天下簒奪

月井 忠

一話完結

 われこそは天下無双。

 そうとなえる武将がおりました。


 片腹痛いではありませんか。

 私は彼から、その座を奪うことにしました。


 彼を襲い、それでも無事ということなら私こそが天下無双と言っていいはずです。


 自分を凌ぐ存在を目にして彼は何を思うのでしょう。

 聞いてみたいものです。


 ですがおそらく彼は今、大の字になって寝ているはずです。

 言い訳は聞けないままに終わるでしょう。


 残念なことです。


 夜襲は恥。

 彼ら武士の間ではそのように言われているようです。


 正々堂々を旨とし、互いの力を出し尽くした上で勝負を決める。


 それもまた片腹痛いではありませんか。

 様式にとらわれ、真の意味での最強を知らぬ者の方便と言えます。


 最後に立っていたものこそが勝者ではないでしょうか。

 卑怯な行為もまた、その者の才覚であるはずです。


 では、私の才はというと、夜にこそ生きるものです。

 ささやかでなめらかな月の明かりが私を輝かせるのです。


 私はダンスを踊るように屋敷へと滑り込みました。

 いえ、この国ではダンスではなく舞というべきでしょうか。


 大気の流れに沿って優雅に舞い、庭に降り立ちました。


 この国の庭は美しい。

 私のいた国の庭と比べても引けを取りません。


 そんな郷愁にとらわれていると、床のきしむ音がしました。


 配下と思われる男の影が、右奥の廊下から近づいてきます。

 関係ありません。


 私は構うことなく上がり込みます。

 着物姿の男は刀に手をかけることなく、素通りしました。


 それも無理からぬこと。

 彼らに私を認識することはできないのですから。


 それは天下無双をとなえる武将とて同じこと。


 すでにかの者の居場所は掴んでいました。

 寝所に向かってまっすぐ進みます。


 やはり。

 彼は掛け布団をはだけ、その姿をさらしていました。


 上等に見える着物は寝返りの度に着崩れを起こしたのでしょう。

 今は肌があらわとなっています。


 すぐにその首筋に目が行きました。

 血管の浮いた様は、異様な渇きを催します。


 ただ、ここで飛びつくようでは芸がありません。

 卑怯は許せても無様は許せないのです。


 私は彼の周りを注意深く、ぐるぐると回りました。

 時間はたっぷりあるのです。


 急ぐ必要はありません。


 彼の濃い吐息。

 それが部屋に充満して、窒息しそうなほどの渇きに達しました。


 もう十分。


 私は耐えられなくなって彼の太い指に狙いを定めました。




 ……ペシッ。




「おい、誰かおらぬか!」

 武将は声を上げた。


「はっ。殿、ここに」

 すぐに近習の者が駆けつける。


「線香はないのか」

「はっ……ありますが」


「蚊が多くてかなわん。すぐにもってこい」

「かしこまりました」


 天下無双の座は未だ変わらない。

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