第九章 土守の裏切り(二)
翌日の放課後、咲羅は舞弥と夕希とともに図書館を訪れていた。
目的は調べ物だった。持之は何と戦っていたのか。なぜ誰にも助けを求めなかったのか。なぜ咲羅を守っていたか。前学園長が遺した謎を解く手がかりを探しに来たのだ。
高等部の図書室にもいくらか本はあるが、学園の南東エリアに建つこの図書館の蔵書数は桁違いだった。約二百万冊が地下空間に眠っているらしい。
テスト時期でもないからか、広い館内は閑散としていた。大学部の制服に身を包んだ人が何人かと、あとは研究者か職員か、難しそうな顔をした大人の人たちがいるだけだった。
「何から探すんだ?」
夕希は早くもあくびを噛み殺していた。
「そうですわね。当時の新聞や任務記録を当たってみてはいかがでしょうか。どこかに五田村の文字が出てきたらいいのですけれど」
「そんなの、もう他の奴らが調べてんだろ」
「そうかもしれませんが、手がかりがないのですから、地道に探していくしかないですわ」
気だるげに背中を丸める夕希を見て、咲羅はおずおずと謝った。
「ごめんね。もし退屈だったら……」
しかし、夕希は強く言い放つ。
「嫌だ! 帰んねえからな。あたしだけ仲間はずれなんて、そんな寂しいこと言うなよ!」
「でしたら、文句ばかり口にせず動きなさいませ」
「ふん。あたしが本気を出したら、すぐだからな!」
夕希が走り出す。ここが屋内であることを忘れているような動きだった。猪突猛進とは彼女のためにある言葉だと咲羅は思った。棚の奥に消えていく夕希を眺め、一拍置いてから後を追った。
夕希は思いのほか近くで止まっていた。止まったというか、ぶつかっていた。
夕希の前には直隆が立っていた。能面のような顔で夕希を見下ろしている。咲羅は直隆が苦手だった。彼が笑わないからだ。表情筋が死んでいるとでも言おうか。沙智も笑わないが少し違う。直隆の方がもっと温度がないように感じられた。
けれども、そんな咲羅の気持ちなど知らない夕希は、無邪気に聞いた。
「あ、せんせーにも聞いてみようぜ!」
忙しいからと一蹴してくれないか。咲羅の期待も虚しく、直隆は抑揚のない声で「なんだ」と尋ねた。
「ちょっと調べ物しててさ」
「はあ」
「持之さんのことなんだけど」
その瞬間、直隆の萌葱色の虹彩に光が宿った。まるで鬱蒼とした森に一筋の太陽光が差し込んだような変化だった。単に図書館の窓から日が差してきただけなのかもしれないが、明らかに彼の表情は「持之」の名を聞く前と後で違っていた。
直隆は持之に憧れて結界師になったという舞弥の話を思い出した。
「ここでは邪魔になる。あちらへ」
直隆は奥の四人掛けの席を指差した。
二方向が天井まで続く大きな窓ガラスに面した席だった。窓の外では、
「それで聞きたいこととは?」
夕希と舞弥の視線が咲羅に集まった。咲羅は制服のスカートを軽く握った後、口を開いた。
「持之さんのことを知りたくて」
いきなり、亡くなった時のことを聞く気にはなれなかった。
「なんでもいいので、教えてもらえませんか」
理由を聞かれるかと思ったが、直隆はわずかに上を見てから語りはじめた。
「彼以上の素晴らしい結界師を私は知らない。今は十人交代制で保っている学園の結界システムを、持之さんは一人で維持していた。しかも、より広大な範囲を。強度は常に一定。あの人がいたころは、風原の里が魔物の襲来を許したとしても、学園に被害が及ぶことはなかった。《最強の結界師》という通り名があれほど似合う人はいないだろう」
「すごい人だったんですね」
「持之さんが生きていれば、君たち三人が魔物に襲われることもなかったかもしれないな」
初任務のことを言っているのだろうと咲羅は思った。
「ああ、そのことがあったから持之さんについて調べていたのか?」
直隆の的外れな推測に、咲羅と舞弥は瞬時に視線を交わした。そして、夕希が「違う」と言う前に咲羅は「そうです」と返事をし、舞弥は夕希の足を蹴った。夕希が大げさなうめき声をあげたが、直隆は気にしていないようだった。他人に興味がない性格なのかもしれない。
「そうか。Gクラスの担当教諭として、心配はないと言ってやりたいところだが……」
Gクラスとは
「本来、《結界》の内側であるはずの間山に魔物が出たのは、何者かによって結界符が破られていたからだ」
「結界符?」
咲羅が首を傾げると、舞弥が補足してくれた。
「《結界》を長期間・広範囲に持続するための媒体ですわ」
「神社のお札みたいなもの?」
「そうだ。私たち結界師は、この結界符自体も強力な《結界》で守る。普通であれば破られないはずだ。……内通者でもいない限り」
内通者。不穏な響きに咲羅は身を固くした。
「魔物が風原に現れる時、背後にはいつも裏切り者の存在があった」
直隆の言葉によって、四人掛けのテーブルには重い空気がのし掛かった。燦々と降り注いでいた陽光は雲の奥に隠れ、また直隆の目から光が失われていた。
「余計なことを話してしまったな。私はそろそろ行かなければ。君たちも暗くなる前に寮に帰るように」
直隆が去ってからもしばらく三人は黙っていたが、不意に舞弥が立ち上がった。一目散にどこかへ向かう彼女を、咲羅と夕希は追いかける。階段を使って二階へ上がる。舞弥の目的地は、「歴史」という札が天井からぶら下げられたエリアだった。
舞弥は本棚のプレートを見ながら、どんどん奥へと進んでいく。そして、「風人史」と書かれた本棚の前で立ち止まった。
「急にどうしたんだよ?」
夕希が声をかけるが、舞弥は聞いていない。指で本の背表紙を辿り、何かを探している様子だった。
咲羅は本棚に注目した。同じ本がずらりと並んでいる。辞書のように分厚く、黒い革の装丁が特徴的だった。背表紙には金箔押しで「風人紀」の文字と風人暦による年号が書かれていた。
舞弥はその中から、『風人紀 風人暦
四年前……。
持之が亡くなったのも、その時期ではなかったか?
夕希も気がついたらしい。三人は、席に移動する時間も惜しく、その場にしゃがみ込んで本を開いた。
縦組みの文章がびっしりとページを埋めている。教科書よりも小さい文字、明朝体から格式高い印象を受けた。小口側に年月を示した見出しがついており、舞弥は「十月」のページを順にめくっている。目当ての記事があるらしい。
「ありましたわ!」
舞弥は「宝風十三年十月二十三日」と見出しが載っているページで手を止めた。
右ページの右端には、本文よりも少し大きな文字で「土守の裏切り」と書かれていた。
「持之さんが亡くなられた数ヶ月後に、風原の里に魔物が現れた事件ですわ。私たちは学園にいましたから、詳しくは知らないのですけれど……どうぞ」
舞弥に本を渡された咲羅は、文章を読みはじめる。
◯
土守の裏切り
風人暦宝風十三年十月二十三日、土守本家十四代目当主である土守
侵入した魔物は全部で五十体。これらは二日の間にすべて退治されたが、多くの被害を出した。三十三棟が全壊、百十六棟が半壊、軽傷者二百二十六名、重症者三十五名、死亡者二名。その他、家畜として飼っていた鶏十四羽、牛三頭、馬八頭の命が奪われた。
死亡者二名のうち、一名は事件の首謀者であった土守斎玄(当時七十一歳)、もう一名はその孫の
斎玄は裏切り者として、二十一代目風子学園学園長・霧立風牙氏お抱えのDクラスのメンバーによって粛清されたと思われるが、最終的に誰の手にかかったかは不明。成子は焼死体となって発見された。偶然その場に居合わせたと思われるが、こちらも詳細は不明。
風原内部に魔物が現れたのは、実に五年ぶりのことであった。
この事件を『土守の裏切り』と名付ける。
事件中に土守斎玄と遭遇した者の証言によると、前月九月、学園長に就任した風牙氏とDクラスの存在が気に食わないと叫喚していたという。七月に急逝した二十代目風子学園学園長・的場持之氏に心酔していたという声もあり、彼の死がこのような悲惨な事件を引き起こした原因ではないかと考えられている。
持之氏の死に関しては、依然多くの謎が残る。彼はしばしば一人で風原の外へ出かけていたようだ。歴代最高の結界師と謳われる持之氏。何か外に守るべきものがあったのだろうか。
温厚な持之氏とは打って変わり、自らも前線に立つ武闘派な風牙氏への反発はこれだけでは済まないかもしれない。魔物も活発化しており、みな先の大戦のようなことが再び起きるのではないかと戦々恐々として、里の空気は重い。
十二年ぶりの代替わりの混乱が一日でも早く収束することを願う。
◯
悲惨なニュースは、過去いくらでも読んできた。「かわいそうに」と一瞬思っても、他の明るいニュースにすぐ心を奪われ、忘れた。所詮は他人事だった。それなのに、見知った名前が登場した瞬間、ただの文字が、鮮烈な現実として心に突き刺さってくる。
咲羅は眉間に深い皺を刻んだ。Dクラスのメンバーによって粛清された。粛清って……。眼前に真紅色が広がり、思わず本を握りしめた。
「土守家で一人だけ風原に残っている方がいます」
舞弥が声をひそめて言った。
「その方は、事件に巻き込まれて亡くなった土守成子ちゃんのお兄さんで、妹の命を奪ったDクラスのメンバーや指示を出した風牙さんを恨んでいるはずです」
「あ」
その瞬間、咲羅はある人物の名前を思い出した。
祥子さんに修行をつけてもらっていたあの日。第六訓練場に、委員長とともに現れた猫背の人物。
「土守、成季さん」
咲羅の震える声に、舞弥が深く頷いた。
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