13 母の手のひら
慎司は障子を見つめている。今日はいつまで経っても影が差さない。いつもなら穂の香が現れて、開けてもよろしいですか、と問う時間だった。
穂の香は部屋に入ってくる。一糸まとわずに。枕添いを務めさせていただきます。そう言いながら布団で横になるのだ、慎司の隣で。それが自分のいるべき場所だと確信しているかのように。
その目的はもう明白だと言っていいのではないか、と慎司には思えた。しかし穂の香は、自分からはけっして手を出そうとしなかった。作法を守る巫女のように
恋人の美里には長らく会えていない。そして食事には漏れなくキノコが入っていて、就寝する頃にちょうどよい具合に酔っている。そんな状態で若く美しい女が裸ですぐ傍にいて、いつでもどうぞと言わんばかりの様子を見せている。拷問とも言える状況だが、慎司は必死で堪えた。
おそらく、誘いに乗ってもなんのトラブルにもならないのだろう。相手がそれを求めているのだから。しかし慎司は心に引っかかるものを感じていた。何かある。そう、二人の女に手を出したとたんに何かが始まる。そんな予感があった。
穂の香は現れない。彼女はついに諦めたのだろうか。そう思い始めた頃、いつもとは違う影が障子の向こう側に立った。彩乃だった。
失礼いたします。
何も身に着けていない妙齢の彩乃が部屋に入ってきた。穂の香でだめなら彩乃で、という作戦変更のつもりなのだろうか。そうはいかない。慎司は拒否を込めて背を向けた。その背中に手のひらが当てられた。温もりが柔らかく伝わってくる。彩乃の体臭なのか、甘く気だるい匂いも流れてきた。とても穏やかな気分が慎司を包み込んだ。
ふと、慎司は母を思いだした。小さな子供の頃、よくこんなふうに背中をさすったり、トントンしてもらった。そうすると安心して眠ることができた。だから女の手のひらに弱いのかもしれない。
五歳の時、母は家を出ていった。父との間に何があったのか慎司には分からないけれど、母がいなくなったという事実だけは強く胸に刻みつけられた。
認めたくはない。でも女性と付き合う時、常に母の影を感じていたような気がする。もちろん、母と性的な関係になりたかったわけではない。そんなことは生理的に忌避するけれども、女性に対する憧れ、渇望、そして郷愁を秘めて生きてきたということは否定できなかった。
だから後ろから抱きしめられた時、慎司は逆らうことができずに身を任せてしまったのかもしれない。浴衣が脱がされていく。
胸に抱かれて
我が身の内にどうしようもなく湧き上がってくる衝動を抑えることができなかった。体をぐるりと回して女と向き合った。そこにあったのは、彩乃ではなくて穂の香の顔だった。慎司の目から理由の分からない涙が一筋、流れ落ちた。
穂の香の頭を両手で抱え込んで、乱暴に唇を合わせた。くぐもった声を漏らした穂の香から緊張を感じた。
あとはもう、食虫植物に捕えられた蠅のように穂の香の体にしがみつき、もがき、離れることができないままに時が流れた。いつの間にか、そこには彩乃も加わっていた。
それからの慎司は、ほとんどの時間を
このままではいけない。分かっていても、逃れることができなかった。まるで瀕死の野生動物が、生存本能のみに突き動かされて、残り少ない命を燃やして生殖行為に没頭しているかのようだった。
でも、もうどうでもよかった。二人の貪欲な女に挟まれて、死へと向かって静かに、でも確実に進んでいく。陽だまりで居眠りをするかのように心地よい。夢見るようだった。このために生まれてきたのではないかとさえ思えた。
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