第7章 ミリセア・フローラ

33話 「惨状」

 一度震える息を吸い込んで、くしゃりとシーツを掴む。

 表情を見せないまま、泣き出しそうな声で呟いた。


「私、やっぱり生きたいって言っちゃ、ダメかな」

「ミリー」

「……ごめん」

「なぜ謝る、いいに決まってる」


 その声が響いて安堵する。

 ミリーに生きる意思があるのなら、事態はさほど複雑では無い。


「なぜさっきはアルヴァンらにいいと言ったんだ?大勢の期待の視線を感じて、そう言ってしまったのか?」

「……うん。アルヴァンさん達の気持ちもわかるし、コロニー003のみんなも、わたしのせいで死んじゃうのかもしれないって思ったら、いえなく、なって」

「お前が居なくなった程度で滅ぶのなら、それは元々滅ぶ運命だっただけだ。お前にはなんの罪もない」

「……そうかな」


 ミリーがその身をよじらせて、こちらに顔を見せてくれる。

 目には薄く涙が残っているが、その姿で軽く笑ってみせた。

 少女も全てを打ち明けて、安堵してくれたのだろう。

 ならば俺は、ちゃんとその願いに答えなければ。


「明日アルヴァンに話を通して帰ろう。ここに長居するのも居心地が悪いだろ」

「うん、そうだね。カイ、ほんとに、ありがと。一緒に旅したのがカイで良かった。じゃないと多分、ずっと気づけなかった」

「……俺は別に何も凄いことはしちゃいない」


 少女の声に明るさが戻っていく。

 たまに涙の名残りで掠れそうになるが、その声には芯があった。


「凄いよ。私からしたらとっても。だから私、いずれカイにも迷惑かけないような大人になるから。ちゃんと、一人で生きてけるようになるから」


 静かに頷きを返す。

 そう宣言する少女は、少し危うさを感じる程に勇敢で。


 こんな世界を小さく照らす、希望のように思えた。


ーーー


 翌朝、ベッドの上で目を覚ます。

 今までずっと硬い地面で眠っていたからか、むしろ慣れない。

 浮浪者のように、野宿が板に付いてしまったらしい。


 隣のベッドではミリーが寝息を立てていた。

 立ち上がり、ドアを開け、日を浴びる。


 暗闇の中では気が付かなかったが、この建物は極端に窓が少ない。

 小窓というべきものがいくつかありそれだけ。

 日当たりに関しては悪い物件だな。

 アルヴァンに文句を付けるとしたらそこだろう。


 これからの旅はどうしたものか。

 この旅路で龍と遭遇した以上、アルヴァンと話したコロニー062を通った迂回ルートで帰還するのが妥当だ。


 それならば、婆さんに遅れると1報入れてから出発すべきか。

 そのルートを通るなら、所要日数は2倍程度になる。

 これからも、長い旅が続きそうだ。

 

 そんな事を考えていると、ミリーが眠りまなこに指先で触れながら起床する。

 周囲を見渡して、あ、ここかと呟き、その後おはようといつものように告げてくる。おはようと返して、椅子に腰かけた。


「なんか暗いね」

「あぁ。窓が少ないようでな。今火を付ける」

「うん」


 もはや、互いに隠し事は何もない。

 そうなれたならば、これからの旅も大丈夫だろう。


「今日、帰るんだよね」

「あぁ。少し遠いが、あわよくば今日中にコロニー062に辿り着きたいと思っている。だから今からアルヴァンに話を通して、支度をして、すぐ出発だ」

「……うん、そうだよね」

「どうかしたか?」

「いや、なんていうか……またあの人達の前に行ったら、ちゃんと言えなくなっちゃうかもなって」

「怖いか?」

「ちょっと。出来れば、話したくないなって」

「……」


 どうしたものか。

 実際、あんな大勢の前で辞めますと宣言させるのは、少女にとっても重荷だろう。


「じゃあ、俺が行ってくる。旅の支度をして待っていてくれ。何かあったら、魔術で応戦しろ」

「うん、わかった」


 支度を済ませて、再び扉を開いた。


「じゃあ、行ってくる」

「うん、いってらっしゃい」


 人工太陽の光を感じながら、活気づく中央区を歩き出した。


 早起きした訳では無いので、既にあの建物にアルヴァンらはいるだろう。

 アルヴァンは強制では無いと言ってくれたものの、ゴネられたら面倒臭い。


 とはいえそこまで研究が進んでいるのなら、炎の紋章持ちの魔術師を作る研究等しているだろう。

 皆の為に死んでもらう人間を作る。

 酷い話だが、とうとう共倒れとなれば命を捧げる者は勝手に現れるはずだ。

 今はその研究結果が出て間もないタイミングのようだし、繋ぎの策のような物なのかもしれない。


 そう考えていると、昨日の石造りの建物に辿り着く。

 広いので全ての部屋を確認するのではなく、昨日の会議の場から当たろうとする。

 アルヴァンは、明日の朝この場所でと言った。ならばあの部屋に誰かしらは置いておくという意味だろう。

 そう思い、部屋の扉を開けた。


「君一人か」

「あぁ。あんたも一人なんだな」

「皆、用事が出来たようでね」


 昨日と打って変わり大きな絨毯が敷かれた部屋になっていたそこで、アルヴァンは立ち上がって俺と向かい合う。


「あんたなりの気遣いか?」

「さてな」

「あんたらには悪いが、ミリーは、太陽になるのを辞めるらしい。死を目前にして、気付いた事があったようでな」

「……そうか。それは、残念だな」


 灰色の部屋に、淡泊なアルヴァンの声が木霊する。

 冷静で、想像していた反応との差に少し驚いた。


「こうなると予想していたのか?」

「まぁ、君を強制する程の力は私には無い。それに、妻に誓っていてね。

 他者から恨まれるように、誰からも幸福を奪わない事。理想主義者だと嘲笑されるような考え方だが、焦がれてしまう程高尚な考えでもあると感じている」

「あぁ……」


 どこか遠い目をしたアルヴァンはゆっくりとした動作で、そう語る。


「変わりと言うのも変かもしれないが、君のコロニーに関しての情報も聞かせてくれないだろうか。今後の研究に役立てる上で、重要な資料になるのでね」

「あぁ。そのくらいなら構わない……ただその前に、聞きたい事があるんだが」

「なにかね」

「今日はなぜ、そんなにも警戒心が無い」


 不思議に思った。

 昨日は軍人を数人つける程に警戒心を剥き出しにしていたのに、今日は打って変わって広い部屋に2人。

 自分の大切にしている物を悠々と口走る事も、少しの違和感を感じた。


「昨日が異常だったと言うべきだ。私より偉い立場の人間も顔を出していたからな。もしもの事があれば、私のメンツが落ちぶれるだろう」

「……そうか」


 何かひっかかる。

 確か……昨日はここに居るのは皆私の部下だと言っていなかっただろうか。

 気がかりだが曖昧な記憶なので特段追求せず、コロニー128の話をしていく。


 コロニー128は、どのような惨状なのか。

 事故の頻度、予測される太陽を見たであろう人の数、それが何年前より続いているか。


 そんな話が一区切り付きそうな所で、部屋の扉が開かれ、アルヴァンの部下らしき男が入ってきた。


「もう、用は済んだのかね」

「はい。滞りなく」

「そうか。カイ君、長話をさせてしまって済まなかったな。ミリセア君の元に戻り、帰り支度を整えていてくれ。私は、研究に戻らねばならない」

「あぁ。了解した」


 聞いた時はやけに熱心だったのに、ずいぶん急に熱量を失う。

 男の横を通り過ぎ、建物から出てミリーの居る宿へと戻ろうとした。


 外のぼんやりした暖かさの残る空気を感じ、舗装されたアスファルトを踏みしめながら、やはりどうにも妙な事がいくつかあった事を反芻する。


 用事があって皆居ないというのは、アルヴァンが気を効かせた嘘では無かったのか?

 用は済んだのかという問いに対して、男の滞りなく済んだという言い方は、引っかかる。


 その上、あの部屋どころか建物全体に人の数が少ない印象を受けた。

 話を聞かれない為、そこまでする必要があるだろうか。


 まるで何か本当に、全員が用事に駆り出されているようで……。


…………

……



 電流のように、寒気が走った。

 足を動かして、そのまま走り出す。

 この数日でかなり走り慣れたはずだが、途端心臓が脈打ち、寒気は増していく。


『"君を"強制する程の力は私には無い。それに、妻に誓っていてね』


 なぜか脳にその言葉が焼き付いて離れなかった。

 もしアルヴァンとの会話が、ただの時間稼ぎであったのなら。

 ミリー1人であれば、強制する程の力が奴らにあったのなら。


 その寒気の全てが、杞憂であってほしかった。

 やがて走り続けると、その建物が見えてきた。


ーーー


「ミリー!」


 扉を勢いよく開け放ち、その中を見た。

 ミリーの姿はなく、何故か焦げた匂いを感じる。

 息を切らしたまま、部屋の奥へと進んでいく。


「……」


 酷い惨状だった。

 壁と床の一部が小さく炎で焦がされ、棚が破片となって床に散乱し、足の踏み場もない。

 魔術を狭い室内で無理に放たなければ、こうはならない。


 見届ける義務のある人間として、あまりに軽率だったのか。

 繋がりを拒絶し続けた事による未熟さが、そうさせたのか。


 自分の判断を呪い、収まらない鼓動を感じながら状況を見る。

 焦げた跡は小さく、C級か準D級程度の魔力しか出ていない。

 ミリーが本気で抵抗したにしては、あまりに小さな焼け跡。それを妙に思った、その時だった。


「……!」


 赤黒い光が部屋中へ、檻のように広がる。

 初めて見る光景に目がくらみ、次に何をされたのか理解した。

 結界魔術。魔力を無効化する魔術で、コロニー128には継承されず、100年前に途絶えたと思われた魔術。

 知識としては知っていたが、ここには継承されていたのか。


 硬直する体を動かし、その魔術の範囲から出ようとする。が、部屋の外から、床が静かに軋む音がする。

 人が飛び出すような窓もないその部屋で、俺は成すすべなくその人物と対面した。

 先程とは違う冷たい声で、その男はゆっくりと語りだす。


「ミリセア君の魔術は、本物なのだな。踏み入った7人の部下のうち2人が、軽いけがらしい」

「……アルヴァン」

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