最終章-愛の記憶3
現在、脳の移植は国際法で完全に禁止されている。以前から禁止され
ていたが、クローンの全面的な人権が認められた年に、この法律も制定
されたのだ。
そうしなければ、クローン自身の人権は、オリジナルの脳の移植で簡
単に無視されてしまう。例えば、クローンが人権を主張してオリジナル
の人間に対して法廷で訴訟を起こしたとしても、オリジナルが他の人体
に脳を移植してしまえば、その脳を探し出さなければならない。
また、何度も移植していけば、訴訟に勝ってもオリジナルはどこにも
存在しない可能性がある。オリジナルは脳移植という方法で、逃避し続
けられるのだ。
この脳の移植がもし発覚すれば、個人は終身刑、どんな大企業でも解体
され倒産する。この婆さんはそれを覚悟の上というのか。俺は思わず聞いた。
「レイチェルさん、わかっているとは思うが、これが発覚すれば、あん たの大切な会社はなくなるぜ。それでも、いいのか?」
「そんなの知ってるわ、ばかね。あの法律には、実証と証人が必要なのよ。 そのためには、誰かの情報がまず必要なの。あんたたち三人以外にこの 部屋には人間はいない。見てごらんなさい、他にいるのは全員ロボットよ。 簡単にここでの記憶は消せるわ。そしてあなたたち三人は今日、この世 から消えるの。どう、ヒョウ、あんたも同じガラス容器に入れてあげて もいいわよ。このばか三人の共通点は孤児院育ちってことだから、世界 一小さな小さな孤児院へようこそ、というのはどう? まあ、その中で 一生哀れんで生きていくのね」
俺はもう、どうしようもないのか。何か打つ手はないのか、何か...
俺は冷静になって周りを観察した。そして、右横にいるパティの足元に
俺が持ち込んだペン型爆弾が転がっているのに気がついた。
大きな破壊力はないが、使い方によっては、かなりの武器になる。
もし万が一のチャンスがあれば、こいつをあの婆さんに投げることができ
れば、形勢が一気に逆転しなくても俺の脳をあのガラス容器に入れられ
るのが少しは遅れるかもしれない。
そのときに、スピーカーからエリックの声が聞こえてきた。
「レイチェル様、どうぞ、そんなことはされないでください...まさか...
そんな...レイチェル様、そんな無慈悲な、私の大切な娘に指一本触れ
ないでください。いや、絶対にさせやしないぞ。そんなこと、許さない
ぞ。このくそ婆ぁめ。お前の自由にさせるものか!」
「おや、エリック、貴方がそんな口の利き方をするなんてね、ホホホ。
貴方もやはり孤児院育ちね。隠してもボロが出るのね、ホ、ホ、ホ、ホ、
最高の気分だわ」
「止めてください、止めてください。止めろ、止めるんだ、このキチガ
イ婆ぁめ、この、この......あ、あ......あ......」
突然、叫び出したエリックの脳が、最高値のパルスを弾き出した。そ
の瞬間に耳をつんざくような高音のピーという音がした。
「ああ、お父様、興奮なさらないでください。お願いで......」
そして、パキッという音がして、一瞬だが暗くなり、この部屋の電圧
が落ちた。そして俺の腕を固定していた金具がカチリと外れた。
チャンスだ! エリックは多分非常な興奮と怒りで脳溢血を起こして、
微量しか通らない細い電線に脳から高電圧をコンピュータに逆流させた
のだろう。
それからの俺の行動は、全て完全に記憶している。
それはまるでスロー モーションの映画のシーンだった。
ほんの一瞬自由になった俺は、まずパティの足元にあるペン型爆弾に
飛びついた。目の前にあるのはパティの白いハイヒールとペン型爆弾だ。
右手でそれをつかんだ。左手は床に肘からぶつかり体重を支えている。
体は完全にうつ伏せになっている。
そして左に顔を向けた。右手に持っているペン型爆弾に親指でスイッ
チを入れた(これで、三秒後に爆発する)。
右手首のスナップを効かせて、 婆さんのベッドに向けて投げた。
婆さんが何かを叫んでいる。
「これでもくらえ、地獄へ落ちろ!」と、 俺は心の中で叫んだ。
警備ロボットの両目から青い光線が出た。その瞬間(多分0.5秒以 内だろう)、
婆さんのベッドをなんと、ガラスの防護壁がちょうどミイ ラの棺のように
円柱状に包み込んだ。
婆さんの奇妙な笑い顔が俺を見ている。あ〜あ、最初で最後のチャン
スだったのに。
しかし、運命の神はまだこの勝負を決するのを許さなかった。ペン型
爆弾はそのガラスの防護壁に当たり跳ね返った。
それは横にあるコンピュータの前面の計器類に落ちた。驚いた薄いピ
ンクの白衣を着た看護ロボットがそれを掴んだ。
そしてどうすれば良いのかをレイチェルに目で問うた。その瞬間に爆
発した。
ボムッと鈍い音がした。看護ロボットの右手が吹っ飛びコンピュータ
を直撃した。コンピュータもビィー、ビィーと大きな音を鳴り始めた。
俺は立ち上がろうとした。警備ロボットが大きな足で俺の頭を踏みつ
けるのが見えた。
俺はロボットの靴の裏を見た。
新発売のナイト社の靴だ。騎士が腕を前に組み剣を腰に差している
あの有名なマークが見えた。
ほう、良い靴を履いてやがる。
確かあの広告はこんな文句だった。
男が皆ナイトだったら、こんなクソ世界などありゃしないぜ。
近年における最高のコマーシャルだと思う。俺の頭とそのナイトの靴
がぶつかる瞬間に、ドーンとコンピュータが大爆発を起こす音を聞いた。
警備員はロボットだ。俺を間違っても殺すほどの力で踏みつけるのは
有り得ない。それは完全に違法行為だからだ。
多分、死ぬことはないと瞬時に思った。出来ればあんまり痛くないよ
うに、さらに後遺症が出ないように、その騎士のマークにお願いした。
その後は気を失って記憶がない。
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