最終章-愛の記憶2
俺は黄泉の駅に降りた。
すると何処からともなく、私服の頑強な警備員二人が俺の左右に近づ
いて来た。とっさに、腕時計にタイマーを入れた。
それはきっかり15分後に、この箱の中にあるペン型小型爆弾に爆発
を指示するだろう。これで交渉権を一つ手に入れた。
少しは俺は有利に立つことができる。
「ミスター・ヒョウですね、私達はこの駅の警備員です。お手持ちの箱 の中身について少々お聞きしたいことがあります。どうぞ、駅公安室の 方へお越しください」
「悪いが、俺は急いでいるんだ。文句があるならそこのThree Leaves 社の偉いさんに直接言うのだな......」
しかし、振り切ろうとする俺は、左右から両足が浮き上がるくらいに
持ち上げられた。そして、そのまま専用エレベーターの前に連れて行か
れた。
俺は持ち札を明かすしかないと判断した。
「この箱には、とんでもない重要な物が入っているんだ。もし、このま
まだと15分後、いや13分25秒後に破壊される。あんたらの首ど
ころか、この駅長の首が飛ぶぜ。分かったら、すぐその手を今すぐ離す
んだ」
二人の警備員は薄ら笑いを浮かべながら、俺をエレベーターに放り込
んだ。ドアが閉じた瞬間に俺は後頭部に衝撃を受けて気を失った。
ぼんやりした意識の中で、女の声がする。両腕が痛い。俺は椅子に腕
を固定されているようだ。
「だから、孤児院育ちは嫌なのよ。人を疑うことしかしないから、まず
疑い、そして疑い、さらに疑うのよ。彼らには信頼の言葉は存在しない。
まあ、あたしも変わらないけどね。あら、気がついたみたいね......ヒョ
ウ、おはよう、起きなさい。言っておくけどあなたの腕時計のタイマー
はもう止めてあるわ。そしてペン型爆弾もね」
俺の前にはあの婆さんが横たわっていた。ここはどこだ、ああ多分
Three Leaves 社の中にある病院の一室だろうか。
俺の体は椅子に固定されて一ミリも動かせない。少し右横に、同じよ
うに椅子に固定されたパティがいる。
彼女は目の前にある大きな水槽を哀しそうな目で見つめていた。ぼん
やりとした視界がようやく見え始めた俺は、その水槽を見て驚いた。
脳が中央に浮かんでいるじゃあないか。そして、パティのつぶやきが
聞こえてきた。
「......お父様......お父様......」
ということは、この容器の中にある脳はエリック・マクガイヤー氏の
脳というのか。やはり婆さんに殺されたのか。
そうか、パティがこの会社の全権を移譲すると、パティの父親である
エリック氏が邪魔になる。
体面上でも彼の意見を聞かなければならなくなる。
だから、殺したのか。
または、脳のデータの移植の実験をして、成功しても失敗しても殺す
つもりだったのに違いない。俺はゆっくりと婆さんに話しかけた。
「で、エリック氏の脳の中にあんたのデータはもう移植したのかい」
「ほ、あんた、ただの馬鹿じゃあないね。失敗よ。そう、それは失敗。
そんな簡単には脳の中にはデータを移せやしない。脳の中の記憶は大脳
側頭葉の中の海馬という所にあるのよ。でもね、体で覚えた記憶と聴視
覚で覚えた記憶は記憶する場所が違うの。いい? マイクロチップで全
体を一括でデータ処理するやり方とは全く違うの......分かる? それは
ね、つまり......」
その言葉を遮るように、ベッドの横の小さなスピーカーから声が聞こ えてきた
「レイチェル様、どうか、どうか。娘だけは、助けて下さ......おねが ......」
「あ、あ、あ......お父様、お父様......」
なんと、電極に繋がれたガラス容器の中の脳が、喋り出したみたいだ。
この声はパティの父親のエリックなのか。まだ、脳だけは生きているのか。
そんなことが有り得るのか。 俺はそのむき出しの脳を凝視した。
もう彼には、この婆さんの慈悲を得るしか娘を助ける方法はないのか。
「お黙り、エリック。今、せっかく私が脳とマイクロチップの違いにつ
いて低能なあんた達に説明をしてあげているのに。ええい、面倒くさい
わね。簡単に言ってあげるわ。脳とデータとの違いはね、よく人工頭脳
との比較で言われるような想像力や愛情や個性なんかではないの。想像
力は膨大なデータの組み合わせでできるし、愛情はある対象に固守する
プログラムを組めば簡単。個人の個性だってある種のデータの強調だけ
で人間の脳と同じ結果を生むわ。よくお聞きなさい、根本的な違いは一
つよ。単純なこと。
コンピュータは、どんなデータも階層で組み上げれば、一つのデータ
として処理できるわ。例え相反する命令を指示しても、そのデータの階
層が違えば問題はないわ。
だけど、脳は他の脳とのデータの共有、融合ができないシステムなの
よ。いい? どんな名医でも患者の脳が感じる個人の痛みは永遠に理解
できない。
だから検査で調べるのよ。データの共有はあり得ないの。例え多重人
格でさえ根っこは一つ、同じ経験を幾つもの人格で受け止めるしかない
の。理解した?」
「レイチェル会長様、私には良く分かりませんが、とにかく、どうか娘
だけは同じ目には合わせないでください。同じ失敗をするだけですから。
お願いします。お願いします」
「失敗? 誰が失敗って言ったのよ。確かにデータの移植は失敗だわ。
でもそんなことは私は初めから無理だって分かっていたの。あんたにし
た実験は成功したの」
俺を含めて、パティとエリック(脳)は驚いた。成功とはどういう意
味だ。何に成功したというのだ。俺たちは訳が分からなくなった。
「レイチェル会長様、申し訳ございません。一体、何に成功したという
のですか?」
「ああ、今日は気分が良いわ、本当に最高の気分。この体が最後だから。
もうどこの血管が切れようが、知ったことではないわ。私は生まれ変わ
れるのよ、今日。もう老いや病気、痛み、この狭苦しいベッドともお別
れね。ああ、嬉しいわ。じゃあ、親切についでに教えてあげましょうね。
私は私の脳のデータをその小娘に移植なんかしないの。私の脳をその娘
の脳に入れるのよ。......は、は、は、は、は......。
エリック、あんたのガラス容器にあんたの愛する娘を一緒に入れてあ
げるわ。せいぜいスキンシップを楽しめばいいわ。ず〜と、これからど
ちらかが死ぬまでね」
婆さんはこの晴れ舞台のために真っ赤な口紅と大きな緑の涙の形をし
たエメラルドのイヤリングを付けて薄笑いをしていた。
俺たちはその恐ろしい企みにやっと気がついた。
そして言葉を失った。
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