三つ月(みつづき)の夜を越えて
季暁
瑠璃と幸貴の転生、そして晴宮家とは
🌙瑠璃が死ぬ
「瑠璃。儂より早く逝くなんて・・・。
これからは儂の会社で一緒に働くと約束したじゃ無いか。楽しみにしていたんだぞ」
強い言葉とは裏腹に口調は弱々しい。
いつもの強面の顔が歪んで目には涙が堪っている。
大学を卒業したばかりの22歳。卒業と同時に儂の会社にいる幸貴君と婚約し、彼と同じく儂の会社に就職が決まっていた。
さてさて、結婚式はいつ頃が良いだろうかと楽しみしていた。のに…………
そのことを思うと目に堪っていた涙がすぐに零れそうだ。
70才を過ぎていても声には張りがあり、他人を威圧するには十分な貫禄もある。
それなのにこの状況では喉に力を入れて喋らないと言葉が震えてしまい、何を話しているか聞き取れないかも知れない。
目の前のベッドに横たわる瑠璃は、小さい頃から可愛らしく素直な娘だった。
クリッとした明るい茶色の目は人なつこさとかわいらしさを表し、家族の遺伝とも思える明るい茶色でくせ毛の髪の毛は、三つ編みにしても後れ毛がはみ出てふわふわしていた。
小さい頃は走り回るたびに結んだ髪の毛が踊るように揺れて、それはもう可愛いくてしょうが無かった。
代々何故か男ばかり生まれてきた晴宮の本家に、初めて生まれた女の子だった。
正しく宝石のように大事にと思い、それこそ代々受け継がれてきた瑠璃のピアスにちなんで「瑠璃」と名付けられた。
兄が二人いたためか、見た目の可愛らしさとは別にお転婆な面もあって、住まいである屋敷の中を走り回ったり、外に出ては神殿の近くまで行って兄妹三人で隠れんぼうに興じていた子だった。
小さい頃は、人形遊びより兄達のおもちゃである車やカメラ等をドライバー一本で解体しまくった。
バラしても元に戻すことも出来ず、兄達にはよく泣かれたり怒られたりしていたが、結局はあれらの父である宗一か儂が組み立て治すということが当たり前だった。が、その内一人で分解と組み立てが出来るまでになっていた。それらも楽しい思い出だ。
儂等にはもう一人の子供がいるが、宗一の弟である宗司の子供は男の子一人だけだ。
先に亡くなった儂の妻だった倭子は、男児3人の孫の他に、やっと生まれた女の子・瑠璃を殊の外可愛がっていた。
瑠璃も倭子のことが大好きだった。
倭子が病気で入院したときも、学校帰りには毎日お見舞いに行き倭子を励ましていたな。
「おばあさまが元気ないと寂しいよ。大好きだから早く良くなってね」って、いつも言っていた言葉だ。
は~・・残念でならない・・・
🌙 瑠璃の思いと家族の思い
瑠璃にとってもそれは突然だった。
この地域では春になると霧が立ち込める。それが春の風物詩となっている。
7日前の霧が晴れた日から突然起き上がることが出来ず、ベッドに横たわった私。
最初はただ怠さを感じて動けないだけだったため、小さい頃から診て貰っている主治医のおじいちゃん先生に往診に来て頂いた。
「悪いところが見当たらないなあ。精密検査をしてみたらどうだ?」
先生が紹介状と救急車を手配して下さって、地元の大学付属病院につれて行かれた。
そして、いろいろな検査をした。けれど・・・、やはりどこも悪いところが見つからない。
家族も流石におかしいと思い始めた。間違い無くこれは呪いだろうと。
治療の手立ての仕様も無いため、自宅に戻って来た。これからの対策を練るために。
「もう死ぬのかな。私まだ22歳だよ。誰かに恨まれる事をしたのかなぁ?」
と声に出せず、頭の中で22年間が解像度の悪い動画のように映し出されていった。
広い・広い鎮守の杜。
よくテレビなどでは、広さを比べるのに『東京ドーム○個分』とか言うけれど、東京ドームの広さがどの位か分からない。行ったこと無いから。でもこの杜は多分そのドームよりは遙かに広いだろう。
ここは悠和市。
のんびりした感じの名前だけど、昔々ここに京を置こうと決めた当時の朝廷が、民が仲良く暮らし、この国が栄華を極め、果てしなく続く事を願って付けた名前らしい。随分と大層な名前を付けたものだと思うのは私だけではないのでは?とずっと思っていた。
この市の小高い山のてっぺんの森の中に『
杜の入り口の大鳥居をくぐって真っ直ぐにコンクリートを敷いた長い道が続く。
車椅子でも参拝できるようにと作られた道だ。
それをずっと歩いたその先の参道は、暫く歩いても御社殿が見えない。
参道を歩いて行くと、狛犬の像が向かい合わせに一対となって置いてある。
その直ぐ先には鳥居が立っている。
ここの鳥居には特徴があって、鳥居の笠木や貫の上に小さな犬が飾られている。
その姿はお座りしている姿や伏せをしているもの、丸くなって寝ている姿もある。
狛犬と鳥居のそれは暫く歩くと又一対、又一対と建っている。
少しずつ顔が違う狛犬は全部で20対あり、御社殿までの参道に置いてある。
だからここを訪れる人々は、散歩気分で狛犬の顔を比べたり、鳥居の犬の姿を探したりする。
けっこう足も疲れて、汗を掻いた頃に荘厳な姿の本殿が現れる。
山を下った東側には大きな湖もあって、湖の周りは整備され大きな公園になっている。
遊具が幾つか設置された場所と芝生を敷いただけの場所があり、その周りは自転車で走ったりランニングが出来るようになっている。
こんなふうに、この一帯が自然溢れる場所として市民の憩いの場となっている。
それに加えて、優しさと美しさを兼ね備えたこの国の想像神・
この神社には、家族にお祝い事や困りごとがあるたび、何もなくても心の拠り所としてお参りする事が当たり前になっている土地柄だ。
そして春になると山から湧く霧と、近くの湖とその先にある海側からの霧が、悠和市を真っ白に包み込む。
その様は幻想的にも見えるが、毎日夕方から朝方までの間、霧が濃いので車の事故なども起きる。霧は雲に変身するかのように上に集まって来て、丘のてっぺんにある森や本殿の周りに集まってくる。建物が見えないくらいだ。
「春は怖い 、呪いまでも霧に隠れる事が出来る」とご先祖様がよく言っていたそうだ。
春になると原因が分からない不調を訴える人が多く、お参りする人が増えるので家族としても毎年春は気が気でない季節だ。
憂鬱な春とは別に、私は就職が決まっていて働くことを楽しみにしていた。
来月からお爺さまの会社で働くことになっていたのに・・な。
四年間のうちにボロボロになったスマホとスマホカバーも、大好きな
カバーは、春らしく淡い黄緑色にオレンジ色や黄色のアネモネが咲き乱れて、とっても綺麗で・・瑠璃にぴったりだねって言ってくれて、嬉しかった。
それに「近々婚約指輪も選びに行こうねって、言ってくれたから、楽しみしていたのに…」閉じている瑠璃の瞳から涙が零れた。
宗右衛門は瑠璃の事がショックで、何も考えられなくなっていた。
晴宮家一族が代々管理する『晴国神社』の本殿から北方に、砂利を敷いた細い道を歩いて暫く行くと、大きな祠が建っている。
そこは、晴宮本家の人間だけが死んだ後に奉られる場所となっている。
2千年以上の歴史の中で生きて来たご先祖様達の骨壺が並べられているが、そろそろ手狭になって来た気がする。
瑠璃がもう駄目だと決まったわけでは無いのに・・・、それなのに何故かこんなことを考えてしまって、
「なんて馬鹿な!」頭の中で自分を叱咤した。
本殿から少し離れた西側にある建物、そこが瑠璃の家族が住む屋敷になっている。
家族は代わる代わる呪いの元を探していたが、相手の手段もかなり計画的だった。
この神社は、瑠璃の父親が宮司で長男が禰宜と二人だけで祈祷、地鎮祭、宮参り、などの様々な儀式を請け負っている。
お札やお守りなどをお渡しする授与所と宝物殿などの担当者、それに巫女などは晴宮の遠縁から雇っているが、人手が少ない。
それでも何とかなっているのは、一番古く有名な神社の割には、建物が少ないからだ。
他の神社では、神楽殿・記念館・結婚式場等の建物があったりするので、その分人手が必要だ。
けれどここは、授与所と社務所が一つの建物だし、拝殿のすぐ後ろが本殿になっているため、本殿は広めに建てられている。
現在の他の神社と違うと言われても、これが晴国神社なのだ。
それもこの神社は、創建時に晴宮の家族に任された経緯を考え、どんなに神社が忙しくなろうとも頑なに晴宮家だけで賄ってきた。
日中は、瑠璃の父と兄の俊太郎がご祈祷希望の参拝者対応で忙しいし、祖父ともう一人の兄である俊介は基本会社勤めだ。
その時間を狙って呪いが一気にやって来ていることが分かった。
家族が揃う夕方からは、霧が濃くなって来て呪いも消えてしまうので、その元を探すのに時間が掛かっている。
時間に一番融通の利く宗右衛門が、会社を副社長である自身の次男に任せ、仕事を休んで呪いの元を調べ歩いていた。
そして宗右衛門は、森を調べて37枚の呪いの札を見つけていた。
「こんなに札を剥がしても瑠璃の容態が良くならないなんて・・・まさかあの呪いなのか?・・・・このままでは間に合わないかも知れない」宗右衛門は幸貴君に連絡を取りながら急いで宝物殿に向かった。
それから2日後。家族は瑠璃の側から離れず瑠璃を見守っていた。
今日は珍しく青天で温度も上がっていた。神社のある森の中も少し暑いと感じるくらい日が差していて屋敷までの途中の道には陽炎も見えていた。
慌ただしく動いていたその時、瑠璃の容態が悪いと宗右衛門に連絡があり、慌てて屋敷に向かって行った。
この南向きの部屋、明るく暖かい部屋のベッドに瑠璃は寝かされている。光は瑠璃を包み込むようにして照らしている。
先ほど心配された容態より今は少し呼吸が落ち着いている。
この命はあとどれくらい持ちこたえられるのだろうか?
夕方になり、瑠璃の息は絶え絶えて命の炎が消えかかっているのが分かる。
真昼、光に包まれた時は幾らかばかりの期待もあったが、それすらも只自分達の希望に過ぎ無かったと分かってしまった。
大事な孫であり、娘であり、妹でもある瑠璃の最期を看取る為、家族が瑠璃を囲んでいる。
しかし父親だけはここにいない。
宗一は、瑠璃のためにここ何日も祭壇の前で必死に祈り続けている。
それはこの神社の主様に瑠璃の事をお願いし、お告げを聞き取るためだ。
横たわる瑠璃の瞳には、もう誰も映っていないようだ。宗一がいないことにも気づけない。あんなに人の機微に聡い娘なのに。
それでも瑠璃の唇が僅かに開いた。
弱々しく紡がれた言葉、
「お爺さまごめん・なさいね。私も・・楽しみにしていた・んだけれど、もう無理 みたい。
でも 大丈夫 です よ。
俊太郎 兄様 と 俊介 兄 様も いるし、 きっと 皆 が 手伝って くだ さる ゎ」
「お父様 、お母様、 それに うぐっ 」
「瑠璃、るり 」皆の呼ぶ声が重なる。
「はぁはぁ、お兄様、 幸ちゃん、どうか みんな しあ わ せに なって 」
瑠璃の顔を見ることが辛くて一瞬窓の外に目をやった。
今日は珍しく朝から晴天に恵まれあんなに日の光が満ちて明るかったのに、外は薄暗くなっていて、今までに見たことも無いくらいの濃い霧が立ちこめていた。
そして、ぼわ~とした明るさがある。霧より高い天には月が出ているのだろう。
苦しそうな息使いが聞こえた。
はっとして、宗右衛門は目を瑠璃に戻した。彼女は零れる涙を拭う力も無く、やっとの思いで皆に気持ちを伝えるとゆっくりと瞼を閉じた。
卯の花色の張りのある美しい肌は、倒れてから頬が痩けて見えるほどになった。そして今ほんの少しの赤みも消えかける。
瑠璃の最後だ。
その時、一人が瑠璃の両手を握った。同時に宗右衛門が瑠璃のおでこに人差し指と中指を揃えて何か短い呪文を唱えた。そして最後の言葉を発した。
「瑠璃よ、異世界で成り上がれ!」力強い言葉だった。
すーっと瑠璃の姿が消えた。なのに、誰も驚かない。
一様に厳しい顔をしている。
鈴さんが・・、いつもなら穏やかな話し方しかしない鈴さんが、今までに聞いたことが無いくらい大きな声で、それでも涙声で声を絞るように話す。
「転生させて呪いは消えたんですよね。瑠璃は・・瑠璃はこれから幸せになる可能性もあるんですね」
涙を拭うハンカチは力一杯握られた右の手の中でシワシワになっていた。
「時間が掛かって助ける事が出来なかったが、この呪いは異世界までは届かないから安心しなさい」
「ただ、あれだけ弱っていたから、そのままでは身体も魂も耐えられないだろう。 だから魂を小さくして飛ばした。
転生先では小さな子供の身体から生きる事になる。
幸貴君の方は、今の記憶を持ったまま小さい魂と身体で飛ばした。
これで瑠璃を守ることも出来るし、ずっと一緒にいられるだろう」
「後は瑠璃が強く生きて行くだけじゃ。大丈夫、あの子の性格なら皆に好かれるだろう。それに商売の大切さは儂を見ていたからやっていけるはずだ」
「それに私は、ご先祖様達の呟きが必ず助けになると信じている。
だから転生後のためにバックヤードの隠し部屋からあのバッグを持たせてやった。
必要になるかもと、色々な物を入れて幸貴君に渡したんだ。先ほど幸貴君が背負っていたやつだ。フン」
「ええ!もしかしてあのバッグですか?僕、狙ってたのになぁ」俊介が残念そうだ。
「フフン。そうじゃ。あんな物ここに置いといたって使い道なんか無いだろう。国にも見つからないよう隠してあった物だ。
瑠璃と幸貴君に使って貰った方が良いに決まっておる。二つとも持たせてやったぞ」
皆が声も出ないくらい驚いているが、宗右衛門は(どうだ!)とばかり胸を張った。
「敵わないなあ。でも、ありがとう。さすがお爺さまだ。後でどんな物を持たせたか教えて下さいね」
父に代わって俊太郎がお礼を言うと、鈴さんも俊介も頭を下げた。
下を向いた二人の目から涙が落ちた。
「この呪いは強力ではあるが難しい呪いでは無い。ただ、霧に紛れて見えにくくなっている。既に67枚探し当てたが・・・・たぶん あれは99枚札だ」
「なんだって!・・」兄弟が声をそろえた
まだ見つかっていない分を探し当てなくては・・頼むぞ。
99枚札・・・
100枚だと早々に死に至るが、1枚足りないだけで命が尽きるまで苦しむのだ。それだけ残酷な呪いが瑠璃に掛けられていた。
「誰が瑠璃に呪いを掛けたか、皆で必ず突き止めるぞ。絶対に許さないし、我々の力を思い知らせてやる」宗右衛門の目がつり上がった。
🌙晴宮家の歴史
瑠璃を転生させた後、他の家族はそれぞれの思いを胸に瑠璃の部屋を出て行った。
宗右衛門は椅子に腰掛け、瑠璃のいなくなったベッドを見つめている。
宗一もこの場にいて、瑠璃達を見送りたかっただろう。瑠璃の婚約が決まっただけでも寂しがっていたのだ。
転生を見届けたかったに違いない。しかし、それより大事な役目を果たさなければならなかった。
本堂の奥には、嬋媛大御神様のご神体である掛け軸が掛っていて、そのすぐ前にはあまり似ていないが、同じ嬋媛大御神様の木彫りの像が祀られている。
掛け軸は2千年以上前に描かれたと言われているが、不思議にも色が褪せた感は全く見られず綺麗なままだ。
衣装は皆が思う天女のような衣装を纏っているが古典で伝わる時代の女性達の姿とは違う。
昔は髪の毛は同じように長く、お多福と言われるふっくらした頬と一重の細い目、それにおちょぼ口をした女性が美人の条件だった。
けれど描かれている嬋媛大御神様の腰まで長い髪の毛は、光り輝くように描かれているせいで、髪の色は黒髪だとは思うが違うようにも見える。その髪を肩の辺りで紫色の組紐で結っていて頬はほっそりとしている。
二重の大きな目に唇は現代女性と同じように紅が映える形をしていて、昔のイメージとは異なる条件の綺麗な女性が描かれている。
そのすぐ前に置かれている50センチほどの高さのある木彫りの女神像には、何故か瑠璃石で出きた
掛け軸の神様には首輪は描かれていないのに、昔から木像にはこの首輪が掛けられているのだ。それが何故なのか・・・・。
宗一は神様の首輪から瑠璃石を一つ頂き、瑠璃のためにピアスを作り、幸貴君に託すよう宗右衛門に渡してあった。
次の世界にあの二人がきちんと転生出来ますように。
転生出来たのなら二人が幸せに暮らせますように、嬋媛大御神様に衷心よりお願いしなくてはならない。
そうは思っても、瑠璃の子供の時からの姿が頭の中からなかなか消えてくれなかった。
宗一はそれらの思いを胸に、唯ひたすら・・一心に二人のために祈っている。
宗右衛門は、ご先祖様達から聞いた話と自身の昔を思い出していた。
晴宮の家系は初代の穣司が、国が初めて建立した大きな神社を託され、管理し守って来た事から始まっている。
晴国神社は最も古く由緒ある神社のため、神社本庁の中でも一番発言力が強い。
当然宗一はその神社本庁のトップも勤めている。
他にも国から託されて、晴宮一族の分家が守っている神社もあるが、ここほど古いところはないし、既に跡継ぎのいない分家も出ている。
いずれそこは、晴宮家とは関係の無い人間に神社を任せることになるだろう。
しかし晴宮の本当の始まりは、神社を任される前に人々の治療のために薬草を育て、薬を作って来たところから始まる。
時代と共にそれは製薬会社という形になり、今で言う【漢方】の礎となる会社の一つとなった。
そのため、神社を守る者と会社を継ぐ者を家族で担っているのだ。
世間の批判も少しばかりあるが、大昔からの生業が製薬で、神社はあくまで国からの依頼だ。
だから国からも認められているし、文句があるなら神社はいつでも捨てても良いとさえ思っている。
以前世間の目もあるからと、国に神社の管理を辞めさせて欲しいと申請したが承諾してもらえなかった。
会社自体は、現在全国各地に多くの特約農家を抱えるまでになり、薬にするための薬草を国内だけで育てている。
儂も、先代である父から当時は小さな製薬会社を引き継いだが、商売の才があったのか会社はここ20年ほどでかなり大きくなり、国内では知らない人がいない位の規模を誇る製薬会社となった。
世間の目が、昔からの【漢方薬】と言われる薬に注目が集まった事で、内服薬が中心だった商品に外用薬、入浴剤や化粧品、ハンドクリームなど多岐にわたり製品を製造し販売した。どれも効果が高く、良く売れたのが大きかった。
現在、商品の種類が増えたために、新しい工場を建てている最中だ。
神職と会社の社長という二足の草鞋を履いていた儂だったが、会社が大きくなった事で、早めに神職を息子の宗一に譲った。
現在は息子の宗一が宮司としてこの神社を守っていて、次は俊太郎がこの神社を継ぐことになっている。
次男の俊介は、今のところ何かあったら兄を助けるつもりで時々神社の手伝いをしているが、普段は儂の会社で創薬研究室に席を置いている。ちなみに鈴さんはここの巫女だった。
ふっ。・・・・・あの頃は儂も忙しかったなあ。
少し昔を思い出してみた。
儂が会社の方に力を入れたいと宮司を早く引退して、会社の近くの社長用の
そのせいで巫女舞の指導をしていた倭子も、神社にはあまり指導に行く事が出来なくなった。
そこで遠縁ではあったが、素晴らしい巫女舞を舞う娘がいると聞きつけ、その娘に来てもらったのが鈴さんだった。
鈴さんの舞いは、皆が引きつけられる程に美しくとても優雅だった。
それを見た宗一が・・・・はは、面白かったなぁ。
顔を真っ赤にし、舞う鈴さんを瞬きもせず見つめていた。あの時を思い出すだけで笑える。
「僕は鈴さんをお嫁さんにします」
一目惚れした次の日には儂等に宣言するものだから、
「儂等に言う前に、鈴さんにきちんとプロポーズしたのか?」って怒鳴ったら
「えっと、まだです」と言う。
「馬鹿かお前は!さっさと口説き落としてこい」あの時のバタバタ劇の可笑しかったこと。
宗一に一目惚れされた鈴さんも嬉しそうで・・、結婚の話は直ぐに決まった。ははは・・・。
二人が結婚し孫が三人も生まれ、私達も幸せだった。
瑠璃は小さな時は、おもちゃをドライバー一本で分解しては組み立てたりするくらい機械が好きだった。高校の時は幸貴君と一緒にいたくてテニス部に入ったが、家ではロボット作りに一生懸命だった。大学に入ったら機械工学を勉強して本物のロボットを作りたいと言っていたのに、まさかの日本史を学びに行くと言いだした。
一族の仕事である薬学には、興味が無いようだった。
まあ、これはご先祖様達の影響もあるだろうから、仕方がないのかも知れない。
儂の仕事柄、瑠璃にも小さい頃から【晴宮製薬】で使う薬草の知識を与えたり、商売の心得を諭していて、それはきちんと理解していたはずだった。
しかし心は二転三転し、大学3年の時に友人に誘われてボビンレースの講習に行ってしっかりその魅力に嵌まったらしい。
インターネットで調べてみたが、あれほどの美しいレースは見たことがなかった。
レースその物に興味も縁もなかったのだからしょうがないが、あの緻密な模様を手作りするのだから凄いなと素直に思った。
だがあまりの難しさに、誘った方の友人は直ぐに諦めたそうだ。
それ以降、外国の輸入雑貨、特にレースを取り扱う仕事に就きたいから、そういった会社に就職したいと言い出した。
「儂の仕事の手伝いをしてくれないのか?幸貴君もいるんだぞ」と説得を試みたが、
「う~ん。お爺さまごめんなさい。薬も大事だけど雑貨の方が好きになってしまって」
ショックだった。
それでも諦めきれない儂はもう一度、今度は甘い言葉を掛けた。
「2年間仕事してくれたら、輸入雑貨の店を買収して瑠璃に任せる。それなら良いだろう」完全に「爺馬鹿」を丸出ししてしまった。
呆れられたか?嫌われたか?
そうなったらどうする?ドキドキ・ドキドキ・・
「もう、しょうが無いなあ。分かりました。お爺さまの会社に就職するわ。
けれど、入社試験はきちんと受けさせて下さいね。雑貨の店は将来自分で作りますから、買収なんてしなくて良いですよ。
あまり私を甘やかさないで下さい。我が儘娘になっちゃいますから」
瑠璃は口を尖らせながら言ったが、少しも怒った風では無かった。
「良かった。瑠璃ありがとう」この時ばかりは目が潤む程嬉しかった。
親族の中には、神職に興味を持てない若者もいて、その内の何人かは社員として儂の会社で働いている。一族の若者達は真面目で優秀な人間が多い。
その中でも俊介と、瑠璃の婚約者だった幸貴君はダントツで優秀だ。
二人がいればこの先も会社は安泰だろうと思っていたが・・・・・これからは俊介に頑張って貰うしかないなあ。
「幸貴君、宗一から託された品は、いずれ必ず瑠璃に渡してくれな」
聞こえるはずは無いが、幸貴君を思い浮かべながら宗右衛門は両手を合わせた。
宗一と鈴夫妻が使っている部屋は、居間と寝室そして寝室の隣には宗一が書斎として使っている小さな部屋がある。
鈴は瑠璃が転生して消えた後、ふらふらした足取りでようやっとこの部屋まで戻って来た。
一度は居間のソファに座ったが、堪らなくなってそのまま横になった。涙が溢れてくる。
幸貴君と婚約して、いつ結婚してもおかしくない状況になった。
結婚式はこの神社で行うことは決まっているけど・・・披露宴会場は?
晴国神社の娘とは言え、和装には拘らなくて良いと主人も言っている。
本音は、瑠璃のウエディングドレス姿を見たいのと、隣に立ってバージンロードを歩きたいのだという。
一応体裁もあるから、和式と洋式を合わせてやろうか?
二人でそんな姿を夢想しては、楽しみにしていたのに…………。
こんなに辛い時は夫である宗一と共にいたかった。縋って泣きたかった。
けれど・・・・あの人も、辛さを堪えている。瑠璃のために・・・・鈴は、いつ戻って来られるか分からない夫を待つしかなかった。
俊介は兄の俊太郎の部屋で一緒に酒を飲んでいた。
本当は二人とも、飲んで飲んで潰れたいほどに悲しかった。瑠璃を忘れたいわけじゃない。
けれど・・・何もしてやれなかった自分達の不甲斐なさが、あまりにも悔しかった。
小さい時、僕達を困らせたりもしたけど、それ以上に幸せをくれた。
いつも「お兄ちゃん、お兄ちゃん」と慕って追いかけてきた瑠璃。
可愛いから年と共に美人になった瑠璃。
僕達より頼れる人を見つけた瑠璃。
何時までも大事な妹、瑠璃。
自分達の手で守りたかった。・・・今夜だけは、少しだけお酒の力を借りて過ごそう・・瑠璃との思い出話をしながら……二人はそう思った。
宗一は本殿にて、奥に祀ってあるご神体に向かい、懸命に祈っていた。
どうか瑠璃と幸貴君が無事転生出来ますように。転生して二人が幸せに暮らせますようにと。
【瑠璃が助かるための時間が足りない】と理解した時に、父である宗右衛門と相談し二人の転生を決めた。そしてその日から、食事も睡眠も取らずに祈り続けた。
もうふらふらになって倒れそうになったとき、大御神様の優しく囁くような声が微かに聞こえた。
《転生が済みましたよ》
「御ありがとうございます」最後の気力を振り絞って、身体を綺麗に折ってお礼の祈りを捧げた。
早く皆に知らせなければ…………。早く鈴の所へ・・・
右へ左へとふらふらする身体で、鈴のいる夫婦の部屋に向かった。
🌙魔法使いの家系
晴宮一族が大事な神社を国から任されているのには理由がある。
一族には特別な力があるからだ。
現在、日本人には失われ、使う事の出来ない力。・・・・魔法である。
ご先祖様達からの言い伝えがある。
かつて昔、もう2千年は経つだろうか。
何時の頃からか、そしてどこからやって来たのか分からない人々がここら一帯に住んでいた。
明らかに元々住んでいる人々とは容姿が違った。
男女問わず背が高く、目の色も青みがかっていて髪の毛も明るい茶色の人々だった。中には光る白髪の人間もいたらしい。
容姿が違っても、元々住んでいた人々とは仲良く平和に暮らしていた。
その人達の住む村は、この広い地域に20カ所ほど点在した村の一つで、一つ一つの村には300人くらいの人々が暮らしていた。
そして各村の村長を務めていたのは魔法使い達だった。
そう、容姿の違う人々は魔法使い達だったのだ。
村長とその家族、そして親戚は皆の病気を治すために薬草を育て薬を作り、治癒魔法をも使う事が出来た。
他は干ばつの時は雨乞いをして雨を降らせたり、又その逆も然りだった。
魔法使いと言っても、火や雷を使って人を攻撃するような怖い魔法を表だって使う事は無かったらしい。
魔法使いのどの村長も心優しい人達で、病気を治す他は皆の悩み事を聞いたりしてくれるので尊敬されていたし、信頼されて村を任されていた。
村々は離れていても、村長達は時々集まって交流をしていた。
何か問題が起きた時は手紙を飛ばして連絡を取るようにしていた。
手紙は文字を書き終えるとツバメの姿に変身し、直ぐに目的の村長まで飛んでくれた。
しかし村長達の家族や魔法を使えた仲間達も、元々この地域に住んでいた民との交わりの中で段々と魔法を使える人間が少なくなっていった。
そんな村の中でも、この地域の中心にあった村は5千人を超える大きな村だった。当時としては大規模の村だ。この村に魅力を感じ、どんどん人が集まり人口が一気に増えていったのだ。
そこの村長が晴宮の初代ご先祖様だった。
魔力が一番強く、魔法も治癒魔法の他に土魔法・火魔法・水魔法などの攻撃魔法も使えた。
勿論表だってその魔法は使ってはいなかった。それは役人に目を付けられることを危惧しての事だ。
そんな中で、薬草を育てながら晴宮が作った薬はとても良く効いて、病気が中々治らない家族のために噂で聞いたからと晴宮を頼って遠くからも人が集まっていた。
村には多くの人々がやって来ては泊まり、薬の他に村の農作物や工芸品も買うなどして賑やかな町になっていた。
人々に信頼されている晴宮の話を聞いた
そして民の心を奪われてはならないと、見たこともない晴宮の悪口を風評した。
晴宮を一方的に悪者扱いしては、信頼できるのは自分達だけなのだと言い始めた。
それでも民の心は晴宮を指示したままだ。
朝廷が晴宮を妬んで悪口を言っていることは民も分かっていたのだ。
「なんて心が狭いのだろう」声を出しては言えないが、裏では皆朝廷のことを馬鹿にして笑っていた。
朝廷は貴族と手を組み、この地の村々を監視して生活を把握してから奇襲することにした。
夜中に多勢の兵隊で各村を武力攻撃させ、住人を虐殺すると脅して、魔法を使わせないように縛り上げて次々に村長達とその家族、一部の村人を掴まえた。
隣の村々に助けの手紙も出すことも出来なかったし、人質を取られた村長達は何も出来なかった。
村長達は朝廷の目的が、晴宮だと分かっていた。昔から晴宮にお世話になったとは言え、一緒に捕らえられた家族や、村人を守るために仕方なく朝廷に協力することにした。
朝廷や貴族達は、魔力が晴宮ほど強くない村長達でも、皆で纏まって同じ呪文を唱えれば強い魔法になると思い込んでいた。
そして晴宮に対して、魔力を封印するよう命令した。
目の前に手を縛られたまま連れて来られた晴宮という男の姿を、初めて見た朝廷や貴族は思わず息を止めた。
【我々とは容姿も威厳も違う】そう感じた。
今までは、朝廷に仕える武将が一番大きな身体だと思っていたが、細身とは言えその武将より7寸以上は背が高く見える。
何歳なんだ?
顔つきは若そうだが髪の毛は銀色だ。髪の色が銀色だなんてそんな訳がない。白髪に日の光が当たって光って見えるだけだろう。だが、美しい海のような青い眼を持つ。そんな人間を今まで見たことがない。
男のくせに髪が長く耳は隠れ、襟足で一つに結っても背中まで長かった。
何より、穏やかな顔つきながら威厳があり、高貴な気配さえ漂っているような気がする。
まるで自分達と立場が逆転してもおかしくない雰囲気で、青い眼でジッと見られていると怖ささえ覚えた。
怖い気持ちを押し殺し、朝廷は掴まえた村の長達に晴宮に魔法を掛けるよう命令した。
「晴宮の力を封印しろ」
《朝廷の広い庭で晴宮を囲み呪文を唱えさせ、晴宮の魔力を封印させた》
この事は朝廷に仕えていた文官が記した書記に載っていた。
晴宮はその時から魔法が使えなくなっていたが、朝廷の命令で薬だけは作らされていた。
それは自分達もその薬を使いたいのと、よく売れる薬から多くの税金を取るためだった。
村の女性達が何人も人質状態で朝廷の元で下働きさせられているし、晴宮の作った薬の検品は全て晴宮の家族が担っていた。
そのため、万が一毒でも盛ったら最後、家族みんなが死ぬ運命にあった。
朝廷が晴宮を掴まえたことは、民の顰蹙を買った。
皆のために薬を作っていただけの人間。
それでいて質実剛健に暮らしていた人間を、嫉妬や妬みで因縁を付けるようにして 捕まえたことに、村の人々や薬を求めてやって来た人々の口から、朝廷や貴族の悪口が広く知れ渡ってしまったのだ。
自分達の立場を守るためにしたことを人々は既に分かっていて、返って信頼と評判を落としてしまった朝廷は頭を抱えた。
晴宮の事は強引だったにせよ、後悔はしていなかった。自分達を守らなくてはならなかったから・・・。
しかしこれから民を纏めて行くために民の機嫌を取る政策を進めて行かなければ、今度は自分の身も危ないかも知れない。
そのため知恵を振り絞って考えたのが、この国の創造神を奉る神社を建てることだった。
ここを誰に任せるか?
「神のお告げ」として利用するのに、力を無くしてしまったとしても、以前は魔法を使えて今現在も民に絶大な人気を得ている晴宮に白羽の矢を立てた。
「やっとあの男を利用できる・・・」
手を強く握りしめ汗を掻きながら朝廷は自分を鼓舞した。
今、目の前にいなくてもそれだけ晴宮の存在は強力に植え付けられていて恐怖を感じていたのだ。
神社の建立に際し『晴国』神社と命名した。
それはこの国が『いつも神に見守られ、国も立派に繁栄し民も心配事など無く暮らせる』と表向きは立派な謳い文句で声高らかに宣伝した。
そんな国の思惑と共に、小高い山の中に建てられた【神社】は、その時代に合ったようで、国の民に絶大な支持を受け、国民はこぞってお参りしようと足を運んだ。
中には、晴宮様が任されているからとの理由でお参りに来る人達もたくさんいた。
お陰でその地は聖地巡礼のように、
「いつかは、一生に一度は晴国神社にお参りしたい」
そんな場所として名を馳せ、近隣の店や宿には観光客が押し寄せ、神社にはいつも参拝客が溢れるようになった。税金も集まり朝廷の勝利とも言えた。
しかし国は理不尽だった。
時代が変わって、大きな戦争があるたびに、
「本当に魔法を使えないのか」
「魔法が弱くても、少しなら敵を殺すことが出来るだろう」
と軍からの使いが詰め寄って来たのだ。
「あなた方が我々の魔法を使えなくしたのですよ」と言って晴宮は退けた。
その度に、使いの人間は項垂れて帰って行った。
ふう・・・。宗右衛門はご先祖様の話を思い出していた。
それでも、既に魔法が使えないと言っていても晴宮家は魔法使いの一族として、国のトップシークレットの一つとして扱われていた。
時代と共に魔力や魔法の確認は口頭だけとなり、役人が(とりあえず確認で)訪問して来るだけになった。
本当は、時代が変わっても晴宮の子孫達は強い魔力を持って生まれた。現在の晴宮家も皆強い魔力持ちで、いつでも魔法が使えるよう特訓している。
しかし国からの使いで来る役人に対しては
「今時、もう誰も魔法なんか使えませんよ」と繰り返し伝えている。
役人達も「こんな時代に魔法なんてありえませんよね。私も信じていないですよ」と笑いながら言って帰って行った。
時代も代わり、監視する人間も代わり、魔法を信じる人もいないとなれば、近々国の監視対象から外されるだろうと思っている。
既に魔法と言う物は、国民にとって小説や漫画・アニメの中でしか存在していないのだ。
晴宮家は分家の誰かが結婚し、子供が生まれた場合は初宮参りにこの神社に来る事としている。
表向きはお祝いを渡すことと、家系図を書き繋いで行くためと説明しているが、実際は魔力を確認するためだ。
しかし、生まれながらに魔力を持っている子もいるが、幼いうちは魔力が発現していないこともある。
だから発現のリミットとされる13才を越える中学卒業時にも、必ず本家への挨拶に来るように言いつけてある。
その時には、卒業祝いや進学祝いなどのお祝いを渡すためと言っていて、その家族にはきちんと《お祝い》を渡している。
けれど実際は、魔力が発現しているか確認し、魔力が発現していれば消しているのだ。
今のこの時代、魔力に頼る必要は無い。
もしその力を得れば、間違い無く何処かで使いたくなるだろう。
それは段々エスカレートして行く。そうなれば、それを押さえ込むため晴宮家の皆が魔法を使わざるを得なくなる。
この国で晴宮家と関係の無い人々の中にも魔力を持っている人はいるかもしれない。ただその人達はその力を知ることも出来ず、使う方法も知らないだろう。
けれど一族の人間は、先祖が強い魔力を持っていて、魔法を使えたことを口伝えしている可能性もある。
もしその力を持って生まれてくれば魔法も使えるようになるかもしれないのだ。
こうして晴宮家は地道に身内の魔力を潰して来た。弊害は、魔力を消されると子供が出来にくくなるのだ。その所為で分家の数も大分減った。
儂のもう一人の息子である宗司も、もう魔力は無い。本人は本家の人間としてこの事を分かっているので、結婚を機に儂が魔力を消した。
それでも子供が一人生まれたが、その子は魔力を持っていない。
「それで良いのだ。魔法なんか持たない方がいい。自分達以外の魔法使いが居なくなるまでが我々本家の仕事だ」その事だけのために晴宮は続いて来た。
そのため晴宮は万が一のための訓練も怠っていない。これほどの名のある神社を守りながら、住まいとしている屋敷は広いとも言えない。けれども屋敷の奥ではそのための秘密の部屋がある。
瑠璃も秘密の部屋が大好きだった。
一つは魔法関連の本が置いてある部屋だ。
物置部屋の奥に扉があるが、そこは家族以外簡単には知ることは出来ない。
もし見つかって扉を開いても一見は図書室だ。机や椅子そして部屋を照らす蛍光灯があり、左右の大きな書棚には日本の歴史本や神社の専門書が隙間無く置かれている。
その部屋の隅っこ、古くから備え付けてあるランプの下で顔認証されたうえに呪文を唱える。
すると正面に別の本棚が現れる。ここには魔法関係の本がびっしりと置かれている。
瑠璃は小さい頃からここにある魔法陣や呪文が書いてある魔法書が大好きだった。
兄達のように猫や犬に変身することは出来なかったが、本を見るだけでもワクワクして楽しいと一人きりでこの部屋で過ごすことがあった。
「小さい頃はよく連れてきたな」
そしてその奥にはもう一つ扉がある。魔法の練習が出来る部屋だ。
異次元の世界で、魔法の練習に必要な景色に変わる。
火魔法や水魔法、土魔法など、必要に応じて広い大地に厚い壁、川や海が出現する。仮想の電車が走ったり、軍用機が飛んだりする事が出来るなど、様々な敵をイメージし呪文を唱え敵を倒す。いつ国に知られ利用されるか分からないためでもあった。
それらに対してどんなに危ない魔法を使っても部屋が壊れる事もない。
ここを利用して、男性陣はかなり怖い戦闘用の魔法をも習得して来た。
神社には祭事が色々あるため、それに似せた祈祷の日と理由を付けては本殿を休みに男性陣で訓練したり、父と息子達が別々に神社の役割を果たしながら、国や人々に怪しまれないように訓練を続けていた。
以前はそういったことに気を配っていたが、現在は仕事をし過ぎないようにとか、交代で休みを取るように国からも指導が入っているため訓練もしやすくなった。
瑠璃は強力な魔法を使えなかった。
実を言うと、瑠璃は誰よりも強い魔力を持って生まれた。
兄達のおもちゃの車を、初めはドライバーを使ってバラしていたが、その内人差し指一本でバラバラにし、兄達が泣きながら追いかけて来ても届かないように部屋の中で飛ばし続けた。それが2才の時だった。
それを見た儂等は、瑠璃の将来を心配し幼いうちに魔力を小さくしておいたのだ。
その事を本人は全く覚えていない。
心優しいままでいて欲しい瑠璃に、魔法は必要無いと判断したからだ。
瑠璃はこの訓練部屋でシャボン玉を限りなく出してみたり、虹を架けてみたり、花びらを空から降らせてみたりするのが大好きだった。
一番得意な魔法は、空から手のひら大の雪の結晶を降らせその上に大きな花火を打ち上げる事だった。
それは決して簡単な魔法では無い。
魔力を小さくしても、まだこれほどの事が出来るなんて・・・
家族は心の中で「魔力を小さくしていて良かった」と思った。
人に危害を加える魔法よりも、瑠璃らしい平和で優しい魔法に、本人は恥ずかしそうに「このくらいしか出来ないの」と言った。
皆が手を叩いて「素晴らしい・綺麗」などと褒めてあげたら、「良かった。嬉しい!」と破顔していたな。あの頃は本当に楽しかった。
この家族の一番平和な時だったと言えるかも知れない。
今思えば、魔力を持たない幸貴くんともこれで釣り合いが取れたと皆が思っただろう。
瑠璃にはもう一つ大好きな部屋があった。
勿論・儂等も時々訪れている部屋だ。
このような発展した時代において絶対あり得ない。
(前の部屋もあり得ないのだが)
その部屋は入り口を開けるとタダの食料の保存部屋になっていて、棚にはお米、味噌・醤油などの調味料。冷暗なので、日持ちのする昆布や乾麺、ジャガイモやタマネギなどの野菜も置いてある。
そしてその奥にはやはり普段見ることの出来ない扉が一つある。
呪文を唱え、現れた扉を開けると
・・・・・そこには一面の菜の花が咲いている。これは春の時だ。
遠くには10階建てのビルくらい高さのある、とてつもなく大きなスダジイの木が一本生えている。
高さだけでなく、巨大な幹には沢山の太い枝が何本も伸びている。
幹周りが優に30メートルはあるその木は、いつ来ても青々としていて強い生命力を感じさせてくれる。
ここはいつも天気が良くて、その季節によって小川が流れていたり、コスモスが咲いていたり、一面に頭を垂れた稲穂が見える時もある。
そしてここでは二十人程の爺様婆様達がテーブルを囲んでは食べ物を食べ、お酒を飲んでいる。
他には楽しくお喋りをする者、踊りを踊っている者もいる。
瑠璃と一緒にこの部屋に行くと
「おー来たのか。さあおいで。ほら何でも好きな物をお食べ」と言って、家族の誰が行っても、楽しくそして優しく声を掛けてくれるし、食べ物や飲み物などを勧めてくれる。
まあここの物を食べたり飲んだりしてもお腹いっぱいにはならないのだが・・。
ここに居るのは皆、我々晴宮本家の亡くなったご先祖様達なのだ。
この土地で生まれたか、ここで亡くなった晴宮家の本家に生まれた者とその者に最後まで連れ添った人の魂だけがここに戻る。性別で言えば代々男性だけ、しかも一人か二人しか生まれて来なかった。
宗一のところに女の子である瑠璃が3人目の子として生まれたのは、晴宮家に取っても奇跡と言えるものであった。
だから極端な話し、この土地で生まれていれば万が一別世界で亡くなっても魂はここに戻ってくることになっている。別世界なんてあり得ない話しだと思うが・・・。
亡くなってから数百年以上たったご先祖様は、女神様の眷属となって狛犬様の姿になって遣いをさせられる。
眷属の仕事の合間に、この部屋に帰ってきて散歩したり走ったりしている狛犬様をたまに見かける。
一匹だけで居る狛犬様や、夫婦だったり気の合う親子か兄弟だったりしたのだろうか?二匹楽しそうに並んで歩いているのも見かけたりする。
眷属としての仕事を100年ほど仕え終わった後は、そのまま眷属の仕事を続けるか、天国に行くかを選べる。
眷属として仕えた者は、天国に行ったあと輪廻転生で優遇される。
一般の人々にとって輪廻転生というのは魂が宿る次の生き物の身体を見つける事だけれど、自分で選ぶことは出来ない。
蟻に産まれる、ゾウとして生まれる。たんぽぽとなって花を咲かせる。
何に生まれるかは分からない。又、人間かも知れない。
しかし眷属として神に仕えることが出来た人間は、次も人間として生まれ変われる。それでもどの国か、どんな家族の元かは選ぶ事が出来ない。
得が高い人間は良いところに生まれ変われると言われたりするが、【得】とは何か。人間が自分達の都合の良いように解釈しているだけかも知れないし、【得】は神様だけが知っているのかも知れない。
だから2千年を超える晴宮の歴史から言っても、ここにいるご先祖様はそう多くはいない。
以前、あるご先祖様が呟いたことがあった。
「儂も聞いた話だがな、眷属になる前に代々のご先祖様達から言い伝わっている話しがあるんだ」
「初代がのぉ、笑って言ったんだよ」
「昔、近隣の長達が朝廷に捕まった時にな、晴宮の魔力を封印する呪文を皆が唱えただろ。
【あんな弱っちい魔法で儂を封印できる訳がないだろ。
それでも、あいつらにも家族がいるし、もう辛い思いをさせたくなかったんだ。
だから魔力を失った振りをしてやった】とな。
【それにな、あの時正面にいた隣村の長が、儂に向かってウインクしたんだよ。すまんな。魔法を掛ける振りだけさせてもらうからなって、心の中に語りかけてきたんだ】
「他の長達も晴宮にはそんな呪文が効かないのは分かっていたし、魔力の無い朝廷達には分からなかっただろうからね」
「初代が相手を騙すのは簡単だったと思う。人質を取られていた事もあって魔力が無くなった振りを続けていたんだそうだ」
「それにあの時、各村々に残っていた長以外の魔法使い達は朝廷の武力に慄いて遠い地方に逃げたんだ。
ちりぢりになりながら、その土地では魔法を使えることを隠し、夫婦は貧しい暮らしを選択し、独り身の者はあえて貧しい農家や漁師などの娘や息子と交わり、彼らと同じように貧しい暮らしを選んだと聞いた。そうして魔法使いは激減したんだよ」
「それからも集落の民に絶大な信頼をされていた晴宮家は、朝廷に利用されているのを分かりつつ他の魔法使いの名誉と命を守れるならと朝廷からの要請に応えた」
「攻撃魔法を使えば、朝廷や仕える兵士などは簡単に倒せる自信はある。しかし全く関係の無い人々や、兵士の家族も巻き込まれて悲しい思いをする事になるだろう。もうそんなことはしたくないと思ったそうだ」
「それからの晴宮家は代々魔力が無い振りを続けてきたのじゃ。その事を脈々と語り継いで来た事は内緒だぞ。魔法が使えなくたっていい。晴宮の薬だけでも効果が抜群だから」と、語り部役のご先祖様がウインクした。
お茶目なご先祖様だ。
それからも話しを続けた。
「この神社を任された時も、伯爵の位を与えられると共に晴宮家の名の一部を使うことに誉とも受け取る者達もいたが、国という文字があることで国に支配・利用されているという屈辱も受け入れなければならなかったのだ」
一人のご先祖様の話に他のご先祖様達も「そうだそうだ」と相づちを打っていた。
「しかしな、助けを求めて来た人達には周りに分からない程度に治癒魔法等の御利益を与え続けたんじゃ。それが代々晴宮家の仕事じゃ。あーはっはっは」
現在、神官を務める父や兄達は、何ヶ月もの間、家族の病気のために神社で祈る女性や、家族関係が上手くいかず苦悩していつもお参りに来る人など、本当に苦しんでいる人達だけに、細やかな癒しの魔法を掛けてあげている。
それでも絶体絶命の病気が治る訳ではないし、家族関係が完全に元通りになることは殆どない。
本来魔法とは人々の生活に貢献し、人々を癒やしたり、喜ばせる物だ。
しかし強い魔法で他人の生と魂を歪めてはいけないとご先祖様達から強く教えられている。
魔法がそれ程の力があると知られれば、その力を得るために初代の穣司の時以上、あの時の比にならない程に被害者が出ると分かっている。
だから魔法で、人々を攻撃してはいけないと口酸っぱく言われてきた。
けれどそれだけでは自分達を守れなくなって行ったのだと。
生きていた頃を思い出していたのだろう。切ない顔をしている。
瑠璃は、
「ここに来てご先祖様達から晴宮の昔話を聞くと、歴史の本を読んでいるようでとても楽しい」と言っていた。
しかしある日「どきっ」とする質問をしてきたのだ。
「倭子おばあさまは、どうしてここにいないの?」
「それはな、亡くなってから20年経たないとここに来られないんだよ」
「え~。でもそれなら、お爺さまのお父様、穣太郎お爺さまと和お婆さまは亡くなってからもう20年以上経っているんじゃないの?どうしてここにいないの?」
「・・・それはな・・えーっと、儂の両親はこの家を出て行ったのが20数年前なんだよ」
「出て行った?・・病気で亡くなったんじゃ無いの?」
「う~ん。それは・・老い先短いから好きにさせてくれって旅に出てしまってな、二人ともその土地で亡くなったんだ。亡くなってからはまだ20年が経っていないんだろうな・・」
「へ-、穣太郎お爺さまと和お婆さまって自由人だったのね。意外だわ・・・この家を捨てる事の出来る人間がいるなんて思ってもみなかった」
「本当だよなぁ・・・」
周りにいたご先祖様達は何故か苦笑いをしている。が、だれもそれに関して言う人はいなかった。
先月、儂は瑠璃の訪問が最後になると思わずに一緒に訪問した。
その時一人のご先祖様が言った。
「宗右衛門。瑠璃。儂等は現世の人間にハッキリと分かるお告げや影響を与えてはいけない事になっている。だからここからは儂の独り言じゃ。適当に聞き流せよ。
「魔法は使わずに済むならそれに越したことは無い。そのために勉学に励み沢山の知識を得て来たのだろう?
けれど、魔法を使わなければならないと判断した時は使え。思う存分仕え。躊躇する必要は無い。
それと、瑠璃の趣味は良いなあ。瑠璃が作ったあのレースは最高じゃ。食べることも好きだし料理も上手い、流石儂等の子孫じゃのう。うん うん」
その時の話を思い出して良かった。
気になってあのご先祖様に又会いに行った。
その時のお陰で、何をマジックバックに入れたら良いかを知ることが出来た。
思い出してみると、瑠璃達がまだ小さい時だったな。
儂の父と母が二人で旅に出ると言った。
「もうこの家には帰らないだろう・・・」
あの時は何を言い出したのか良く分からなかった。一晩掛けて説得するはずが逆に 説得されてしまった。
「思えばこれも晴宮の宿命なのか?」
🌙 異世界へ転生
雪も溶けてこの町にも春が近づいて来た。小川の氷も少しばかり溶けて、チョロチョロと流れる音が聞こえる。それでもまだまだ肌寒いので上着は必要だ。
この日、大工仲間兼飲み仲間の三人は仕事が終わってから一度家に帰って腹ごなしをして、それから又落ち合って森に行くつもりだ。
雪の重みで倒れた木を持ち帰るために出掛けるのだ。
まだ寒いこの時期、どの家も薪を切らすことは出来ない。薪に利用出来る倒木は商売となる貴重な資源なのだ。
仕事が思ったより遅くなってしまったので、酒は諦めて飯だけ食べて森に向かうことにしたが、その時はもう結構暗くなっていた。
仕方なく貴重なランタンを御者の隣と荷台に付けることにした。
山や森に囲まれたこの土地は、森に入るための道が何本かあるが、今日は一番大きな森の入り口を目指して雪の残る道を馬車で走らせていた。
「なあ、森から霧が止めどなく吹き出てるように見えるんだが・・・」
「本当になあ。春になるとよく霧が出てくるけど、こんなに一気に出てるのは初めて見るな。これじゃあ直ぐに町中まで広がりそうだ」
「それにもうこんなに暗くなったし、霧が出るとすぐに前が見えなくなるかもしれん。今日は止めとくか?」
もうすぐ森の入り口だというのに、諦めようとした時だ。
「うぇーん。えーん。・・おかあさぁん。えーん・・・・・ひくっ」
「大丈夫だよ。ぼくがいるよ。良い子だね。よしよし」
まさに二人が転生した直後だった。
子供の泣き声とあやす声が同時に聞こえた。
町民の男達は顔を見合わせた。背中がザワザワと寒気を感じている。
「幽霊じゃ無いよな」一人が呟いた。ゴクッとつばを飲み込む音が聞こえる。
「まさか・・」
「待て、まだ話し声が聞こえる。行ってみよう」
手綱を持っている男が前方に目を懲らす。視界が悪い道を恐る恐る、ゆっくりと馬車を走らせる。
森の入り口まで来ると、幾らか薄くなって透明感のある霧の向こうに、もっと白っぽい岩のような物がある。・・
「ひっ!・・」
なんとそれは馬3頭分はあるかと思われるくらいデカくて真っ白なオオカミだった。
さっきまでおしゃべりしていたであろう子供達は、丸く横たわるオオカミの腹の辺りですやすやと寝ていて、その子達の身体にはふわふわと柔らかそうな大きな尻尾が掛布団のように乗っている。
不思議なことに子供達は光に包まれているように見える。それともオオカミのお腹が光っているのか?
違った。少し近づいてよく見ると小さな女の子は淡く光る金の髪をしていて、男の子は同じように淡く光る銀髪だ。その子は少し大きくて鞄を背負っている。女の子のお兄ちゃんかなと?思えた。
この国では「金髪と銀髪の子供が聖獣とやって来て、国を守り豊かにする」
という童話があり、子供達には大人気の物語だが、勿論大人達もよく知っているお話だ。
その物語を思い出したのか、3人は息を止めた。
すると頭の中にオオカミからの声だろうか?
「この子達をこの町の教会に預ける。眠らせているから連れて行け」
男達は、止めていた息をあわてて吸ってむせかえる。「ゲホゲホ・・・ゲホ」
「わ わっ 分かりました」と言って慌ててオオカミのお腹で眠っている二人を大事に抱き上げた。
馬車の荷台に二人が乗って子供を一人ずつ抱き、それぞれの上着を掛けてあげた。
子供達は起きずに眠っている。
「お預かり致します」
そう行って馬車を走らせた。霧は相変わらず濃いのに走っている道は先ほどより明るい。霧の向こうの空には満月が出ているのだろうか。
三人は馬車を急がせた。
町に戻った三人は真っ直ぐに町長であるトーマスの所へ行った。
話を聞いた町長は眠っている二人を客間のベッドに眠らせ妻に見守らせた。。
そして今度は四人でもう一度森へ向かった。
本来なら領主様に知らせなければならないが、領主のエバンズ様は奥方様のご実家である隣国へ出掛けていて暫くは帰って来ない。森の主様には申し訳無いが町長の儂が会いに行くしか無い。
霧の中を出来るだけ早く馬車を走らせた。
森の入り口にはまだ主様の姿があった。領主様か誰かが来ることを分かっていたのだろう。
40年生きているが森の主様に会うのは初めてだった。
まだ小さい子供の頃、祖父からは繰り返し「ここの森にはオオカミ姿の森の主様がいるんだぞ。その方がこの土地を守っているのじゃ。だから森を大事にしなきゃならん」と何度も聞かされていた。
しかしそれは昔話の世界だと思っていた。主様に会えるなんて考えたことも無かったし、森の主様が本当にいるなんて信じていなかった。
「森の主様、町長のトーマスと申します。子供達は確かにお預かり致しました。領主様にもお伝え致しますのでどうぞご安心下さい」町長以下四人が丁寧に腰を折った。
「子供達を大事にすれば、いずれこの町に良いことが起こるだろう」
そう言ったかと思うと踵をかえし走り去った。その姿はあっと言う間で、まるで霧の中に吸い込まれるようだった。
「はて?子供達と言ったよな。先ほどの二人とは言わなかった。二人を指して言ったのだろうか?それとも町の子供達も含むのか?」
「うーむ・・・・多分あの二人の事だろうとは思う。
それでも、町に住む子供達と教会の孤児院にいる子供達を分け隔てなく大事に育てて行こう。
シスターなら、孤児院にいるどの子も差別無く大事に見てくれるだろうし、町の子達と共に我々も協力していかなくては。この街に良いことが起きると言ったのだから」
「そうです。子供は宝です」
「皆同じに大事にしましょう」
「それが良いです。子供達の元気な声が町中に溢れるくらい人口が増えると良いですなあ」
他の三人も「本当だなあ」「そうだな」と同意する。
帰りの馬車は陰鬱な霧の中でも明るい声が聞こえていた。
こうして二人の転生は上手く行った。
ルリアとコーネリアスは攫われて来たらしく、山脈に向かう森の入り口辺りに捨て置かれていたところを森の主様が守ってくれた。
そのお陰で助かったのだろうと、5年経った時に町長さんが話してくれた。
あの時、私たちは町にある唯一の教会と隣接している孤児院に預けられた。
二人の髪の毛が金色と銀色だったこともあり、孤児院にいる子供達は絵本の中の子供が来たと喜び、二人は「金ちゃん。銀ちゃん」(どっかの長生きしたおばあさん達みたいだけど)とか「金のルリア、銀のコーネリアス」などと呼ばれ、すぐにみんなと仲良しになった。
髪の毛が光って見えたのは、多分霧に反射した月の光のせいだろうとあの時の大人達は結論付けていた。
ちなみに、男の子・コーネリアスが兄弟ではないと分かったのは、その男の子が自分から「兄弟では無く同じ村から攫われて来た」と話したからである。
このように一緒に預けられた二人は、兄妹のように仲良く育っていった。
ここの子供たちは町の子供達と同じように元気に暮らせている。
それは町の人々が出来るだけの支援をしてくれているからだ
生活は貧しいながらも二人は他の子達と共に楽しく暮らし、すくすくと育っていった。
二人がちょっと大きくなった今でも、町民達は皆優しく接してくれている。
「金と銀の子供」なら、もしかして将来この町が発展して行くかも知れない。オオカミ様の言葉もあったしと期待が込められていることもある。
貧しいこの町をなんとかして欲しいという計算はあるものの、人々の優しい思いは本物だった。
町長は、森の主様の御加護が何かしらあるかも知れないと思ってこの五年間教会に通い見守っていた。
しかし今のところ変わったところは何も無いようだ。
勿論二人の事は領主様にも伝えてあるし、王宮にも既に知らせてあるが、今のところ自由に子供らしく過ごさせるようにと知らせがあっただけらしい。
🌙犯人はお前か
二人の転生が上手く行ったとお告げがあった。
それでも二人を心配する家族の皆は、心の中で二人の暮らしが上手く行くようにと祈り続けている。
瑠璃があのようになったのは呪いで間違い無い。呪い札のようだが、それにしても呪いの力が強すぎる。
鎮守の杜の中の木に何枚もの呪い札が貼られていたのは見つけた。
が、まだ杜のあちこちから呪いがやって来る。多分あと数十枚はあるだろう。
瑠璃が倒れたとき、
日中、晴宮は祈祷の仕事が忙しく札をなかなか探す時間が取れなかった。
その間呪いは容赦なく襲って来た。
探し始める時間になると霧が濃くなり、札は見つけにくくなる。
犯人は、晴宮の事情を知っている人間なのだろう。
それでも晴宮一家は毎日のように呪い札を探しては剥がしていたが、瑠璃の転生までには間に合わなかった。
春、霧の出る時期を狙っていたのは間違い無い。宗右衛門が歯ぎしりする。
瑠璃達が転生して数日後、高校時代の同級生だという娘が自宅を訪ねて来た。
「瑠璃さんの具合はどうですか?」自身の名前を名乗らず、同級生としか言わない。
彼女は玄関先で応対した鈴に尋ねるも、瑠璃を心配する様子はなく厭らしくニヤけている。
「貴女はどちら様ですか・・。具合ってどういう事ですか?今は留守にしていますが瑠璃は元気にしていますよ」
「えっと・・、私は瑠璃さんと同級生で浜中小夜と言います。瑠璃さんとは仲良くさせてもらってました。瑠璃さんの具合が悪いと聞いたので・・・来て見たんですが・・。そうですか。・・・・元気なんですね。解りました。それでは失礼します・・」
「怪しいな。ちょっと後を付けてみる」
玄関の脇にある柱の後ろで聞いていた次男の俊介が猫の姿に変身して後を追った。
彼女の後を付けて行くと、神社の参道を進み御社殿が見えなくなった辺りで狛犬の後ろに隠れてスマホを取り出した。
「小夜です。我慢出来なくて瑠璃の家に行って来ました・・。おかしくありませんか?瑠璃も元気だって、お母さんが言ってましたよ。本当に幸貴さんとの中を取り持ってくれるんですよね。あんなこと協力したのに。
呪いなんて・・いくら沢山だからって、呪文を書いた札を木に貼るだけなんて、今時本当に効果の出るやり方なんですか?・・・幸哉さん、なんとか言って下さい。あっ、もしもし、もしもし・・・んっもう!」
都合が悪くなった幸哉が通話を切ったようだ。
「そうか幸哉か。横恋慕しやがって」俊介はすぐに家に戻り家族を集めた。
「犯人は幸哉だ」
「何だって?幸貴の兄のか?」皆が驚いた。
「幸哉は瑠璃の事が好きだったんだよ。
けれど、瑠璃と幸貴はずっと思い合って交際していたから、幸哉は諦めていたとば かり思っていたのに・・」と俊太郎。
「その話し本当か?」今まで黙って聞いていたお爺さまが問うた。
俊太郎が話を続けた。
「はい。ずっと前、確かあいつが高校生だった時に、将来瑠璃と結婚したいな。
どうにか手を貸してくれないか?って相談されたからね。驚いてさ・・・、ずっと 記憶に残っていたよ。でもまさか、だからって瑠璃に呪いを?」
変わって俊介が続ける。
「僕もその話しを知っていたけど、瑠璃と幸貴君が好き合っていることを両家が知っていたから諦めたとばかり思ってたよ。
それにさっきの様子だと、小夜って娘が、幸貴を好きだからと幸哉に相談していたみたいだし、間違い無く幸哉が悪いことを考えたんだろう。
その娘と幸貴をくっつければ瑠璃が自分の物になるかも知れないってね。そして呪文を書いた札を沢山貼る手伝いをしたと、さっき言ってたよ。・・・・・えっ!、まさかそれって。・・」
【99枚札だ】皆の声が重なった。
呪い札が一番効果を出す枚数。どんなに瑠璃を苦しめたかったのか。
あんなやつ・・・許せない。誰もがそう思った。
「全て繋がった。鈴さん、幸哉の両親と幸哉を呼んでおくれ。
宗太郎と俊介は杜の中からなんとか残りの呪い札を見つけて外すんだ。残りはまだまだあるだろう。今なら霧も少しは薄くなって来ている」
「解った」と言って、皆がちりぢりに動いた。呪い札はまだ32枚残っている。
鈴さん、皆からの連絡を纏めてくれないか?
「勿論です。任せて下さい」
一時間位して野宮幸哉の両親がやって来た。幸哉はまだだ。
鈴さんに丁寧に応接室に案内され、ゴブラン織りの布地が張ってある三人掛けソファに二人座らされた。
鈴さんは一度部屋を出て行って、お茶を持って再び現れた。
「ここでお待ちになって下さいね」少し堅い声で、素っ気なくそう言って又部屋を出た。
二人は何故に本家に呼ばれたか解っていない。
鈴さんから電話で「宗右衛門さんが呼んでいます」とだけ聞いていたからだ。分家とは言え、時代と共に血の繋がりも縁も薄くなっていた。
野宮家は現本家の宗右衛門さんの曾祖父の弟の代からの分家で、代々晴宮家とは全く関係の無い外からの嫁さんを貰って来た。今は繋がりも殆ど無いと言って良い。
最近は生まれる子供も少なく、分家も数が少なくなっていることも知っている。
それが本家の娘である瑠璃さんと野宮の次男である幸貴が好き合っていて、まして結婚を前提に付き合っていたとは・・。
瑠璃とは小さい時に顔合わせをしたことがあった。とても可愛らしく、将来は間違い無く美人になるだろうと思ったことを覚えていた。
二人が中学・高校と同じ学校に通っていた事は知っていたが、学年が違うので、親同士は校内ではめったに会うことがなく、会っても挨拶する程度だった。
当の二人はテニス部や生徒会で一緒になり好意を持つようになったらしい。
先に大学に進学していた幸貴だったが、瑠璃さんも学部が違うとは言え、同じ大学に通った。
幸貴は宗右衛門さんの会社に先に就職していて、瑠璃さんもつい最近卒業し同じ会社に就職すると聞いていた。
「直径の孫だもの、コネを使って簡単に就職が決まったんでしょ」くらいに思っていた。
瑠璃の成績は元々良い方で、幸貴君に勉強を見て貰うようになってからはいつも学年で三本の指に入るくらいの成績を残していた。しかし野宮は本家の人間に対して偏った見方しか出来ていなかった。
「早めに婚約だけはしたい」
幸貴の話を聞いた野宮の両親もビックリ仰天だった。
分家は結婚したらそのお相手、子供が生まれたらその子供を連れて必ず本家に挨拶に来なければならない。
まあ神社なので、我が家も息子達の初参りでお世話になった。
それは新しく晴宮家と関わる人達の魔力を見るためだと夫から聞いている。
今の世の中魔力なんてあるわけ無いのに。
現に野宮家は主人も幸貴も魔力なんて持っていない。幸哉は初参り以来本家に来ていない。
中学卒業前に挨拶に来る直前熱を出し入院して来られず、そのまま本人も行きたがらなかったのでここへ来るのを辞めていた。
都合が悪いので、幸貴の時はきちんと中学卒業近くに連れて来ていたが、やはり魔力は無かった。
魔力の話しを本気でする本家を少し馬鹿にした気持ちでいたから、幸哉を連れて来いと言われてものらりくらりと躱していた。
それに本家である晴宮家の身分は時代が違えば伯爵と言われる位だ。御貴族様なのだ。
お金持ちだろうしとても縁を結ぶのは無理だと思えた。
近寄りがたくて、普段はあまり関わりたくないのも本音だった。
しかし晴宮の先代の当主である宗右衛門さんも、現当主の宗一さんもニコニコ顔で気さくに仰った。
「今の時代、家の格などそんな物はどうでも良いのだ。本人同士が幸せになる事が一番なのだから」と。
その話しを聞いて幸貴は本当に嬉しそうだった。
家格だけで無く人格までもが素晴らしい人達なのだと。そんな事を本気にするなんて「馬鹿な子」。本家に心酔しているように見えて面白く無かった。
私達夫婦からすればこれから先の付き合いを考えるとウンザリする気持ちの方が強いと言うのに・・・。
瑠璃さんは野宮にお嫁に来てくれると言ってくれたが、幸貴が婿になって晴宮家の手伝いをしたいと言い出した。
まあ、薬大好きで薬学を勉強している「薬オタク」の幸貴が、宗右衛門さんの会社に入りたかったのも分かる。
幸哉も晴宮製薬の関連会社に入社しているし、幸貴も晴宮製薬に入って親にしてみれば鼻高々な気持ちがある。自分達も本家の恩恵を受けているのだ。
そんな事は分かっているのに何故か面白く無い気持ちが消えない。そんな気持ちはおくびにも出さないけど。なんたって本家の前だし。
「好きにしなさい」夫婦で引きつる笑顔で言うのが精一杯だった。
今はその時以来の訪問になる。
客室のソファに案内され、野宮は妻の佳枝と出されたお茶を飲んでいた。
「何の用事でしょうね。きっと結婚のお話よね」なんて言う妻の言葉に、「それしかないだろう」と、暢気な事を言っていた。
まだ誰もこの部屋に入って来ない。
「呼び出しておいて随分待たせるわね。いくら何でも失礼だわ。馬鹿にしているのかしら。そう言えば幸哉にも声を掛けると言っていたわよね。あの時幸哉はまだ職場にいたはずだけど・・・」
私達が入って来てから一時間は過ぎていただろうに。
そのうち、廊下が騒がしくなった。
バタバタバタ バタバタバタと、走る音が大きくなる。足音は一人だけでは無いようだ。
驚いて夫婦は顔を見合わせた。
すると突然客室の襖が思い切り開いた。
晴宮家の兄弟二人が自分達の長男である幸哉の腕を両側からしっかり掴んで引きずるようにして部屋に入って来た。
そしてその後を追うように、晴宮家の面々も現れた。でも・・・幸貴と瑠璃さんがいない?
「野宮。何故呼ばれたか解らないだろう?今から話すからよく聞け」宗一さんがもの凄い怒りを纏って言った。
「何 が? ・・」先ほどまでの勝手な思想は霧散し、恐れで夫婦は言葉が出ない。
幸哉は私達の右側にある3人掛けのソファの真ん中に座らされ、両側を晴宮の俊太郎さんと俊介さんの二人に挟まれて両腕を掴まれた状態だ。
幸哉は私たち両親の顔を見ない。悔しそうな、それでいて泣きそうな顔をしている。
私達の正面に宗右衛門さん、宗一さんが座り、鈴さんは左側のソファに一人で座った。宗一さんが一見静かに見えるが怒りを込めた声で話し始めた。
「幸哉は瑠璃に横恋慕していたが、弟に取られる悔しさを遂げるために、自分の弟である幸貴に思いを寄せる女性を利用した。
それは瑠璃が苦しむよう最強の呪いを掛ける事だった。そしてこれは・・・魔力がないと出来ない呪いだ」
宗一さんが淡々と告げるが怒りは収まっていないのがよく分かる。
「幸哉、お前、呪いなんて・・まさか・・・いつから魔力が?」
野宮も知らないようだ。
「あぁ、俺の場合10歳くらいで出てきたよ。みんなには隠していたさ。
野宮で魔力を持っているのは俺だけだ。俺は魔法も呪いも使える。
なのに・・なんで魔力も無い幸貴なんだ。瑠璃さんの婿なら長男の俺でも良いだろう」
野宮は言葉も出なかった。幸貴も私と同じで魔力は持っていない。
長男の幸哉は、たしか中学校卒業前に入院したため連れて来ていなかった。・・・魔力を持っていないと決めつけて、その後も面倒くさくてここには連れて来ていない。まさか10歳で魔力を得ていたなんて。
「魔法なんて使える事が見つかったら、どうぜあんた達に封印されるのが解っていたさ。それなら、と、蔵に隠してあった魔術の本で、色々と呪文や魔方陣なんかを調べて試したりしていたんだ。結界だって張れるようになった・・だから瑠璃さんだって、俺が凄い魔法を使えるならきっと俺のことを・・」
そこまで言ったところで、隣から幸哉の顔面に拳が飛んできた。
「がごっ」鼻から血が飛んだ。
「お前のせいで、瑠璃が・ 瑠璃がここにいられなくなったんだぞ!」烈火のごとく俊太郎が怒鳴った。
次は俊介だ。
「お前の大嫌いな幸貴が・・瑠璃を助けるために・・・お前から逃げるために、ここから二人で消えたよ」冷静に氷のような目で見た。
「幸哉。こっちを見ろ」殴られた顔をやっと上げたその瞬間、立ち上がった宗一が手の平を幸哉のおでこに当てて呪文を発した。何を言ったかは聞き取れない。
幸哉はそのまま倒れた。瑠璃の兄二人が身体を持って別の部屋に連れて行った。
宗一さんが野宮に話を続けた。
「幸哉は自分に振り向かない瑠璃に呪いを掛けて殺そうとした。呪いのお札はこの杜の木に貼ってあって枚数も99枚あった。
100枚だったら直ぐに死んでいただろう。
99枚だったせいで死は免れた。けれどその分苦しみは死ぬまで何日も続く呪いだ。
そして幸哉はその札が一番力を発揮できるように、霧の日を選んだ。
霧でお札が見つかりにくい上に、お札の力が分散しないよう杜とこの家との間に結界を張ったんだ。
霧が晴れたら消える結界。結界が消えたらどうなると思う?
そう、99枚分の呪いが一気に瑠璃を襲った。その所為で瑠璃は一週間も苦しみ、そして・・・」
「幸貴と瑠璃さんは? 今 どこに?」野宮夫婦は不安げに問う。
「死ぬことを避けるため、転生させた。幸貴君は進んで瑠璃と行くことを選んだよ。そして、嬋媛大御神様から転生が無事済んだとお告げもあった」
その後、野宮一家は全員がこの事を忘れる魔法を掛けられた。
晴宮との関係と魔法の事は全て記憶から消され、幸貴という次男がいたことも分からなくなってしまった。
幸貴君の部屋と彼に関する者は、晴宮家によって全て片付けられ、何も無い状態にされたし、例の蔵も隅々まで調べ尽くされ、隠されていた魔術本8冊は晴宮の図書に収められた。
小夜も家の近くで可愛い野良猫を触っている内に瑠璃の事も野宮兄弟の事も分からなくなった。
🌙ルリア前世を思い出す
あの日、
ルリアがコーネリアスと共に孤児院に預けられて7年が経った9才のある夜。
「お兄ちゃん(コーネリアス)おトイレに行きたいけど、暗くて怖いからついて行ってくれる?」
9歳になっても夜中トイレに行くのが怖いルリアだった。隣の男の子達の部屋に静かに行って、コーネリアスに声を掛けた。怖いのは彼女だけでは無かった。
この町のエネルギーは殆どがガスと薪だ。町には街路灯が作られたが、夜に安心して歩ける程の数は無い。
それに、家庭でガスを使う器具は高価なためこの町で家にガスを引いている所はまだ無いと聞いている。
家の明かりは蝋燭、料理や暖房は薪に頼っているのが現状だ。そして、薪に火を付けるのは昔の日本で使われていた火打ち石のような物だった。
町の方々からの支援で生活している孤児院では、蝋燭を皆で手作りしている。
以前は蜜蝋を購入していたけれど、ルリアとコーネリアスが孤児院の畑の一角で養蜂を始めた事から、蜂蜜と蜜蝋も取れるようになった。
まだ売るほど沢山の蜂蜜が取れるわけではないけれど、孤児院で料理やお菓子作りに時々使ってくれて、以前より美味しいおやつが食べられるようになった。
それに蜜蝋で作る蝋燭は夜中に仕えるほど多くは無いため、夜のトイレ行きは窓からの月明かりだけが頼りだ。
「しょうがないなあ。ほら暗いからきちんと僕と手を繋いでね」
ルリアの右手をコーネリアスの左手で繋いだ。
怖さに耐えてトイレを終え、戻るためにもう一度手を繋いだ時だった。
何気なくルリアが呟いた。
「魔法で明かりって言ったら、手から明かりの玉が出たら良いのにね」そう言いながら手のひらを上にして見せた。
すると本当にポーと柔らかい明かりの玉が手のひらに浮かんだ。
二人が「えっ」と声を出した時、コーネリアスが優しく繋いでいた手にもう片方の手でルリアの反対の手を取った。
その途端、瑠璃の転生前の記憶がドーっと頭の中に流れて来た。
まだ9歳のルリアにとって転生前の情報は理解も処理も出来ない膨大な記憶のはずだった。しかし意外にもルリアは落ち着いていた。
「・・・・コーちゃんは何故一緒にこの世界に来たの?」
「ルリア、思い出したんだね。でも今日はもう遅い。明日から時間の有るときにゆっくり話をしてあげる。だから今日はもうお休み」そう言って女の子達だけの部屋まで送ってくれた。
そう。コーネリアスは転生した時から前世の記憶をそのまま持っていた。晴宮家の家族の皆さん、特に宗右衛門さんからは沢山の事を託されていた。
転生直後も馬車で寝たふりをしながらこの世界の人を観察し、あの時この世界で通じる自分達の名前を考えていた。
「やっとルリアに話せる時が来た」
男の子達の眠る部屋に向かう彼の胸には嬉しさが込み上げていた。
一方ルリアは、その後なかなか眠ることが出来なかった。沢山の思い出が映像と共に頭に映し出された。
優しい両親と妹思いの兄二人、そして人生と商売の師とも言える大好きな祖父。
そんな家族のことを思い出しては誰にも聞かれないように毛布を被って泣いた。
「私、どうして死んじゃったんだろう。病気でもしたのかな?皆に会いたい」
ひとしきり泣いてから深呼吸をしてみた。この世界は地球と違う。
今生きている時代も歴史などで勉強したどの世界とも違う。
なんと言ってもこの世界には太陽は一つだけど月が二つもある。
大きな月と、それより小さな月。
大きな月はまん丸ではなくて、右側が少しだけ欠けている。それなのに、満月になるとその部分が膨らんで見える。それは大きい分強い明るさで膨らんで見えるのだろう。
二つの大きさは違うけれど。どちらも満ち欠けが一緒なのだ。
実は、月が三つだなんて人々は知らない。
大きな月が欠けて出来た月は、満月の時にしか現れないし、満月の明るさに隠れてなかなか見えないから。
マルチバース?そんな事を考えていたが9歳の脳はオーバーヒートしたのだろう。自然と眠りについた。
孤児院の子達の一日は結構忙しい。
朝6時に起きて、厨房や洗濯の手伝いをし朝食、その後は文字や算数、この国の歴史の勉強の時間になる。
小さな子供達は昼食が終わるとお昼寝の時間だ。
孤児院の生活は豊かではないが、子供達の着ている衣服はそれ程ボロボロではない。
町の子供達のお下がりは沢山貰えたし、破けたところはお手伝いに着ているお姉さん達が可愛い膝当てを縫い付けてくれたり、アップリケや刺繍をしてくれたりするので、子供達は着る物には意外と満足していた。
食料も結構な量を寄付して貰えていたけれどそれだけでは足りなくて、自分達のための野菜やローソクも作る。
時によって、大きな子達は神父様やシスターのお使いで町に出掛けたり、孤児院の収入になるよう仕立屋さんから仕事を貰って繕い物をしたりもする。
天気の良い日の午後、ルリアは小さい子の面倒を見てから孤児院の畑仕事をしていた。
ルリアとコーネリアスは畑仕事の最中や自由時間に教会の裏庭などで誰にも聞かれないようにこの国の事や転生前の話をした。
身体は小さいが、ルリアは前世を思い出してから頭の中は22才の大人の考えが出来ていた。
「この町にいるか分からないが、魔法使いはいるらしい。
ただ、魔法使いは厳重に国の管理下に置かれていて、どんな仕事に就いていても監視されていると言っている」
二人は皆に知られないように魔法の話をしていた。
コーネリアスはお使いで町に出るたびにいろんな話をそれとなく聞いて来ていた。
前世の子供の頃は、必ず魔法を使える女の子が主人公のテレビアニメがあって憧れていた。
友達と「魔法が使えたら良いのにねぇ」なんて無邪気に話していたけど、本当に魔法を使えるって知ったらどんな顔をしたのだろう?と思う。
実際に元の世界の中で魔法を使える人間は我が一族だけだろう、とお爺さまが言っていたっけ。
だから魔法が使えるなんて言ったら友達を無くすようで、怖くて誰にも言えないし言ったこともなかった。
コーちゃんとは、こっちでも魔法のことは内緒にしておいた方が良いだろうという事になった。
そして、あの日のことを教えてくれた。
「あの日の数日前・・、宗右衛門さんから瑠璃の容態が一向に良くならないから危惧している・・・万が一を考え転生させる準備をしていると聞いたんだ
僕は瑠璃を一人だけ転生させる事が辛くて、自分の家族と離れてでも瑠璃と一緒にいたい。
だから、瑠璃と一緒に転生させてくれと宗右衛門さんに頼んだよ。
宗右衛門さんは、逆に僕の事を心配してくれて」
「転生が上手く行くか分からないし、上手くいったとしても大変な事が待ち受けているかも知れないんだよ。だから・・・・君は瑠璃を諦めた方が・・・・それに瑠璃なら一人でも大丈夫だよ」と言った。
けれど僕が瑠璃から離れるなんて我慢出来なかった。
「転生先でも、生涯一緒にいたいから」と願い出たんだ。
それからは大忙しだったよ。
・・宗右衛門さんはこっちでの生活が上手く行くよう僕の分も追加で準備をしてくれてね。本当に沢山の物を持たせてくれたよ。
神社の宝物殿のバックヤードにあったマジックバック(容量が無限で品質も保たれる)を二つ持って来てさ。何時の時代に手に入れたか解らないと言っていたけど、僕達が使うならと惜しげも無くくれたよ。
あとで中身を見せるけど、瑠璃用のバッグには君の大好きなボビンレースの道具一式と今まで作った全ての作品。勿論沢山のレース糸も持って来たんだよ。
それに向こうで食べていた植物の苗と種も沢山入っている」
「僕のバッグには、薬を作るための道具と薬草。そしてその苗と種が沢山入っている。化学物質の薬は作れないだろうけれど、何とかなるさ」
驚いてばかりのユリアだったけれど、
「ほんとに?・・ああ、あの時のご先祖様のアドバイスがこの時の事だったのね。
ボビンレースの道具と、創薬の道具があるならこれから二人で何をするかが見えて来たわね」そうして二人は情報を共有しながらこれからの事を計画していった
🌙森の主様に会いに行こう
この街の教会には歳を取った牧師さんが一人いる。長めの白髪と同じく真っ白い髭を長くしたオリバー神父。
正しく好々爺という言葉がぴったりの牧師さんだ。
教会は結婚式や、子供の誕生、お葬式など前世でもお馴染みの仕事をして幾らかの寄付を頂いているようだ。
それと町民の悩みを聞いたり、貧しい人に食事を与えたりもしている。
ここも孤児院同様に建物が古く傷みが激しい。経営する資金は潤沢ではないようで、修復するには至っていない。
孤児院は、町からの寄付と自分達で稼いだお金を元に、シスター・マーガレットと孤児院を卒業した娘達が交代で手伝いに来て運営されている。
食材は、町からのいただき物と領主様から借りている孤児院の南側と西側にある小さな土地に、日持ちのするジャガイモとタマネギ、蕪、人参などの根菜や育ちの早いハーブなどの葉物が、所狭しと植えられている。
白菜やキャベツも植えていて、これらを煮込みスープとして食べている。
子供達にとってそれが普段の食事だ。
2歳だったルリアはここで暮らし始めた頃、慣れない環境で眠れなかったり親がいないことで情緒不安定になり泣くことがよくあったが、コーネリアスがいつも側にいて、話し相手や遊び相手になってくれて、ようやく心も体も落ち着いて来たそうだ。
そうして5年がたった。
渡り鳥たちの北帰行のための鳴き声が聞こえる時期。
ルリアとコーネリアスは自分達を助けてくださった森の主様にご挨拶に行きたいと初めてシスターにお願いしてみた。
シスターが、「命を助けてくださったのだからお礼に行きたい気持ちは分かるわ。とても良いことだとも思います。
けれどまだ小さな貴方たちを二人だけでは行かせられないわ。
だから私が一緒に行ってあげる。笑みを浮かべて言ってくれた。
しかし貧しい教会のため、馬車も持っていない。
後日天気の良い日を選んで3人で歩いて森の入り口まで向かった。
シスターのいない日の子供達の世話は、お手伝いのお姉さんや牧師さんが見てくれている。
森の入り口まではルリアの足で40分位掛る予定だ。少し遠いけれど、三人で手を繋いで歌を歌いながら歩いた。
やっと森の入り口に着いたとき、二人はずっと心に貯めていた気持ちを口にした。
可愛い声で
「主様、助けて下さってありがとうございました。又会いに来ます」
そう言うだけでも二人の心は清々しく感じられた。
「きっと気持ちが伝わったわよ。相手は主様だもの」
シスターはそう言って(主様、どうぞ食べてください)と子供達が書いたメモと一緒に、皆で作ったクッキーの入った缶を赤紫の紐で結わえ森の入り口に置いた。
「ありがとうございました」シスターと二人の声がハモった。
それから3年。コーネリアスが12歳になる。
あれから毎年春になると3人で森の入り口に行ってお礼を言い、クッキーを置いて来ていた。
僕も来年は孤児院を卒業して働きに出るだろう。ルリアはもうすぐ10歳になる。
今年は初めて、2人だけで主様に挨拶に行くことをシスターに認めて貰った。
この町の人達は優しい人ばかりだから二人で森に向かっても心配ない。そう分かっていてもシスターの心は不安な気持ちが少しだけあった。
朝食を済ませ、優しく笑って手を振るシスターに見送られながら森へ向かった。
町へ向かう方角とは反対側へ向かう道にはまだ誰も歩いていない。
途中には小さな小川が流れていて、木で出来た小さな橋の上から中を覗き込むと小さな魚が何匹か泳いでいる。
「春だなぁ」
「こっちの風景も本当に前の世界に似ているよね」
誰もいないから、二人は前世の話しが出来た。
二人が住んでいた悠和市は50万人ほどの人口がある大きな市だったけれど、郊外にはまだまだ畑や田んぼが沢山あって川の畔には野原が広がっていて、散歩するにも良いところだった。
二人で並んでおしゃべりしながら歩いたり、ふざけながらコーネリアスがルリアをおんぶしたりして、小さい時よりは早く森の入り口に着いた。
まだ芽吹いたばかりの木々の間を抜けて主様に会いたいと入り口に入って行く。
森の中に入るのは初めてだ。
主様に会いに森に入ろうと決めたことは、シスターには内緒にしてある。絶対止められることが分かっているからだ。
二人で迷子にならないように手を繋いで森の中の道を真っ直ぐに進んで行った。
初めは葉を落として芽が出始めた木が殆で、隙間からは日差しも地面まで届いて明るかった。
何年もの間、落ちて重なった落ち葉の上はフカフカだ。
森の奥に進むと名前も知らない10メートル以上もある大木ばかりが生い茂っていて、段々に日の光も届かなくなってくる。
針葉樹が多くなってきた。
どんどん進んで行くと春になったばかりというのに、森の中の木々は夏の木々のように青々とした葉を付けている。それは広葉樹をも針葉樹も関係がないように。
その景色は、何処も同じように見える森林の世界に迷い込んでしまいそうだ。
歩いている道はというと、町民達が森の恵みを得るために入ってきて、落ち葉を踏み潰して出来た獣道のようなものだ。
コーネリアスも少し怖さを感じ始めていた。
それでも
「僕がんばるぞ。来年は卒業だし、ルリアにかっこいいとこ見せなきゃ」と呟いた。
頭の中は24才の男性だが、晴宮家のお兄さん達と関わりたくて高校の部活はテニス部に入った。良い成績は残せなかったけれどそれはそれで凄く楽しい経験だったし、瑠璃とも関係を持つことが出来て高校生活は充実した物だった。
けれど元々は、薬剤師になるための勉強の他は読書にゲームが好きなインドア派のためこんな経験はしたことがない。
頭の中とは別の、心の中はちょっと怖さが広がっていてドキドキしていて、鳥や風が出す少しの音にも身体はビクッと反応していた。
もう少し歩いて行くと森の中が白み始めた。霧が出て来たのだ。
道が分からなくなったら帰れなくなる。
けど大丈夫、前世の記憶があるコーネリアスは迷子になった時を一応考えて、何本も赤い紐を持ってきていた。
知らない林や森を歩く時の鉄則だと考えた。
側にある木の枝などに赤い紐を結びながらどんどん上の方向に向かって歩いた。
「どうだすごいだろ」フフン
しかし霧はどんどん濃くなって、2・3歩進んだところで何もかもが見えなくなった。
「どうしよう」さっき結んだ赤い紐さえ見えない。それでも少し傾斜が付いているから上を目指そう。上へ上へと歩いて行く。
「まだ着かないのかな?」と弱気になった時、突然目の前が開けた。
目の前の景色に唖然とした。そこには大きくて美しい湖が広がっている。
周りには赤や黄色、白色にオレンジ色の野花が咲き乱れ、湖面は波も無く穏やかでキラキラ輝いていた。
「きれい」 ここには霧が掛かっていなかった。
コーネリアスは今までの緊張がほぐれ地面に座り込んでしまった。
いつからか疲れて歩けなくなったルリアをおんぶしていたが、眠っていたようだ。
コーネリアスが座り込んだときにルリアの足が地面に着いた衝撃で、ルリアの目が覚めたらしい。
「あ・・、オオカミさんだ」
疲れて息切れを起こしていたコーネリアスはハアハアしながらルリアの指さす方を見てみた。
自分達から遠く離れた湖の反対側の畔で大きなオオカミは水を飲んでいた。
真っ白な毛で覆われている。長めのフワッフワッした毛の所為で、首のくびれもハッキリ分からない。
その足下には、ウサギやリスなどの動物たちが沢山いて、一緒に水を飲んだりオオカミの足にくっついてスリスリしている。
そんな姿を見てコーネリアスはどのように声を掛けたら良いか考えた。
「オオカミさ~ん」
ルリアが突然声を発した。思いっきり手まで振っている。
「度胸のある子だな」
いや、あちらでの瑠璃も見た目の大人しさとは違って活発で度胸のある子だった。と思い出した。
「お前達はあの時の子等だな」頭の中に声が届く。
するとオオカミの口から小さな二つの光が飛び出した。光は真っ直ぐにルリアとコーネリアスに向かって飛んでくる。
驚いた二人だが、光があまりにも早かったので逃げることも出来ない。
「どうすれば良いの?」と思っている内に光は二人の頭に当たった。
ルリアが落ち葉の敷いてある地面にゆっくり倒れた。
「ルリア!」コーネリアスが近寄ろうとしたその時、頭の中に声が聞こえた。
「儂の名はゲルッサ。この森の主だ。大丈夫、娘は眠らせただけだ。
娘にはこれから儂が話す内容はまだ聞かせられない。お前には話しておこうと思う。儂の言いたいことが分かるか?」
コーネリアスはハットした顔で頷いた。
「はい分かります。前世の記憶も残っていますし僕の役割も覚えています」
「そうか・・・。この世界はお前達のいた世界とは別の世界だ。
別だが隣り合っているのだ。その分、神の領域はもっと近い。
前世のお前達が崇拝している嬋媛大御神様の事は勿論知っているだろ。
その女神様が、お前達を気の毒に思って儂に少しで良いから面倒を見て欲しいと言ってきたのだ」
「えっ?嬋媛大御神様が?・・・お会いになったのですか?」
「ああ。娘の父が祭壇に向かってあまりに必死に何日も祈るものだから、絆されたらしくてな。それにどうせあの父親もいつかは女神様の眷属になるのだろう?
美しい女神よな。あの手で頭や背中を撫でられて首もモフモフされたら、もう気持ちよくって断れなかったぞ。アハハハ。
お前達二人に、特に娘には最大の加護を授けたようだ。 それならば儂が加護を与えなくても立派にやっていけるだろう。
感心しているのだ。その娘、かなり強い魔力を纏っている。
お前も解っていると思うが、強力な魔法も使いこなせるだろう。ただそれだけ強いことはまだ本人が知らない方が良い。
うれしくて誰かに話せば利用されるかも知れないし、恐怖で人を信じる事が出来なくなるかもしれない。
冷静に受け止められるまで・・・それはお前の仕事だが、・・お前が付いていれば大丈夫だろう。
それでも、もし困ったことがあったらいつでもここに来れば良い。
まあ、何も無くても遊びに来い。あのクッキーを持ってな・・」
今度からは森の入り口から入れば直ぐにここまで来られるようにしておこう。
何か聞きたいことがあったはずなのに、森の主様の話しを聞いたら気を失ったようだ。
気がついたら森の入り口にいて、目を覚したルリアが興奮して話し出した。
「主様ね。良く来たって喜んでたよ。また来なさいって言ってくれたから又来ようね」と、何故聞こえていたのか不思議だったが、大喜びだった。
主様は寝ていたルリアの頭に、きちんと記憶を残してくれたようだ。
コーネリアスも主様の話を聞いて、胸のつかえが取れた気がした。
🌙ルリアの下準備
孤児院の入り口付近に、山吹のような黄色い八重の花が咲いている。
9歳になって前世の記憶も取り戻してから、ルリアは隠れては魔法の練習に励んでいた。
瑠璃の時もそれなりに魔法は使えたが、今はレベルが違った。
やりたいことは、イメージすれば何でも出来るのだ。
皆で作る蝋燭を一人で担当し、隠れた場所で一瞬にして100本作った。それを知られないように、そこでそのまま本を読んで時間を潰したりした。
孤児院の裏の草地も、直ぐに草取りが終わった。指の一本も土に汚れていない。
「私って凄くない?」怖いくらいに何でも出来る。これだもの、魔法の練習を見たコーネリアスが皆に知られないようにしようと言う訳だ。
ルリアは前世の記憶や知識も完全に蘇っていた。なので、それらを使って将来に向けて動く事にした。
手始めにルリアはシスターに頼み、孤児院の一階の奥にある物置小屋を個室として使わしてもらう事にした。
魔法で部屋を明るくし必要な家具も用意した。
その部屋で夜中に何組ものボビンを使い、テーブルクロスや付け襟、リボンなどのレースを作っていった。
大きくて緻密な品物は自分で作っているが、リボンや付け襟になる小物はボビンに魔法を掛けたので、自動で編んでくれている。
ルリアは夜に眠ってしまうが、魔法のボビンは一日中働いてくれるのだ。
半年もするとレースもかなりの量の作品が出来上がった。
よし。コーネリアスと次の段階に進もう。
そしてその日の夜、神父様とシスターにお話しがあると時間を作ってもらった。
この時代というか、この街の人々の平均寿命は65歳前後だ。食事も関係していると思うが、首都など大きな町の人々に比べると少し短命らしい。
65歳になれば丈夫だねぇと言われ。
70歳過ぎれば長寿だねぇと言われる。
しかし、65歳を過ぎれば生きていても、認知症になってしまう人が多くなる。
神父様は今57歳。シスターも53歳だ。老い先はそれ程長くは無いかも知れない。
ただ幸いなことに、二人ともまだ認知症にはなっていないし足腰も元気だ。
元気が長続きするように、ルリアは二人が気づかない内に病気に掛りにくい魔法と、老化防止の魔法を掛けてある。
「ルリア、コーネリアスどうしたの?何か悩みでもあるの?」シスターが心配そうな顔で二人を見つめた。
「神父様、シスター・マーガレット、今日はお時間を作って頂きありがとうございます」コーネリアスが言葉にした。
「二人ともどうしたんだい?そんな改まって」神父様も不安顔だ。
「はい。今日はお二人に僕達の秘密をお話ししたいのと、お願いしたい事がありまして・・・」
「何でも言ってごらん。私たちで良ければ、相談にも乗るし、協力も惜しまないよ」
神父さんは嬉しい言葉をくれた。
「実は・・・僕達はこの世界の人間ではありません。前世での僕達は22歳と24歳の若者でした」
コーネリアスはルリアが呪いを掛けられたことや自分が婚約者だったこと。ルリアを呪いから守るために家族が転生させる事にしたが、ルリアが心配で自分も付いて来たことなどを語った。
「そんなことが・・・・異世界から転生したと言うことだよね。どうすればそんなことが出来るのか・・・否、それで相談というのはこの先の話だよね」
「はい神父様。・・・私たちはこの街が好きです。小さな子供だった時から私たちを大事に育ててくれましたから感謝しかありません。だからこの街の人達に恩返しをしたいと考えました」
「前世の私たちの世界はこの世界よりずっとずっと発展した世界でした。その時の知識や知恵を利用して町の人々を豊かにしたいのです」コーネリアスが熱く語る。
「この紙に書いてあることを見て頂けますか?これは各業種別に今のやり方を少し変えていく方法です。
この事によって生産が増えて、今よりも生活が豊かになるはずです」
「しかしこの紙を皆さんに渡しても信じて貰えないでしょう」神父様の顔も暗い。
「当然です。9歳と11才の子供が何を知っているんだと思うからです」ルリアも続けた。
「そこで数日前に二人で森の主様にお会いして計画をお話しました。
そして『お名前を少しだけ利用すること』をお許し頂きました。
この内容は主様からのお告げだと言うのです。
それならば皆さんも信じてやって見ても良いかなと思えるでしょう」
主様に会ってきたことをコーネリアスが伝えた。
「こんな風なやり方があるなんて。・・・・私たちも素人だけれど、この町の皆さんの事はずっと見てきたからある程度は分かるつもりだ。畑もこれで収穫が増えるんだね」
「必ず増えます」
「次はこれを見て下さい」ルリアが袋から沢山のレースを取り出した。
「まぁ、なんて素敵なレースでしょう。こんな細かな模様は見たことが無いわ」
シスターが、うっとりとした顔で手に取って見ている。
「これは私が少しずつ作って貯めてきた物です。
これを神父様とシスターで隣町に行って商人に売ってきて欲しいのです。
私たち子供では売りに行くことは出来ませんから。
そして、手に入ったお金でいろいろな作物の種と苗を仕入れて欲しいのです。
作物の種類を増やして、孤児院の食も豊かにしたいです。既に作物を植えるための畑は今の畑の隣にある雑草地を用意しました。耕してあるので植えるだけです。
「他にもここの建物の修繕や、子供達の洋服、何よりも貯めてからこの街のために使うつもりです」二人は矢継ぎ早に説明をした。
神父様達は考え込んだ。二人で考えてから答えを出したいから少し時間が欲しいと言われた。
二日経って二人は、牧師さんの部屋で返事を聞かされた。
「私たちは君たちに協力するよ。いや協力させて欲しい。考えるだけでワクワクするんだ。どんな格好で隣町に行こうか。変装しようか。ってね。
歳を取ってからこんなに楽しそうな事が起きるなんて・・。
レースの売人を任せてくれるかい?さあ四人で値段などの打ち合わせをしよう。きっとたくさん売って見せるよ」
「良かったです。宜しくお願いします」ルリア達は丁寧に頭を下げた。
神父さん達は教会や孤児院を留守にしないように、必ずどちらかが残る形をとって目立たないような変装を楽しみながら隣町に出掛けるようになった。
ルリアも行動を起こしていた。
孤児院でもしっかり者のルリアは、町に出掛けるお使いもよく頼まれていた。
丁度今は春。町に行く途中の畑には、農家の夫婦が畑を耕す仕事をしていた。
「おじさ~ん・おばさ~ん、こんにちは」「あら~ルリアちゃん、今日もお使いかい?」
「そうなんです。町に行くのは楽しいから、お使いは大好きなの」
「それでね、ハイこれ」
「その紙はなんだい?」
「夢にね、森の主様が出てきてお話をしてたんだよ。
町の人達を心配していろんな事教えてくれたから、忘れないうちに書いておいたの。もし良かったらこの通りやってみて。収穫が増えるかも知れないよ」
「えっ。森の主様のお告げかい?どれどれ見せてみて」
そこには
▲肥料を使う(その作り方を書いてある)
▲畝を作る(絵も描いてあげた)
ルリアはこの時代の人が知識として持っていない最低限の、その職の知識を与える事にした。
実行するかどうかは本人達次第だ。
「へぇ。こんなことしたこと無いけどさ。主様が仰るんならきっと良い物が出来るんだろう。やってみるか。ありがとよ」と、おじさんは手を振ってくれた。
次は町の食堂のおばちゃんだ。孤児院で出来たお芋を売るために持って来た。
「おばちゃん、今日はお芋を買ってくれる?」
「ああルリアちゃん。良いよ。どれ、見せてごらん」
「それとね、森の主様からのお話があったから、紙に書いてきたよ」
「えっ!主様からの?どんな事を言ったんだい。私に言ったのかい?」
「そうだよ。はいどうぞ」と紙を渡した。
そこには
▲芋を細く切ったら一旦型崩れしないように茹でる。それを少しの油で炒めて塩コショーで味付ける(あれば少しでもベーコンを混ぜる)
「こんな風に食べた事なんてなかった」
たったこれだけだ。こんな簡単な料理でさえ食べられないほど貧しい暮らしをしている。
油は貴重だから、フライ物は又後だ。(フライドポテトや鶏の唐揚げのレシピはもう少し後かな)
フォギーケープの町は豊かではない。と言うより貧乏だ。
食事も、殆どの食材を煮てスープにするか、焼いた物に塩を掛けるだけ。
コショーまで掛けるのは贅沢な部類だ。
「良かったら試して見てね」
そう言って芋を買って貰ったお金を袋に入れて仕舞い、次は港に行った。
漁師さん達の船が丁度港に帰って来ていた。
「おー・ルリアちゃんじゃないか。今日は何の用だい?」
「うん。いつも皆にお魚を分けて頂いてありがとうございます。
今日は森の主様のお告げを持って来たよ」
何だって?それでなんて言ったんだ?」
▲小さな魚は、煮干しにすると良いって
▲大きめの魚、鮭なんかはスモークにしてみると美味しいらしいよ
どちらも作り方を書いた紙を渡す
牛を飼って牛乳を売っているおじさんとおばさんの家に寄っては、牛乳からバターやチーズの作り方を書いたメモを置いてきた。
鍛治屋のおじさんには、密閉型の鍋を作ることと、フライパンの深い物(中華鍋のような物)や蒸し器を作ると良いよと知らせた。
そして、あれば便利だと思う物を皆で考えて作っていこうと伝えた。
ルリアの頭の中には加護のお陰なのか、どんな物でも作りたい物を考えるだけで方法が頭に浮かび上がる。
「万能検索機能」が植え付けられたようだ。ただ、前世の検索機能のためこの世界には当てはまらない物が多い。
こうして町のいたるところで主様の名前を利用して知識と知恵を与え続けた。
初期の教えが上手く行った業種には、もう少し難易度を上げて教えていった。
皆がルリアには主様の加護があると信じているから、主様からのお告げを受け取れるのだと思っている。
その内、皆が工夫を凝らす事が当たり前のようになって行けば良いなと思う。
そんな普及活動と同時に、レースも高い値段で売れ始めていた。何人もの商人が奪い合いになるくらいだと神父様が笑いを堪えながら教えてくれた。
こうして町にも活気が出て、教会にもお金が貯まってきた。
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