第一章 葬儀屋

第1話 禁忌

 この世に恨みを抱きながら死んでいった者。

 あるいはその恨みを拭い切れなかった者。

 

 どちらにせよ、そうして死んでいった人の中で成仏し切れず形を成したバケモノを、人は“怪奇”と呼ぶようになった。


 その怪奇を成仏させる者として“葬儀屋そうぎや”という組織が結成された。普通——一般の葬儀屋とはまた一味違う職業である。彼らは日々、日本の夜を暗躍する。


***


 その学校には、一つの“禁忌きんき”が存在する。

 青葉岬あおばみさきはその学校に通う中学二年生だ。

 田んぼや畑ばかりが広がってる田舎の中にポツンと建てられた木製の中学校は、都会の子供達ならともかく、田舎の子供達を魅了するオーラを発していた。

 

 小学校なら、ここら辺だと二校程あるがどちらも学校と呼んでもいいのか不安になるほどに小さな代物だった。その二校から上がる中学生がその中学校に行くのだが、そう考えみてもおよそ人数に合わない規模の中学校だった。


 実は小中一貫校だと知ったのは中学一年生の頃の二学期。まあ彼女にとってはどうでもいい事実だったが。

 

 そんな中学校の禁忌、それは“夜の体育館のトイレには行ってはいけない”という何とも無邪気な中学生が考えたような物だった。

 とは言え、田舎補正というものがあるのか、この禁忌は全学年が信じて恐れていた禁忌である。

 

 午後七時、と言ったところか。


 岬は放課後学級委員の集まりがありその後先生と、卒業生のために体育館に椅子を並べるのを手伝っていた。

 二月の冷たい空気で満ちた体育館。氷のように冷えたアルミ製の椅子を丁寧に並び終えた彼女は、家まで送ってくれるという先生の元まで行こうとしていた。


 既に体育館には彼女以外誰もいない。体育館の鍵は彼女が持っている。


 なかなか閉まらない体育館の鍵を試行錯誤して回し、逆回しだったと気付ききちんと閉めた岬。


(寒い...トイレ行こうかな)


 寒い風が吹く外は、彼女の尿意を加速させる。

 岬はさっさとトイレに行こうと決めた。

 一番近いのはもう目に入っている体育館のトイレ。

 それに向けて一歩踏み込んだ直後、彼女の脳内に一行の言葉が浮かび上がってきた。


 “夜の体育館のトイレには行ってはいけない”


(そうだ、入っちゃダメなんだった。でも学校のトイレは遠いし、遅くなると先生も心配しちゃうだろうしな...)

 

 正直、学級委員の彼女は禁忌などといった迷信はあまり信じていない。しかし、明かりの無い夜、しかも一人という状況下に置いては、その迷信もそれなりの恐怖を彼女に与えてくる。


 仕方が無いと割り切った彼女はゆっくりとそのトイレへと向かった。寒さと恐怖から、一歩ごとに重くなっていく足をどうにか動かしてトイレの前に着く。

 

 ピチョンと、水道から滴る水滴が落ちる音が響く。

 新築のトイレ、入り口から覗く染み一つ無い真っ白なドア。


 そのドアの鍵をよく見ると——赤色。


(誰か...入ってるの?)


 彼女の額に冷や汗が一滴垂れた直後。

 ドン! と重々しい音がトイレのドアから響く。

 内側から叩いているのか——そんなことを考えている暇は彼女には無かった。

 

 無意識に体が後ろを向いていた。

 逃げなければ。

 そう彼女の本能が信号を出す。

 

 だが——


 “ソレ”は彼女が出てくるのを待っていた。

 

「...あ」


 言葉でも無ければ声ですら無い。

 空を見上げ、間抜けな“音”を漏らす彼女。

 しかし夜空に広がるオリオン座は見えない。

 黒く染まった“ソレ”が体を広げ、視界を塞いでいたのだ。

 小屋程度の小さなトイレの上から、“ソレ”は彼女を丸呑みしようと待ち構えていた。

 

 目も耳も鼻も無い、黒い“ソレ”。

 だが人を丸呑みするためだけに備わったと思える

程に大きな口には、不揃いな鋭い歯が、乱暴な向きと角度でずらっと並んであった。


 糸を引く唾液が、まるで歯と歯に一本の糸が繋がっているように見える。

 明らかに人外である“ソレ”は、彼女に有無を言わせないまま——


「“酩炎めいえん“」


 その言葉が聞こえた時には、そこには腰を抜かした彼女と一人の男しかいなかった。

 目を瞑っていたため分からなかったが、一瞬体が燃えたように熱くなり、よほど強い光が放たれたのか、瞼の裏が白くなった。

 

 先のバケモノの形をした灰は、風によって崩れ去っていく。それを確かめるように見た後、男は手を彼女に差し伸べた。

 

「大丈夫か?」

「あ、え...えっと」


 いきなり声をかけられ戸惑いながらもその手を掴んで、持ち上げてもらう。

 寒い夜には似つかわしくない、不思議なくらいに暖かい大きな手だった。

 

「怪我は...無さそうだな。これからは早く帰るんだよ」

「あ、分かりました。すいません」


 特に怒られている訳でも無いのに謝る岬。


「うん。あと、ここで俺に会ったこと、助けてもらったことは誰にも言わないで」


 彼女はブンブンと首を縦に振りまくって応じる。

 それを見て、小さく頷いた男はすぐさま背後を向いて体育館の裏へと歩いていった。


 岬は何も出来ず、ただ彼が見えなくまで待つだけだった。

 そうして彼が完全に見えなくなった後、彼女の目からは温かい水が流れてきた。


「よか、った...!」


 今思えば、あの男が来なければ自分は死んでしまったかもしれない。

 生きていることへの安堵感に、岬は涙した。

 そして男の姿を脳内で再現する。


 その黒いパーカーの胸にある“葬儀屋”と書かれた名札の上から、真っ赤な色でバツ印が描かれていたのを思い出した。


 

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怪葬アンダーテイク 涼幹 @suzumiki

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