シンクロニシティ 〜きみとぼくのDIVIDE《距離》〜

凍龍(とうりゅう)

第1話 最悪の出会い

 転入して三ヶ月。

 まだ梅雨明け前の蒸し暑い六月の午後、グラウンドではサッカーの授業が行われていた。 

 校舎越しに見える山の緑は鮮やかで、山頂近くには陽炎に揺れるガラス張りの建物がキラリと光を反射している。


(ああ、ここからも見えるんだ、科学館)


 そう思った瞬間だった。


『ハルト、緊急事態です!』


 突然耳元で涼やかな女性の声が小さく響き、ぼくは思わず立ち止まる。シンクに内蔵されたAI人工知能、ソラの声だ。

 次の瞬間、視界に入っていた山頂の科学館の全体が一瞬青白く光った。まるでカメラのフラッシュが光ったような……。少し遅れて、ドスンという爆発音のような音も響いてくる。


『山頂のあの建物で何かが起動しました』


 ソラが小さくつぶやく。


「おい止まるな架原かけはら! 前に出ろ前に! マーク外れてるぞ!」


 足を止めたままのぼくに先生が怒鳴っている。その声に後ろを振り向いた瞬間、足元に何かが絡まった。


「うわわっ!」


 バランスを崩し、いや、誰かに押されて地面に派手にころぶ。膝にズキリと痛みが走る。口の中に砂の味がした。


「なーにやってんだよ、架原」

「だっせー! 自分の足につまずくとか笑える〜」

「おいおい、メガネ壊れてないか〜? それ壊れたら終わりだろ?」


 クラスの男子たちの野次が耳に刺さった。ぼくはぎゅっと奥歯を噛みしめ、黙って立ち上がろうとする。そこへ体育教師の森本先生が駆け寄ってきた。


「大丈夫か? どうした?」

「わかりませーん」

「ハルトが勝手にコケましたー」

「ダッサいメガネじゃ足元見えないんじゃない?」


 近くにいたクラスメイトが口々に言い訳をする。

 先生は状況を理解したのか、軽くため息をついた。この三ヶ月、ぼくの周りでは同じような「事故」が何度も繰り返されていた。誰も認めやしないけど、軽いいじめだ。原因は一つ。ぼくがかけているダサいメガネAR端末のせいだ。

 ぼくの通う青海第一中学校は、研究者やメーカーエンジニアの子供たちが多い。だからほとんどの生徒が最新型のAR端末、通称『シンク』を常に身につけている。それが仲間として認められる最低条件のようなものだ。

 最新型のシンクは耳の後ろに隠れるほど小型で、両目を覆うディスプレイパネルは遠目には何もつけていないようしか見えない。

 でも、ぼくのは違う。

 父さんがいないわが家には余裕がない。だから、誰も知らないような旧型のシンクを使っている。見た目はごつい黒縁のメガネそのものだ。

 違うのはたったそれだけ。でも、異分子として弾かれるのにそれ以上の理由はいらない。


「おい、膝から血が出てるぞ。保健室で治療してもらえ」


 先生が指を指した。膝を見ると、転んだ拍子にすりむいたのか、血が滲み、赤い筋がたらりとひと筋垂れている。大したケガではないけど、放っておくわけにもいかない。


「保健委員、付き添ってやれ」


 先生の指示に、保健委員の日高が露骨に顔をしかめた。


「めんどくせー、ひとりで行けるだろ!」


 わかりやすい嫌悪。

 ぼくも、誰かに付き添われるよりひとりの方が気が楽だった。

 ひとりきりなら、いじめるヤツもいないのだから。


「大丈夫です。一人で行けます」


 砂まみれになった体操服をパタパタと払いながら、ぼくはグラウンドを後にした。


◆◆


 授業中の特別教室棟はひんやりと静まり返っていた。ぼくの足音だけが廊下に響く。転校以来、保健室にはまだ行ったことがないけど、ソラのナビによると廊下を曲がった突き当たりにあるらしい。

 静かな廊下を歩きながら、ぼくは今さっきの光景が頭から離れなかった。青白い閃光も、かすかな爆発音も、ほかに気づいた人はいなかった。ソラに聞いても、データが不足しすぎていて、推論すら難しいと言う。


(あの科学館、本当に廃墟なのか? 今も何か——)


『ハルト、校内で泣いている人がいます』


 その時、ソラがぼくの思考をさえぎった。


「え?」

『保健室の方角から、救助を求める音声を受信しました。音声を発した人物の心拍数も通常値を越えています』

「救助?」


 ぼくは立ち止まり、周りを見回す。だが、誰もいない。


『ええ、〝誰か助けて〟と。女の子の声です』

「場所は?」

『保健室の内部からです』


(保健室の中?)


 何かあったのか。ぼくは駆け足で保健室に向かいドアに手をかけた。

 ソラは決して間違えない。

 初めて出会って以来、彼女はいつも正しい道にぼくを導いてくれた。だからぼくはそこに絶対の信頼を置いている。

 勢いよくドアを開き、そのままの勢いで保健室に飛び込んだぼくは大声で叫んだ。


「誰かいるの!? 大丈夫ですか!?」


 保健室にはベッドが三つある。手前のふたつは空だが、一番奥のベッドのカーテンが引かれている。ぼくはまっすぐ駆け寄り、カーテンを躊躇なくさっと開いた。


「なっ!!」


 そこには、ベッドに上半身を起こし、目尻にうっすらと涙を浮かべた女の子がぎょっとした顔でぼくを見つめていた。

 青海第一中で知らない人はいない人気者。輝城きじょうテクノロジー社長令嬢、輝城亜佳莉きじょうあかりだ。

 誰もが認める美少女で、完璧な優等生、全校生徒の憧れの的だ。そんな彼女が、突然の出来事に目を丸くしている。


「な、何!?」


 彼女は自分の肩を抱くように縮こまると、無遠慮に踏み込んできたぼくをキッと睨みつけ、真っ赤な顔で怒りの声を上げた。


「何よあんた! ろくに確かめもしないで女の子のベッドスペースに入ってくるなんて、いったい何考えているの? こ、この……変態っ!」


 ぼくは呆然と立ち尽くした。

 ソラの音声センサーが捉えたのは、この学校のプリンセスのつぶやきだったのか。


「でも、〝助けて〟って声が……ぼくのシンクが——」

「何言ってんの! 保健室は防音・防磁、そもそもシンクの使用制限エリアよ! そんなことわかるわけないでしょ!」


 亜佳莉は眉を逆立てて否定する。だが、ぼくは無意識に首を振った。

 ソラは祖父に託された旧型のシンクだけど、エリア制限の制約はかかっていない。それに、誤作動を起こしたことはこれまで一度もない。ソラがそう言う以上、助けを求める声は間違いなく発せられたのだ。


「何なのよそのポンコツ! きっと壊れてんのよ!」


 彼女の罵倒に、ぼくはさっと気色ばむ。ぼく自身が罵られるのは構わない。でも、ソラをバカにされるのは絶対に許せなかった。


「ソラは壊れてなんかいない!!」


 突然のぼくの大声に、彼女はびくりと身をすくませた。


「それに、初対面の君にそんなことを言われる筋合いはないっ!」

「……ぁあ、えっと」


 ぼくの剣幕に、彼女は何かに縋るようにフラフラと瞳を泳がせた。涙をたたえていた両目からすっと涙のしずくが落ちたのが見えたけど、一度ついた勢いはもう止められなかった。


「邪魔して悪かったな、一人で好きなだけ泣いてろよ! じゃあな!」


 ぼくはそれだけを言い残し、けがの治療をしないまま保健室を飛び出した。


『ハルト、先ほどの少女について重要な情報があります』

「何? 輝城亜佳莉のこと?」

『ええ、彼女の父親が経営している輝城テクノロジーですが、昨日付で山頂の廃墟を買収したとリリースを出したようです』

「え?」


 ぼくはいつの間にか立ち止まっていた。

 さっき見た青白い閃光。もしかして、ソラの話と何か関係があるのだろうか?

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