第四章 個人能力の判定(三)
学園長室は職員棟の最上階にあった。桐夜が重たそうな扉を押し開くと、コーヒーの香りが咲羅の鼻腔をくすぐった。
咲羅は深く息を吸い込んでから部屋に足を踏み入れる。部屋の奥に風牙の姿があった。革張りの回転椅子に腰掛けていた。
「わざわざご足労いただいてすみません。どうぞ」
立ち上がった風牙は、応接用のソファに腰掛けるよう咲羅に促した。
風牙は咲羅の向かいに座り、桐夜は彼の後ろに立った。大人の桐夜が立ち、子どもの自分が座る状況に、咲羅は居心地の悪さを覚え、膝の上の指をもじもじと動かした。
落ち着き先を探すように彷徨った視線は、風牙たちの奥の壁に吸い寄せられた。鮮やかな色彩の髪と目を持った歴代学園長の写真が整然と並んでいる。どの写真も威厳に満ちていて、思わず背筋が伸びた。
「突然すみません」
話しかけられ、咲羅は視線を風牙に移す。
「夕希たちと約束があったんですよね」
「え、なんでそれを……」
咲羅はついと桐夜を見た。報告する暇はなかったはずだ。
「《念話》で桐夜から聞きました」
「念話……心で話せるってことですか?」
「ええ、まあ簡単に言えばそうですね」
風牙は翡翠の目を細め、微笑みを浮かべた。
優しく見えるはずのその笑顔に、咲羅は違和感を覚える。風牙と会うのはこれで二度目。五田村で初めて会った時の冷たい印象とは打って変わって、目の前にいる風牙の物腰は柔らかく、まるで別人のようだった。
「ずっと放置していて申し訳ありませんでした。事件の後処理が立て込んでおりまして」
「あの、村は……村はどうなったんでしょうか」
風原では外部との連絡が厳しく制限されていた。スマホを持ち込めず、緊急時以外、手紙も出せない。咲羅は両親の様子を知る術もないまま、不安な日々を過ごしていた。
「順調に復興が進んでいますよ。NPO団体に扮した後処理班が主導となり、建築物のおよそ五割は建て直しが完了しています」
あの後、体育館で目を覚ました村人たちは、地震と火災によって村が大きな被害を受けたと思い込んでいた。後処理班がNPO団体を装っているのは、この記憶操作を自然なものに見せるためだろう。
「ご両親もお元気だと報告を受けていますから、安心してください」
咲羅は小さく頷く。風牙の言葉に嘘はないように思えた。
「ところで」風牙は一呼吸置いて続けた。「今一度尋ねますが、的場持之という名前に聞き覚えはありませんか?」
まとば、もちゆき……。どこかで聞いたような気がして咲羅は記憶を探る。少しして、風牙が初めて会った時に口にしていた名前だと思い出す。あの時以外、聞いたことはない。咲羅は首を横に振った。
「そうですか。あの顔にも見覚えはありませんね?」
風牙は体を後ろ向きに捻り、自分の斜め後ろの写真を指差した。一番右下の風牙の写真の隣には、淡藤色の髪と桔梗色の目を持つ男性の写真。その下には「的場持之学園長」と達筆で書かれていた。
柔和な笑顔に好印象を抱く咲羅だったが、やはり見覚えはなかった。
「わかりません」
「今まで、他の風人に会ったこともありませんでしたか?」
「はい」
咲羅が頷くと、風牙と桐夜は明らかに肩を落とした。自分が悪いわけではないのに、彼らの落胆ぶりが伝わってきて、咲羅は小さな罪悪感を抱く。
「すみません……」
消え入りそうな声で謝ると、風牙の銀色の目がわずかに見開かれた。
「なぜ、謝るのですか」
「お役に立てそうにないので」
息が漏れた。風牙の口からである。風牙は笑いを押し殺すようにして、くつくつと笑った。
「咲羅さんは随分とお人好しな方なんですね」
風牙の口調に含まれる軽さに、咲羅は眉を顰めた。馬鹿にされているような気がした。
「馬鹿にしているわけではありませんよ」
心の中を言い当てられて、咲羅はぎくりと背筋を伸ばす。
「そのままでいてください。それがきっと、誰かの救いになりますから」
風牙が頬を緩めた。その時初めて、彼の本当の笑顔を見た気がした。
「さて」風牙が学園長の顔に戻る。「そろそろ本題に入りましょう」
空気が一転した。
「今日お呼びしたのは、個人能力を判定するためです」
「個人能力?」
「精霊が五種類いるということは聞いていますね」
咲羅は頷く。
「風人も五種類の性質に分類されます。この性質のことを個人能力と呼んでいます。修行したら自分の個人能力以外の才もたいてい使えるようになりますが、一部使えないものもあります。例えば」
風牙はゆっくりと桐夜の方に顔を向ける。
「桐夜の個人能力は雷で、私の個人能力は風です。雷の特殊能力である《時渡り》を桐夜は使えますが、私はいくら修行しても使うことはできません。逆も然りです。わかりますか?」
「なんとなく」
咲羅は自信なさげに答えた。
「まあ、修行の方向性を定めるための検査だと、気楽に考えてください」
「はい」
「では、手を貸していただけますか。どちらでも構いません。電気が走るような感覚がするかもしれませんが、普通のことですから、驚いて手を離さないように」
咲羅が差し出した右手を、風牙の両手が包み込む。風牙の手は沙智と同じく、長年の修練を物語るタコだらけの分厚いものだった。
指先からじんわりと熱が伝わり、見えない何かが電流のように咲羅の体を駆けめぐる。痛みはなかった。ただ異物感が不快で、咲羅は顔を顰めた。
「これは……!」
目を閉じて集中していた風牙は、翡翠色の目を大きく見開く。それから、そっと咲羅の手を離した。
大げさにも感じられる風牙の反応に、咲羅の緊張感が高まる。
風牙は居住まいを正してから、判定結果を告げた。
「咲羅さんの個人能力は、風ですね。とてもめずらしい……」
「そんなにですか」
「ええ。現在、学生の中に風の人はいません」
「え?」
「私も風だと言いましたが、私より年下で、個人能力が風の風人は見つかっていなかったんです」
不安が膨れ上がり、咲羅は膝の上で両手を固く組んだ。
「大丈夫ですよ。個人能力に合った修行ができるよう、こちらで環境を整えますから。何か咲羅さんの方から質問はありますか? なければ戻っていただいて構いませんが」
今にも立ち上がりそうな風牙を、咲羅は慌てて引き留めた。
「あ、あります。風の特殊能力はなんですか」
「ああ、失念していました」風牙はソファに深く座り直してから言った。「風の特殊能力は《治療》です」
「治療ですか⁉︎」
咲羅は体を前に乗り出した。
「ええ。何か気になりますか?」
「風人の才に傷を治すものはないって夕希から聞いたんですが……」
「夕希は無いとはっきり言っていましたか?」
咲羅の目線を左上に動かす。夕希の発言を、正確に思い出そうとした。
――あったら便利だよな。
「あ、そっか。あったら便利とは言っていましたが、無いとは言っていませんでした」
「先ほども伝えたとおり、個人能力が風の風人は希少で、《治療》が使える風人もほとんどいません。そのため、夕希はそのように言ったのではないでしょうか」
「そっか。じゃあ、やっぱり《治療》も風人の才なんですね。よかった」
「なぜそのような心配を?」
「わたし……昔から、大桜の精霊たちの声を聞くことと、傷を治すことだけはできていたんです。力を使う時、気が出ることもないから風人の力じゃなかったらどうしようって思っていたんですけど、安心しました」
ほっと息を吐いた咲羅は、ソファの背もたれに体を預けようとした。しかし、思ったよりも遠く、バランスを崩す。一人遊びをする子犬のようにソファで落ち着きなく動いていた咲羅は、自分の名を呼ぶ風牙の低い声に、身を固くした。
風牙を見ると、口を一文字に結び、渋い表情をしていた。
「《治療》は才の中でもとりわけ習得が難しい高等な力です。気が出ないというのは、無駄な力を一切使わずに才が扱えているということ。未熟なあなたが《治療》を使えるというのは信じがたいのですが」
風牙と桐夜の目は厳しい。
「ほ、本当です!」
疑われてはたまらないと思った咲羅は叫んだ。どうしたら信じてもらえるだろう。なるべく人付き合いを避けてきた咲羅である。彼らを説得する方法が浮かばなかった。
しかし、余計な心配だった。
咲羅が弁明するよりも早く、風牙が動いたからだ。
「では、これを治していただけますか」
一瞬の出来事だった。風牙の左腕を風が走り、深い裂傷が肌に浮かび上がる。赤い血がしずくとなって空中に舞い、白いワイシャツを染めた。
「な、なにをしているんですか!」
咲羅は思わず立ち上がった。
「さ、お願いします」
風牙は元々細い目をさらに細め、挑発的に笑った。
信じられない!
咲羅の中で驚愕と怒りが交錯していた。人を一生懸命治療する両親の背中を見て育った咲羅にとって、自傷行為は許せなかった。
咲羅は慌てて風牙の腕に両手をかざした。傷は深い。さきほど自分の膝を治した時よりもずっと強い力を込めた。自分以外の人間の傷を治すことは、これが初めてだった。時々、手のひらの下の傷を確認しながら、咲羅は治療を続けた。
春先にも関わらず、咲羅の額からは汗が吹き出していた。もうそろそろ……。咲羅が両手をどかすと、風牙の腕の傷は、薄い跡すら残らず消えていた。ワイシャツや机に残った血痕がなければ、傷を負った事実すら消えてしまいそうだった。
「おお!」
それまで沈黙を守っていた桐夜が、感嘆の声をあげた。
「疑ってしまい申し訳ありません」
風牙が深く頭を下げるので、咲羅は手を横に振った。
「か、顔を上げてください。それはいいんです。ただ、自分で自分を傷つけるようなことはしないでください」
風牙はまた、くつくつと喉を鳴らした。押し殺すように笑うのが癖なのかもしれない。
「咲羅さんなら、あっという間にウィンド・マスターになれるかもしれませんね」
「ウィンド・マスター?」
好奇心に小さく胸が高鳴った。
風牙の唇が横に引かれる。
「ウィンド・マスターは優秀な風人に贈られる称号です。すべての才をうまく使いこなしたり、多くの任務を成功させたり、風人に役立つ物を作ったり――他の人より秀でている風人に贈られます」
「高等部生でもなれるんですか」
「もちろん。人数は少ないですが、いますよ。今の最年少は中等部の子ですしね」
「ウィンド・マスターになったら、自由に学園の外に出られるんですか?」
「出られる可能性が高いですね。外に出るときの絶対条件は、風人の存在が外人に露見しないようにすること。そのためには、
風牙の体から茶色の気が放出される。瞬く間に、風牙の銀髪と翡翠目は、《黒》に変化した。
《黒》。咲羅が十五年間、恋しく求めてきた色。《変化》を使えば、自分でも《黒》を纏うことができる。そのことに対して、咲羅は複雑な心境だった。欲しいものがいつでも手に入る状況になった時、その胸に湧き起こるのは喜びだけではないのだ。
村での生活を思い出していた咲羅の中に、ふと疑問が生じた。
「でも、村で《変化》していなかったですよね?」
あの時、風牙はありのままの色でいた。沙智も、大桜で出会った時は《黒》だったが、その後は自分の色でいたはずだ。
「ああ、魔物討伐の任務時は許可されています。《変化》に使っている力を討伐に回した方が効率がいいですからね。任務であれば後処理班がうまく誤魔化しますから、大丈夫ですよ」
村の人々にしたように、記憶を消すということだろう。
「任務以外でも外に出たければ、《変化》と、非常事態にも自分で対応できる力を身につけることです。ウィンド・マスターになれる人であれば、その条件を満たしている可能性が高いでしょうね」
「条件……」
沸き起こった好奇心が急速に萎んでいく。ウィンド・マスターになれば外に出られるという可能性は、咲羅の心を強く惹きつけた。しかし同時に、自分の未熟さから、その希望はあまりにも遠くにあることが分かっていた。
《変化》どころか、まだ五種類すべての精霊の声すら聞けていないのだ。ウィンド・マスターは優秀な風人に贈られる称号。あまり高望みをしてはいけない。まずは、地道な努力を続けて、外の任務を受けられるようになろう。
「まあ」
百面相を繰り返していた咲羅は、風牙の声に顔を上げる。
「ウィンド・マスターについては記憶の片隅に置いておいて、とりあえず今は、遅れを取り戻すことに専念してください」
風牙の言葉を合図に、桐夜が扉を開く。
離席を促された咲羅は、不安とわずかな期待を抱え、学園長室を後にした。
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