背筋主義者の百メートル
ハヤシダノリカズ
明日に向かって射よ
「どうしてこうなった……」
固く結んだ口のずっと奥で、声にならない呟きを俺は
正面にまっすぐ突き出した左手が握っているのは俺の背丈よりも長い和弓、その先百メートル向こうに据えられた的は勢いよく回転している。振り絞った右手の矢はその的の上方へ向けている。まずは矢を的に届かせる事が何よりも重要だ。大丈夫、まだ一射目だ。いや、もう限界だ。根を上げている右手右腕の筋肉のコントロールを失わないギリギリで俺は矢を放つ。
数瞬の後、俺の放った矢は的に届くどころか、廊下上部の屋根を支えている垂木に当たって無様に床に落ちた。ここは京都。大みそかのショウアップされた三十三間堂の通し矢にこの俺が臨むことになったのは何の因果か。いや、必然か。
ふう、と一息を漏らし、膝に片手をついて目を落とした先の床板には顎から落ちた汗の粒がいくつもある。チラと砂利敷きの庭の方を見ると何百人という見物人がざわざわとそれぞれに話をしているのが聞こえる。
あの法案が通ってしまってから最初の大みそか。日本国民全員にとって決して他人事じゃない政治ショウのど真ん中に、今、俺はいる。
―――
「日本の政治は三流以下だと、各国の政治学者、経済学者、各メディアがこぞって評してもう何十年経ったでしょうか。真面目で勤勉な国民性で、原油等の資源にこそ恵まれてはいませんが、それを補って余りある生産性というポテンシャルを国民は持っているのに、一向に景気が上を向かないその原因はすべて政治にあると、日本は評されている訳です」
脇に滲む汗の気持ち悪さを覚えながら、俺はつい、言わなくてもいい事を言ってしまっていた。しかも冒頭から。
「何を言い出すんだ!」
「早く本題に入れ!」
議場の各所からヤジが入る。ヤジは大抵いつも同じ声だ。目立たない場所に座っている無能議員ほどヤジが好きらしい。まあ、本題に入る事は大事だ。速やかに取り掛かろう。
「消費税は上がることはあっても下がることはない、国民の多くはそう思っています。外国に目を向けると消費税を下げるというケースはありますが、日本国民はそれを諦めています。そして、その諦めこそが景気の高揚を遠ざけている最大の要因であると私は考えています。『消費税は下がるかも知れない』『消費税がなくなるかも知れない』という希望があれば、国民から諦めが消え、それは景気高揚につながっていくと私は信じています」
そこで俺は大きく息を吸った。大一番だ。こんな法案が通る事などまずありえないが、国民の幸せを願って立てられるのであれば法律は自由だ。用意してきた法案の説明は最後までやりきらねば。そう思いながら俺は続ける。
「消費税そのものを撤廃すれば景気はうなぎ上りになり、消費税に頼らずとも税収は落ちたりしない……という論説もあります。が、それによる現状のシステムの混乱もあるでしょう。また、経済とは摩訶不思議な生き物でもありますから、極端な変化は大きな病巣を生むことに繋がるやも知れません。ですので、私が今回提案致しますのは一年ごとの変動型消費税、そして、その税率を決定するのは財務大臣による三十三間堂の通し矢。大みそかに財務大臣が三十三間堂にて通し矢に臨み、財務大臣が射た矢が貫いた税率が翌年の消費税率になるという法案です」
一気に、しかし意識的にゆっくりと、俺がそこまで話して一呼吸入れたところで、議場は一瞬の静寂を挟み、怒号が溢れた。
―――
「天下無双気取りかよ」
見物人のそんな声が耳に入ってきた。弓の邪魔になると左上半身部を脱ぎ、私が肩をあらわにしたタイミングだ。まだ着慣れていない袴の和装で、今の俺が周りからどう見えているか、それはよく分からない。が、そうか。戦国武将を気取っているように見えるのか、今の俺は。……悪くない。少しだけ上がった自分の口角に気づいて愉快だと思えている自分に驚いた。
――『政治家というのは文武両道であるべきだと私は考えています』議場でそう言い放ったのは俺だ。『各省庁のトップである大臣は誰よりもそれを率先するべきですし、財務大臣が体を鍛え、難易度の高い通し矢を成し遂げる姿を見せる事は国民に勇気と希望を与えるに違いありません。そしてそれは、国民の望む税率を射抜くか否かという結果を超えて国民の心に響くハズです』俺はそんなことも言った。
大きく息を吸い、ゆっくりと肺の中を空にするように息を吐いていく。肩幅よりも少しだけ足を開き足の裏と指先で床板を掴むように足に意識を込める。百メートル向こうの的に正対し弓を構える。さっきは弓を構えている左半身の着物が僅かに邪魔をしたように感じた。それ故に
――『財務大臣が射ぬいた的が現状の消費税率よりも高いものになってしまった場合は、議員報酬はそれに応じて下げます。逆に低いものになった場合は議員報酬は上げます。これは、国民の痛み、あるいは喜びを我々議員が共有できないようでは、国民に寄り添った国政ができないからです』
『円グラフのように分割された的には3、5、7,10、12、15の適用税率の数字が書かれます。3と15の数字に割り当てられる面積は小さくします。そしてその円形の的は裏に軸を設け、人力で勢いをつけて回します。今の時代、アナログなものほど公平なものはありませんから』
俺が話せば話すほどに議場は紛糾した。だから、通るはずはなかったんだ、こんな法案。しかも、その後の解散総選挙からの野党連立政権樹立、与党の末席にいた俺が引き抜かれて財務大臣に抜擢されるとは。
「ふふっ」
これまでの顛末を思い出して思わず笑ってしまった。口うるさいマスメディアが今の俺の表情を切りぬいて何かに使うだろうが、そんなことはどうでもいい。一射目に臨む直前には『もう、全部投げ出して帰って風呂入って布団の中に飛び込みたい』って思っていたけれど、これまでを思い返せばそうだ、奇跡的に俺の思う方に事態は転がっているじゃないか。金に塗れた政治屋を排斥し、国民に背中で語れる同志を集め、理念と情熱で日本を明るく前進させるんだ。
そして、毎晩トレーニングに勤しんできたじゃないか。三射で矢が的まで届かない時には、救済措置として距離を縮める事が出来るが、それではダメだ。この舞台に立った以上、俺は背中で語る必要がある。
一度目を瞑り、すぐに目を見開く。的がさっきより近くに感じる。矢をつがえ右手を引き絞る。迷いなく、射る。
一射目に鳴った『カコッ』という音は聞こえない。等間隔に十数基並べられた篝火の明かりだけでは軒下の闇に消えた矢の軌跡など追いようもない。どうだ?的を射たのか?いや、そもそも届いたのか?百メートル先の的は今も回転している。数秒の後、的から少し離れた場所に控えていた係りの者が出てきた。彼が回転している的を手で止める。一瞬の後、砂利敷きの庭にひしめき合って立っている見物客から大きな声が上がる。それは的に近い向こうの方から波のようにこちらに近づいてくる。
「んだ!」「んや!」「んやって!」「マジか!」「んらしいぞ!」「さんやって!」「さんだってさ!」「マジか!サンパー!」「やったー!来年は三パーセントやー!」
……、そうか。届いたんだな。射抜けたんだな。そうか、この舞台での大仕事はこんな風にその結果を知れるのだな。見物客の声のウェーブが百メートルの距離を緩やかな一瞬で情報を運ぶんだな。
「はぁー」
張りつめていた気持ちが緩み、膝の力が抜ける。辛うじて弓を立てたまま俺は片膝を床につける。開けている左の肩に厚手の大きなタオルがふわりと掛けられた。同時に聞きなれた声が「お疲れ様でした」と言ってきた。秘書長の三木の声だ。
「ありがとう、三木。今日までよく支えてくれた」
俺は三木の方に顔を向けずにそう言った。力が抜け過ぎて首を捻ることもできないというのが正直なところだ。
「見てくださいよ、
立場も何も思わなければ、この床がどれだけ冷え切っていようがベタっとへたり込んでしまいたいところだが、俺は三木に促されるまま見物客の方へ眼をやりながら立ち上がる。
その先には兄妹だろうか、五歳くらいの男の子と三歳くらいの女の子が砂利の上でダンスを踊っている。
「我が国の未来そのものがあんなに嬉しそうにはしゃいでいますよ!本多大臣!」
三木も彼らに負けないくらいのはしゃぎ様で俺に言う。
「あぁ。そうだな」
俺は頷く。篝火の明かりで照らされた三木の頬には涙の筋が見える。喜怒哀楽をストレートに表す三木は
そうだ。拝金主義の魑魅魍魎どもに心を折られた理想高き先人が数多くいた。俺がそうならない保証はない。
でも、今日の俺は背中で理想を語れたかな。そして運を引き寄せられたかな。そうであったなら、今日の俺の背中に追随してくれる未来の若者が、道を誤った時の俺を正してくれるだろう。
そうであれ。
そうであってくれるだろう?日本よ。
背筋主義者の百メートル ハヤシダノリカズ @norikyo
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