小さな異変

 新人が一人欠けた程度で、日々の業務が変わることはない。

 機械は故障し、電子機器はエラーを吐き出し、点検では要観察箇所が見つかる。

 あれから数日経ったいまも尚、下層ドックは忙しない日常を送っていた。ユーリもまた同様に、山とある覚えなければならないことを毎日頭に叩き込みながら、日々の業務をこなしている。

 いつものように任された機体を整備していたユーリだったが、内部コンピュータの確認をしていたところ、奇妙な表示を見つけた。青白いスクリーンに映し出される、一つのメッセージ。


帰還かえしてください』


 明滅する画面に、同じメッセージが表示され続けるのはエラーの証である。だが、このメッセージ内容はマニュアルに表記されているどのエラーにも該当しない。

 コンピュータ部分は物理破損を除いて下手に弄らず、異変があれば八班へ回せとは言われているが、これがエラーなのかどうかユーリには判断が出来なかった。

 迷ったときは即報告を骨身に叩き込まれているユーリは、小さく「よし」と呟くと班長の元へと駆け寄った。


「すみません、ディルク班長、少しいいですか?」

「おう、どうした?」


 声をかけると手を止めてゴーグルを外し、振り向いてくれる。彼はどんなに忙しいときでも声を荒げたり苛立ちを見せたりすることなく、なにがあったかをまず訊ねてくれる。だからユーリも些細なことでも気兼ねなく報告することが出来ている。

 酒場を兼ねた大食堂で漏れ聞こえてくる誰かの愚痴を思うに、それができる上司は然程多くはないようだ。


「いま整備してるあの機体なんですが、たぶんシステムエラーが出てるんで、八班に回そうと思うんですけど……でも画面のメッセージがどれにも該当しないので本当にエラーなのかわからなくて」

「ほーん? どれどれ」


 此方です、とユーリが機体に案内してモニターを見せる。すると、確かに其処にはディルク班長にも見たことがないメッセージが明滅していた。


「何だこりゃ? 確かに定型文でもエラーでもないな。とはいえ俺らに出来ることはないし、判断は八班に任せよう」

「はい。わかりました。では送っておきます」

「おう、よろしく」


 ディルク班長と別れて、担当機体に向き直る。

 小型輸送艇のモニターは、基本的に定型文の表示のみを行う。その内容は『荷物を取り出してください』『後部扉がロックされていません』『重量オーバーです』など輸送に関するものばかりだ。

 業者側が送る荷物のデータを送信し、荷物を載せ、目的地に送る。送られた側は、中身を取り出し、受け取った旨をモニターに入力し、送り返す。そうすると、機械に受け取り日時とサインが記録され、業者側に送信される。

 単純作業車と呼ばれる小型輸送艇に、複雑な機能はついていない。

 ましてや個人的なメッセージを表示する機能など、あるはずもないのだが。


「なんか最近変なことが良く起きるなぁ……」


 奇妙なメッセージが表示されたままではあるが、三班ドックから八班ドックへ送ることはどうやら出来るようで、無事に流れていった。もしかしたら、あらぬところへ『帰還』するのではないかという不安は、一先ず杞憂に終わった。


「ユーリ」


 あれから奇妙なメッセージが追加で出ることもなければ複雑なエラーに見舞われることもなく、間もなく就業になろうかという頃。アーヴィン隊長に呼ばれ、ユーリは思わず飛び上がった。


「隊長、なにかありましたか?」


 もしやなにか重大な不具合の見逃しがあったのではと怯えるユーリに、隊長は安心させるように表情を少しばかり和らげて告げる。


「悪いんだが、片付けが終わり次第、第二会議室に来てくれ」

「は、はい、わかりました。すぐ向かいます」


 ユーリはアーヴィン隊長が去ってから片付けを再開し、二重点検を終えると急いで第二会議室を目指した。

 不備があるならその場で伝えられるはずで、抑も班の出来事はまずディルク班長が伝えに来ることになっているので、其処を飛び越えて隊長直々にということはない。ならばいったい何の用があって呼び出されたのか。

 足は急ぎながら考えるものの、全く身に覚えがなく思い当たらなかった。


「すみません、遅くなりました!」


 第二会議室の扉をノックして入ると、中には意外な人物がいた。

 朱色の髪に、黄昏色の瞳。小柄な体躯に、巨大な背負子。そして傍らに傅くように佇む冬の化身かの如き白いアニムス。一度見れば忘れるはずもない。上層に所属する凄腕技師、ディリア・ミーアヒェンだ。


「えっ、ディリア技師!?」

「久しいな、新人Küken君」


 微笑を浮かべて片手をあげるディリア技師に、ユーリは「お久しぶりです」と頭を下げた。

 鮮烈な朱色に気を取られたせいで気付くのが遅れたが、室内には他にもアーヴィン隊長やクィンシー事務班長にディルク班長など、ユーリにとっては見上げるばかりの顔ぶれが揃っていた。


「あ、あの……なにがあったんです……?」


 自分を除けばなにか重要な会議を行うような、責任者の立場にある面々ばかりだ。しかし何故かこの重要そうな集まりに、新人も新人なユーリが呼ばれている。これで緊張するなというのが無理な話だ。

 小さなユーリを、背丈も権限も大きすぎる面々が取り囲む。

 この中で最も地位が高いディリア技師だけがユーリより小柄なのだが、そんなのは何の慰めにもならなかった。

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