35話 「死の淵での叫び」

 アルヴァンが出ていき、扉は固く施錠された。

 戦闘の跡が残るその部屋を見て、ミリーの所へと行かなくてはと体を鼓舞する。

 ここからどう脱出すべきか。

 そう思考を切り替えて、辺りを見渡した。


 部屋には破壊された家具と、今も力を奪う絨毯の下に敷かれた魔法陣。

 俺達の荷物も残されていたが、漁るとご丁寧に杖と魔道具は回収されていた。

 窓は小さく、外との空気を通しすらしない密閉型の窓。

 よく見れば、閉じ込めるのにあまりに最適な構造だ。


 魔術を生成するイメージを膨らませ、扉の破壊が出来るかを試みる。

 指先に魔力を溜め込む感覚すらないが、今までと同じように意識を集中させ、水の弾丸を想像した。


 だが、出来たのは小さな水球1つ。

 ミリーとグロムが居れば飲み水にしてしまうような、そんな弱弱しい水だった。

 炎の魔術はろうそく程度の火しか生成されず、土も風も、似たような有様。


 いつだって頼みの綱であった魔術を奪われ、焦燥感ばかり募った。

 魔術が無ければ、こんなにも無力なのか。


 脳に焼き付いて離れないのは、ベッドの上で生きたいとこぼしたミリーだった。

 抱えていた悲しみを打ち明けてくれたのに。

 俺はこんなにもちっぽけで、頼りない大人なのか。


「クソ……」


 茫漠とした無力感で押しつぶされそうになり、刻一刻と過ぎる時間に涙が出そうだった。

 こんな感情は、前にも感じた事がある。

 飢えに飢え、外層の隅でただ泣く事しかできなかったあの日だ。


 知り合いの1人も居ないあの地で、言葉も発せないような赤子と二人きりになり、赤子よりも大きな声で泣いた。

 運命を理解すれば涙が零れるから、ありもしない妄想に憑りつかれて。

 それでもふとした時、悲しみが渦を巻いて決壊して、何もかもを拒絶する。

 大切だった筈の最後の家族も拒絶し、手を放してしまった。


 今はその頃と、何が違うのか。

 魔術が無ければ、無力なまま。

 定められた運命に涙をこぼす事しかできず、あの日と同じように大切な人を失い、その罪だけ抱えて生きていくのか。


 こんな旅など、するんじゃなかった。

 こんな出会いなど、なければよかった。

 そうやって思いながら、心に蓋をして、また自分を嫌いになりながら生きていくのか。


 気付けば堪えていた涙が目に溜まり、座り込んでいた。

 さながら無力な少年のようで、そんな自分の情けなさが悲しい気持ちを増幅させた。


 残ったのは罪だけ。

 妹を殺したあの日。食料を全て食べつくし、当然のように死体となった赤子。

 それを近くに置けば心が壊れそうで、焼却炉の炎の奥に放り入れて焼いて。

 あの日から俺は、人殺しとなった。


 きっと炎の中で、俺を呪った事だろう。

 炎の中で……。


…………

……


 小さな閃きが舞い降り、可能性を見つけた。

 だが賭けだ。下手すれば俺は死ぬだろう。


 それでも、ミリーを救いださなくては。

 悲しみに溢れた世界にも希望があると、示さなければ。

 生きたいと願った少女の祈りを、叶えなければ。


ーーー


 俺は部屋の中に散らばっていた棚の残骸を一か所に集めた。

 空気が通るように積み、大きすぎる物はばらして、組み立てていく。

 部屋中の燃えそうな物をとにかく薪にして、巨大な炎を作る用意を進める。


 あとは、焚き付けだった。

 ろうそく程度の炎が木に燃え移るような、焚き付け。

 衰え切った魔術では、紙か草のような、木へ着火させる為の材料が必要だった。


 部屋中探してもそんな物は無く、仕方なく自分の指にあったそれに手をかけた。

 草は何重にもなっていてしっかりとしている。

 分解すれば十分な大きさになった。

 こんな事をすれば後で少女にふてくされてしまうかもしれないが、そんな未来すら迎えたいと思えた。


 バラバラとなった指輪に炎を点ける。

 木に燃え移り、風の魔術で慎重に酸素を送り、炎を強めていく。

 一度大きな木に燃え移ればあとは待つだけだった。

 赤黒い部屋中に炎が蔓延する。


 室温が急激に上昇し、皮膚から熱さを感じた。

 もはや巨大な炎となったそれから、とめどなく煙が溢れ出す。

 その煙が出口を求め、部屋中をのたうちまわっていた。

 準備は整った。

 あのドアが開けば、この煙が爆風となって外の人間を襲うはずだ。


 部屋の空気が薄くなるのが分かった。

 あまりの煙たさが目にしみ、目を開けていられない。


 呼吸が出来なくなる事を感じながら、力強くドアを叩きはじめる。

 アルヴァンは大剣持ちの女に、見張っておけと言葉を残した。

 この音を聞いて、何事かと扉を開け。


 ひときわ強く扉を叩き、扉の外に耳を澄ます。

 近づく足音は無かった。

 聞こえるのは背後で俺の死を待つ炎の爆ぜる音のみ。


「ごほっがっ……はっ……」


 小さく息をすると、喉が焼けるように痛んだ。

 肺に吸い込まれた煙によって意識が朦朧とするのを感じる。

 扉を叩く右手に思うように力が入らなくなっていく。

 もし誰も来なかったのなら。

 あまりに間抜けな死に様だ。

 死後の世界で、グロムに笑われる事だろう。


 意識が白紙になる中もう一度力強く拳を握り、扉を殴った。

 ここで死ねば、ミリーはどうなる。

 グロムは、なんの為に死んでくれたんだ。

 皮膚の表面が燃え、ずるりと剥がれ、鋭い電撃のような痛みが走った。


 なぁ、グロム。お前もこんな風に死んだのか。

 炎の龍に立ち向かい、炎の中で足掻きながら。


 悪いが俺はまだ、お前の所には行けない。

 こんな世界で、やらなきゃいけない事がある。

 あの子が1人で生きていけるようになるまで、見届けてやらなくちゃいけない。

 こんな絶望の世界を強く生きれるようになるまで、見届けてやらなくちゃいけないんだ。


 だからまた、力を貸してくれ。

 お前はまだ、そこに居るんだろ。


 小さく息を吸うと、空気がある事を自覚する。

 途端意識が明瞭になり、視界が開く。

 先程までドアを叩き潰れそうだった右手が、空ぶっていた。

 豪風をもって、煙が飛び出したのだと分かる。


 間一髪でドアが開いた。

 生き延びた。


 魔法陣のある部屋から飛び出す。

 廊下には大剣使いの女が爆風によって壁に打ち付けられている。


 大剣は手の届かぬ距離に放られていて、対してこちらは魔術が自分の物となる感覚があった。

 指先に力が籠る感覚があり、それを持ってして女に土の刃を突き立てる。

 やがて女が瞼を揺らしながら目を開け、こちらを見た。


「ひっ……ひぃ!」


 最初に聞こえたのは、絶叫にも似た狼狽だった。

 俺はひどい有様で、さながら地獄から這い出た化け物だっただろう。


「ミリーを、どこにやった」


 構える右手に力が増していく。

 鋭く作った凶器を押し当て、女の首筋が血で溢れた。


「あんたも行った研究所の、西館、そこであの子を、太陽にすると、アルヴァン様が……」

「そうか」


 恐怖に染まった女の切れ切れの声。

 この期に及んで嘘を吐かれている事は無いだろう。

 一刻も早く、ミリーの元へ辿りつかなければ。

 体に治癒をかけ、酷い倦怠感の残る中で宿から出ようと女から視線を逸らす。


 刹那、女が剣に手をかけようとした。

 右手を伸ばし、体をよじらせ、その大剣を掴もうとした。

 だから、仕方がなかった。


「が……はっ……」


 水の弾丸で女の右腕を撃ち抜いた。

 ぐちょりと鈍い音を持ってそれは床に落ちる。

 肩の断面からは血が濁流となって溢れ出す。

 女の目が、驚愕と憎悪に染まった。


 即座に左腕を伸ばし、大剣を掴もうとする。

 もはや容赦は無く、俺は牙を剥いた。


 断末魔のような悲鳴が空気を震わせ、女の体が力無く地に伏す。

 胸部、心臓を、一撃。

 水の魔術で、確かに撃ち抜いた。

 最初は細い筋のようだったが、瞬く間に血溜まりとなった。


「化け……物……」


 聞こえたのは、そんな声にならない呻きだった。

 傷口から止まらない血液、女はそれを抑えようとする。

 が、やがてその血まみれの左腕が痙攣したかと思うと、動きを無くす。


 人を殺した。


 なぜだか、ミリーのくれた指輪が完全に燃え尽きるのが分かった。

 早鐘を打つような鼓動が耳に響く。

 それを振り払い、宿を出た。

 ミリーの元へ、行ってやらなければ。

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