ」
ため息をつきながら歩く。
笹木葉子(ささきようこ)。24歳の冬。バレンタイン間近に失恋。
目の前にハチミツカフェの文字が書かれている看板が目に入った。
葉子「ハチミツ美味しそう・・・」
そう言うとほぼ同時に店の中から一人の男性が出てきた。
するとそのまま笑顔で駆けて行った。
そんなに美味しかったんだろうか?と気になり出したら止まらなくなりカフェに入ってみることにした。
小夜「いらっしゃいませ」
入り口に近い方のカウンター席の隅っこに座り、
メニュー表を見て気になったものを注文する。
笹木「あの、ハチミツミルクとハチミツドーナツ下さい」
小夜「はい」
注文が届くまでの間、私は無意識にため息をつき続けていた。
小夜「どうぞ」
葉子「ありがとうございます」
ハチミツミルクは温かい牛乳にはちみつを溶かしたシンプルなもの、ドーナツも味はシンプルながらハチミツの甘さが優しく口の中に広がる最高のおやつだった。
葉子「美味しい、美味しいよ・・・」
小夜「おやおや、そんな泣くほど感動してもらえるなんて嬉しいねぇ」
葉子「はい、美味しいです、ハチミツの甘さが心の傷に染みるというか・・・」
小夜「何があったの?話してごらん、心の中にあるものを外に出したら楽になるかもしれないよ」
葉子「はい・・・私、実は彼氏にフラれたばかりで・・・」
小夜「なるほど、それでため息を沢山付いていたんだね」
葉子「はい・・・こんな自分嫌だ、彼氏にフラれる私なんて価値がないんです」
小夜「おやおや・・・そんなに自分を嫌いになってしまったんだね」
葉子「大っ嫌いです、自分のことなんか」
小夜「それならハチミツの魔法を試してみようか」
葉子「ハチミツの魔法?なんですかそれ」
小夜「この魔法はね、捨てたい過去がある人しかできないんだ、
過去の自分をここへ誘うことができるんだよ」
葉子「誘う??あの、何言ってるのかさっぱり分からないんですけど・・・」
小夜「大丈夫さ、私もよく分かっていないから」
だ、大丈夫なのか?このおばあさん・・・。
さすがにそんな失礼なことは言えないけど。
小夜「でもね、試してみる価値はあるんじゃないかな?
皆んなこのカフェに来た直後は落ち込んでいる人が沢山来るけど、帰る頃には皆んなすっきりとした表情に変わっているんだよ」
葉子「そ、そんなもんなんですか・・・」
小夜「そんなもんさ、ただし、ひとつだけ約束して欲しいんだ」
葉子「約束?」
小夜「ああ、それはね、過去の自分を必ず抱き締めることだよ」
葉子「抱き締める・・・?自分を?無理ですよ、大っ嫌いな自分を抱き締めるなんて」
考えただけでも寒気がする。
小夜「確かに難しいだろうね、自分の弱さと向き合って受け入れなければいけない、
でもね、それはこれからの人生で必要なことなんだよ」
葉子「受け入れるなんて簡単にはできないですよ」
小夜「そうだね、でも、今の辛いままの自分を放っておくのは治療もせずに怪我を放置するのと同じだよ、
例えば森の中で怪我をしたとして、周りに人がいなかったら自分で治療をするしかないだろう?」
葉子「それはまた極端な例えなような気がするんですけど・・・」
小夜「まぁ、今のは極端かもしれないけどそういう意味だよって話しさ」
葉子「分かりました、そんなに言うなら試してみます」
小夜「よし、じゃあ試してみようね」
そう言うとおばあさんは私の目を見た後、目を閉じた。
するとおばあさんが光に包まれる。
葉子「わ!?眩しい!」
眩しさに目を瞑り、そっと開けると・・・そこには私が立っていた。
下唇を噛み、必死に泣くのを耐えている。
彼に別れを告げられた直後の私だ。
その場で泣けばいいのに彼氏に弱みを見せたくなくて涙を堪えてしまっている。
素直になれない可愛くない私だ。
小夜「おやおや、こんなにも可愛らしい子をフッてしまうなんて彼も罪な男だね」
葉子「え、か、可愛い?可愛げがないって彼からは言われてフラれたんですけど・・・」
小夜「辛いのをぐっと堪える姿が私には愛おしく見えるけどねぇ、
これから先、そんなあなたを可愛いと言って愛してくれる人がいるんじゃないかな?」
葉子「・・・」
私は私をじっと見つめる。すると私がこちらを見てきた。
何かに救いを求めるような何とも言えない表情で口をギュッと閉じている。
何かを待っているような。そう、抱き締めてくれる人を・・・元カレはもう抱き締めてはくれない。
それなら・・・。
私は私の目の前にいき、そっと抱き締める。
葉子「だ、大丈夫だよ、私、こんなだけどさ、いつかこんな私を可愛いって言ってくれる人見つかるから、だから大丈夫だよ」
そう言って体を離すとニコッと笑い、私が消えていった。それと同時に光も消えていく。
小夜「どうだった?」
葉子「私、自分のこと、少しだけ好きになれたかもしれないです」
小夜「その言葉を待っていたよ、大丈夫、あなたにはもっとハンサムで優しい彼氏ができるから」
葉子「そうですね、しばらくは落ち込むと思いますけど、思いっきり落ち込んだらその後はもっといい男の人探しに行こうと思います」
小夜「その息だよ!」
葉子「あの、あなたの名前聞いてもいいですか?」
小夜「私は小夜だよ、あなたのお名前は?」
葉子「私は葉子です」
小夜「葉子ちゃん、いい名前だね」
葉子「ありがとうございます・・・小夜さん」
帰り際、彼女がこう言った。
葉子「ねぇ小夜さん、このカフェを本にしたら面白そうね」
小夜「このお店を本に?」
葉子「うん、だってとっても素敵なカフェだもの!月曜日だけっていうのもなんだかロマンチックだし!」
小夜「ありがとう、そうね、そんなことができたらいいわね」
そうしたら八郎さんがもしかしたら読んでくれるかもしれないわね。
葉子「じゃあまた来ます!」
小夜「ありがとう、気を付けて帰るんだよ」
葉子「はい!」
それからすぐのことだった。
高校生の女の子がまたこのお店に来た。
趣味で小説を書いているらしく、このカフェを本にしたいと頼んできたのだ。
タイトルは"はちみつ平和"にしたいとのことだった。
こんなことあるのかと思った。葉子ちゃんとあんな話をした直後だったから。
私はこれは運命だと感じ、すぐにOKの返事をした。
私の過去も含め、色々なことを話した。
彼女はどの部分を使っていいか聞いてきたので、全て本に書いて欲しいと私から頼んだ。
学生ながらに文才能力のある子だと思った。
そんなことを思っていたらあれよあれよという間に賞を取った。
しかも、その子の能力を初めに見つけたのがまさにこのお店に来ていた出版社で働いている男性だったのだ。
美月「どうして小夜さんはハチミツを使うことにしたの?やっぱり大好きだから?」
小夜「ああ、そうだよ、それと、昔、と言ってももう60年も前になるけど当時お付き合いをしていた八郎さんという人がいてね、
私たちは趣味も好みもバラバラで八郎さんと唯一被った好きなものがハチミツだったんだ、
私は紅茶に、八郎さんはホットミルクにハチミツを溶かして飲むのが好きだったのよ」
美月「それでハチミツなんですね!」
小夜「そうだよ」
それから数日間に渡り、私は美月ちゃんに全てを話した。
一年後の春。本屋に彼女の書いた"はちみつ平和"が並んでいるのを見かけた時は嬉しかった。
四話 花束とラブレター
5月。月曜日の午後、男性が一人来店してきた。
赤いガーベラの花束を持っている。
スーツを着て白髪の髪型を綺麗に整えてある。
橘八郎(たちばなはちろう)。小夜と同じ78歳。
小夜「いらっしゃいませ」
八郎「あの、小夜さんですか?」
小夜「え、その声、頬のほくろ、八郎さん、八郎さんなのかい?」
八郎「ああ、そうだよ」
小夜「ああ・・ああ・・夢じゃないんだね・・・会いたかったよ八郎さん」
小夜の目から涙がボタボタと落ちる。
彼女のしわくちゃになった両手が顔を覆う。
彼女の生きてきた証が沢山刻まれた手だ。
そんな小夜さんの姿が愛おしい。
八郎は小夜を60年越しに抱き締めた。
ああ、良かった。死ぬ前に小夜さんに会えて。
それだけが心残りだったから。
まさか小夜さんも自分と同じ気持ちを抱いてくれていたなんて思わなかった。
痛いくらいに胸が熱くなるのを感じた。
八郎「僕もずっと会いたかったよ小夜さん」
小夜「夢じゃ、夢じゃないんだね・・・」
八郎「ああ、夢じゃないよ」
あの頃より掠れているけど変わらない私の名前を呼ぶ愛しい人の声。そして温もり。忘れことなんてただの一度もなかった。
忘れるなんてあるはずがない。
小夜「でも一体どうして?」
八郎「読んでいた本の中に出てきたんだよ、
ハチミツ、サヨという女性、そして過去は捨てるものではなく抱き締めるものという言葉で分かったんだ、
これは小夜さんのことを書いたものだとね、
それで、ファンレターに自分のことを書いて出し、
作者である佐奈田さんの所へ行って担当者さんを含めて三人で話をする機会を手に入れた、
そしてここへたどり着いたというわけさ」
小夜「まぁ・・・」
あの日、僕が言った言葉。
八郎「過去は捨てるのではなく抱き締めるものだ、
いつか俺と小夜さんが離れたこの記憶も抱き締められるように祈っているよ」
小夜「私はずっとそれができないでいた、
だから他の人にはそうならないようにあって欲しかったんだ、
今なら抱き締められるよ、八郎さんが会いに来てくれたからね、
どうか、今までの弱い私を許して欲しい」
八郎「許すだなんて、かっこいい風なことを言って強がったまま、結局、子どもが成人した後すぐに離婚を言い渡された僕は君よりずっと弱かったさ」
僕は妻と離婚、小夜さんは旦那さんと死別していた。
小夜「弱さなんてはハチミツと一緒に溶かしてしまえばいいさ、
時代は変わったんだ、
私たちはもう自由になっていい頃だろう」
八郎「ああ、そうだったね」
そうして二人は熱く抱き合った。
しばらく抱き合ったのち、小夜が手紙を出してきた。
色褪せてはいるものの大切に保管されていたのが分かる。
八郎「え、それはまさか・・・」
小夜「ふふ、あの日のラブレターだよ」
八郎「まだ取っておいていたんだね、恥ずかしいよ小夜さん」
小夜「一緒に読もうじゃないか、60年分の想いを、
紅茶とミルクにハチミツを溶かした後でね」
そこには昔と変わらないいたずらな笑みを浮かべた小夜さんがいた。
僕が大好きな彼女のまま変わらないでいてくれたんだ。
次の日、いつもの店内に小さな花瓶に入れられた赤いガーベラの花が一輪ずつテーブル席とカウンター席に飾られていた。
五話 それぞれの想い
60年前。
〜小夜視点〜
小夜「本好きなんですね」
小夜。18歳。カフェでアルバイトをしている。
八郎「ここ一番読書にいいんですよ、静かで店内の照明が柔らかくて窓から差し込む木漏れ日で本が読めて、鳥のさえずりがいい音楽を奏でてくれる、
僕は木漏れ日と鳥のさえずりと本があればそれでいいんです」
八郎。18歳。客としてカフェに来店している。
私はそんなあなたを見ていられたらそれでいいわ。
私が八郎さんに恋に落ちたのはその時ね。
彼の知的な感じも好きだけど
この人はないものねだりする人じゃないんだってその言葉で分かったから。
私はカフェの店員、そして彼はお客さん。
声をかける勇気がなかった私は本を読む彼を見守り続けた。
ある日突然彼からラブレターをもらった時は驚いた。
まさか彼が私に好意があったなんて知らなかった。
嬉しくなって私は次に会った時にすぐに返事をした。
二人は恋に落ちて密かにお付き合いを始めた。
でも19歳になった時。お互い、お見合いで結婚しなければならない相手が現れた。
家同士が決めた相手でね。
運命は私たちを簡単に引き裂いてしまったの。
唯一の彼の幸せ。木漏れ日と鳥のさえずりと読書。
そんな彼の幸せが私の唯一の幸せだった。
結婚してから彼は家庭のことで忙しくなり、店に来れなくなってしまった。
私も家のことでいっぱいいっぱいでカフェを辞めて専業主婦になった。
結婚が私たちの唯一の幸せを壊してしまった。
そしてそのお店もしばらくして閉店してしまったんだ。
結婚して私が20歳の時に子どもが産まれて幸せなことも沢山あったけど心の片隅にはいつも八郎さんがいた。
子どもが26歳で結婚をして家を出て、それから20年後に旦那が病で亡くなった。
それからだね私がカフェを始めたのは。
いつか八郎さんがここへ来てくれたらと心の底ではずっと祈っていた。
そして思った。
カフェには絶対、八郎さんと私が好きなハチミツを使おうって。
不思議な力が与えられたことには驚いたけど、それは私がずっとできなかったことを他の人を通して叶えたかったからなのかもしれない。
まさかハチミツが人との縁を繋いで八郎さんに届くなんて思わなかったね。
八郎さんが会いに来てくれて嬉しかったんだ。
それに年甲斐もなく彼を可愛いと思ってしまった。
だって私に花束を渡す時の八郎さんったらソワソワしててまるで宝箱を開ける時の子どもみたいなんだから。
〜八郎視点〜
小夜「本好きなんですね」
カフェに通っているうちに彼女が声をかけてきた。
八郎「ここ一番読書にいいんですよ、静かで店内の照明が柔らかくて窓から木漏れ日で本が読めて、鳥のさえずりがいい音楽を奏でてくれる、
私は木漏れ日と鳥のさえずりと本があればそれでいいんです」
と僕は答えた。
それにあなたがいるから。
僕はラブレターを書いて渡し、やがて二人は密かに付き合い始めた。
でも、そんな幸せは長くは続かなかった。
一年もすると互いにお見合い結婚の話が持ちかけられ、結婚しなくてはならなくなった。
僕の幸せはこのカフェで本を読むことと君が隣にいることだった。
そして、それが小夜さんにとっても幸せだったのだ。
結婚が僕の幸せとあなたの幸せは私の幸せよと言ってくれた小夜さんの幸せさえも壊してしまった。
結婚という枷がそんな僕たちの自由を奪い、二人の仲を引き裂いた。
21歳の時に子どもが産まれて幸せと言える時間も確かにあった。
子どもの成長は嬉しかった。
だけど、次第に妻とは喧嘩が絶えなくなり、子どもが成人したのち離婚を言い渡された。
気の強い人だったから僕みたいなのんびりと本を読みたい人に苛立ちを覚えていたんだろう。
それからは一人孤独に生きてきた。
正直、これで良かったと思った。何より僕自身、僕には孤独が似合っていると思ったから。
まさか死を身近に感じ始めた年齢になって小夜さんの居場所を作家さんを通して知ることになるなんて夢にも思わなかった。
会いに行く日を決めた時、花束を買いに行かなくてはと直感的にそう思った。
小夜さんが好きだった赤いガーベラの花を。
花屋で赤いガーベラの花束を作ってもらい、黄色のリボンをかけてもらった。
受け取ると足早に彼女がいるカフェに向かう。
早く会いたい。小夜さん、小夜さん。
駆け足になるほど誰かに会いたくなる人なんて君しかいないんだ。
六話 カフェ・ランダム
美月「え!夏木さん、小夜さんお店辞めちゃったんですか!?」
6月。日曜日の昼。カフェ・ランダム。
カフェ・ランダムは月曜日と土曜日が休みだ。
このカフェは月曜日だけハチミツカフェに変わる。
12年前。
小夜さんの娘さんが彼女をこのカフェに連れてきたのだ。
五十嵐夫妻が二人で経営しているお店だ。
夏木(なつき)さんと一(はじめ)さん。
小夜さんが週に一度でいいからカフェをやってみたいという話を娘にしていたのを聞き、それなら私たちのカフェを使ってみないかと提案したらしい。
小夜さんの人柄をすっかり気に入った様子だった。
私はカフェのカウンターに座りながら夏木さんと一さんと話しをしていた。
一「そうなんだよ、寂しくなっちまったよ」
美月「でも、どうしてまた急に?まさか身体が悪くなっちゃったとか・・・?」
一「いや、それはないな、すっげー元気そうだったし、というかあれはなぁ?」
一さんと夏木さんが目を見合わせてニヤニヤし出す。
美月「?」
美月が首を傾げる。
夏木「小夜さん、自分のアパートを出て八郎さんのアパートで二人暮らしを始めたそうよ、もう片時も離れたくないんですって」
美月「えぇ!?あ、そういうことか!」
夏木「少し前にお店に二人で来てくれたんだけどね、
もうラブラブっぷりが半端なかったの!漫画に描いたら絶対周りにハートが沢山飛んでるわね」
美月「二人、そんなにイチャイチャしてたんですか?」
一「ありゃー何というか、な?」
夏木「イチャイチャというか二人はテーブル席に座ったんだけどね、
八郎さんったら小夜さんの方にずーっと身を乗り出しながら喋っていたの」
美月「えー!可愛いですね!!」
夏木「でしょでしょ〜!大人になるとさ日頃あんまりほっこりするようなことってないんだけど、
あれはさすがの私もほっこりしたわ」
美月「私でもなってましたよきっと」
一「今までのブランクを取り戻してるんだろ」
美月「そりゃあ60年もずっと思い続けてた相手ですもんね〜」
夏木「ふふ、また来ますって言ってくれたから次に会うのが楽しみね」
美月「私も会いたいなぁ〜」
夏木「ここに来ればきっと会えるわよ」
美月「あ、サラッと営業しましたね夏木さん」
夏木「あ、分かっちゃった?」
美月「分かりますよぉ」
それから2か月後。
私は小夜さんと八郎さんの結婚式の二次会をやるとカフェ・ランダムに呼ばれた。
式を挙げるお金がなく、写真だけ撮ったと言っていた。
私は写真を見せてもらった。
小夜さんは白いドレスを、八郎さんはタキシードを着て寄り添い合うように立っていた。
二人の表情からは幸せがダダ漏れだった。
夏木さんの漫画だったらハートがいっぱい飛んでいるという表現がぴったりな写真だった。
写真を撮った日は8月3日。ハチミツを掛けたのだと言う。
本当にお互いを思いやっているのがこの写真と日付だけで分かる。
そんな二人を見ていて"ああ、私もこんな素敵な恋がしてみたいな"と思うのだった。
ラブレターはハチミツを溶かした後で 昼月キオリ @bluepiece221b
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