後編
「これですか?」
和花は、スマートフォンの画面をハルナギサに見せた。
「……あぁーっ、確かにこんな感じだった気がします」
「分かりました。じゃあ、探してみますね。見つかればご連絡します」
「ありがとうございます……。えっと……」
と、ハルナギサは一瞬、もごもごと口ごもって下を向いた。
「はい?」
「……明日までに、お願いしたいのですが」
「ああ、はい、明日ですね? ……明日、え、あ明日?」
和花の目は、電話番号の書かれた紙と目の前の顔を何度も往復する。
「そうなんです。インタビューを受ける日が明後日なので、明日までには……。新幹線もあるので、四時までにはお願いできませんかね……?」
「よ、四時ですか? 四時……」
チラリと、振り返る。
その視線の先にいた陸玖は、一言、言った。
「はい、お任せください! 必ず四時までに見つけます!」
「えっ」
胸を二度、拳で叩く陸玖。
和花は大きく口を開けて、陸玖とハルナギサを見比べた。
「ありがとうございます! 連絡待ってます!」
ハルナギサは、やはり涼しげな笑みを浮かべて、一礼。駆け足で店から去っていった。
「……すごい、信じられないほどヒット数が少ない」
四十六件。
陸玖は、『自費出版クラブ』をタップした。
『げきだん・ふっとんだー/うたたねユウジ(みどりふとん店)』
出版は、二十年前。
ちょうど、ハルナギサの幼少期と重なるくらいだ。
「どっかに、売ってたりしないかな……?」
ネットショッピングには、公式はおろか、古本としての出品も見当たらない。
役所なども同様だ。
と。
「……ちょっと待って、みどりふとん店って言ったよね?」
在庫の段ボールから掘り返した本の山から、声が聞こえた。
「え? うん」
「……聞いたことない?」
「……え?」
「みどりふとん店って、なんか……」
「確かに……あっ、ひょっとして?!」
陸玖はすぐさま、検索窓に『みどりふとん店』を打ち込んだ。
「……あっ!」
「やっぱり?」
そのまま、陸玖はすぐにスマートフォンを耳につける。
「もしもし? 雄星さん? 大至急! お願いなんですけど……」
「いやあ、すごいですね……もうはや、見つかったなんて」
ハルナギサは、つぎはぎがついたブルゾンを肩に羽織って登場した。
色の薄いサングラスの奥の目から、ときめきが見られる。
「まだ、開店時間前なのでちょうどよかった」
雄星が、一冊の絵本を抱えて、バンから降りてくる。
「こちらですか?」
「……ああ、これだ、これです」
『げきだん・ふっとんだー』
絵本は、クレヨンでの優しいタッチに、文までクレヨンの手書きで書かれていた。
「あー、そうそう、これこれ……」
と、ハルナギサのサングラスから、一滴の雫が目元を伝って降りてきた。
「この絵本を読んだ時、私、よく分かんない高熱みたいなのになっちゃって、で、身体にブツブツが出来ちゃったりして、しばらく入院してたんです」
ハルナギサは、ズボンからスマートフォンを取り出して、こちらに突き出した。
「えっ……」
彼女は、サングラスを外し、胸に付ける。
雄星たちは、二つの同じ人の写真を見比べる。
そこにあったのは、今、目の前にある顔とは全く別物。
火炎放射器を浴びせられたかのような、真っ赤に腫れ、ところどころ爛れた少女。
光は無い、どこか、モノクロな瞳。
「……これが、小学校二年生の後半から三年生の前半までですかね」
「そんな……」
バンの中の陸玖が、物凄い速さで瞬きをしている。
「発症しちゃったときは、もう、それはそれは色んな人から避けられました。先生からも。うちに来た、お祖母ちゃんからも」
「ええ……」
「お父さんは単身赴任でした。小さな妹がいたので、お母さんは家を留守に出来ないので、病院に泊まり込むことも出来ません。なので、私は一人で病棟暮らしです」
それが、四カ月くらいだったかな? と、彼女はだんだん高くなってきた春の空を見上げながら指を折る。
「病棟にいる時に、暇つぶしで、絵本コーナーにあったこの本を手に取りました」
まだ、彼女は空を見上げている。春の強風が止み、一帯はつかの間の凪となった。
陸玖は、和花は、雄星は、“櫻尾渚紗”の横顔をじっと見ていた。
思い出が溢れてきたみたいに、尖った顎を伝う涙。
「……それで、救われたんです。私も、捨てられないはずだって。布団屋さんみたいなお医者さんに、治してもらえるって」
目元をわしゃりとブルゾンで拭って、彼女はニパッと笑った。
「それから、ダンスを始めたんです。布たちみたいに、仲間と楽しく踊れたらなって」
泣き腫らした瞼と、限界まで上がった口角のコントラストが、彼女のそれからを物語るようだった。
「ああ、そういえば、僕が昨日、お隣の緑丘市のみどりふとん店に本を頂きに行ってきたんですけど、そんな話してましたよ。病院とか図書館にも寄贈したって」
雄星は、彼女が本をギュッと抱きしめたところで言った。
「あの本、夫婦で作ったそうですよ。ストーリーを、今の店主の旦那さんが作って、イラストを奥さんが描いて」
「……へえ」
「二人は、段ボールの中で、だいぶんボロボロになった毛布にくるまっていた捨て猫を拾った時、この絵本を作ろうと思ったそうですよ」
櫻尾渚紗は、一瞬驚いたような顔をして、胸の中の絵本を見た。
「……そうだったんだ」
「今回のことをお話したら、物凄く喜んでいました。インタビューも、楽しみにしてるって」
「そうなんですか? それは、嬉しいです」
彼女の目元に、涙はもう溜まっていなかった。
「それじゃあ、一冊、買っていっていいですか?」
と、ハルナギサは、絵本棚の中から一冊、抜きだした。
『おどるゆめにっき』
表紙には、鏡の前でみんなで踊ることを想像しながら眠る少年。
「昨日初めて来たときに、ちょっと気になってたんです」
「そうなんですか? 嬉しいです!」
陸玖がレジに立ち、弾けた笑顔で代金を受け取り、本を渡す。
「ありがとうございます!」
クールな振付師も、少女のような無垢な笑みでそれを受け取った。
そして、深く頭を下げてから、二冊の絵本を大事に抱いて、店を後にしていった。
(了)
『げきだん・ふっとんだー』 DITinoue(上楽竜文) @ditinoue555
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