あの夢を見たのは、これで9回目だった。
季エス
第1話
「あの夢を見たのは、これで9回目だった。」
訥々と話し出した僕を、友人は訝し気に見ている。
「なんて?」
見ているだけでなく、口を挟んできた。恐らく、話しぶりが気になったのだろう。流暢に言葉が出てこなかったのだ。ちょっとどもりながら、あの夢を、見たのは、これで、9回目、だった。そんな風に話してしまったのである。僕は口が上手くないのだ。
「だから、あの夢を見たのは、これで9回目だった」
今度は少し滑らかに言えた。良い調子だ。
「いや、二回言えって言ってない。意味が分からねえのよ」
「そういう時は、最後まで、聞くんだ」
「え、もしかして、長い感じ?」
「カップラーメン作れるくらい」
「長ぇわ。三行にしろ」
「えっ……」
酷い事を言う野郎である。たかだか三分くらい付き合って欲しいものだ。まあ恐らく話し始めたら五分はかかるだろうが、二分は誤差である。僕は口が上手くないのだ。
「同じ夢を、9回見た」
「聞いた」
「最後まで聞くんだよ」
「デジャブじゃん」
「違います」
駄目だ、話が進まない。もしや、紙に書いた方が早いのではないだろうか。いやだが、書く方が喋るより更に時間がかかる。そもそも筆記具持ってない。アッ、スマホに打ち込めばいいのか。いや、面倒臭い。
「僕は、鳥だった」
結局話すことにした。僕が喋る事が問題なのではない。相手が最後まで黙って聞かない事が問題なのだ。
「鳥になった夢を9回見たって? ンなこと言ったら俺、兎になった夢十五回は見てるぞ」
「十五夜とかけたのか?」
「かけてません」
「鳥になった僕は、」
「普通に続けるの止めろ」
「空から大地を俯瞰し、」
「とうとう無視し出したな」
「マヨネーズを食べた」
「どっから出て来たんだよマヨネーズ」
「僕の夢の中から」
「そう言う事聞いてない」
一々気難しい男である。だが僕は無視して、夢を思い出していた。丁度昨夜の事である。時刻はきっと、午前一時くらいだったのではないだろうか。僕が眠りについて一時間後と仮定しての話である。荒唐無稽な夢は、レム睡眠の時に見ると聞いた事があった。鳥になる事の現実味の無さは、自分だって分かっているのだ。ふわりと漂う風に乗りながら、空から地面を見た僕は、そこに不思議なものがある事に気付き降り立った。それは、瓶に入ったマヨネーズだったのだ。まるでジャムを彷彿とさせる形の瓶、だが中身はクリーム色だ。だから一見、薄いカスタードクリームにも見えた。だがそれは間違いなくマヨネーズだったのだ。何故なら僕は傍に置いてあったスプーンで、一口食べたのである。
「そして言った。酸っぱい」
「鳥じゃねえだろお前」
「鳥だが」
「鳥はな、スプーン使ってマヨネーズ食わねえんだわ」
「ちょっと、酸味がききすぎたマヨネーズだったな。酢が、多かったんだな」
「マヨネーズの感想聞いてねえんだわ」
「えっ、では何を?」
「お前が勝手に話してるだけで別に何も聞いてねえんだけど!? 大体鳥喋んねえだろ!」
「喋ったと思っているのは、僕の精神が人間だからで、本当は、ピヨとかだったのかもしれない」
「空飛ばねえタイプの鳥だな」
「鳥の専門家か?」
「違います。専門家じゃなくても分かります。鳥は喋らないしスプーン使ってマヨネーズ食べません」
「夢だから、そう言う事もある」
「それ言い出したら何でもありなんだよな。大体だから何だって話なんだよ。この話をし出した意味は?」
「モテると思って」
「なんて?」
天使が通った。会話が途切れ、黙り込むことをそう言うらしい。フランスの諺だそうだ。恐らく天使はくるくるとターンしながら通過していったに違いない。風が吹いた気がしたので。僕が陽気な天使を想像している間、友人は口を閉ざし顔を顰め、そうして暫くした後言った。
「鳥の話とモテるの因果関係が分からん」
成程、察しの悪い男である。僕はやれやれと言外に伝えるよう、首を緩く振ってみせた。
「やれやれ」
ついでに口からも出た。そしたら脳天にチョップが振り下ろされた。暴力はよくない。鳥だって喋るのだから、人間なら猶更口で伝えるべきである。
「女の子って、不思議な話が好きだろ」
「女によるだろ」
「女性専門家の方?」
「違います」
「僕はモテたい」
「はっきり言うが、マヨネーズをスプーンで食べる気持ち悪い鳥になる話に食い付く女はヤバイ」
「僕がモテるのがそんなに嫌か……」
「その結論には至らんだろ」
どう考えてもその結論にしか至らない。何を言っているんだこの男は。僕は呆れた。女の子なんて、夢の話大好きじゃないか。血液型の話も好きだし、占いも好きだ。霊の話も好きだし、怖いとか言いながらホラーだってしっかり見る。つまり、興味を持たれないわけがない。はい、モテ確定。残念ながら僕はこの話でモテます。彼女作ります。作らなくても出来ます。そうでないと、鳥になる夢を9回も見た意味が分からないので。
別に理解されなくたっていいのだ。
精々僕の隣にいる可愛い女子を見て、血の涙を流せばいいのだ。
そんな思いで嘲笑ってやろうとしたその時だった。
「すみませんが、その話詳しく」
突然声をかけられ、僕と友人は目を丸くし、そうして、言ったのだ。
「誰?」
「誰?」
僕たちの視線の先、そう、見えているものが同じであるとするなら、そこにいたのは見知らぬおじさんであった。どう見ても日本人でありながら、ドレッドヘアーでサングラスをかけたおじさんだった。怪しいの体現者だった。
「通りすがりの夢占い師です」
絶対に通りすがらないタイプの人間である。それだけは分かる。大体、占い師の様相ではない。ドレッドヘアーにサングラスだけでも奇妙なのに、日焼けして、アロハシャツ着て、小さい太鼓を持っていた。ラテンのリズムでサンバ踊りそう。最早、アフリカンなのかハワイアンなのかも分からないし、兎に角滅茶苦茶怪しかった。
「先程から聞いていたのですが、」
「全然気配なかったぞ」
「この形で気配ないの逆に怖い」
「あなたのその夢、未来を予知しているかもしれません」
「アッ、間に合ってます」
取り敢えずお断りした。聞くまでもないと思ったのだ。未来予知とかそう言うのはどうでもいいので。僕はモテたいだけなのだ。
「可愛い女の子は釣れなかったが、ヤベェオッサンは釣れたな」
友人が完全に他人事の顔で言った。しかも若干距離を置き始めている。全く正しい行動である。でも許容できるかと言えばそれは別問題なので、僕はさり気なく足を踏んだ。ここで逃がしたら僕が死ぬ。友人を犠牲にしても僕は生き延びる。そしてモテる。
「まずあなたの隣の彼ですが、女子です」
「ねえよ」
「やったー」
「ねえよ」
「分かってるよ! 若干期待を込めたけど、分かってるよ! 別に可愛くねえし!」
「そしてあなたも女子です」
「ついてるよ!」
結論から言えば、未来予知でも何でもなかった。本当に只のヤバイオッサンだった。こういう時って大概見た目を裏切った展開がやってくるものだと思っていたけど、現実は現実だった。只のヤバイオッサンだった。
「そして私も女子です」
「オッサンだよ」
「ちんこありません」
「うっそ」
「うっそ」
「見ますか」
「お構いなく。間に合ってます」
間に合ってはないが、ここで局部を露出されても困るので断った。見たいか見たくないかで言えば見たいかもしれないが、それは所謂怖いもの見たさであって、どうこうしたいわけではない。僕にも選ぶ権利はある。ないと困る。
「今日あなたが家に帰ると、そこには瓶詰のマヨネーズをスプーンで食べる鳥がいます」
「僕じゃん」
「そう、あなたです」
「えっ」
「あなたは鳥なのです」
「いえ、違いますけど」
「そして私は女子です」
「違いますけど」
「あなたの友人は女子です」
「違いますって、なあ?」
嫌々ながら隣へと話を振った。そこには友人がいる。男で、僕の友人で、女子ではない、性格があんまりよくなくて、決して、瓶詰のマヨネーズではないのだ。
「なあ?」
僕はもう一度話しかけた。でも返事はない。気配もない。僕が踏んだはずの足もなかった。今し方そこにいたはずの僕の友人は、いつの間にやら瓶詰のマヨネーズになっていたのだ。いつの間に変わり身の術を会得したのだろう。僕にも教えて欲しい。だって僕、まだこのオッサンから逃げられていない。頭がおかしい自称夢占い師が、じっと僕を見る。でもサングラス越しだから、本当にその目が僕を見ているかどうかは分からない。見て欲しくない。見ていなければいい。なのにオッサンの言葉は真っ直ぐ僕に届くのだ。
「あなたは、鳥で、マヨネーズを食べます」
「いえ、スプーンがないので」
僕は何を言っているんだろう。スプーンの有無なんてどうだっていいのに、口から飛び出たのだ。その瞬間、また不思議な事がおきた。オッサンが消えたのだ。ドレッドヘアーにサングラスをかけ、アロハシャツを着た色黒のオッサンが消えて、代わりに出てきたのは、スプーンだった。地面に置かれた瓶詰のマヨネーズとスプーン。僕はこの光景を知っている。だって夢で見たんだ。それを僕はずっと高い所から見たんだ。訝しみながら僕は手を伸ばした。其処に指はなかった。目に映ったのは、羽毛だ。
「ピヨ」
口から出たのは、鳴き声だった。これは夢だ。僕は夢で鳥になった。そうして、瓶詰のマヨネーズをスプーンで食べた。食べたはずだ。それとも今から食べるのだろうか。同じ夢を9回見た。昨夜の話だ。だったらこれは10回目だろうか。今は何時だろうか。友人は何という名前だっただろうか。自称夢占い師は何処から現れて、何処で話を聞いていたのか。どうして、僕はスプーンを握る事が出来るのか。マヨネーズは薄いカスタードクリームの色で、スプーンに乗せたらまるでマヨネーズの宣伝写真みたいに奇麗で、僕はそれを口に運んで、
「酸っぱい」
この酢が多めの味付けは一体誰の好みに合わせているのだろうか。そうして僕は、嘴があるのにどのように食べているのか分からないまま、酸味を感じていたのだ。あの夢を見たのは、これで9回目だった。この話を聞いて、僕を好きになってくれる女の子の事を思いながら目を閉じた。果たして僕は目覚めることが出来るのだろうか。何も分からないまま、これが何度目の夢かも分からないまま僕は鳥だった。
あの夢を見たのは、これで9回目だった。 季エス @veli
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