需要と願望の天秤

新井 穂世

需要と願望の天秤

 物語を書こうと思ったとき、まず考えることは何だろうか。


 あらすじを考え、キャラクターという役者を揃え、舞台となる世界を設定する。大抵の場合、そこから始まっていくだろう。

 それが終わると、このまま勢いに任せて書き始める人もいる。もう少し下地を作ってから書き始める人もいる。

 兎にも角にも、書き始める。


 書き始めたときは、とにかく楽しい。自分が未知の世界を、物語を紡いでいる感覚は一言で言い表せるものではない。

 とにかく楽しい。この感覚を味わいたいから、書くことが好きなんだって実感できる。だから書くことを続けている。


 でも、この辺りでふと脳裏をよぎることがある。


 ――この物語、受けるのか?


 それが頭にちらついた瞬間、幸福感が全て不安にひっくり返される。

 世の中には需要がある。それはいつの時代でも存在する、世界の求めるテンプレート。

 これに従えば、世界の求めるモノができる。少しだけ、求められやすくなる。

 最初に物語を書こうとして、まず需要を見て考える人だって沢山いる。見て欲しいなら、それが必然だから。それは何も悪いことじゃない。


 でも、ここで別の言葉が脳裏をよぎることがある。


 ――読まれる為に、自分の好きを消すのか?


 これがちらつくのは全員じゃない。元から世界の求めるテンプレートが好きな人は、そんな事しなくてもいいだろう。

 読まれることを最優先する人は、そんな事は考えないだろう。

 読まれるために物語を作るなら、そこに自分の好きは不要になる。必要なのはみんなの好きなんだから。

 なるべく多くの人に共感される様に書けば、みんなが読んでくれる。誰かに読まれる事もまた、特別な幸福感をもたらしてくれる。


 でも、私はいつも考える。


 ――今書いているのって、誰の為の物語?


 私はそこで頭にひとつの天秤を出す。『需要と願望の天秤』を。

 その天秤を、今書いている物語のテーブルに載せる。そして、自分に問いかけていく。

 この物語を書く目的は? これは誰かに向けたもの? みんなが楽しめる? 自分が楽しかったら良い?

 そんな問いかけの答えを、重りとして皿に置いていくのだ。

 問いかけが終わると、天秤はどちらかに傾いている。どちらに傾いているのかは、いつも変わる。

 その傾きが、物語の指標となるのだ。


 でも、この結果は常に正しい訳じゃない。


 ――多かれ少なかれ、天秤は需要に傾いていく事が多い。


 天秤は公平ではない。人間だから、白黒ハッキリ付けるなんて難しい。

 多くの人は需要に天秤を傾けるだろう。作ったからには共感されたい。それは当然の感情だ。

 その為にテンプレートを使う。それは正しい選択で、それを使いこなすスキルを持つのはとても良い事だ。それが出来る人は尊敬できる。


 でも、私はそのスキルを使いこなせない。


 ――私の天秤には、願望が多いから。


 私は世界が求めるテンプレートを使いこなせない。だから、私の世界に光が当たることはない。

 私がいくら面白いと思っても、そう思うのは私だけ。私がそれを提案しても、見てくれるとは限らない。

 自分の願望は、みんなの願望じゃない。だから、願望に傾く天秤は良くないって思われてしまう。


 でも、私はそうは考えない。


 ――だって、最初にそれを求めたのは私なんだから。


 今、目の前で紡がれている物語の最初の読者は誰? それは自分だ。

 その物語に、自分の好きは入ってる? 自分で書いているなら、当然だ。

 その物語は、みんなに読まれたい? 読まれたい。でも、みんなは難しい。

 誰かに読まれなくても、続きが読みたい? 少なくとも、私は読みたい。


 だからこそ、私は需要と願望の天秤を使う。それは私の心の葛藤そのものだから。

 もちろん、どちらも両立させる人だって居る。でも、不器用な私にはできない。


 需要と願望――私はどちらかしか選べない。


 需要を意識しすぎると、物語が味気なくなってしまう。願望をを追求しすぎると、共感されなくなってしまう。

 天秤のバランスを取るのは難しい。不器用な私にそれを制御するなんて不可能だ。


 ――そういう時、多くの人は需要に天秤を傾けるかもしれない。でも、私は願望の重りを外せないでいる。


 私は自分の物語の世界が好きだ。世界を想像する度に、興奮している。

 そして、それが世界に求められないことも知っている。

 それは私の自己満足で、狭い世界のお伽噺で、自分の願望の塊だ。


 だけど、それで良いじゃない。

 物語を作ろうとしたきっかけは何? それは自分だけの世界を作りたかったからでしょう? 

 そうじゃない人もいるけど、私はそうだった。


 だから、需要は大事だけど、願望も大事にしたい。

 そして、信じている。世界が殆どが求めていなくても、その物語に込めた想いが届く時があるって。

 小さな小さな確率だけど、その奇跡を信じているから、私はまだ書いている。


 誰かに読まれることの喜びは、勿論知っている。でも、自分の好きから生まれる喜びも知っている。

 私はそれで願望を選ぶことが多いだけ。その選択に後悔がないというのは嘘だけど、それでも受け入れている。

 誰かに読まれることで、自分の世界が広がることもある。けれど、自分の好きなものを書くことで、世界が深まることもある。

 そんな葛藤から生まれてくる世界が、私には愛おしい。


 きっと、この独白も求められてはいない。

 それでも、誰かにこの想いが届いたら良いなって――いつもと違う、ささやかな願望の重りを皿に載せて、今は傾く天秤を見つめている。

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