初夏の夜

 映画は普段家で体験することのない大画面での迫力や音の振動を味わわせてくれる分、映倫マークが浮かんだときは得も言われぬ寂しさを感じる。ショッピングモールの最上階の一角に押し込められた映画館から後ろ髪引かれながらも出ることにした。時刻は既に午後九時に近く他にモールでの用もないので帰りを少々急ぎ一階へ降りるためエスカレーターへと足を向ける。最上階から一階まで一定の速度でエスカレーターは私を運んでくれる。早くも遅くもならずただ一定の速度で降りていく。降りながらモールを見下ろしてみると全体的に薄暗さを感じる。どうやらもうほとんどのところが店仕舞いしているらしく通路にもれていた明かりが消え若干暗く感じるようだ。やがて一階まで降りて私は出口に向かいだした。一階は普段の喧騒もなく一層暗くなったように思えた。ちょうどモールの中心くらいに位置するエスカレーターを使ったので出口まではそこそこ歩かなければならなかった。人が少なくいつもより通路の先の方まで見渡せたが、かえってそれが出口までの距離を感じさせた。長い通路にいくつもテナントが続いていく。既に電気が消え完全に店仕舞いが済んでいる店もあれば、今まさに店頭のシャッターを下ろそうとしている人や何らかの商品を店の奥に持っていっているような人もいた。閉店間近までこのようなショッピングモールに滞在したことがなく、いくつものテナントが足並みそろえて店仕舞いし明かりが次々と消えていく様の中にいるとやはり私も少しこのモールからの脱出を急かされている気になってくる。


そんな様相を面白がって周囲を見回しながら歩いているとふいにテナントとテナントの間に暗く深い横穴が現れた。実際はメインストリートから少し奥まった場所に設置されたトイレへつながる横道であったのだが、そこはもう天井の電気も、そしてトイレの電気も消されていて横道の入り口1~2m程度がメイン通路からの明かりによって照らされているのみであった。どうやら暗さはここから漏れていたらしい。当然奥に行くにつれて一層暗く、入り口のトイレマークもいつもとどこか雰囲気が違って見えた。なんとなく気になってしまい男性トイレの中を自分が居た位置から覗いてみた。もちろん内部を外から直接見ることはできないが入り口とその少し奥くらいは見える。真っ暗闇であった。入口は当然横道の壁に面しているのでメインストリートからの明かりも届いていないのだろう。あるいは手洗い場の鏡の端くらいは実は視界に入っていてトイレの中の暗闇を映していたのかもしれない。おそらく、いざトイレに近づくと人感センサーで照明が点くのであろうがそれはあまりに迂闊な行いに思えた。一体何が潜んでいるかわからない。そういう気配を私はわざわざ感じ取ってしまった。視線を正面に戻し私は再び出口へと足を進めた。モール内の薄暗さは少し深くなったようだった。


 出口までまだもう少しというところで後ろから革靴を鳴らす音が聞こえてきた。だんだんと音は大きくなりその革靴の主が自分に近づいてきていることが分かった。なんだかピッタリ真後ろから聞こえてくるようでなんとも形容しがたい焦りを感じる。私は足を速めた。振り返ることはせずただ歩くペースを速め早歩きで出口に向かう。しかし、なぜか後ろの革靴の主も速度を上げたのか音はどんどん近づいてくる。もう出口はすぐそこである。もはや駆け出してしまおうかと思ったその時、とうとうその音は私を追い越した。革靴の主はスーツ姿に革の鞄を携えたサラリーマン風の後ろ姿をしている男であった。仕事終わりに買い物に寄ったのかこの中で働いていたのか、私と同じく出口をめざして歩いていたようで、文字通り私より一足先に出口の自動ドアをくぐっていった。私も続いて外へ出る。ドアが開くのと同時に多分な湿度を含んだ初夏の空気が押し寄せまとわりついてくる。前日にここらを掠めた早めの台風が南の空気を運んできたのだろう。先ほどまで肺に満ちていた空調設備によって心地よい温度湿度にされていた空気とそりが合わずに少し息が詰まった。


 一応外には出たのだが、私がくぐったメインの出入口は正確にはモール内の二階に設置されており、またエスカレーターに乗って地上部まで降りていかなければならない。絢爛、とまではいかないが閉店間際でも律儀に光る電飾やらで未だ輝きを保っている浅夜城を背にすると目下に広がる駅までの100m程度の道はやたら暗く見えた。外であるので薄暗かったモール内と比べてもさらに暗いのは当然ではある。しかし実際降りてみると、街灯も立っていて歩くのに支障がないくらい足元が確認できるにしては、やはりあまりに暗い。それでも駅の改札まで歩いていく。時間にしてはわずか一分ほどの近さである。改札前は人気もなく、ここについたとき駅構内から出てすぐに目についた何事か一生懸命声を張っていた市議かなにかの一行の姿も見当たらず、静かだった。改札を通り階段でホームまで降りていく。やはりそこにも人はほとんどいなかった。まばらに立つ人々の近くを歩いてもまるで見えない壁で断絶されているかのようだった。私に、周囲に無関係で、微動だにせず一切の音さえ漏らさない。天井に吊るされている蛍光灯が放つ光がホームを照らしコンクリート造りの足場が鼠色の鈍い彩度でそれを受け返す。光は線路の少し奥まで届く程度でそれより先は暗闇で、ホームはその暗闇の中に浮いていた。潜水艦はこんな感じなのかもしれないと思った。ふと視線を感じ顔を上げると暗がりから白いスイセンが黄色い顔で私を見つめていた。線路沿いに群生していたようだが前日の台風によってか半分くらいがなぎ倒されている。同族を前触れなく失った恨みかやるせなさかが込められた視線を明るさわずかな暗がりから私に向けてくる。全く八つ当たりにもほどがある。しかし彼らはそんなこと知ったことではないとじっと視線をそらさない。じめっとした空気のせいで汗が乾かず額に滲む。彼らの怨と濡れ衣甚だしいという私の弁明が平行線をたどりもはや和解の余地がなくなったころ、電車到着のアナウンスが流れた。ほどなくして電車が到着し彼らの視線を遮った。車内は一層明るく乗り物というより光る箱である。周囲が暗闇に包まれた中で光明に浮かんだそれはチョウチンアンコウを思わせた。扉が開きホームの人々に乗車を促す。この場にとどまる理由もなく、私も結局乗車する。すぐに空気音がして扉が閉まり電車は薄明るいホームを発った。窓に顔を近づけ外の景色を見ようとしたが、夜の暗さを映す窓はただ車内の光景を反射するばかりだった。今どのあたりを走っているのかわからない。どこか見知らぬところに運ばれてはいないだろうかと根拠のない考えがよぎる。果たして私は一体どこに向かっているのか。

 


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