『げきだん・ふっとんだー』
DITinoue(上楽竜文)
前編
「はい、お値段九百円になりまーす」
陸玖が、普段では考えられないほど優しい笑みを浮かべている。目をいっぱいに細め、いつもの勝気な笑顔とはひと味違う、母性本能が宿った笑み。
「ほら、お姉さんに渡してきて」
相手の目線に合わせてしゃがんだお母さんが、財布の中から千円札を、あんぱんのような掌に握らせる。
ニット帽を被り、袋に入れたスライムを脇に抱えた男の子が、とととっとと、と、止まってしまうとこけそうな走り方で陸玖の方に向かってくる。
眉をハの字に、口をキュッと結んだ白い顔で。
「はい、ありがとねー。じゃ、特別サービスで、八百円で! 二百円のおつりでーす」
少し尖った陸玖の声も、今は綿毛のように丸い。
男の子は、掌に返ってきた二百円を見ると、お母さんの方を振り向いた。
「あ、ありがとうございます、すみません。いいよー、帰っといでー」
おいでおいで、とお母さんが手をひらひらさせた瞬間、男の子は猛スピードで胸に飛び込んでいった。
「あ、絵本忘れてる!」
陸玖が慌てて本を渡しに行く。
と、キュッとお母さんのコートを手で握り、顔を埋める。
「あ、えーっと、また来てねー」
陸玖は、おぼつかない走りをするちびっ子のような、頼りない声で言った。
「なんでこんなに、子供に怖がられるんだろ。めっちゃ優しそうにしてるはずなんどなー」
「やっぱり、日頃ツンツンしてたら、そう見えちゃうんじゃない?」
低いバンの天井を仰ぐ陸玖の首に、和花はツン、と指を刺した。
「いやいや、いつも優しいって」
「やー、子供は分かっちゃうんだよね、純粋だから、そういうのは」
「あの」
「じゃあ、次来たらあんた、行ってみなよ」
「あのー」
「いいよ? そりゃあもう、お姉ちゃんと一緒にいたい! って言いだすこと間違いなしですから」
「言ったね?」
「あのー!」
陸玖と和花の頭が止まり、同じようにゆっくり、振り向いた。
「あの、絵本を探しているんですが」
立っていたのは、百七十センチはありそうな、黒スキニーの似合う女性だった。
キリリとした目で、少しクセのあるロングヘアーが、彼女のクールさを際立たせる。
ヴィンテージらしい、デニムジャケットも、道路をバックに絵になる。
「あ、はい、失礼しました。えっと……絵本、ですか?」
陸玖は、言葉を確認するように言った。
「はい、絵本です」
己の信念のような、真っすぐな眼差しを、女性は返す。
「私にとっては、とても大事な絵本なんです」
「あ、それはどうも失礼いたしました」
陸玖は、追い打ちのように放たれた一言に、大きく頭を下げた。
「……ええっと、タイトルは分かりますか?」
「それが、分からなくて。ちょっと、調べてもらってもいいですか?」
陸玖は、チラリと和花を見た。
今日この時間は、雄星が隣の市長との約束でいない。
「はい、もちろんです。お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「サクラオナギサです」
そう言って、彼女は、和花が差し出した紙に『櫻尾渚紗』と、ボールペンでサラリと書いた。
その後にさらに、『(Haru Nagisa)』とも。
「え、これは……?」
「え、えええちょちょちょちょ本当ですかこれ?!」
怪訝そうに眉をひそめた和花の隣から、目を見開いた陸玖が、身を乗り出した。
「ハルナギサって、グリーンムーンサーティーナインとか、ユーキャンとか、セブンとかの振り付けやってるあのハルナギサさんですか?!」
えっ、と和花も目を見開く。
「はい、アイドルとかの振付師のハルナギサです。よくご存じでしたね」
「いやあ、そりゃ知ってるに決まってるじゃあないですか。ところで、どうしてこんなところに?!」
「実は、この辺りに実家があるんです」
「……え、この辺りのご出身なんですか?」
「はい。それで、母からBOOK MARKのことは時々聞いてて。ここなら、探してもらえるかもなぁ、と」
「ほぉ……」
陸玖は、完全に毒牙を抜かれたコブラのような表情になっていた。
「あ、ていうか、大切なって言っても、それをなんで……?」
と、和花が今度は訊ねる。
「ああ、実はですね。最近、ユーキャンの『ユア・グレイトタイム』っていう曲のサビの振り付けが、わりに流行ってるんですが……」
「あ、あの『天下無双の布団ダンス』って言われてるやつですか?」
「あ、そうです!」
「こういうやつですよね?」
和花は、布団を上げ下げするように拳を上下、横振り、とステップをつけながら踊る。
「はい、めちゃめちゃお上手です!」
「あ、ああ、それの振り付けを?!」
「そうなんです!」
腑に落ちた顔で頷く和花を、陸玖がチラリと睨みつけている。「今か?」と。
「そのダンスについての取材が、珍しく振付師に入ることになったんですが、あれには元ネタがありまして」
「まさか、その元ネタが、今探しておられる絵本ってことですか?」
「まさしく」
「あー、なるほどぉ」
と言って、和花は陸玖を見た。
「……一回、調べてみます。どういうストーリーですか?」
「えっとですね……」
『小学校一年生くらいの男の子が使っている布団が、もう古くなってきて、捨てられそうになった。
そこで、布団は、ゴミ収集車の来る前日の昼、こっそりと押し入れを抜け出した。
布団はその道中に、様々な仲間と出会う。ハンカチ、バスタオル、カーテン、ネクタイ、Tシャツ、カーペット、劇場の幕……。どれも、汚れたり、破れたりしている者たちばかりだった。
彼らは何度も、収集に捕まりそうになるが、それをなんとか逃れる。
と、そこで劇場の幕が言い出す。ダンスをしないか、と。
色とりどりの自分たちが踊れば、人々はきっと見直すのではないか、と。
そうして彼らは、練習を始め、その練習は加熱。気が付けば、ストーリーのある、ミュージカルとなっていた。
彼らは、街に出てミュージカルを上演する。
人々は瞬く間に集まり、ある時、布屋のおじさんが、彼らを直して、もっと素敵にしてくれた。
そうして彼らは人気を出し続け、最後、みんなはそれぞれの持ち主のところへ帰るのだった』
彼女が言うとおりに、和花はスマートフォンに打ち込む。
今はやりの生成AIが言うには、こんな物語があるらしい。
『げきだん・ふっとんだー』
(後編に続く)
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